2006年12月度目次
 #476 「師走」 師が走り、時が走る。
 #477 「揺り篭から墓場まで」 虐めはついて回るのか。
 #478 「亜細亜大会」 え? チェス?
 #479 「寒暖差別」 不遇の暑がりたち。
 #480 「血と骨」 読書感想文。
 #481 「葬儀」 祖母の葬儀。
 #482 「近年注目の産業」 LED業界。
 #483 「水産系連合」 マルハニチロHD。
 #484 「風邪」 風邪が流行っています。
 #485 「リベンジ成る!」 漢字検定準一級。
 #486 「真っ赤な靴下の」 松坂さん。
 #487 「才能について」 厳然とした優劣。
 #488 「リアフォグ」 何故点ける? 眩しいぞ!
 #489 「こうのとりのゆりかご」 けったくそ悪いと思います。
 #490 「焼肉のたれ」 ガセネタだったそうです。
 #491 「うまいもん」 大阪出張&Krispy Kreme Doughnuts。
 #492 「銀幕寸評」 レンタルDVD“血と骨”。
 #493 「じいざすさん、誕生日おめでと」 寂しい聖誕祭。
 #494 「変漢ミス」 誤変換コンテスト。
 #495 「悪徳が栄える」 不道徳が罷り通る不満。
 #496 「びみょー」 微妙な有名人。

2006年12月28日(木)
駅日誌(496) 「びみょー」

これは本当は昨日の日誌に書こうと思ったのですが、昨日は飲んで帰って早々と寝てしまいました…
というわけで、昨日の話。
街を歩いていて、芸能人等に出くわすと、ちょっと嬉しくなります。パチスロの方から、テレビで見た事がある人物が歩いて来て、私と擦れ違い、マクドナルドに入りました。う〜ん、微妙。多分間違いないのですが… 漫才師「飛石連休」のボケの方です。

……しーん……

ピンと来ませんよね。昨日の飲んでいる席でも話に出したのですが、「誰? それ?」でした。
そうなのです。この微妙具合から、その日は会社に戻っても喋りませんでした。迷ったのですが。見た事を喋るのを迷わせる有名人。厄介です。
尚、パチスロ→マクド、とは。仕事無いんでしょうか…… これをお読みになった芸能関係者の方、使ってあげて下さい。
芸能関係者、読んでねえって(多分)!
                             駅員@尚、帰省のためしばらく日誌は休みます

2006年12月26日(火)
駅日誌(495) 「悪徳が栄える」

今日はほぼ終日一人で車を走らせていました。
大雨で大変でしたが、一人っきりの空間にずっといると、色々な事を考えてしまいますね。
雨のせいか、今日は随分湿っぽい事を考えていました。

何で、世の中正直者や誠実な人間に報いが少なく、ちゃらんぽらん、ええ加減な人間が報われたりするのでしょうか? こういう世の中っていうのは、どんどん悪徳が栄えるわけです。

――他人に被害を与えても何とも思わない。バレなきゃ良い。そのくせ、自分の取り分にはガツガツ喰らい付く――そんなん、もう良いじゃないすか。いつまでもそんな事怒るなんて心が狭いなあ――責められないのを良い事に、まんまと逃げ果せる――

私は生来貧乏くじを引いているというか、他者の過失を容赦し、自らの過失は容赦されない傾向が強く感じられます。この前、Aに○○を許してやったのに、今自分はBから○○を許されない。何故あいつはチャランポランでものうのうと暮らしていて、どうして俺ばかり避難されるのか!? まあ、これは物事の一面しか見ていないのでしょうが、何だか、世の中には「カモにする人間」と「カモにされる人間」がいて、私は後者に属している、そんな気がしてしまいます。
最近はほんの些細な事でも、こういう風に考えがちで、生来孤独を好む傾向はあるものの、人生経験を踏んで、不義理・不道徳な連中を見るに付け、どんどんこの偏狭な考えが加速している気がします。精神衰弱気味です。
では、自分が「カモにする人間」になれば良いのでしょうか? 他者の事を気遣わず、食い物にすれば良いのでしょうか? 芥川龍之介「羅生門」の主人公のようにスイッチすれば。
否、その自覚を持たないといけない時点で私には難しいです。無意識に、「自らの益に執着し自らの損は撥ね付ける。そんな心理構造でないと、毎度毎度心が疼いてしまいます。根本的にこの部分が肝になっていそうです。良心が痛むか痛まないか。
本来、良心が痛む人間の方が徳を備えていると言えます。しかし、「徳」が「得」にならない等と感じている時点で浅ましいのかも知れません。大概の宗教では、現世利益を求める事を良しとしません。現世の行いは、来世或いは死後に影響する、と説いています。現世で、たとえ悪徳が栄えても、善行が報われなくても、神は見ていると説きます。たとえ不遇でもそれを信じよ、と。私が言う不平不満は、卑賤なものだと言われるのが関の山です。
宗教は、人の心に安らぎを与えるための物である筈なのに、考える人間に苦しみを与えている気がします。そして、それは神の試練という一言で安易に片付けられます。真面目な人間程悩みを増やしてしまいます。

とは言え、もしも私が希求するように、世の中が「正直者が報われる社会」になったとしたら、逆説的に「報われない者=嘘吐き」というロジックも生じかねません。その場合は、不遇の者は、嘘吐きだから、という事になってしまいます。う〜む、ただ組み立て方が違うだけで、同じく不平不満渦巻く事になってしまいますね。いずれにせよ、浮世は憂き世か。
                                            駅員@精神衰弱気味

2006年12月25日(月)
駅日誌(494) 「変漢ミス」

今年の変漢ミスコンテスト1位は「怪盗アンデス」。日本漢字能力検定協会が募集した作品の中から、ネット投票で決定されました。面白い誤変換を競うという主旨の公募で、この1位は本来「回答案です」と打とうとしての誤変換だそうです。
漢検協会のサイトには、他にも色々候補作が並んでいました。しかし、どれがとは言いませんが、何やらツクリ臭いのも混じっている気がします。何もツクリを駄目だとは言いませんが、ツクリ臭く見せないのも腕かと思います。
そう言えば、この1位の作品も、ツクリ臭さがなきにしもあらず。基本的にPCや携帯の変換で表示される順位が上位に来るのは、書く頻度の高い文字(或いは直前に書いた文字)の筈です。アンデスはまだしも、「かいとう」と打って「怪盗」が出るというのも妙な話。仕事で使うツールで、「怪盗」と打つ立場にあるとでも言うのでしょうか? 怪盗ルパンの本でも検索した後だったのでしょうか? …などと余計な事を考えてしまいます。

とは言え、誤変換は私も痛い目にあった事がありますので、あまり辛辣な事は言いますまい。
私の勤める会社では、営業車がありませんので、車が必要な仕事は自家用車を登録して使います。なので、仕事で使った高速代等はレシートを持っておいて後で精算する必要があります。精算の時、フォームの支払い先に「首都高速道路公団」と書くべき所を「酒と高速道路公団」と書いてしまった事があります。「お前は飲酒運転しとんのか!?」と突っ込まれてしまいました。
というわけで、何か面白い誤変換が出たら、覚えておいて、次は私も挑戦してみようかと思います。
                          駅員@一度に変換する部分が長くなると出そうです

2006年12月24日(日)
駅日誌(493) 「じいざすさん、誕生日おめでと」

クリスマス・イヴですね。私のような恋人の居ない輩は一際寒い日でもあります。知人は予定があったりしそうなので、遠慮してしまいますし。それにしても、聖なる日、基督の教えには、「汝姦淫するなかれ」というのがありますが、今日は一際姦淫三昧の夜なのでしょうね。うらやま…もとい! 罪深い!!

昼頃ごそごそ起きて外出し、夕方ジムに行きトレーニングをしました。こんな日はジムに来る人なんてそうそう居ないんだろうな、と思いつつも、意外や意外、結構居るものですね。私と同様寂しい人なのでしょうか? それとも、夜までの時間潰しなのでしょうか?
それはさておき、ジムの天井に吊るされたテレビを見ると、ディープインパクトの有終の美が報じられていました。引退試合で優勝。恰好良い馬ですね。しかし、馬券はどうでしょう? 単勝なんか100円賭けの100円返しだったでしょうね。記念馬券として買う人も居たでしょうし。まあ三連単・三連複あたりはちょっとは儲かったでしょうが。

さて、ジムから帰ると、テレビでM-1グランプリを放送していました。私、駅員の履歴書にも書いて御座います通り、私は「笑い飯」というコンビが好きなので、今年こそ獲るか!? と思ったのですが、敢え無く敗退。優勝はチュートリアルでした。いや、チュートリアルも面白いのですが、私は矢張りもう一本笑い飯のネタを見たかったですね。
で、チャンネルを変えると、大河ドラマ「功名が辻」の総集編を放送していました。毎週見ていた訳では無いので、総集編は有り難いですね。それにしても、六平太役の人、この人大河ドラマによく出てきますね。近年隔年くらいで出ている気がします。しかし、今や何の役をしても、その水筒には「ヘルシア緑茶」が入っていそうな気がしてしまうのは、CMの露出度のせいでしょうか。
来年の大河ドラマは、「風林火山」だそうです。これ、楽しみです。次は極力毎週観ようかと思っています。と言うのも、これは眉唾話なのですが、私の先祖らしいのですよ、山本勘助が。
                        駅員@嘘か真か…私の苗字は山本ではありませんが

2006年12月23日(土)
駅日誌(492) 「銀幕寸評」

以前、梁石日「血と骨」を読み、ビートたけしが演じる映画版の方も観てみたくなり、DVDを借りました。というわけで、今回はその寸評を。下記タイトル右の☆は主観的評点であり、5ッ☆満点です。

「血と骨」 ☆☆
私の中では辛口になってしまいました。原作を読んでから観ると、何やら原作を簡略化した作品に思えてしまいます。
崔洋一監督も、主演のビートたけしも私は嫌いではないのですが、今回はちょっと残念です。ビートたけしは、近年クールな大人しい人物を演じる事が多く、粗野な怒鳴り方、暴れ方をする人物というのは久々の役回りでしたので、その点は久々に見る演技で良かったのですが。
残念なのは、原作の下巻を早歩きで進むような作品だったという事。原作を読んでいないと分かり難い部分がある反面、原作から端折られている部分も多かったです。具体的には、高信義という唯一の親友と、英姫の連れ子春美の夫が一緒にされてしまっているという点が大きいです。上巻での金俊平(主人公)と高信義の絡みが端折られ、親友ではなく、春美と結婚させるのに不自然にならないように弟分に変わっていました。
否、原作に忠実にするのが必ずしも正しい事だとは思いませんが、概ね原作をなぞるような恰好であり、且つ端折っているので、消化不良という印象なのです。原作は非常に凄惨な物語であり、それがマイルドになってしまったきらいがあります。
先程も述べた通り、原作を読んでいない人間には分かり難く、原作を読んだ人間には物足りず、即ちどういう人に魅せたいのかが見えてこないのです。
傑作と言われる物を二次創作する事が如何に難しいか、という事を感じました。
そういう意味では、映像作品でしか出来ない事、文章作品でしか出来ない事。このあたりを考える参考になりました。
                                              駅員@ちょっと残念

2006年12月22日(金)
駅日誌(491) 「うまいもん」

大阪にーは うーまいもんが いっぱいあるんやでー♪ イーカー焼ーきー 押し寿ー司 あわおこしー♪ おこしやす
                               〜一郎さんの牧場・替歌「大阪名物」より〜

20日〜21日は大阪に出張していました。空いた時間でユニバーサルシティのたこ焼きミュージアムに行き、ラヂオ焼きの会津屋が出店していたので、適当に食べて帰りました。
う〜む、やはりフードテーマパークに出すくらいですから、結構値は張りますね。15ヶ500円でした。え? 安いって? 私の判断基準が安すぎるのかも知れませんね。私が学生時代に良く食べたたこ焼きのスタンダード価格は、10ヶ200円ですから。
さて、大阪人はやたら東京にライバル意識を持っています。それは特に食べ物についてです。最後の砦とばかりに訴えます。例えば、「うどんは出汁で食うもんや。あんな出汁で食えるか!」とか。まあ、確かに私もうどんは西日本、そばは東日本が旨いと思いますがね。
それでも、「あんまり大阪の方が旨い物が多い」と固執するのはどうか? と思います。この議論は答えの出ない無限ループになってしまいます。私の見解としては「東京は旨い物が揃ってはいるが、味と価格がほぼ比例する。一方、大阪は安くて旨い物が多い」です。

それはさておき、今日、新宿に行き、Krispy Kreme Doughnutsを食べてみようと思いました。
しかし、「なんじゃ、こりゃ〜!!!」です。ビル寒風吹き荒ぶ新宿サザンテラスに、長い行列が。最後尾のプラカードを掲げたおっさんに訊いてみた所、1時間以上待ちでした。
日本人って、新しい物に皆して飛び付くんですよね。寒い中、風邪をひかないように気を付けて貰いたい所です。
私はまだ食べていないのに言うのは恐縮ですが、1時間も並ぶ程のもんか? 何ぼ美味いとの噂でも、たかがドーナツですよ。写真を見ただけで凡その味の予想が付きそうなものです。否、味がどうこうよりも、並んででも食べたという事実が重要なのでしょうね。
                        駅員@私はもう少し落ち着いてから食べようと思います

2006年12月19日(火)
駅日誌(490) 「焼肉のたれ」

山で遭難して焼肉のたれと水で生き延びた人が居ました。チョコレートで生き延びたとかいう話は聞きますが、「焼肉のたれ」というのは面白いですね。
……と思いきや、退院した本人曰く、焼肉のたれを舐める事も考えたが甘辛過ぎて断念した、との事。医師の見立てでは、何でもその後20℃前後の体温で冬眠状態に陥って体力が温存されて生き延びたとの事。

誰や!? 「焼肉のたれ」て言うたのは!?
朝の番組でも何やら物知り顔のコメンテーターがカロリーがどうのこうの、香辛料がどうのこうの言っていましたが、これでは赤っ恥です。しかし勉強になりました。やっぱり追認型の発想ではいかんな〜、と。
待てよ……誰かが各局のコメンテーターの実力・ちゃんと自らの考えを持っている度合いを試したのでは? だとしたら、とんでもないトリックスターですね。

とばっちりを食ったのは焼肉のタレ業界でしょう。注目を浴びるや否や、急転直下拍子抜け状態です。まあ、ハイカロリーは今の時代PRにはならないのですが。
ただ、これだけは言えます。この一連のニュースを見て、私は焼肉が食べたくなりました…
                                       駅員@そんな人居ませんか?

2006年12月18日(月)
駅日誌(489) 「こうのとりのゆりかご」

最近、「こうのとりのゆりかご」が物議を醸していますね。新聞等にも出ていましたから、有名な話題なのでしょうが、御存知でない方の為にちょっと解説を。
熊本のとある病院に導入されたシステムです。病院の目立たない裏口のような所にドアがあって、こっそりとそこに入ると、人肌に温度管理されたベビーベッドが置いてあるそうです。赤子を育てる自信の無くなった母親がそこに赤子を捨てて去り、同時に病院内にあるブザーが鳴って病院でその赤子を受け取り育てるという仕組みだそうです。
顔を見せずに赤子を手放せるというのがポイントだそうですが……う〜む、昔話なんかで出てくる、教会の前の捨て子のような感じですね。

これについては、意見は真っ二つに割れています。
一つは「虐待を受けたり、哀しい結果になるような環境で育てられるくらいなら、孤児院のような所でも健全に育った方が幸せだ」という意見で、いま一つは「そんな育児放棄を助長するような仕組みを作るなんて、酷いじゃないか」という意見です。
私はどちらかと言うと後者の意見に同意します。
これって、たまたま置いた先に育児を担ってくれる存在があるだけで、ロッカーに赤子を捨てて殺す鬼畜と変わらないのではないか? という事です。何故、たとえ望まれた子供ではなくても愛してやれないのでしょうか? 捨て子を狼が育てた話がありますが、畜生以下の発想ではないか、と思います。そも、望まれない子供が出来るのは、子を作るつもりがないのに生で中出ししてしまうからでしょう。快楽の果実について、責任を持てないとは何事か!
私は女を妊娠させた事も、子供を育てた事もありません。だからこんな事が言えるのかも知れません。しかし、我が子を放逐するような連中の気持ちなど、分かろうとも思いませんね。

先程、「どちらかというと後者に同意する」と書きましたが、条件付きで子育てを諦めるのを認めはします。その条件は、顔を出し、自らが行う事について、キチンとケジメを付けろという事です。「私はこんなに罪深い行いをするわけですが、本当に子供を養う余裕が無いのです」という表明をせよ、と。どんな理由があれ、自らがする事は罪(犯罪ではなく、倫理的な)なのだという自覚を持つべきだと思うのです。
否、こそこそと子供をそこに預ける人にも(全員がかどうかはわかりませんが)罪悪感はあるとは思います。罪悪感があるのなら、「自らは情けない事に子供を養えない」という事を表明しないのは卑怯ではないか、と思うのです。

私はこのシステムを知った時、アメリカにある、半自動販売のファーストフードを連想してしまいました。コインロッカーみたいな所にバックヤードで作られたファーストフードが入れられ、客はそこにコインを入れて購入して食べるというものです。ファーストフードみたいな軽い物が、捨て子から連想されてしまうなんて、寂し過ぎます。
                                         駅員@ヒトは業深き生物よ

2006年12月17日(日)
駅日誌(488) 「リアフォグ」

リアフォグランプを点けるな!!! 眩しいんじゃ!!!
今日、日暮れに運転をしていたのですが、前を走っていたBMWがリアフォグを点けていて、それが眩しくて辟易しました。濃霧でもないのにリアフォグを点けるというのはどういう神経なのか? ……いや、待てよ。そう言えば、以前も同じ様にリアフォグが眩しい車があったのですが、その時もBMWだった記憶があります。
もしかして、BMWのランプ関係のレバーにある構造的欠陥なのでしょうか? 例えば、フォグランプのレバーを捻ると、前後フォグを同時にON/OFFかしかないとか。例えば、消し/前方フォグON/前後方フォグONという三段階ではあっても二段階目のカチッと感がゆるゆるだとか。
それならば、悪いのはBMWのクオリティであって、運転者ではありませんね。

しかし、リアにもフォグランプがある事を知らずに乗っているのなら、言語道断。お前が乗っていても車が勿体無いからこの俺に寄越せ! と思います。
                                    駅員@リアフォグ、気を付けましょう

2006年12月16日(土)
駅日誌(487) 「才能について」

昨日の日誌で、人間皆何らかの才能を持っている旨書きましたが、その補足を。昨日の文面では、世の中に居る人間には、それぞれ長所があり、トータルでは人間に優劣は無いという受け取られ方をしそうなので。
私は、人間の脳力は平等だとは思っていません。厳然とした優劣があると思っています。
世の中には、本当に無能な人間が居るのです! こんな物言いは傲慢ですが、会社にも居ますよ。とは言え、無能ではあっても私に欠けているものを何らか持っているのでしょうがね。私に欠けるもの……情緒の安定感でしょうか。私は結構イラチなもので、どっしりとした安定した精神には欠けます。

しかし、どういうわけか、世の中には「天は二物を与えない」と思いたい人が多いようです。
「才色兼備」、「文武両道」という言葉があるにも関わらず、認めたがらない人が多い気がします。嫉妬なのでしょうか。私にも嫉妬深い所があるので、その気持ちは分からないでもないです。

また、これは会社員という特異性もあるのでしょうが、やたらと「経験」を重視する人がいます。勿論、経験は人の能力を測る上で、非常に重要なポイントではあります。しかし、それは経験を記憶し、経験を活かしている場合にのみ言える事であり、覚えていない経験・活かしていない経験は、自尊心を肥らせるだけで、能力を測る尺度たりえません。重要な点は、経験を活かす能力があるかどうか、これは即ち学習能力であります。
学習能力という事は、学歴というのも人を測る尺度の一つ(あくまで幾つもある尺度のたった一つです)の筈。「学歴差別」と言いますが、学歴を軽視しすぎてもいけませんし、偏重してもいけません。あくまで幾つかある尺度の一つとしてあると見るべきです。

それらを踏まえた上で、色々ある中で最重要能力が、「自らの才能を見付ける能力」なのだと思います。一方、それは自らの「分を知る」という事でもあります。
私は器用貧乏というか、色々な事をそこそこ上手こなしてしまうのですが、プロになれる程のものは一つもありません。というわけで、私はまだまだ自らの才能を貪欲に探します。「自分探し」なんて言葉がありますが、それはNEET(ゴクツブシ)を許すような甘いものではなく、物凄く険しい道でしょう。
                                               駅員@日々精進

2006年12月15日(金)
駅日誌(486) 「真っ赤な靴下の」

真っ赤な靴下の 松坂さんは♪  〜「赤鼻のトナカイ」替歌〜

今朝テレビを点けると、まさしくその記者会見でした。西武の松坂が、ボストン・レッドソックスへの入団です。年俸は6年契約トータルで60億円。……一生かかっても使い切れない金ですね。羨ましい〜! その60分の1で良いから私に恵んで欲しいものです。
人間、自らの才能を見付け、それを一心に研ぎ澄ました者の勝ちなのです。問題は、自らの才能を見付けられるかどうか。これにかかっているのですが、それを見付ける前に生涯を閉じる人生の如何に多い事か。人間皆、何らかの才能を持っていると私は信じていますが、それを見付けるのは稀です。
孫子の言葉に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」というのがありますが、己を知る事、これは永遠のテーマだと思います。
                                駅員@益々メジャー志向が高まりそうです

2006年12月14日(木)
駅日誌(485) 「リベンジ成る!」

やりました。ついにリベンジ成る!
4月下旬に惜敗した漢字検定準一級を10月29日に再度受けたのですが、見事合格致しました。
元々漢字は得意なので、まともな問題集を買って一通り解けば行けました。
本名がバレるので、ぼかしを入れました。

本に直接ペンで書き込まれたようないい加減な問題集をブックオフで買うような真似をせずに最初から新品を買っておくべきでしたね。

まあ、「準」一級というのがちょっと情けないのですが、一級はそれこそ見たことのない字が結構出て来て、流石に漢字マニアでないとクリアは難しいでしょう。
「いや、そんなことはない!」平成教育予備校というテレビ番組を見ている人はそう言うかも知れません。なるほど、確かにあの番組には、冒頭に一級の読みや、ラストに一級の書き取りの問題が出ます。
しかし、よく考えてみて下さい。クイズ番組の問題というのは、正解が出た時に、「あ〜、そうか!」くらいに思えるレベルでないと、白けちゃいます。ゴールデンタイムに放送する番組で、視聴者の大半が答えを見てもピンと来ないクイズを出題する訳がありません。というわけで、あの中の一級からの出題は、一級の中でも甘めの問題が出ているのです。
                                               駅員@自慢日記

2006年12月12日(火)
駅日誌(484) 「風邪」

風邪が流行っています。会社にも風邪ひきが結構居ました。にもかかわらず、今月二度も寒風吹き荒ぶ中屋外でフィールドワークをした私が風邪をひいていないのはどうした事か? ええ!? 阿呆は風邪をひかないって!? そんな馬鹿な、それなら私は年中風邪ひきですよ(ハァ?)。いやいや、これは以前にも当日誌に書きましたが、「阿呆は風邪をひかない」の私の解釈は「へらへら笑っている人=阿呆と表現」です。即ち、笑いの免疫効果についての言葉である、と思います。
私は元々喉が弱いので喉の調子は悪いのですが、風邪ではない様です。風邪をひいたら、風邪の風味(このニュアンス分かっていただけるでしょうか?)がする筈ですから。

一方、ノロウィルスが猛威を奮っているそうですね。胃腸炎を発症し、下痢や嘔吐を引き起こすそうです。こっちも心配です。特に抵抗力の弱い乳幼児・老人は重症化もあり得ます。

さて、このあんまり風邪をひかない私でも、当然風邪をひく事があります。年に1〜2回は、風邪っぽいなという時が来ますが、病欠レベルとなると、滅多にありません。そして、その滅多に無いケースは大概家族や近くの人から貰うというケースです。それを示す根拠として高校を出てからずっと一人暮らしですが、不養生になった筈なのに、風邪は減少しました。家族からの伝染リスクが減ったのでしょう。
で、最近思うのは「母は強し」という事です。子から母への風邪の伝染はあまり聞きません。現に会社にいる子持ち共働き女性の子供がいま風邪なのだそうですが、母は元気そうです。何でしょう、生き物のメカニズムとして、子が患うと、母はそれを守るために免疫力が高まるのでしょうか?
                                            駅員@生命の神秘…

2006年12月11日(月)
駅日誌(483) 「水産系連合」

今日は心身ともに疲れる仕事をしたので、他の仕事は最低限に留め早々に帰りました。帰ってみると、郵便受に、封筒が何通か入っていました。
その中に、私が株式を保有する会社の中間決算報告がありました。通期では増収微減益の様です。1年近くホールドして下がる一方で困っていましたが、さて、どうしたものか……
それはさておき、他には証券会社から口座保管料の請求書でした。来年分です。口座準備金から自動引き落としにしていなかったようなので、早速やっておきました。と、その時、証券会社サイトにふと目に付いたニュースが。

ニチロ及びマルハの取引が14時前〜大引けまで停止していたとの事。う〜ん? 何じゃらほい? ともに水産系の会社でありますし、何かあったのか!? と思い、ネットでニュースを検索すると…出ました「マルハ・ニチロ経営統合」。
わっと飛び付いたのでしょうね。しかし、ニュースの発表よりも早くからの動きがあるように見えます。ああ、両社内及びマスコミの奴等か。ずりい!
そして、業界再編の期待から、水産株は全体的に買われた模様です。チキショウ、俺にも教えといてくれれば……こういう情報源ってどこにあるんでしょうね? 今晩のWBS、明日の朝刊でも大きく取り上げられそうです。
で、冒頭の私の保有株は…食品ですが、水産ではありません。
                                        駅員@いつかは昇ると信じて

2006年12月10日(日)
駅日誌(482) 「近年注目の産業」

近年注目の産業……アメリカビッグ3を駆逐しているトヨタでしょうか? DSに続いてWiiも好調な任天堂でしょうか? 確かにそのいずれも好調なのは間違いないでしょう。
しかし、何と言っても私が注目するのは、LED業界です。発光ダイオードという電球ですね。近年、電球の多くがこれに置き換わっています。特にこのシーズンはクリスマスの電飾が多いですが、その大半が既に発光ダイオードに変わっていると言っても良いでしょう。出力/消費のバランスが良いのです。単純に輝度を上げるという事は、その分消費電力を上げるという事ですが、低エネルギーで高輝度を出せるのが発光ダイオードです。
というわけで、その業界はボーナスも良い事でしょう。私の知人にも発光ダイオードを製造する会社に勤める人が居ますが、忙しくて金を使う時間が無いという羨ましい悩みを持っています。
では、業界の株式は? まだチェックしていませんが、もう高い事でしょうから、今から買っても甘味は少なそうです。うぬぬ、もっと早く注目していれば……株式を買うのは、好調業界を買えば高値安定なのですが、キャピタルゲインを期待するのは難しいです。
今は注目されていないが、何かのきっかけで躍進する所を見付けられれば良いのですがね。

さて、電飾と言えば、神戸ルミナリエに始まった電飾通り関係ですね。東京ミレナリオ等々、この時期には名物電飾が多数あります。これら、夜見ると綺麗なのですが、昼間見ると、配線がのたくっている醜い様相です。昼間化粧を取って見ると「あれ?」となってしまう夜のお店のお姉さんの様です。
                        駅員@とは言え、ダイオード関連銘柄をチェックしよっと

2006年12月9日(土)
駅日誌(481) 「葬儀」

木曜日に、訃報が届きました。私の祖母が亡くなったという訃報が。金曜日を忌引で休み、通夜〜いわゆる「寝ずの番」(睡眠は取りましたが)で泊り〜葬儀でした。

私の父は長男ではないので、以前から祖母とは同居していなかったので、盆正月くらいにしか会う事は無く、また高校卒業以降私は家を出ましたので、もう10年も会ってさえいませんでした。しかも、私は生来の人見知りと無愛想ですから、祖母にも親しく接した事は殆どありませんでした。何もしてやっていない。後悔先に立たず。「親孝行したい時には親は無し」という言葉がありますが、現代人は寿命が延びましたので、この言葉は「祖父母」の方が妥当かも知れません。
また、今秋から、我が宗派の開祖の書を文庫で購入し、少しずつ読み始めた矢先でした。他に読みたい本があり、いつしか後回しになってしまっていました。こんな本を読み始めたから、祖母が死んだのではないか、或いは読み始めて途中で放置等したから祖母が死んだのではないか。否、否、否、そんな事に因果関係は無い筈なのですが。僧侶が経を唱え、それを唱和している間、そんな事を考えていました。

以前(10年程前)には元気だったのですが…もう随分高齢であり、且つ介護を要したものの、最後まで家にいましたので、大往生ではありましたが。
                                                  駅員@合掌

2006年12月6日(水)
駅日誌(480) 「血と骨」

私は通勤読書家なので、短編を読む事が多いのですが、たまには長編も読みます。先日、勤め先の人から借りていた梁石日・著「血と骨」を読了し、返しました。というわけで、今回はその読書感想文です(ネタバレあり)。

在日朝鮮人作家による実話をベースにした上下2巻(文庫)の長編小説です。崔洋一監督・ビートたけし主演の映画にもなった作品ですね。
時代は太平洋戦争前〜現代まで続く数十年。昭和を駆け抜ける話です。作品を通じて、在日朝鮮人の生活が生々しく描かれていると言えるでしょう。主人公は金俊平という名の済州島から渡って来た荒くれ者です。身長2mもあろうかという巨漢で、蒲鉾工場で職人として働いている所から話は始まります。
ヤクザも恐れをなして逃げ出す程の暴漢であり、その極悪非道の限りを尽くす生き様が延々書かれて進行し、その凶暴性と、付き合う女たちの二つが物語の軸になります。遊女から、金遣いの荒い派手な女、清楚だが病に臥してしまう女…等々沢山登場しますが、中心になるのは、同じ朝鮮人であり、金俊平に半ば強姦のような形で妻にされてしまう金英姫でしょう。怒りのあまり残虐な仕打をしたり、酒によっては乱暴の限りを尽くしたり、どうしようもない極悪漢に対し、耐え忍ぶ英姫の姿は健気です。上巻は概ね、残酷描写で金俊平の圧倒的な暴虐のキャラクターを描く事に尽くされています。
下巻でもそれは変わらず続くのですが、もう一本の軸が加わります。その息子・金成漢(≒作者)との対峙・葛藤です。
このテーマ、実は日本文学、否、古代ギリシャからの永遠の課題の一つである「父と息子の葛藤」ですね。エディプス・コンプレックスの語源となった「オイディプス王」の物語から始まる永遠の課題であり、最終的に「和解」を書いた志賀直哉は勿論の事、数々の小説・映画のテーマになっています。そして、上巻から下巻の半分以上まで続く金俊平の暴虐振りは、これを書くための巨大な伏線とも言えるでしょう。
どんな重症を負ってもその圧倒的な生命力ですぐに復活し、暴れ回る金俊平ですが、最終的には病に倒れ、一気に老け込んでしまいます。その時の女(日本人)は、不細工で金俊平の肉便器兼召使でしかなかったのですが、立場が一気に逆転してしまい、序盤から金俊平が愛用していた武器・桜の棍棒で、逆に滅多打ちにされてしまうという有様です。
息子は、幼い頃は父にただただ怯えていただけですが、成長するにつれて、父に何度か勝負を挑みかけました。しかし、敵わず家を出てしまい、十年ぶりくらいの再会が病にやつれた姿だったのです。その時には母(金俊平の妻=英姫)や姉は既に死んでおり、且つその死は金俊平のせいであり、その死を何とも思っていない金俊平を成漢は憎んでいましたので、冷酷にも助けようともせず帰ってしまいます。親友や甥っ子が必死に成漢に助けを求めるのに、俊平は頭を下げてまで頼み込まなかったからであり、自らの財産の管理を任せようとしなかったからです。……否、そこは微妙な描写です。金俊平は本当に助けを請う気持ちがあったのか否か。必死に頼んでいても無駄だと思っていたのか。一方、成漢には元々助ける意思はあったのか……?
金俊平はその後、最後の女の子供とともに、寄付をした者には楽園とされる北朝鮮に帰国します。物語は、成漢がある日新聞で「父の死と、その子らが日本人母に会いたがっている」という記事を目にする所で終わります。この物語は遠くなった昭和を描いていると同時に現代の問題まで帰結するのです。

小説としては、文章はガタガタであると言って良いでしょう。いわゆる神の視点(筆者はあらゆる登場人物の心の内が全て見えているという駄目な例)ですし、いきなり実はこうだった等、ここまでに伏線も何も無い事が書かれたりします。しかし、そんな事は些末な事であると思わせるだけの圧倒的な物語性があると言えるでしょう。この事は巻末の解説の所を書いている人と同意見です。
私には、主人公・金俊平は、圧倒的な力による覇道という面で、北斗の拳のラオウのように見えました。ラオウは高潔な人物なので、汚れ要素が付加されますが。前述の通り、映画はビートたけしが俊平を演じているそうです。なるほど、ビートたけしのイメージもすんなりはまりそうですが、どう演じているのか……今度映画の方も観てみようと思います。
                                      駅員@強烈なキャラクターでした

2006年12月4日(月)
駅日誌(479) 「寒暖差別」

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。これは、春と秋の御彼岸の時期(春分の日、秋分の日それぞれを中心とした1週間)までに暑さ寒さは止むという意味ですね。即ち、春分の日を過ぎると寒くなくなり、秋分の日を過ぎると暑くなくなる、という事です。
それは良いのですが、私はここに別の解釈を呈したいと思います。暑さ寒さの苦しみは死ぬまでついて回るのだ! という事です。……ただ単に今日からグッと寒くなりましたね、というだけの話ですが。
しかし、私はまだまだコートも着ないで平気です。雪国育ちですから。それに対し、寒がりの人はもうコート+マフラー+手袋完全防備ですね。世の中には寒がりと暑がりが居て(両方に弱い人も居ますが)、私は暑がりであり、彼等は寒がりなだけなので、完全防備を詰る気はさらさらありません。ただ、御傾聴戴けますでしょうか、皆様。私の不平を!
「世の中は寒がりに優しく、暑がりに厳しい」という不平を。

例えば、電車に乗っているとします。夏場冷え性対策に弱冷房車はあるのに、冬場乗客密集暑さ対策の弱暖房車はありません。そりゃたまに混みすぎて「車内温度上昇のため暖房を止めます」という緊急措置はあっても、それはスタンダードになっていないのです。即ち、寒がりには対策が常備されているのに、暑がりには急場凌ぎしか用意されていません。

また、クールビズ/ウォームビズについてもこれは言えます。夏場に社内に限りネクタイを外す許可は、「クールビズ」というムーブメントの下、初めて許されました。それに対し、ウォームビズに当たる冬場にベスト、カーディガン、セーター等を上に着る許可は、別段許される前から、前から大目に見られています。

更に、暖房が効き過ぎていて暑いなと感じた時のひんやり窓開けは顰蹙を買いやすいのに対し、冷房効きすぎで寒いので冷房を切るという行為は許されやすいです。また、寒い寒い震えている人には、人は哀れみを以って接しますが、暑い暑いと汗だくになっている人には、人は嫌悪感を以って接します。
何なのか!? この差別は!?


ついでに、「暖房が効き過ぎていると眠くなる」という私の意見は、「気を張っていないから眠いのだ」と黙殺されたりするのは何でしょうか? 一方で、「暖房が効いていないと寒くて寒くて」という人に対しては、「気を張っていないから寒いのだ」とならないのは何でしょうか?
きっと、その辺の事を判断する立場にある人が伝統的に寒がりなんでしょうね。否、そうかそうか、暑がりは男が多く、寒がりは女が多いからか……
                                    駅員@もっと暑がりをいたわって!

2006年12月3日(日)
駅日誌(478) 「亜細亜大会」

第15回アジア大会が開幕いたしました。水泳、柔道にて、日本がいきなりのメダルラッシュです。が、私が今回書きたいのはそんな事ではありません。彼等の健闘を屁とも思っていないというわけではなく、それ以上に衝撃的な部分があったので。

ええ、皆さんも既に御気付きの事と存じます。競技リストの中に「チェス」があるのです。違和感有り有りじゃないですか? 何ぼメジャーな物であれ、チェスはスポーツではなく、ボードゲームですよね。否、決してチェスを馬鹿にしている訳ではありません。頭脳と頭脳の勝負、盤上の格闘技ですから。しかし、この大会の中に入っているのは違うだろう、と。オリンピック及びアジア大会って、スポーツの大会ではないのか? と。
中にはゴルフや射撃等、スポーツ色が薄いものもありますが、他の競技はどれもスポーツの枠内には何とか留まっていると思います。これが認められると、今後おかしな事にならないか心配です。

いっその事、盤上のオリンピックとなる、別の世界大会を設けてはどうかと思います。オリンピック、W杯、冬季五輪を避けて4年に一度開くとそれはそれで世界の注目の的となると思います。頭脳の勝負ですから、「インテリンピック」なんかどうでしょうか?
色々なボードゲームで覇を争うというという世界競技大会です。チェス、将棋、囲碁、連珠、オセロ、麻雀…等々。NHKの囲碁や将棋の番組みたいな中継になりそうですが、麻雀なんかは役に対し、スノボのハーフパイプに対するような実況が出来そうです。「出ました! 九連! まさか国際大会でこの役が出るとは!!」とか「旗が揚がっています! ジョーンズ選手、山からぶっこ抜いた様です。これはいけません!」とか。
                          駅員@チェスの決勝戦の放送はあるのでしょうか?

2006年12月2日(土)
駅日誌(477) 「揺り篭から墓場まで」

虐めは、揺り篭から墓場までついて回るようですね。Yahoo!のニュースで、大人の職場でも虐めが深刻で、労働相談の2割をも占めるそうです。何でしょう、悪徳の栄える背徳の種族は、神から見放され、そろそろ滅ぶのでしょうか?

三つ子の魂百までというわけですね。虐めっ子はいつまでも虐めっ子で、虐められっ子はいつまでも虐められっ子なのでしょうか。は〜、精神の成長の無い屑どもですね。それにしても、何で幾つになっても虐めっ子のまま、虐められっ子のままなのでしょうか?
いつまでも虐めっ子みたいな奴は言うに及ばず、いつまでも虐められっ子みたいな奴にも問題点はあると思います。会社で上司にどつかれたら、勿論どつく上司が悪いのですが、部下もどつかれっぱなしで良いのか? と思います。
私なら、上司がどつこうとしたら、「良いんですね? どついた時点で正当防衛が成立します。入院したいんですか?」くらいの台詞を吐くつもりです。それでもどつかれたら? 当然どつき返しますよ。正当防衛成立ですから。
幸い私は上司にどつかれた事は無いのでここまでの騒動になった事は無いのですが、もし実行したら、事務所はシーンとしちゃうでしょうね。愉快痛快そうでゾクゾクします。

しかし、問題点があります。厄介なのは、陰湿な精神攻撃ですね。物理的な虐め等、屁みたいなもんです。幾らでも対処のしようはあります。ねちねち精神攻撃には、どうしたら良いのでしょうか? キレてどつこうものなら向こうの思う壺ですし。
毒を以って毒を制すしかないと思います。こちらも厭らしい毒舌で反撃しましょう。向こうが先に手を出せば、前述の物理的虐め対策を実行に移せます。

更に厄介なのは、向こうに悪気が無いケース。これが最も質が悪い。この対策は、私もまだ思い付きません。しかし、向こうに悪気が無いのが分かる時は、精神的苦痛は小さいのではないでしょうか? こう言って逃げておく事に留め、悪気無し対策は今後の課題と致します。
                                         駅員@イジメ、カッコワルイ

2006年12月1日(金)
駅日誌(476) 「師走」

早いもので今年もあと1ヶ月です。光陰矢の如し。
明らかに昔より時間の経つのが早く感じられます。
そして、たまにふと、今のまま漫然と生きていて良いのかと迷います。
そして、その関心事は概ね、以下の二つしかありません。職業の事、色恋の事。

前者は、このまま今の会社に漫然と通っていて良いのか、という迷いであり、更に迷いが分岐します。この会社に居て良いのかという点と、会社員なんかで良いのかという点です。即ち、転職したい気持ちもあるものの、転職した先でサラリーマンでは、また面白くない事になりそうだと思うのです。目指すは、自らの腕一本で食っていける作家や芸術家になりたいと思っています。創作への夢が募るのです。

後者は、このまま伴侶の居ないまま気付いたら老いさらばえているのではないか? という焦りです。
その一方で、背伸びして付き合うのも疲れるしな、という気分が芽生えています。
私は自分自身の嫌な面も重々承知していますので、その嫌な面を必死になってひた隠すというのは、存外疲れますし、終いには俺は何でこんな事をしているんだという気分になります。
私の嫌な部分もひっくるめて認めてくれる人物であれば、容姿等は二の次三の次です。どんな容姿でも良いとは言いませんが、嘗ての面食い駅員からは随分基準が緩くなったと思います。
                                         駅員@師が走り、時が走る
                       
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