2007年9月度目次
 #705 「渋谷O」 ライブに行って来ました。
 #706 「超我侭主義」 ワガママポリシー。
 #707 「呪いのポスト」 ある者は死に、ある者は顔に傷を。
 #708 「超我侭主義的少子化対策」 危険思想だとの謗りを覚悟で。
 #709 「バトラー」 執事喫茶に行ってみました。
 #710 「新型新幹線N700を堪能」 嫌と言う程。
 #711 「2つの馬鹿」 この2つは全く違う。
 #712 「超我侭主義的刑法論」 私は応報刑論者です。
 #713 「赤紙が届いた!」 鳥肌実時局講演会の案内。
 #714 「有楽町の行列」 これは何ぞ!?
 #715 「蚤のシンゾウ」 安倍総理辞任。
 #716 「高野山カフェ」 密教喫茶。
 #717 「銀幕寸評」 レンタルDVD“コーヒー&シガレッツ”。
 #718 「Cave Party」 クロマニヨンズのアルバム。
 #719 「トイレの遺書」 トイレの落書。
 #720 「岸・福田・吉田」 安倍・福田・麻生。
 #721 「血みどろ三本立て」 3つの事件に対する私見。
 #722 「桝席で相撲観戦」 知人が連れて行ってくれました。
 #723 「男だてらに編物」 毛織の袋が完成。
 #724 「福田新総裁」 自民党総裁選の結果。
 #725 「福田内閣」 新内閣発足。
 #726 「コンセプチャル喫茶」 特にねこカフェについて。
 #727 「週末に先送り」 相関図ジェネレータ&CD。
 #728 「YANGON'S BURNING」 ミャンマーデモ。
 #729 「娯楽(バラエティ)」 東京事変のアルバム。
 #730 「雨の富士スピードウェイ」 F1日本グランプリ。

2007年9月30日(日)
駅日誌(730) 「雨の富士」

今年から、F1日本グランプリは、鈴鹿サーキットではなく富士スピードウェイで開催されています。富士スピードウェイでの開催は30年ぶりだそうです。その決勝レースが今日の昼行われました。雨のため、殆ど外出せず引き篭もっていたのでテレビで観ていました。
殆ど全てのレーサーにとって本チャンレースは初めてのコースであり、攻略ノウハウの積み重ねが浅い上、豪雨によるスリッピーな路面でもあり、波乱が予想されるレースでした。車載カメラの映像では水飛沫が凄く、よく前が見えるなあなんてハラハラしていたのですが、案の定、波乱の展開となりました。
序盤19周目まではセーフティカーによる速度規制があったのですが、20周目で解除され、一気にマシンの咆哮が響き渡りました。そこからは案の定、接触、スピン、コースアウトが続発しました。
優勝はハミルトン(マクラーレン)、2位にコバライネン(ルノー)、3位にライコネン(フェラーリ)という結果になりましたが、私が最も熱いと思ったのは、ファイナルラップでの6位争いです。クビサ(ザウバー)vsマッサ(フェラーリ)の激しいデッドヒートが観られました。
先行するクビサがこのままゴールするかと思いきや、マッサが何度もコースアウトしながら激しく抜きにかかり、6位に入り込みました。まさにサイドバイサイド。まるでテレビゲームの様でした。今回の最大の見所はここですね。ファンになりそう。もしかしたら、マッサは訓告なり減点なり、何らかのペナルティを喰らいそうですが……
放送はその後のスプリンターズステークスのため、延長枠ギリギリで終了しましたが、この最後のバトルが見られただけでも良かったです。

さて、今回の開催では、レースそのもも以外にも色々なトラブルが発生した模様です。バスでの交通トラブルや観客席の視界のトラブル…等々。
勿論、雨のせいという部分もあるでしょう。しかし、想定を広く深く出来ていなかった事が問題なのです。主催者側やそれを支える業界は全力で改善(トヨタはカイゼンが得意な筈)を御願い致します。
特に、今回は鈴鹿から富士に変わり、東日本の人間では初めて生F1を観に行った人も多かった事と思います。そんなモータースポーツ好きの人々が、今回の件で嫌になってしまってはあんまりです。
                                駅員@私も生F1は未経験なのですが

2007年9月29日(土)
駅日誌(729) 「娯楽(バラエティ)」

発売日に買った東京事変の新アルバムですが、矢張り週末までじっくり歌詞カードを眺めながら聴く時間には恵まれず、今日ようやくです。
先行シングルの「キラーチューン」「OSCA」を含み、京極夏彦原作映画のテーマソングに採用された「金魚の箱」を含むアルバムであり、東京事変第三のアルバムになります(その間、椎名林檎&斎藤ネコの企画アルバムの発売もありましたが)。私は、好きな音楽でもシングルは殆どスルー状態なので、発売が待ち遠しかった一枚です。

曲目は縦書きで書かれ、椎名林檎の作風の例に漏れず、タイトルの文字列が、前半と後半が左右対称になっています。作詞は殆どが椎名林檎ですが、作曲は椎名林檎は一切しておらず、ギターの浮雲とキーボードの伊澤一葉の手になる物が殆どです。
これって、椎名林檎の作曲の才が枯渇したのでは!? と心配に(ソロでデビューしていた頃も、作り溜めていた曲をリリースしていました)なりますが、私はそれよりも自分の才に縋る男たちに嫌気が差しているのではないか、と睨んでいます。今の東京事変の陣容を見ると、結成当初から演奏メンバーの大半が入れ替わっています。変わった理由が、「結局演奏は出来るが意欲的に作詞作曲をする人ではなかったから」ではないかと思うのです。これはあくまで憶測に過ぎませんが、女一人で福岡からギターを抱えて出てきた人間(これも私の脳内イメージ)を飯の種にしようとした人を一杯見てきた筈ですし。

さて、今回聴いてみた感じでは、私は「金魚の箱」「OSCA」「復讐」が気に入りました。歌詞では「黒猫道」が好きです。
特に「OSCA」は、ラテンヨーロッパ車好きの心をくすぐりますね。

O.S.C.A.というのは、Officina Specializzate Costruzioni Automobiliのイニシャルであり、レーシングカーの製造会社です。
その創業者は、マセラッティ兄弟であり、現在でもFIATグループ傘下でクアトロポルテ(4ドアのフェラーリとも言われる速い車です)等を製造している会社の創業者でもあります。歌詞に「真っ赤っかなOSCA ALFA 手懐け走破」とありますから、これは多分アルファロメオ製エンジンとOSCA製車体のレーシングカー(葉巻型F1時代のデ・トマソ等)を指しているのだと思います。イタリア車というのは、速くて美しい車が多いのですが、昔の車はなかなか気難しくて(些細な故障も多くて)大変だったそうです。それを「女心と秋の空」みたいに見立てた歌なのでしょう。
この「OSCA」の他にも、今回のアルバムは車をテーマにした歌が多い作品でした。そう言えば、椎名林檎は黄色いベンツ280(愛称:ヒトラー)を愛車にしていたと記憶しています。あれは「罪と罰」のPVでぶった切っちゃったので、今は違うのに乗っているのかも知れませんが、いずれにせよ椎名林檎は結構マニアックな車選びなのです。
                    駅員@このCD感想、カーマニア以外にはつまんないかも

2007年9月28日(金)
駅日誌(728) 「YANGON’S BURNING」

ALL ACROSS THE TOWN,ALL ACROSS THE NIGHT
EVERYBODY'S DRIVING WITH FULL HEAD LIGHTS
BLACK OR WHITE TURN IT ON,FACE THE NEW RELIGION
EVERYBODY'S SITTING'ROUND WATCHING TELEVISION

YANGON'S BURNING WITH BOREDOM NOW
YANGON'S BURNING DIAL 99999

  〜The CLASH“LONDON'S BURNING”替歌〜

久々に日記冒頭に歌引用を持ってきました。
旧ビルマであるミャンマーの最大都市(首都ではない)、ヤンゴンにて、デモが発生し、その参加人数は日に日に増加しています。
デモの中心は橙色の袈裟が眩しい仏教僧であり、デモの目的は「反軍事政権」です。御存じの通り、民主化運動を指導したアウンサン・スーチー氏を軟禁しているのもこの軍事政権です。
発端は、石油価格上昇に伴う、燃料を中心とした各種生活コストの高騰です。石油価格は世界的に上がっているので、必ずしもこの軍事政権の政権の運営が悪いわけではないと思っていたのですが、石油価格に比例しての上昇に留まらず、この2年に9倍、今回一気に更に5倍に上昇しているそうです。日本で言うと、\130/Lだったガソリンが、2年間に\1,000に上がり、今回\5,000になったような物です。こりゃ暴動起きるわ。
そして、仏教国であるミャンマーでは、無宗教国日本よりも僧侶の権威ははるかに高いため、たとえ軍人と言えど、敬虔な信者は下手に手出しが出来ないので、参加人数が増え、デモは大きくなりました。坊主を殺すと地獄行きですからね。しかし、流石にそのデモの勢いに業を煮やした政府は、鎮圧に乗り出しました。
そんな中、ついにそのデモ対政府の諍いに巻き込まれて邦人が死亡。日本政府はただちに抗議しました。流れ弾に当たって死亡したのは、日本人のフリージャーナリストでした。国の同胞が殺されたのは哀しむべき事ですが、この仕事を選んだ以上、命懸けであるという覚悟はなくてはなりませんし、本人にも覚悟があったと思います。そういう意味では、撃ち殺されたのは勿論不幸なのですが、やりたい事に命懸けで打ち込んでその結果死んだのも一つの幸福なのかも知れません。昨今の世の中、こういう思いっ切り生きて思いっ切り死んだ人間は少なく、死んでいないだけの人間が多過ぎます。
それにしても、これが仮に米国人だったらどうなっていたでしょう? 次期大統領選挙に備えた支持率アップキャンペーンの具にされちゃうのでしょうかね。アフガンやイラクも「内政の為の外患」に見えましたし。
                                                駅員@合掌

2007年9月27日(木)
駅日誌(727) 「週末に先送り」

昨晩、Yahoo!のニュースで見た「相関図ジェネレータ」とやらが気になるのですが、昨晩〜昼休み〜今に至る迄、まだ試せていません。リンク先に何度行っても、「混雑していますので、後でもう一度試して下さい」というエラーばかりです。
何でも、人名を数名分入力すると、その人々の相関関係が分かるという代物らしいです。まあ、「脳内メーカー」等と同じようなタイプのジョークページなのだとは思うのですが、何はともあれ試してみたい! 多くの人が同じような心境なのでしょう。だから混むのです。しかし、混むと余計やりたくなるのが人間のサガってものです。週末の朝〜昼頃まで我慢しないといけないのでしょうか……

それはそうと、もう4億アクセスもあるという(羨ましい!)の脳内メーカーの方は、「駅員@地獄三丁目駅」でやると、中心に「H」があり、その周りを「遊」が囲み、その周りを「愛」が囲み、その周りを「金」が囲んでいました。どうしようもない道楽者ではないか!
因みに本名では、前頭部に「悩」、後頭部に「休」がありその間に一筋の「愛」があります。
しかし、これって誰でも大概変な結果になる上、姓と名の間にスペースを入れたら結果が変わります(全角と半角でも異なる)し、姓名判断あたりを元にしているのだろうとは思うものの、所詮は冗談なのでしょう。
でも「駅員@地獄三丁目駅」の「@」は、半角でも全角でも結果が同じでした。私はネット上では、「H、遊、愛、金しか考えていない人間」というわけです。こんな駅員ですが、どうか見捨てないで下さい。

「相関図ジェネレータ」同様に、週末に持ち越さないといけないものがもう一つ。東京事変の新アルバム「娯楽(バラエティ)」を一昨日買ったのですが、まだちゃんと歌詞カードを見ながらじっくりとは聴けていません。聴くのも、その感想等をここに書くのも週末に先送りになりそうです。但し、他に書きたいネタがあればこの限りではありません。
それにしても、東京事変=椎名林檎で思い出しましたが、「相関図ジェネレータ」っていう「漢字+カナ」というネーミング、嘗て椎名林檎が好んで用いたネーミングに似ていますね。「無罪モラトリアム」とか「勝訴ストリップ」とか「輪廻ハイライト」とか……まあ、だから何だって話なのですが。
                           駅員@先送りは本当は好きではないのですが

2007年9月26日(水)
駅日誌(726) 「コンセプチャル喫茶」

「メイド喫茶」の流行以降、コンセプチャルな喫茶店が増えていますね。いや、元を辿れば「漫画喫茶」や「ネットカフェ」こそがその走りなのかも知れません。
先日私も行ってみた「執事喫茶」もその一つです。
もうちょっとソフトな所で言えば、「大正・昭和風喫茶」もありますし、着物店員の「和風喫茶」みたいな店もあります。先日プランタン銀座の横に出来たマロニエゲートには、眼鏡屋と隣り合った「眼鏡喫茶」(店員全員眼鏡)みたいな店もありました。ちょっとハードな所で言えば、「妹喫茶」(入店時挨拶「お兄ちゃん、おかえり」)とか「コスプレ喫茶」、「ツンデレ喫茶」なんてのもあります。
探せばまだまだありそうですね。例えば、「応援団部室喫茶」(入店時挨拶「先輩、押忍!」)とか、「軍人喫茶」「自衛隊喫茶」「警察喫茶」(入店時挨拶は敬礼)とかも何だかもうありそうな気もしてきます。

さて、そんな中「ねこカフェ」というのが結構人気を博しているそうです。読んで字の如く、猫と戯れられる喫茶店です。
店内には猫が放し飼いにされていて、その猫を抱いたり、頭や背を撫でたり、喉を触ってゴロゴロ言わせたり、玩具で猫と遊んだり、猫に餌をあげたり、肉球をぷにぷに触ったり出来る店だそうです。料金は時間制になっています。なるほど、人気になるのも大いに頷けます。やっぱり可愛いですから。それに、猫なんてそこら中にウロウロしていますが、飼おうと思っても住宅事情で難しかったり、野良を撫でようとしても逃げられたりします。
しかし、これとキャバクラ・ホストクラブ・風俗って一体何が違うんだろうというという気もします。相手が猫と人間という大きな違いがある事はあるのですが、命ある存在を慰みものにして戯れて癒されるという点では同じなのです。
おっと、誤解なきように。決して、キャバ嬢・ホスト・風俗嬢と猫がイコールだと言っている訳ではありません。また、これらのいずれかを蔑む意図があるのではありませんし、そういう店に行くのが悪いという事でもありません。あくまで、「店が提供するサービスの性質やコンセプトは同じだ」と言っているのです。
人の癒され方は人それぞれですから、その御陰(猫であれ、女であれ、男であれ)で心がほぐれたり、疲れが取れたりするのであれば、財布の許す範囲で利用する限りは、決して悪い事ではありません。

さて、この「ねこカフェ」ですが、私にはもう一つ気掛かりな点があるのです。某店では、「当店の猫は、生後1年未満の仔猫だけです」という謳い文句を掲げています(この事も前述のキャバ・ホスト・風俗における「若くて綺麗な子ばっかりですよ!」という謳い文句と同じ感じがしますが、それはさておき)。それはそれで可愛い仔猫揃いで良いのですが、1年経ってしまった猫は一体どうなってしまうのだろう……?
飼い主を募って売るのか? ペットショップに流すルートがあるのか? 野に放つのか? それならまだ良いですが、保健所に送られるとか、三味線の皮になるとかだったらと思うと非常に気掛かりです。そこの所、詳しい方がいたら教えて下さい。
                                          駅員@喫茶成熟期か

2007年9月25日(火)
駅日誌(725) 「福田内閣」

昨日の日誌で書いた「最早派閥の論理では通らなくなりつつあります」は撤回致します。今朝の新聞で、党三役等人事を見てガッカリしました。特に古賀氏みたいなダーティーなイメージの道路族を選挙対策委員長に当てて良かったのでしょうか? まあ、自民党内の人事なので、勝手にしてくれですが。

さて、案の定、衆議院で福田氏が指名され、参議院で小沢氏が指名されて、衆議院の優越で福田総理になり、早速組閣が行われました。閣僚中13人が再任です。個人的には、好きな政党ではない冬柴氏まで留任してしまいまったのが残念です。まあ、思想信条は人それぞれですから、それはさておき、殆どが再任なのは頷けます。
安倍改造内閣が発足直後に終了してしまったので、まだ各大臣の適不適は全然見えていないわけですからね。あれだけ叩けば埃の出る人間だらけだった旧内閣から、ようやく身体検査を終えたのに、また身体検査を開始するのは政治の空白を拡大する事になってしまいます。今後、それぞれの手腕を見ながら、徐々にしかし積極的に入れ替えていったら良いのではないかと思います。

そんな中、組閣前の総辞職の記者会見で、鳩山邦夫法相がこんな発言をしました。「死刑について、判決確定から半年で執行というルールが全く守られていない。順番が引っ繰り返ったりするのは一体何なのか? 法相が逐一絡まなくても、自動的・客観的に死刑執行が進む仕組が出来ないものか」と。
結構過激な発言ではあります。「自動的」なんて表現をすると、何やら非常に冷酷な印象を受けます。が、私はまともな意見だと思います。それどころか、私はいっその事、公開処刑があった方が犯罪抑止力になるのではないかとさえ思います。「悪い事をするとああなるんだよ」と。
死刑が確定した以上、サクサク殺してしまって良いと思います。死に値する罪を犯した人間なわけですから。その代わり、冤罪は全力で防がないといけません。今の死刑がグズグズするのも、「万が一冤罪だったら責任を負えるのか?」という不安からだと思います。裁く者と執行する者を完全に分離し、裁く者は自らの職責に命を懸け、執行する者もその職責に命を懸けるというのが理想だと思います。人の命を扱う以上、命懸けでやって欲しいのです。尚、分離する意味は、それぞれが悩んで心の病気になるのを防ぐ為です。
                            駅員@福田ドクトリンUの実現を期待します

2007年9月24日(月)
駅日誌(724) 「福田新総裁」

自民党総裁選の結果が出ました。勝者・福田康夫。福田赳夫元首相の息子であり、親子二代で総理大臣になる見込みです。私はどっちかと言うと麻生太郎の方が好きなんですが。首相指名は、参議院では恐らく小沢一郎を立てるのだと思いますが、衆議院の優越で、福田総理となるでしょう。
不勉強な私には意外だったのですが、初代・伊藤博文から始まる内閣総理大臣の歴史において、親子二代で総理というのは初めてなんですね。

福田が当選した事は下馬評通りなのですが、下馬評では「大差で圧勝」だったのに対し、結構麻生陣営が得票し、拮抗とまでは行かないまでも善戦したというのが今回のポイントです。派閥の大半が福田支持を方針としていたにも関わらず、これだけの票が麻生に流れたという事は、自民党は現在到底一枚岩とは言えない状態にあるという事です。また、派閥の統制が弱まっているという事の表れでもあるでしょう。派閥に属していながら派閥のトップの方針に従わなかった議員がいるという事ですから。
しかし、これは良い傾向だと思います。今、自民党は派閥の論理からの脱却を図っています。小泉パフォーマンス以降、世間の政治への関心が高まり、最早派閥の論理では通らなくなりつつあります。
本来国会議員とは、自らの信念に則って活動して欲しいものです。主体性無き頭数合わせの政治家なんか要りません。信念無く尻馬に乗っているだけの政治家は、信念を持って「核武装も視野に」と発言する政治家より劣ると思います(私も核武装は反対ですが、信念の無い政治家はもっと悪い、という喩えです)。

明日、安倍内閣が総辞職し、新内閣の組閣に移ります。福田としては、対立候補となった麻生を重用する事は自らを支持した層への説明が大変ですし、然りとてこれだけ得票した麻生を蔑ろにするわけにも行かないという難しい局面になりますね。自民党内に、確実に結構な数の麻生支持者がいるのです。
いっその事、「日経連」と「経団連」がくっついて「日経団連」になったように、一旦「自民党」と「民主党」をくっつけて「自民主党」を作り、かき混ぜてそこから「保守党」と「革新党」を作ってはどうかと思います。
これって何だか、世界中に伝わる創世神話みたいですね。日本神話のイザナギ尊とイザナミ尊が天沼矛で海をかき混ぜて大地を作った話。インド神話で神々と阿修羅族が世界をかき混ぜて乳海を作り、そこから万物を創造した話。旧約聖書で「光あれ」の後、天と地分けた話……等々。
因みに、水と油を混ぜるのには「乳化剤」という物を用いますが、この「乳化」という言葉、このインド神話のエピソードから取ったのでしょうか?
                              駅員@またしても脇道を暴走してしまった

2007年9月23日(日)
駅日誌(723) 「男だてらに編物」

女性蔑視的表現として「女だてらに」なんて表現がありますが、今日の日誌は、私が「男だてらに」やった事についてです。
以前、会社の同僚の女性に、編物のキットを貰いました。それから半月程でしょうか、夜な夜なちょっとずつ編物をしておりました。私は見た目はどう見てもガサツな感じなので、編物は到底全く似つかわしくないのですが。
キッカケは、私の生来の負けず嫌いのせいだと思います。何かの話題で、私は以外とチマチマした事をするのが好きなので(だからこの地獄三丁目駅も続いているわけですが)、「もし女に生まれて主婦になんかなったら、編物縫物で色々作っているタイプだと思う」という主旨の発言をしたのです。するとその翌日、「やってみる?」と編物キットを渡されたわけです。こうやって出されたら、「出来ない」なんて言うのは、何だか負けたみたいで屈辱的な気がするので、「ようし、やってやろうじゃないか!」という事になったわけです。
私はどうも挑発に弱いようですね。この先、嫁が出来た時、例えば「貴方には料理なんて無理よね」なんて言われようものなら、「何〜!?」という事になり、上手い事乗せられて、料理をさせられたりしてしまいそうです。

キットには説明書が付いていて、それに沿って編めば良いわけですが、最初は勿論手間取りました。が、慣れればちょっとずつ自分のやった事が積み重なって行く様が目に見えて、これはこれで結構夢中になってやってしまいます。
そして今日、ついに完成致しました。口の部分の片側から輪になった紐が出ている巾着袋です。
ところどころ不細工になった部分があったので、そこら辺は付属の布を上から縫い付けて誤魔化しました。その布を付ける前は何やら小汚いズタ袋みたいな感じだったのですが、それを付けるとなかなかの物に出来上がったように見えます。一応、連休明けにそのキットをくれた人に見せて評価を伺おうと思っています。
煙草はサイズ比較用です。

私は、良く言えば「何でもそつ無くこなすオールマイティー」であり、悪く言えば「器用貧乏」みたいですね。
                              駅員@会社で何かの容れ物に使おうっと

2007年9月22日(土)
駅日誌(722) 「桝席で相撲観戦」

両国国技館で、明日まで大相撲九月場所が開かれています。券を入手した知人が、誘ってくれたのです。
生での相撲観戦は二回目です。
一回目は一度生で見たいと思って、一人で二階スタンド席で観たのですが、今回は何と桝席!! 私程度の収入では、自腹では先ず座れない席です。ほんの20〜30m先で取り組みが見えるのです。立ち会い前に体をパンパン叩いている音や、立ち会いでぶつかり合う音が大きく聞こえます。テレビで観ていると、何だか淡々と行われているように見える相撲ですが、生でそれもこんな近くで観ると、迫力がまるで違いますね。
幕下の終盤〜十両に移るあたりの時間帯に入りました。桝席は狭いのですが、茶、酒、食べ物が大量に用意され、好きなだけ飲み食いしながら相撲を観戦出来ます。正に至れり尽せり。酒は日本酒、麦酒、ワイン、チューハイ等を選択できました。国技館の地下に製造工場があるという噂の名物の焼き鳥や、枝豆等をつまみながら、麦酒を飲んで観戦しました。十両の後半あたりで、館内放送が入りました。何でも、皇太子殿下一家が観戦に来られるとの事。
その後、中入です。東西それぞれの有名力士が次々に土俵に上がります。この辺りから急激に客が込んで来て、横綱白鵬の土俵入りです。私はここ最近相撲中継を見ていなかったので今更知ったのですが、白鵬は不知火型なんですね。土俵入りは、雲竜型が主流なのですが、雲竜型は攻守両方を示す形であるのに対し、不知火型は攻撃専行の形です。アグレッシヴ!!
そして、ついに満員御礼の幕が垂れてきました。それもその筈、今日の結びの一番は、実質的には優勝決定戦、二敗と三敗の白鵬vs豪栄道だったのです。
また、その一つ前は大関同士の琴光喜vs千代大海。これは面白いカードが続きます。
中入り後の途中で皇太子一家到着。拍手が起こります。満員御礼&皇族への敬意の拍手。こういう様子を見ていると、マスコミが報じる「相撲不人気」や「反皇族的な連中」なんて報道は嘘っぱちに見えて来ます。インチキ報道には騙されない様に気を付けましょう。新聞上には真実はほんの一部分しかありません。真実を知りたい人は、新聞に書かれている事を鵜呑みにせず、自らの目で生で見てみましょう。

前述の終盤の2カードはそれぞれ、琴光喜、白鵬の勝利でした。今回は中入後は番狂わせは無く、座布団は飛ばなかったのですが、非常に貴重な経験でした。
最後に弓取り式があって、皇太子一家が帰り始めます。その時は皆が帰る準備をしている事もあり、スタンディングオベーションでしたよ。そう言えば、私が初めて相撲を観に行った時も、皇太子殿下が観戦に来られていたのです。その時は、スタンド席の隣に外国人が座っていて、英語で「あの人は誰か?」みたいな事を訊いて来ました。「Prince」が思い付かなかった私は、「Emperor's Son」と答えてしまったという思い出が脳裏に……orz
帰り際に、桝席に付いていた御土産引き換え券を、桝席屋の窓口に持って行きます。そこでは、最初に貰った食べ物も食べきらないのに、更にこれでもかって程の菓子等の御土産が出ました。
やっぱり凄いなあ、国技の桝席! また来たいです(そうそう桝席の機会は無いでしょうが…)。
                 駅員@明日もし白鵬が負け、旭天鵬が勝てばまた面白い事に

2007年9月20日(木)
駅日誌(721) 「血みどろ三本立て」

今日の日誌は、最近の血生臭い事件について三本立てで御送り致します。

「ストーキング・キラー・ポリスマン の巻」
立川警察署管内の巡査長が、女性にストーカー行為の上、銃殺&自害という事件がありました。そして今日、とうとう警視総監が謝罪会見を行いました。
確かに、組織というものは責任者が責任を被らされて当然であり、また管内の治安維持がその組織の仕事なので、ダブルで責任があるとは思いますが、飛んだとばっちりにも見えます。件の巡査長は、被害者だけに留まらず、他の周囲の人間にも多大な迷惑をかけているのです。立川署で真面目に頑張っている同僚警官も非難の対象になりかねないのです。名古屋の立て篭もり事件の時に、命懸けで職務を遂行した熱い男たちを見て、私は警察を見直していたのですが……

「斧の小町 の巻」
京都府で女子高校生が就寝中の父親の首を斧でぶった切って殺したという事件がありました。何でも、父親の女関係が嫌だったから、との事。記事によって、「斧」と書いてあったり、「鉈(ナタ)」と書いてあったり、「鉞(マサカリ)」と書いてあったりしました。
斧という物は昔は武器の一つでしたが、本来は薪割りや木を伐るのに使う道具なので、銃刀法等関係なく普通に売られています。今回の斧もホームセンターで買ったものだったそうです。しかし、まさかいきなり女子高生が木を伐るとは思えません。という事は、買った時に既に父親を殺す為に買ったのだと思われます。この父親の女関係、一体どんな酷い有様だったのでしょうか? 悪趣味な好奇心が生じます。しかし、どうかマスコミはこれ以上詮索してやらないで欲しいと思います。
本人は殺人を犯したので非難されるのも已む無しと思いますが、この女子高生は「二女」と書いてありました。という事は、確実に姉がいるという事です。「親殺しの姉」「親殺しの母」と見られるだけでも酷なのに、「淫乱親父の娘」「淫乱親父の妻」と見られては目に余ります。

「指きりげんまん 嘘吐いたら……1万円 の巻」
神戸市で高校生が同級生からの虐めを苦に自殺したという事件がありました。
私は最初、この事件は冗談が高じた物だと思っていました。読みようによっては、何とか相手に嘘を吐かせようとする「嘘吐かせ遊び」のようにも見えます。
が、実際はその要求は冗談ではなく、仲間内で財務大臣と呼ばれていた少年が執拗に取り立てていたそうです。更に自殺少年はネット上にちんぽこの写真を晒されていたとの事。虐め集団の鬼畜ぶりは非常に腹が立ちます。
しかし、それでも私は自殺を非難します。事情はどうあれ、自殺は罪悪であると私は思うのです。
自殺するだけの行動力があるのなら、自殺の原因となった相手を血祭りに上げろ! と思います。そういう意味では、上記の、斧で父親を殺した女の方がまだ潔いとさえ思えます。


今回は、色々と極端な意見を書いた事は私も自覚していますが、私がこの3つで言いたかった事は、次の一行に尽きます。
「死ぬにしても、殺すにしても、自分と標的以外に迷惑をかけるな」という事です。
本人は死んだり殺したりして「終わり」のつもりなのかも知れませんが、その周囲の人間にとっては、地獄の「始まり」なのです。人間とは社会的な生物であり、仮にどれだけ他者との縁を切ろうとしても、絶対にそれが零になる事はありません。
                駅員@だから私は殺人はもとより自殺も地獄行きだと思います

2007年9月18日(火)
駅日誌(720) 「吉田・岸・福田」

人間というものは、古来から血統を重んじます。何度も何度も体制が変わっても新たな権力者の血統が脈々と受け継がれます。
突如辞任した安倍晋三首相は、岸信介元首相の血筋(直系ではなかったかも)であり、今回自民党総裁選に出馬した福田康夫氏は福田赳夫元首相の息子であり、麻生太郎も吉田茂元首相系の縁者です。
優れた地位についた者には、当然その周囲に取り巻きが出来、その坊っちゃんなり、親戚等にもその影響が出るのです。私は、社会はゴールの平等は要らないが、スタートの平等が確保されるべきだと思っているので、こういうスタートからリードしているというのはあまり好きではありません。とは言え、大多数の人間がその血筋を判断材料の一つに考えてしまうのもやむを得ないとは思いますし、且つ何らかの有名人の血筋であれば、自慢したくなるのも分かります。
実は私なんかも、真偽の程は分かりませんが、どうも今やっている大河ドラマ「風林火山」の主人公である山本勘助とルーツが同じだと聞いています。山本勘助自体が実在したかどうか怪しい人物なのですが。私も最終的には、「キツツキ殺法破れたり!」とやられてしまうのでしょうか……そんな胡散臭い血筋の話は置いておいて、安倍・福田・麻生のは、何れも昭和からの血筋なので、確かなものでしょう。

さて、次期首相を占う総裁選挙のため、この福田・麻生の演説合戦が全国で開催されているそうです。テレビで見ている限りは、麻生氏の方が演説上手に聞こえます。やはりあんまり滑らかではない声と、べらんめえ口調のせいでしょうか。
この辺り、同じく演説上手であった、田中角栄元首相や小泉純一郎元首相あたりとも似ています。そして、この手の煽動型演説タイプで最も有名なのが、アドルフ・ヒトラーですね。私もヒトラーは極悪人だと思っていますが、殊その演説の才については認めざるを得ません。断っておきますが、これはあくまで演説スタイルの話です。その内容や思想がヒトラーに似ていると言っているわけではありません。

一方の福田氏は淡々とクールな感じです。官房長官をやっていた時代にテレビへの露出が多かったですが、その時も何やら淡々、サバサバとした感じでしたね。何だか、「私は知りません」とか言って平気で人を切り捨てそうな印象です。しかし、安倍氏のように、やたら庇ってしまうよりは知ったこっちゃない事は知ったこっちゃないと言った方が、良いとは思います。政治家に叩いて埃の全く出ない人はまずいないと思いますから。それでも、福田氏は比較的身綺麗そうです。

両者は構造改革路線・経済成長重視路線・地方分権推進路線・年金問題処理・テロ特措法対策では基本的にほぼ同じです。異なる点として挙げられるのは、先ず、経済成長を支える担い手を、麻生氏は年寄りのパワーに、福田氏は若い世代のパワーに力点を置いているという点。それと、対北朝鮮外交の手法が異なります。麻生氏は圧力、福田氏は対話との事。この点では私は麻生支持です。
まあ、こんな事を論じたって、総裁選は間接選挙であり、私に投票券はないのですがね。
                駅員@個人的には自民・民主混ぜて分解し保守・革新にを希望

2007年9月17日(月)
駅日誌(719) 「トイレの遺書」

今日、某駅で腹の調子が悪くなってきたので、トイレに行ったんです。個室に入りしゃがみ込んだ時、ふと落書が目に入りました。トイレに遺書が書いてあったのです。こう書くと、何やらホラーの匂いが漂って来ます。トイレと言うのは、古来薄暗く、閉じた空間で孤独になる場所であり、ホラーには事欠きません。

その落書は、こう書かれていました。
「馬鹿は死ね。馬鹿は息をしなくて良い。馬鹿は自分が馬鹿なのを自覚しないから、死ぬまで馬鹿のまま」
これのどこが遺書なのか? 先ず、「馬鹿は死ぬべきである」とあります。続いて「馬鹿は自分が馬鹿だと自覚していない」とあります。公共のトイレに落書をするような者は押しなべて馬鹿だと言っても過言ではないでしょう。という事は、この文言を書いた人は自分も馬鹿なのに、自分が馬鹿だと自覚していない人だという事になります。この人の伝では、馬鹿は自分が馬鹿だと自覚していないのです。そして、「馬鹿は死ぬべきだ」と書いています。という事は、この落書を意訳すると「自分は、自覚はないが馬鹿なので、死ぬべき者です」という事になります。合掌。
トイレにしゃがみ込みながら、こんな下らない事を考えていました。

トイレに落書をする者は押しなべて馬鹿だと言っても過言ではないと書きましたが、恥ずかしながら、私も昔はトイレに落書した経験があります。
トイレの中で知らない人の言葉に意見し、その意見にまた知らない人が意見するというような落書で議論が展開している様を見ると面白いですね。他にやる事が無い状態だと異常に脳味噌が回ってしまうのでしょう。トイレの中で本を読む人や新聞を読む人がいるのも大いに頷けます。議論系の落書は、最終的にはそういった議論の数々をぐるっと輪で囲まれて、「こいつら全員馬鹿」なんて書かれていたりします。そして、更にはその文字に向かって矢印があって、「こいつも馬鹿」と書かれて無限ループになっていたりします。
私は男なので、男子トイレの個室にしか入った事がありませんが、女子トイレってどうなんでしょうね? やっぱり何らかの落書があるのでしょうか? 女子トイレは小便でも個室なので、個室の内側は必ず見る事になるわけですが。
                           駅員@ただ下品なだけの落書には辟易します

2007年9月16日(日)
駅日誌(718) 「Cave Party」

私の好きな音楽の一つに、ブルーハーツがあります。一時期、当日誌で枕に歌を置くのが流行った時(流行るも何も、私の中で流行っただけなのですが)、使用率が高かったのもブルーハーツやハイロウズでした。というわけで、ブルーハーツに始まり、甲本ヒロト&真島昌利のバンドであるハイロウズやクロマニヨンズも好んで聴きます。

9月12日に、クロマニヨンズの新アルバム「Cave Party」が発売になりました。直訳すると、洞窟親睦会? 私は仮にも勤め人なので、平日はあんまり自由にCDを買いにいけず(もしくは買っても聴けず)、今日買いました。聴いてみると、やっぱり良い。シンプルでストレートなロックンロールですね。
しかし、ブルーハーツ→ハイロウズ→クロマニヨンズと変遷を辿るとだんだんメッセージ性が無くなり、純粋化している印象があります。私自身は、メッセージ性が濃かった頃の方が好きだったのですが、これをもういい歳の彼等に求めても良い物は出て来ないとも思えます。即ち、持たざる者だった頃にその熱い気持ちをぶつける対象だった音楽を、持つ者になってから同じ事が出来るとは考えにくいのです。
この事は、古今東西のパンクバンドを見れば御分かりになるかと思います。私の大好きなthe Clashでさえ、良いのは矢張り初期の作品なのです。パンクの真髄とは、社会に対しての反抗・アンチテーゼであり、その心は金を持ってしまうとどうしても薄れてしまうのでしょう。言わば、パンクをやるのは若者の特権なのだと思います。それを無理にやろうとして失敗するよりは、クロマニヨンズには今の様な純粋ロックを目指して欲しいですね。

さて、このクロマニヨンズは勿論クロマニヨン人から取っています。その綴りを見て気付いたのですが、クロマニヨン人って、フランスで見付ったんですかね? Cromagnon、この「ニヨン」の書き方は、「カベルネソービニヨン」の「ニヨン」と同じですね。英語読みだと「クロマグノン」になります。
                             駅員@私は8曲目ゴーロマンスが好きです

2007年9月15日(土)
駅日誌(717) 「銀幕寸評」

レンタルDVDで映画を観たので、今日の日誌は銀幕寸評です。早速寸評に入りますが、下のタイトルの右にある☆は、私の主観的評点であり、5ッ☆満点です。

「コーヒー&シガレッツ」 ☆☆☆
2003年米国。カフェを舞台にした11話のオムニバス作品です。11話もありますから、いずれも非常に短く、且つ視点が引き・出演者アップ・テーブル真上の3種しかなく、そしてモノクロであるというチープな作りです。しかし、その出演者の面々には名だたる俳優やミュージシャンが名を連ねています。ストーリーと言えるストーリーは無く、カフェでコーヒーと煙草を味わいながら他愛無い話をしている人々の様子を撮った物です。とは言え、流石は名優が沢山出ているという感じでして、チープな場面で他愛無い話をしているだけにも関わらず、見ていて面白い作品群です。
出演者も肩の力を抜いて臨んでいるせいか、いかにも演じているというケレン味が無く、生々しい人間を描いているという印象です(これについてはモノクロ映像のせいもあるかも知れません)。コーヒーを飲む仕草や、コーヒーに砂糖やミルクを入れる仕草、煙草に火を点ける仕草等が、自然そのものであり、まるで演技には見えません。
これについては、「演じているのではなく、素でやっているだけなのでは?」との問いが出そうですが、それは違います。非常に熟達した演技なのです。
それは、11作中7作目の「cousins(いとこ同士)」で一人二役を演じているケイト・ブランシェットを観て頂ければ御分かりになると思います。この作品では、一人で「女優として大成したセレブリティ」と「そのいとこのヤンキー紛いの女」を演じています。その二役、服装は勿論の事、口調や仕草も全然違うのに、その何れも不自然な芝居ではないのです。そのクラスの熟達した役者揃いで、しょうもない日常会話を撮ったこの作品の何と贅沢な事か。
内容的には、基本的に陰湿な笑いの作品群であると言えます。「わははは」と笑う事は出来ませんが、「くすり」としてしまう場面は沢山ありました。個人的には、「no problem(問題なし)」と「cousins?(いとこ同士?)」と「delirium(幻覚)」が面白かったです。
                           駅員@その代わり感動は一切無い映画ですよ

2007年9月14日(金)
駅日誌(716) 「高野山カフェ」

近年、メイド喫茶だとか、執事喫茶だとか、何やらコンセプチュアルな喫茶店が増えています。そんな中、青山の「Hy'sカフェ」というカフェレストランで、期間限定で「高野山カフェ」なるものが開催されているそうなので、行ってみました。
私は、常々当日誌にも書いている通り、宗教は玩具であるという考え方なので、を信仰心無き宗教好きなのです。
高野山と言えば、弘法大師の金剛峯寺真言密教ですね。仏教の中でも比較的魔術的な色合いの強い面白い宗派です。特に私は、憤怒相&多面多臂である明王等の仏像が好きで、その手の仏像が多いのも密教なので、結構好きです。

この高野山カフェでは、精進ランチや精進デザート(胡麻豆腐スイーツ)等が20食限定で販売され、また、定員がありますが、写経・阿字観(大日如来を意味する阿の字を前にしての瞑想です)・法話もあります。
というわけで、最寄駅である表参道に向かい、目的地に向かいました。上記写経・阿字観・法話は時間割がきめられており、16:00〜と17:50〜でした。16:00頃に行ってみたところ、店の前に行列が出来ていて驚きました。で、行列最後尾に居る店員に聞いてみると、何とこの行列は17:50の回の行列だとの事。ひえー、大盛況ではないか!! 密教好きがこんなに居るとは……驚きました。一方、限定メニューももう売り切れ!! 已む無く普通にコーヒーを飲んだだけで帰りました(喫茶スペースと、写経等のスペースは切り離されています)。
その写経他の部屋はガラス張りなので、写真を撮って帰りました。
胎蔵・金剛の両曼荼羅が見えます。

                                          駅員@仏教復権か?

2007年9月12日(水)
駅日誌(715) 「蚤のシンゾウ」

昼間、駅前で号外を配っていました。ふと手に取ると、「安倍総理が辞意」との文字がでかでかと書かれています。うわあ、この感じだと今日の夕刊紙は売れただろうなあ。
そして、14時頃急遽記者会見を開き、正式に辞任を表明しました。解せない。何故今なのか? だって、内閣を改造して所信表明演説をして、これからって時ですよ?
辞任の理由を明言はしていないものの、何やらゴチャゴチャ言っているのを聞いた感じでは、テロ特措法が民主党に潰されそうだからといったところでしょうか。それとも、もしかしたら自民党の古狸どもに辞めるよう言われたのかも知れません(改造内閣では党内実力者の登用が目立ったので、多分無いとは思うのですが)。
真っ向から小沢と激突するのを避けたのは、私の目にはヘタレにしか映りませんでした。無責任です。「政治家は武士であれ。全力での討ち死にならば喩え負けでも天晴れ也」と思うのですがね。というわけで、今日のタイトルは「蚤のシンゾウ」です。

私は元々、北朝鮮の拉致被害者救済のために頑張っていた安倍は嫌いではありませんでした。思想方向も保守的なので、どちらかと言えば私と近いものがあります。先の参院選の惨敗も、安倍のせいではないと思っています。まあ、カスをカスと見抜けなかった人事には責任はありますが。
後釜は一体? 最有力は麻生という事になりますね……麻生太郎も私は思想面では嫌いではありません。しかし、麻生は口が滑り易いからなあ。何かしょうもない失言で退陣させられそうです。
では、そろそろ私に任せてみませんか? その暁にはスターリン張りに自民党の害虫どもを粛清しますよ(そんな事したら逮捕です)。
(9月14日追記:安倍氏はどうやら心身ともにボロボロだったようですね。確かに打たれ弱そうではありましたから、ちょっと可哀想にもなります)

                                          駅員@頑張れニッポン

2007年9月11日(火)
駅日誌(714) 「有楽町の行列」

夜に有楽町線有楽町駅の改札の前を通ると、何やら、女の集団が目に付きました。これは何ぞ? と思いつつ、近付いてみると、それは集団なんて生易しいものではありませんでした。大量の行列です。
こいつらは一体何に並んでいるのか? 流行り物を追うのは嫌いですが、何が流行っているかをチェックするのは重要です。果たして行列の中に見えたポスターには……

帝劇にて、「DREAM BOYS」なるKAT-TUNを中心とした人が出る、演劇か歌劇かコンサートか何か良く分かりませんが、何らかのステージがあるとの事。
ふーん、私は興味無いですが、好きな人はいて当然だと思いますので、どうぞ御好きな様に、といった感じです。
しかし、そんな風にスルーした後、ふと調べてみたのですが、開演時間は13:00と18:00との事。
私がそこを通ったのは21:00頃でした。ええ!? するってえと、あの並んでいた人々はこれから昼迄徹夜で並ぶって事!?(9月12日訂正:あれは終わった後に帰る様を見ようとの出待ちだったようです) うーむ、そこまで好きな事ならば、止めはしません。熱心で偉いなあと思います。
しかし、彼女等の熱心ぶりと、モーヲタ(モーニング娘。に熱心なオタク)の熱心ぶりは、一体何が違うのでしょう。恐らく、彼女等はモーヲタの事をキモくて近付き難い存在だと思っている事でしょう。でも、いずれにも熱心でない第三者から見れば、どちらも同じ様なものだと思うのですがね。人間って、どうして同族嫌悪してしまうのでしょうね。
                        駅員@ま、打ち込める趣味があるのは良い事です

2007年9月10日(月)
駅日誌(713) 「赤紙が届いた!」

帰宅して郵便受を開けると、見慣れぬ赤い葉書が入っていました。左上に「料金後納郵便」そして「赤紙」と書いてあります。召集令状であります!
震える手を抑えながら葉書を裏返すと、鳥肌実の写真と「皇紀弐千六百六拾七年 全国時局講演会」の文字がありました。赤紙という名のライブの案内なのです。
奉納演説だそうです。

朧気な記憶を辿ります。もう4〜5年前になりますが、新宿駅の南口あたりに、巨大な看板がありました。それが「鳥肌実の講演会」の看板でした。それから、鳥肌実って一体何者なのだろうと頭の片隅に疑問が残っていたのです。
そんなある日、CD屋で結構大きな扱いで鳥肌実のCDが売られていました。試しに購入して聴いてみると、このタブーが嫌いな私でさえ引いてしまうような危ないネタの数々……下手をしたら誰かに殺されちゃうんじゃないかというネタばかりなのです。とんでもない馬鹿ではあるが、非常に度胸のある芸人だと思いました。多分、右翼からも左翼からも嫌われている事でしょう。一般的な人々からは気味悪がられている事でしょう。
その後、この講演会を一度生で聴いてみたいと思って、公式サイトから、講演会がある折には赤紙が送られてくるように登録していたのです。

それをすっかり忘れていた今頃になって、届いたのがこの赤紙なのです。鳥肌実時局講演会……一度行ってみようか……
                                       駅員@何事も経験ですしね

2007年9月9日(日)
駅日誌(712) 「超我侭主義的刑法論」

日本の現在の刑法は、応報刑よりも教育刑の色合いが強いですね。結構な大罪を犯しても、数年、十数年の懲役で放免されます。更には精神を病んでいたら、それを理由に刑を免除されるなんて事もザラです。が、私はどうもこの考え方がけったくそ悪い。私の理想とする刑法の一つにハムラビ法典があります。私はバリバリの応報刑論者なのです。

ハムラビ法典。社会科または世界史で名前を聞いた事がある方も多い事と思います。「目には目を歯には歯を」という言葉で有名な古代バビロニアの法典ですね。世間的には「やられたらやり返す」という野蛮なルールというニュアンスで見られがちですが、「倍返し等を禁ずる事で、仕返しの無限増殖を防ぐ」という意味合いの方が強いルールです。
現在ハムラビ法典的なルールが無いという事は、廃れてしまったルールではあります。しかし、私はハムラビ法典的ルールが廃れたのは、このルールの根幹に欠陥があったためだとは思っていません。欠陥は、「奴隷制度があった時代のルールだから」という点だと思います。即ち、当時は奴隷がいました。奴隷は人間よりも牛や馬に近い扱いだったと思います。
という事は、例えば「AさんがBさんの牛を殺しました → BさんはAさんから牛を貰う権利またはAさんの牛を殺す権利があります」という中の、牛を奴隷に置き換える事が出来てしまうのです。
即ち、Aさんがムシャクシャして誰かを殴りたくて、Bさんの奴隷を殴ったとします。Bさんに出来る仕返しはAさんの奴隷を殴る事になります。という事は、AさんとBさんが結託すれば、ストレス発散のために相互奴隷虐待関係を結べてしまうのです。「ハムラビ法典は、奴隷イジメが流行ったせいで廃れたのではないか」というのが私の見解です。
奴隷制度の無い現在では、因果応報の理でそれを裁くという形は、非常に理に適ったルールだと私は思うのです。
刑罰を強化したからと言って、犯罪が減るとは限らないとの意見もあるでしょう。そういう人には逆に問いたいです、刑罰が甘ければ犯罪が減るのか? と。私は犯罪者を哀れな病理を抱えた人と見なして更生する事よりも、社会の害悪として排除する方が抑止力としては強いと思うのです。

というわけで、超我侭主義(空気を読まずに自らの正義を貫く主義)的には、殺人犯は死刑。強姦犯はちんぽこ切り落としの刑が妥当だと考えます。
一個の人命は地球より重いと言います。地球より重い物を損壊した者は、同じく地球より重い物で償うしかないのです。
強姦犯の方は強力な抑止力となる上、完全な再犯抑止になります。だっておっ立てるモノが無ければ強姦は出来ませんからね。
問題は財産犯の類です。ハムラビ法典的には、窃盗犯には相応の罰金による原状回復という事になります。という事は、ガムを万引きした人はガムを弁償するだけで済んでしまうのです。ハムラビ法典そのままでは重罪は減っても、軽犯罪は増えそうですね。では、超我侭主義的には、窃盗には「この手が悪いんか!!」という理屈で利き手切断にでもしましょうか。これは厳し過ぎるか……
                                     駅員@反対意見も大歓迎です

2007年9月8日(土)
駅日誌(711) 「2つの馬鹿」

世の中には救いようのある馬鹿と、救いようのない馬鹿がいます。どこが違うのか?
私は向上心だと思っています。喩え今現在馬鹿であったり無能であったりしても、その状態を良しとせず、何とか馬鹿から脱却したいと思っているのが、救いようのある馬鹿です。一方、向上心のない馬鹿が救いようのない馬鹿なのです。私は、前者は可愛いので好きですが、後者は軽蔑しています。

今朝の新聞に、「漢字を調べるのに携帯を使う20代が8割いる」という記事がありました。日本人である以上、漢字をろくに知らないのは恥ずかしい事(私は漢字検定準一級保持者です、えっへん!)ではありますが、知らない事は必ずしも恥ずべき事ではありません。自分が無知である事を認め、その上でそれを補おうと手を打てば良いのです。無知の知も立派な知です。「無知の知」ソクラテスの言葉ですね(どの哲学者の言葉かを忘れてたので、私も今調べました)。悪いのは無知を放置する事、自分が無知であると意識しない事です。これは救いようのない馬鹿だと言えるでしょう。
さて、その同じ記事内に、慣用句の誤用についても書いてありました。例として、「役不足」「流れに棹差す」「気が(の)置けない」「上を下への大騒ぎ」があります。意味が分からないか、誤用している可能性のある方は、調べてみて下さいね。
私の言う、救いようのある馬鹿は、こういう記事を読んで、意味を知らなかったり、間違えたりしていたのを口惜しがって、調べる人間です。救いようのない馬鹿は、「なーんだ、こんなに知らない人や誤用している人が沢山いるんだったら良いじゃん」と思ってしまう人間です。
この2つの馬鹿は、物を知らないという点では同かも知れませんが、私に言わせれば天と地ほども違います。
2つの馬鹿が身の周りにいれば、その違いがよく分かると思います。救いようのある馬鹿は、自分が駄目な奴である事を口惜しがって、何とかやろうと頑張ります。こういう奴は好きですね。周囲の人間の向上心をも養います。
救いようのない馬鹿は、自分が駄目な奴である事を相対的なものだと見て、周りの人の駄目な所を見付けては安心し、更には周囲の人間の向上心を削ぎます。
勿論、私自身も知らない事、出来ない事は山ほどあります。私は「救いようのある馬鹿」でありたいです。
                                   駅員@←馬鹿って言う奴が馬鹿

2007年9月7日(金)
駅日誌(710) 「新型新幹線N700を堪能」

昨日は仕事で大阪出張でした。というわけで、嫌と言う程新幹線を堪能致しました。
朝、東京駅から新幹線に乗り、出発。二人掛け窓側に座り、隣は空いているという絶好の移動状態。やがて持って来ていた新聞を読み終えて、携帯をいじっていた時、売り子の御姉さんが、おもむろに手押し車を止めて、屈み込んで、「失礼致します」と言いながら、私の足の下に手を伸ばしました。お、御嬢さん、一体何を!?
と、思ったら、私の足の下にゴミが落ちていたようで、それを拾ったのでした。その気配り行動に感心。彼女や奥さんにするならああいう子が良いなあと思ったのも束の間、その売り子さんがいなくなってから、ふと思いました。もしかして、私が落としたゴミだと思っているのでは? ち、違うんだ! 私はそんなゴミを落としていないし、ゴミがある事にも気が付かなかったのだ! しかし、始発駅である東京から乗った以上、私が落としたように見える可能性は非常に濃厚。嗚呼、私が感心している一方で、向こうは私を軽蔑しているんだろうなあ……orz 見ず知らずの人に軽蔑されても良いじゃないか、と言われるかも知れませんが、知人と違って弁解の機会が一切無いわけですから、これはこれで切なくなります。

大阪で仕事を済ませた後、帰りの新幹線です。前々から乗りたいと思っていたN700(新型)に初乗車出来ました。
ますますロングノーズ。
以前に当日誌(2007年4月10日の#578)で書きましたが、この新幹線は一体何が新しいのか? 大きな特徴は次の二点でしょう。@全席禁煙&喫煙ブースの設置。A空力を駆使した加速/減速性能。
@について、私は煙草を吸うので、早速喫煙ブースを試してみました。なるほど、新幹線には、トイレ&洗面所のある車両がありますが、あれに似たスペースの切り方で喫煙ブースを確保しています。ドアは硝子の自動ドアで、入る時はドアノブ的な部分を触ると開き、出る時はボタンを押すと開きます。尚、出る時には電子音が鳴ります。通路を通る人とぶつかるのを防ぐ為ですね。奥には小さな窓があり、喫煙所然とした据付式の灰皿が3個あります。それが車両の両サイドにあり、一度に収容出来る人数は最大で8〜10人というところでしょうか。喫煙車の「副流煙もくもく状態」「車両のヤニ汚れ・臭い染み」「幼子がいるのに家族で喫煙車に乗る馬鹿家族」という三点を考えると、この方が合理的ですね。
Aについて、空力というのは高速移動に大きく影響する要素です。特にこのN700では、エアブレーキ(ボディから突起が出て、空気抵抗を高めて減速する仕組。原理としてはストックカーレースのパラシュートによるブレーキと同じ発想です)と、車両間の隙間を覆いを被せて連続させている点(空気の巻き込みによる加速ロスを防ぐ)ですね。
しかし、昨日(9月6日)と言えば、台風9号。ええ、浜松で長時間停車し、5時間半遅れで帰る事になりました。文字通り、嫌と言う程新型を堪能しましたよ。
                                             駅員@缶詰地獄

2007年9月5日(水)
駅日誌(709) 「バトラー」

このタイトルのバトラーは、戦士(戦う人)ではなく、執事の方です。会社の人と執事喫茶に行ってみました。どんなもんなんだろうという好奇心からです。

場所は池袋。サンシャイン60方面に向かって、首都高の下をくぐると、何やらアニメイトとかオタクっぽい店がぽつりぽつりと現れてきました。
女オタクである腐女子のメッカ、乙女ロードと言われている通りだそうです。雨が降ったり止んだりという天気だったので、その乙女ロードを歩く人はまばらでした。しかし、聞いた所によると、週末には結構な数の腐女子がいるそうです。
やがて目当ての店に到着。地下一階にあるその店の階段を降りていくと、一人の男が立っていました。開口一番「御嬢御帰りなさいませ!」。出た!! そして、御予約の方ですか? とか、呼称は何に致しましょうとか訊いてきます。女は「御嬢様」か「奥様」、男は「お坊ちゃま」か「旦那様」だそうです。そのやりとりの後、店内に入ったのですが、フロアに入る前に扉があって、その前で椅子に座って待たされました。
なるほど。店の入口は先ほどの男の居たあたりなのですが、執事設定はその扉の先から始まるという訳です。即ち、この扉の手前は現実と異次元の狭間という事。
次元の狭間でしばし待つと扉が開いて、燕尾服を着た男が恭しく挨拶をし、執事の○○で御座いますとの事。また出ました。「御帰りなさいませ!」 ちなみに慣れた客は「ただいまー」なんて言っていました。
中は英国風の内装で、殆どが女性客でした。いかにもな腐女子ばかりかと思いきや、結構普通の人たちもいます。驚きなのは、御一人様率が高い事です。
執事は、荷物を預かったり、椅子を引いたり、水を注いだり、色々ときめ細やかなサービスをします。で、勿論喫茶店ですから、飲食物を頼むわけですが、この値段が結構高い。軽食+紅茶のセットで\2,500前後。基本的に女性客が対象ですから、軽食は味は良いのですが、値段の割りに量が異様に少なく、食事としては物足りません。紅茶は美味しかったです。これを高いと見るか、安いと見るか。この料金には、サービス料とか、この空間・雰囲気を味わう料金も含まれています。こちらの面で気に入れば、安いと思います。但し、やっぱり女の子の憧れる世界なんでしょうか。私はこれが安いとは到底思えませんでした。ていうか、私の場合は英国風と言えば、こういう世界よりもクラッシュやセックス・ピストルズなんだな……God Save the Queen!!

さて、先月の日誌で「メイド喫茶なるものに一度行ってみたいと思って行ってみたが、並んでいたのでやめた」という話を書きましたが、今回はすんなり入れました。というのも、この執事喫茶の方は、完全予約制なのです(空席があれば例外)。
帰り際に店外に掲げられた客入り具合を示したボードを見てみると、オール満席でした。店は静かだったのですが、やっぱり大賑わいなんだなあ。
店内は撮影禁止だそうです。

                 駅員@店を出る時の挨拶は案の定「行ってらっしゃいませ!」

2007年9月4日(火)
駅日誌(708) 「超我侭主義的少子化対策」

一昨日、カール・マルクスの共産主義宣言よろしく、私は超我侭主義宣言を致しました(マルクスは頭が良いとは思いますが、その主義主張に同調は出来ません)。さて、その超我侭主義に則って、現代日本の抱える一大問題、少子化に挑んでみましょう。以下、私の脳内での話です。

それはずばり、出産権を取得しない限り、出産を認められないというルールの制定です。今、首を傾げた方も沢山いらっしゃる事でしょう。そんな制限を作ると、余計に出産が減って逆効果なのではないか? また、時代に逆行しているのではないか? と。
しかし、逆説的ではあるのですが、敢えて制限してしまう事により、夫婦の出産意欲が高まるという目論みなのです。人はするなと言われればしたくなるものです。産む権利が生得的なものではなく、取得するものという風にすれば、人々はその権利を欲してしまうのではなかろうかと思うのです。
その権利取得のためには、夫婦が、道徳を中心に他の学問を含めた試験に合格しなければならないという掟です。試験に通れば晴れて子供を産む権利を取得するのです。試験はそれほど難しいものにする必要はありませんが、こんな者が親になってはいけないという人を弾けるレベルが望ましいです。子供を生む権利は自ら取得するものだという意識を持たせる事が重要なのです。試験にクリア出来ないレベルの人間を親にしない事で、パチンコに興じて車に置き去りにした子供を死なせたり、育児を放棄したり、子供を虐待したりという悲しい事件を減らす効果もあります。
そして、これが少子化対策として最も重要な点なのですが、この制度が浸透すれば、子供の居ない夫婦は「馬鹿だから産めない」という誤解を恐れて子供を作ろうとします。日本は世間体重視社会なのです。これが少子化対策の眼目です。また、副次的効果として、夫婦の絆を強める効果も期待出来るのではないかと踏んでいます。しかし、不妊症の夫婦は不当な差別を受けるのではないか? という問題が残りますので、国は全力で不妊治療をバックアップする必要があります。

うーむ、何だか優生学みたいな危険な匂いがぷんぷんしますね。人権保護団体から猛烈な抗議を受けそうです。しかし、子供が出来なくて「今回も駄目だったね」と肩を落としている夫婦がいる一方で、望まれずに生まれた子供を放棄したり、虐待したり、殺したりする馬鹿がいる世の中って、超我侭主義的には非常に腹立たしい状態なのです。何とかこのアンバランスを打開したいと思ったので、その一つの方法論として考えてみました。
とは言え、この制度には以下の欠陥があります。試験にクリアせずに妊娠してしまった場合はどうするのか? 試験に通らなかった人間による誘拐事件が発生するのではないか? なかなか一筋縄には行きませんね。
                                            駅員@超我侭主義

2007年9月3日(月)
駅日誌(707) 「呪いのポスト」

都内某所にある、そのポストは呪われていた。これまで数々の人間がそのポストの餌食となった。ある者は、そのポストに関わって自殺に追い込まれた。ある者は、そのポストに関わって顔面に傷を負い、人々から罵られた。そして、また新たな被害者が……!

もう御分かりでしょう。ポストはポストでも郵便ポストではありません。地位です。その名も悩衰症……もとい、農水相。今朝の新聞で、先日の改造内閣で農水相になったばかりの遠藤氏が早くも辞任です。
遠藤氏が組合長を務めていた農業共済組合が、国からの補助金を不正受給していた事をスクープされての引責辞任です。但し、不正受給した金は自分の財布には入れていないとの事。これが本当なら、自らがリーダーである組織を成り立たせる責任感とも言えますので、一寸の魂はあったとは思える(だからと言って悪くないわけではない)のですが、辞任によりその件の真相は藪の中でしょう。
それにしても、クリーン改造だった筈なのに、何でこういう事になるのでしょう? 叩けば埃の出る奴ばかり……ていうか、遠藤氏は後ろ暗い所があるのに何故話を受けた? 何故自ら政治家生命を縮めるような真似を? 実は、就任打診を受けた時から、あんまり乗り気ではなかったそうです。だったら何故断らない?
何だかこの感じ、私の勤め先の「責任を取らない責任者」の如きです。責任者は読んで字の如く、責任を取るのが仕事です。責任を取らない責任者は給料泥棒です。ならば責任者に昇格するのを断れ、と思います。

さて、ちょっと穿ってみましょう。もしかしてこれって、国内農業を保護し市場開放を遅らせる為の牛歩戦術じゃなかろうか? 農水行政のトップがころころ変われば、その分市場開放への取り組みは遅れます。野党の指摘も下らない週刊誌レベルに落ちます。
市場開放をすれば、農家の生活保障の声が熾烈になるでしょう。そうすると、どうしてもばら撒きが必要になります。
裏で何かが蠢いているのでしょうか。一連の農水大臣は人柱なのでしょうか。

それにしても、ポストについた人間が次々と。あな恐ろしや、呪いのポスト。次に餌食になるのは? 若林前環境相? 後ろめたい事は無かろうな? 真っ赤なポストがその薄くて四角い口で舌なめずりをしていますよ。
                        駅員@そのポストは黒いハラワタが御好きなようで

2007年9月2日(日)
駅日誌(706) 「超我侭主義」

超我侭主義。はい、私の事です。私は超我侭なのです。「こいつ、どうしようもねえな」と思われる事でしょう。しかし、子供を中心とした世間一般の我侭とはちょっと異なります。「超」我侭主義なのです。

では、私の言う超我侭主義とは一体何か?
一般的な我侭とは、周りの人が駄目だと言っているのに、食べたい物、欲しい物、やりたい事をするというのを指します。周りを顧みず自らの欲する所を要求する事です。よく言われるのは、B型人間ってやつですね。おっと、私が言っているわけではありませんよ。それにそういう傾向があるというだけで、B型の人間は皆我侭だというわけではありません。
超我侭主義とは、理想主義者という言葉に置き換えても良いかも知れません。自らの理想とする世の中になっていないと何となくムカツクという事です。必ずしも、その理想郷が私にとって得なのか損なのかはあんまり関係ありません。
目指す理想郷の方向性は異なりますが、共産主義タカ派なんかも超我侭主義に似ていると言えるでしょう。余談ですが、私は共産主義社会というのも一つの理想郷ではあると思っています。但し、問題は皆が勤勉で善人でないと成り立たないという事です。兎角ずっこい奴がいる世の中では実現は絶対に不可能です。それを実現可能性に目を瞑って押し売りするのが、共産主義タカ派ですね。

例えば、私が電車に乗っているとします。老婆が立っています。誰も席を譲りません。そこで、「お前、ババアに席を譲れ!」と座っている知らない人を引き摺り上げて、老婆を座らせるのが超我侭主義です。ここで老婆が座るのを固辞したら、今度は老婆に「ババア! 俺に恥をかかせる気か!」と一喝するのが超我侭主義です。
これは極端な例であり、実行した事はありませんが、「老人が席に座る社会」を一つの理想郷と捉えた超我侭主義です。私がやった事があるのは、無言席譲り。実は、老婆に「どうぞ」なんてやるのがこっ恥ずかしいのです。私には、恥をかいた(と思い込んでしまった)経験があるせいです。
私が立っている前の席が空いた時に、気まぐれで老婆の肩をポンポンとやって促そうとした事があるのですが、感覚が鈍くなっているのかそれに老婆が気付かなった時がありました。その瞬間、自分が急に偽善者に思えてきて、プイっと車両を移動したのです。もっと強引に自分の理想主義を貫けたら、真の超我侭主義なのですがね。

例えば、会社で各部の承認を取りたくて書類を回して、書類に各部長の判子が押されていたとします。ところが、それらはめくら判で、内容を見ていなくて、承認が通って実行中或いは実行後にごちゃごちゃケチを付けられたとします。
その場合に、その承認印を押した人々は何らかの責任を負わされるのが筋というものです。そこで、会社で判を突いた本人を目の前にして「承認出来ない事柄を承認した者は、誤承認として謝罪するべきだ」「罰せられて然るべきだ」とちゃんと言えるのが超我侭主義です。こちらはありがちなケースなので、やった事がある人もいるかも知れませんし、超我侭主義にしては随分ソフトな方だと思います。こんなにソフトであるにも関わらず、「ぬるま湯なあなあ主義者」にとっては、刺々し過ぎる発言に映るようですが。
この場合は、「責任者が責任をとる社会」を一つの理想郷と捉えています。

というわけで、周囲を顧みず自らの「欲求」を貫くのが我侭であり、周囲を顧みず自らの「正義(主観的ですが)」を貫くのが超我侭主義なのです。
明日以降、他に書く事が無い日に、私の中で温めている「超我侭主義的少子化対策論」を書こうと思いますので、御期待下さい。
                             駅員@ゴーマニズム宣言に似ている気も…

2007年9月1日(土)
駅日誌(705) 「渋谷O」

今日はSHIBUYA O-WESTで好きなバンドのライブがあったので行って来ました。先月御茶ノ水にサイン&握手会に行った、元イカ天バンド「人間椅子」のライブです。
イカ天バンドでもまだまだ現役。文芸ロックを轟かせています。さて、この「文芸ロックの人間椅子」という言い方、実は功罪のある呼び名です。というのも、イカ天で「○○バンド」というレッテル貼りが始まったのが、この人間椅子を評して審査員が発した「文芸ロック」発言からだからです。その後、色々な「○○バンド」呼ばわりが一つのブームになりました。その結果、レッテルを貼られて、自由な音楽活動が出来なくなったり、誤解されてしまうバンドが相次いだのです。しかし、私に言わせれば、そんな事で挫けてしまうバンドなど、喩え誤解されなくてもそう長くはないだろうと思います。現に、レッテル貼りを最初にされた人間椅子が今でも活動しているわけですから。

夕方に渋谷に到着し、足早に道玄坂を歩いて向かいます。17:00会場18:00開演。私は17:10頃に到着し、早速入場しました。何も前の方に行く事はないと思っていたのです。そして、18:00まで後ろの方でぼーっと待っていました。
手持ち無沙汰に待っていると、周りの会話が嫌でも耳に入ります。
どこかから男女二人連れの会話が聞こえてきました。何やら飲料の話をしています。
「ジョルトコーラって知ってる?」「え? 何?」「随分昔に販売されていた透明コーラだよ」「ああ、あった気がする」「ビートたけしがCMをやっていたんだよ」「それにしても、透明なのにコーラの味って不思議だね」

違ーう!! 食品業界に五月蝿い私としては、突っ込みたくてうずうずしました。流石に知らない人にいきなり突っ込むわけにも行かず、何とか堪えました。しかし、壁に耳あり障子に目ありです。気を付けましょう。
透明のコーラは、コカ・コーラの「タブクリア」で、「ジョルトコーラ」はカフェイン2倍の普通の色のコーラです。それに、あのコーラの色は、カラメルによる着色であり、味には殆ど影響していません。清涼飲料では、色と味が一致しない商品などいくらでも作り出せるのです。例えば、最近発売されたサントリー「ビンゴボンゴ パイナップル・オブ・カリビアン」は青いのにパイナップル味です。

やがてライブが始まりました。大音量、生演奏、恥も外聞もなくノッて合いの手。これぞライブの醍醐味。大音量・生演奏については、こういったプラグドのライブに限らず、フルオケのクラシック音楽にも言える事です。やっぱり良い!
                        駅員@その代わり、今耳がちょっとキーンとしてます
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