2008年7月度目次
 #947 「命を預かるという事」 犬も、猫も、赤子も。
 #948 「テロ支援国家指定解除」 虎の威を借る狐としか見られていない。
 #949 「古都炎上」 三つ巴のマスコット。
 #950 「ロボット」 センサーに反応して声が出ているかのような。
 #951 「銀幕寸評」 TV放送「ゲゲゲの鬼太郎」.
 #952 「百鬼夜行図」 その現代版をコツコツと描こうという試み。
 #953 「深イイ話」 前々から一度観たいと思っていた番組。
 #954 「椅子取りゲーム」 電車で座りたかったら。
 #955 「正義の味方」 ヒーローのジレンマ。
 #956 「威勢良く女々しい事を言う」 ガガガSP。
 #957 「他のネタも頼め」 旧友と居酒屋に。
 #958 「対決・十二番勝負」 東京国立博物館「対決―巨匠たちの日本美術」。
 #959 「麦酒買収」 アンハイザー・ブッシュ・インベブ社。
 #960 「コケコッコ」 鶏みたいな野郎。
 #961 「塩の行進」 過去の恥ずかしい勘違い。
 #962 「局所的な大雨」 ビショビショ。
 #963 「レイトン教授と多湖輝」 頭の体操。
 #964 「椎名林檎の発電と放電」 CDとDVD。
 #965 「社会貢献という事」 捻くれ者の目。
 #966 「社会人の財布の中身」 とは思えない状態。
 #967 「ハリー・ポッター完結」 日記を書いていたら地震が。
 #968 「Strength」 力・勇気・寛大・名誉を表すタロット。
 #969 「妖怪・青坊主」 BLUE MAN GROUP。
 #970 「掃除が苦手」 と言うか掃除は疲れる。
 #971 「葉っぱじゃないよカエルだよ」 葉っぱを売るビジネス。
 #972 「鉄砲水」 鉄砲水発生の地理的メカニズム。
 #973 「ビートルズ」 Seventy Beetles on the Lilac。
 #974 「日雇い派遣」 禁じられるそうです。

2008年7月31日(木)
駅日誌(974) 「日雇い派遣」

グッドウィルが違法派遣で廃業しました。一方、7月28日の厚生労働省の研究会で、労働者派遣制度改革の最終報告書が公表され、その中に「日雇い派遣の禁止」が盛り込まれました。「日雇い派遣」という言葉を同報告書では「日々または30日以内の短い期間、契約を繰り返しながら労働者を派遣する事」と定義し、人材派遣会社にはこの形式は禁止となります。この禁止の意図するところは、労働者の保護と雇用の安定。
これに対しては賛否両論があります。賛成意見の主なものは、ワーキングプア・格差社会の解消になるという意見です。反対意見としては、使い勝手が良い日雇いが使えなくなるのは困るという企業の意見と、根本的な解決案にはならないという意見があります。
そして、日雇い派遣に登録している人の中には、反対意見が多いようですね。「特定の組織に固定的に勤めるのは嫌だが、自分の腕一本で稼ぐ力は無い」という人にとっては、日雇い派遣は好都合なのでしょう。彼らは、働いてすぐ貰えるという日雇い派遣が禁じられるのには反対だそうです。
何となく、世の中には「日雇い派遣従事者は搾取されているのだ!」みたいな空気がありますが、果たしてそうなのでしょうか? 贅沢さえ言わなければ、仕事は世の中に溢れ返っています。労働力が不足しているくらいです。「やむなく」ではなく「すすんで」登録している人の方が多いのではないか、というのが私の見解です。無論、日雇い派遣に登録している人には色々な事情があると思いますので、皆が皆こういう反対理由ではないのだとは思いますが。

私の勤め先も日雇い派遣を使う事があります。製造業なので、稀に製品にトラブルが生じて、その解消に人海戦術が必要な場合もあるので、そういう場面で使うのです。数少ない社員で、大勢の派遣社員の指揮を取る事になるので、結構大変です。「こいつ、どこまで阿呆なのか? こんな具合では企業ではまともに働けまい」と思うような人も入れば、飲み込みが早く、社内の不良社員より使えそうな人間もいます。
何故継続的に勤めるのではなく、日雇い派遣登録をしているのか? 一人一人に訊いてみたいところですが、こういう質問をすると馬鹿にしているようにも取られかねないので、訊いた事はありません。

しかし、こういう臨時人材を使う事も、今後は難しくなります。今後はどうするんだろう? 他部門等の正社員が借り出される割合が高まるのでしょうか? という事は、私が呼ばれる事も増えるのでしょうか? なるべくなら、そういう非常事態は起きないで欲しいものですが、私は結構チマチマした事をするのが得意だったりしますので、案外活躍してしまったりしそうです。
                    駅員@江戸時代は日雇い労働者がいっぱいいたそうです

2008年7月30日(水)
駅日誌(973) 「ビートルズ」

イギリス、リバプール出身の有名ロックバンド、ビートルズ。このビートルズというバンド名は、英語で「THE BEATLES」と書きます。カブトムシ(=BEETLE)と拍子(BEAT)から作った造語です。私はどちらかと言うと、ジョン・レノンがメインで作った曲より、ポール・マッカートニーがメインで作った曲の方が好きです。
さて、本日の話題はBEATLESではなく、BEETLES=カブトムシの話題です。私は子供時代はカブトムシやクワガタが好きで、よく捕まえていました。夏の風物詩ですね。捕まえても結局死なせてしまうので、今思えば残酷だった気もします。もう何年も野生のカブトムシは見ていない気がします。ホームセンターなんかで、弱々しいカブトムシならば見掛けるのですが。子供の頃住んでいた田舎と違うからか、それとも時代のせいなのか、子供みたいに探しに行かないからか、野生のものは見なくなりました。
そう言えば、最近はアマガエルやカタツムリも見ない気がします。雨降りや雨上がりには、ひょっこり葉っぱの上に居たりしたものですが……もしかしたら、絶滅の危機なのかも知れません。

そんな中、三重県鈴鹿市のとある民家のライラックの木に、カブトムシが群がっているそうです。1本の木にうじゃうじゃと70匹も。昆虫好きの少年が目を輝かせそうな光景です(昆虫嫌いの人が卒倒しそうな光景です)。
何ぞ? ライラックの樹液は美味いのでしょうか? そんなの初耳ですし、もしそうなら、こういうケースが他にもあって良さそうなものです。と、思って「ライラック」「カブトムシ」の2つのキーワードで検索してみると……ライラックの木にカブトムシが集まって来て、樹液を吸い尽くして枯らしてしまったというケースがありました。枯れるまで飲むか!? 鈴鹿市のカブトムシ70匹の木も同じ末路を歩んでしまうのかも知れません。
                       駅員@現代っ子は虫を触れない子も多いようですね

2008年7月29日(火)
駅日誌(972) 「鉄砲水」

水鉄砲に非ず、鉄砲水です。神戸市灘区の都賀川が集中豪雨で増水し、人が濁流に流されました。
都賀川? はて、どこかで聞いた事があるような……私は神戸市灘区に住んでいた事があります。えっ!? あの川なのか!? 私はその川の付近を何度も通った事があるのです。当時、アルバイトに行く通り道だったのです。そして、鉄砲水発生のメカニズムにもピンと来ました。
と言うのは、六甲山地の方向から流れてくる2本の川が合流して1本になって瀬戸内海に流れ込みます。神戸市というのは、北に山があって南に海があり、その間にある坂の多い土地なので、川の流れは比較的急です。そこに豪雨で増水し、しかも、2本の川から濁流が合流して来る……そりゃあ、鉄砲水にもなりそうです。
そう言えば、川沿いには公園があり、川縁にも降りて行けます。言わば小さな親水公園的な場所だったのです。恐ろしい事に、暑い中そこで遊んでいたら、急に豪雨が降って、濁流となったわけです。

先日、私自身が豪雨に襲われてびしょ濡れになってしまった事を書きましたし、土曜日にも短時間の集中豪雨がありました。そして、今日もついさっき夕方に雷雨がありました。今年は、短時間に一気に降る雨が多いですね。そろそろ、動物を一つがいずつ乗せられる方舟を作らないとなあ。
え? 私みたいな下衆野郎は、ノアの方舟で助かる側ではなくて、大洪水で洗い流される側だって!?
                               駅員@アンチクライストだからしゃあない

2008年7月28日(月)
駅日誌(971) 「葉っぱじゃないよカエルだよ」

帰宅してテレビを点けると、カンブリア宮殿を放送していました。あれ? 先週の月曜日にもカンブリア宮殿の事を書いたような気もします……まあ、それはそれ。今回は過疎化の農村を復興させたビジネスモデルがテーマでした。
曰く、農協に就職して、田舎で働き出した男は、街の後継を見て愕然としました。仕事が無くて住民が荒んでしまった町を見て、何とかしないとと思い立ったそうです。そんな中、寿司屋で他の客が寿司に付いていた紅葉の葉を見て、「可愛い! 持って帰ろうよ」と言っているのを目にして閃きます。田舎には葉っぱなんかはそれこそ山程ある。それを見て都市部の人間はこんなに有難がるものなのか! と。そして、それを町のビジネスにしようと思い立ちます。即ち、山に生えている葉っぱを採集しては、それを商品として販売する「彩」という三セクの登場です。一見無価値な物、それに価値を見出すというのは非常に生産性の高いビジネスであると言えます。賢いなあ……
今回の日誌のタイトルはこれの事を指します。「(ただの)葉っぱじゃないよ買えるだよ」って事で。今私が勤めている会社はメーカーなのですが、製造業である以上は何らかの廃棄物が必ず出て来ます。その無価値である廃棄物を活かす方法はないだろうか? そんな事を考えさせられました。
或いは、会社に関わらない部分でそれを見出した場合、起業してしまうのも手だな、なんて思いました。まあ、そうそう簡単に思い付きはしませんが。一先ず、石ころでも拾って商品価値を与えてみようか……

おっと、そんな事しても、つげ義春の二の舞でしょうか? つげ義春:何やらわびしい作品を描く漫画家です。その作品の中に、私小説的作品があり、その作品では、石を売ろうとして一個も売れず途方に暮れるという話があるのです。
因みに、ドクタースランプで、狐の面を被った着物の少年が脇役として出て来ますが、彼の名は「ねじ式」と言うそうです。その「ねじ式」の起源は、実はつげ義春にあります。まさしく「ねじ式」というタイトルの作品中に、同じ様な狐の面を被った着物の人物が登場するのです。鳥山明をして、登場人物のモチーフたらしめる。それだけの作家という事です。
                                     駅員@無価値に価値を見出す

2008年7月27日(日)
駅日誌(970) 「掃除が苦手」

掃除は疲れます。私は掃除が苦手なのです。なので、こまめに掃除をしません。そのせいで、私の部屋は散らかり放題、埃溜まり放題になっています。それが目に余る……というか、埃はまだしも、水周りに水垢のような物が付着しているのが気になって、部屋の入口方面半分だけ掃除をしました。
風呂・トイレ・キッチン+その周囲です。部屋の本体の方は……床に散らばっている物が余りに多いので諦めて、放置。それ以前に、入口側前半だけで疲れ果ててしまいました。
しかも、その掃除の最中でも途中でやる気が無くなってきて、ゴロンと寝転がって新聞や本を読んだりゲームをしたりしてしまいます。
毎日、或いは毎週掃除をしている人は偉いなあ、と思います。私の場合、きっと部屋本体の掃除に移る気がするまでに、水周りから先に再び汚れて来て、そっちがそろそろ掃除をしないとまずいという段階になるまで何もしない事になりそうです。
                                     駅員@分かっていたら改めよ

2008年7月26日(土)
駅日誌(969) 「妖怪・青坊主」

何やら面白そうな物事を見付けると、私はそれを求めて単独でスッと出掛けてしまう人間です。一人旅が好きなのもそのせいでしょうね。そんなわけで、今回は以前新聞で見てちょっと興味を持っていた「BLUE MAN GROUP」を観に行きました。六本木のインボイス劇場という専用劇場です。
頭を丸々青く塗った男三人で行う、パントマイムを元にしたパフォーマンスです。この三人は一言も口を利きませんが、様々な音を発しながら、動き回ります。
いかにもパントマイム的な、無言での動きによる掛け合い(菓子を投げて口でキャッチしたり)の他、ドラム缶のような太鼓や、配管のパイプ、鉄琴や木琴のように音階順に並んだ打楽器を叩いたりして、他の楽器の録音と合わせてメロディーにしたり、かと思ったら社会問題に対するメッセージ的な物を出してみたりもします。基本的にはそういった色々な短いパフォーマンスの組み合わせという体裁です。
その中に、ふと挟み込まれていた言葉「インタラクティブ」。インターネットを下水に例えた映像の中で、下水が逆流してくる事を「インタラクティブ」と表現していたのですが、これはこのパフォーマンスにおける重要なキーワードの一つではないかと思います。
即ち、観客を巻き込むという姿勢が見られたという事です。
例えば、三人がそれぞれ異なる文章の書かれた(日本版に合わせて日本語で書かれています)札を出して、それを客に読ませるというパフォーマンス。余程速く文字をなぞれる人でないと、三人分を全て最後まで読むのは無理でしょう。つまり、どれかを選んで読むという事になります。観客は積極的に参加しないといけません。
例えば、このブルーマンたちが客席を歩き回って、客を引っ張ってステージに連れて来てパフォーマンスに参加させたりします。
例えば、開演前に注意事項を流していたLEDの電光掲示に、開演早々から誰かの人名(フルネーム)が出て来ます。「今日来ている○○さんは、御誕生日です。○○さんは御立ち下さい。皆さんでハッピーバースデーを歌いましょう。せーの!」とか「今日来ている△△さんは、非常に一般的で誰からも注目されません。御立ち下さい。今日は皆さんで△△さんを注目しましょう」等々。
例えば、開演開始後に客が途中入場してきたら、パフォーマンスを中断して、警報が鳴り響く中、遅刻者を暗視カメラで撮影し、前のスクリーンに大写しにして「おそい、おそーい」と奇妙な歌を流したりします。
……待てよ? ちょっと引っ掛かりませんか? これには仕込みは無いのか? 即ち、サクラを使っているのではないか? という事です。例えば、電光掲示の例では、私の見た所、名前が出て来た人間は一人も立ち上がっていません。開演すぐなのでまだ場が温まっていないから恥ずかしいのか? 或いはそれが自然である事を計算した上で「居もしない人間」の名前をもっともらしく出しているのか? 遅刻者の扱い、もし遅刻者が沢山居た場合はどうなるのか? 或いは、上手く遅刻者対処しにくいタイミングだったら? そして、観客参加型。どうも、上手く事が運び過ぎてはいないか? 参加した客が怒っちゃったらどうなる?
しかし、こんな難癖を付けるのは無粋なのです。何も私はドキュメンタリーを観に行ったのではありません。仕込みだろうと、本当だろうと、面白ければどちらでも良い。そして、今回は観に行って面白いと思ったから、それで良いのです。

さて、入った時に、紙製の鉢巻が配られました。パフォーマンスに関わるので頭に巻いて下さい、との事。私も付けていたのですが、それが使われる場面はありませんでした。また、座席前方の客には、合羽が配られたのですが、合羽を着ないといけないようなパフォーマンスは無かったと私は思っています。そりゃ、インクをドラムに撒いて叩いたりしていたので、それが撥ねて来るリスクはあったのですが、別段それが客にかかりそうには見えなかったのです。そして、短い芸の集合体という構成……
きっと日毎・回毎にやる内容の組み合わせや順序は異なるのではないか? 即ち、今回私が見ていない芸も沢山あるのではないか? と推察出来ます。
機会があれば、また観てみようかな。しかし、1時間強で\7,500(前方の合羽席はもっと高い)ですから、そうそう何度も観られるものではありませんが。
                          駅員@それより、一人で観る物ではないか……

2008年7月24日(木)
駅日誌(968) 「Strength」

The Strength=強さ、力。タロットカードで、力・勇気・寛大・名誉を表すカードとされています。そのカードの図柄は女性が獅子の口を手で押さえている図です。これは獅子=本能を押さえているという解釈もあるそうです(文殊菩薩が獅子に跨っている図も連想されます)。そうなのです。ヨーロッパ方面では力の象徴は実は女性とされていたりします。
確かに、女性は男なんかよりよっぽど逞しかったりします。特に私の様なメンタルの弱い野郎から見れば、ずっと精神的には逞しい。人によって個人差はあると思いますが、辛い事のあった環境で育っていても、日々辛い事があっても、それをおくびにも出さずに天真爛漫に笑っていたりします。
ちょっと不愉快な事があると、すぐに不機嫌な顔をしてしまう私なんかから見れば、随分立派だと思います。だって、嫌な事があれば、嫌な顔をしてしまうのが、本能というもの。そんな本能という獅子を押さえているわけですから。

……話が逸れますが、今書いた「おくびにも出さない」の「おくび」って何なのでしょう? 何となく、体内から首を上がって来る物なのではないかとは思うのですが。気になって調べてみると、「おくび」って「げっぷ」の事なんですね! 「口愛気」と字を当てるそうです。

さて、幾らおくびにも出さないと言っても、本心は辛い事、苦しい事があるわけです。という事はそれを押さえてばかりでは、いつかはオーバーフローしてしまいます。もし何らかのキッカケで爆発しそうになってしまった場合、早く察知して出来るだけストレスを取り除いて差し上げないといけません。そうしないと、きっとダムが決壊するようにオーバーフローしてしまう事でしょう。
男女問わず、そういう状況になってしまった人を目にしながら、何もして差し上げられなかった事が、私の人生においても何度もあります。そういう時の歯痒い気分というのはなるべく味わいたくないものです。
                                                駅員@弱男

2008年7月23日(水)
駅日誌(967) 「ハリー・ポッター完結」

ファンタジー小説の「ハリー・ポッター」シリーズが第7巻でついに完結するそうです。私は1冊も読んだ事が無く(学生時代に英語版を手に取るも、こんな分厚い本、英語で読めるか!! と投げてしまったのでした)、映画の方も、テレビ放送で幾つか見た事があるだけなのですが、あの本、世界で40億部も売れているそうですね。
作者のJ・K・ローリングは一体幾ら稼いでいるのか? 一冊あたりの印税が10%、1冊1,000円として……4,000億円!? どの年齢層・性別やどの国の人が読んでも面白い、そんな本を書けば、億万長者という事か……などと言って柳の下で二匹目の泥鰌を探すような真似をしても無理でしょうね。
英国は、結構こういった普遍的に受ける物が出て来ます。ミスター・ビーンも分かり易い笑いが受けて、あちこちで観られたそうです。英国は島国にも関わらず、どうしてこういう普遍性を持っているのか? その一因には英語という言語の支配力があるでしょう。では、その英語という言語が支配力を持つのは何故か?
それは帝国主義時代の英国の動きによる所も大きいと思います。東南亜細亜や南洋諸島で、日本語を知っている年寄りがいるのと同じく、その言語が刻み込まれたからです。その影響は日本の比ではありません。という事は、こういう言い方も出来ます。即ち、世界で影響力を持つ言語程、黒い歴史のある言語である、と。南米ではスペイン語、アフリカではフランス語もよく使われますが、これもそういう影響力であると言えます。
とは言え、これは負け惜しみというもの。各国語に翻訳されている以上、純粋に作品自体が良いのでしょう。そう言えば、日本語作品も決して引けを取っていません。ドラえもんやドラゴンボール等、漫画では日本が世界の覇を誇っています。

……と、こんな日記を書いていると、結構でかい地震が。と言うより長い地震が。最近、「長い地震」が多くないですか?
                                   駅員@震源はまたも岩手、震度6

2008年7月22日(火)
駅日誌(966) 「社会人の財布の中身」

今朝、出勤した時点で、私の財布にはキャッシュが\16しか入っていませんでした。昨日の夜からです。勤め先のビル内にATMがあるので、早速下ろしましたが。

月曜日の朝の時点では数千円入っているつもりだったのですが、食事等でちょこちょこと使う内に、残り硬貨しかない状態になりました。夕食と、明日の朝食と……おっと、冷蔵庫の飲み物ももう無いではないか! 財布の中には数百円。
コンビニエンスストアに出掛け、久々に値札と財布の中身を暗算で照らし合わせながら、買う物を慎重に選びました。いや、コンビニの中にはATMもあるので、そこで下ろせば良いのですが、手数料\210も取られます。否、それ以前に、ここで下ろしたら負けの気がします。飲み物。紙パックの緑茶\105。朝食用には、おにぎりを2ヶ。むむむ、これだ! \105×2ヶ。\130〜\150の贅沢おにぎりには手を出せません。残り\100程度……今晩はどうする? 冷凍庫に冷凍うどんが1玉残っていたような気が……つゆもある。が、手持ちの金額でそれに合わせるものが思い付かず、パンを購入。
パン1ヶ+おにぎり2ヶ+冷凍うどんで夕食・朝食の役割分担をする事に。そして、レジへ。ドキドキ……もし、手持ちの金額を超えてしまったらどうしよう……セーフ。簡単な暗算だったので間違えようはないのですが、それでもドキドキです。おにぎり105円、緑茶105円、このドキドキ感、プライスレス。
煙草は翌日まで十分持つくらい残っていたので助かりました。


煙草と言えば、実は学生の頃にこれと似た状態で、もっとピンチになった事がありました。まだコンビニにATMが今程普及していない時代で、且つATMが稼動していない大型連休でした。その日の翌日までATMも休みなのです。そんな中、手持ちの現金が心許なくなってきました。勿論まだクレジットカードなんて持っていません。
財布の中身は今回と同じく数百円……煙草を取るか食べ物を取るかに悩みました。迷った末、食糧を調達。煙草はシケモクで我慢。灰皿から多少マシな吸殻を見付けては、灰を払って火を点けます。何とも情けない姿です。
原因は、その前日の想定外の出費なのですが、大型連休の前に多めに下ろしていないのがいけません。
                                                駅員@愚か

2008年7月21日(月)
駅日誌(965) 「社会貢献という事」

社会貢献……なるほど、非常に尊い事だと思います。
今日放送されていた「カンブリア宮殿」には、社会貢献をビジネスにした企業家たちが出演していました。終わりの方だけを観たので、その一つ一つの内容まで観る事は出来なかったのですが、ラストの所で、村上龍が良い事を言ったと思いました。というのは、小池栄子が自分と同年代でそういう事を考えている人がいるのに驚き、感心した旨の発言をしたのに対し、「いろいろあって良いんですよ」と。至極シンプルなコメントなのですが、その通りだと思います。
冒頭に書いた通り、社会貢献は尊い事ではあるのですが、それを仕事にしている人と、例えば(小池栄子のしているような)タレント業従事者を比較して、そのそれぞれの職業に貴賎は無いと思うのです。そういう意味では、全員ではないですが、タレントほど勘違いしている人が多い職業も無いでしょう。たまに、「タレント>素人」の貴賎があるという見方をしているかのようなタレントを目にします(それも、芸風というか仕事の内に含まれているのかも知れませんが)。
その一方で、逆ベクトルの偽善を耳にする事もあります。即ち、「額に汗して働く仕事は尊く、小手先でやっている仕事は尊くない」という見方です。その見方では、例えばデイトレーディングで生活している人は尊くないという事になります。私はそこにも貴賎は無いのだと思うのですが、如何でしょうか? 投資で動いた金で経済の安定性が脅かされている等の害悪はあるのですが、金を得る手段として見た場合、いずれが偉いという話ではないと思うのです。

さて、社会貢献と言えば、今年もミネラルウォーターのボルヴィックで、アフリカに井戸を掘るキャンペーンを行っています。即ち、売上の一部をユニセフに寄付する事で井戸掘りを支援し、ボルヴィックを1リットル買う毎に、アフリカのマリで10リットルの水を生むという事業です。
昨今の社会貢献意欲の高まるマーケットの中では有効な手だと言えます。こういった売上の一部を寄付に回すというのは昔からある手ですが、水と水という事で、連想が働き易いという点で、より有効です。そのプロモーションの「井戸を掘って水が出て来る」という映像は、社会貢献の様子をドキュメントすると同時に、製品そのもののシズル(シズル=ステーキの焼ける音を指します。転じて、「そそられる要素」とでも言いましょうか)にもなっているのです。
しかし、待てよ? ボルヴィックって、フランス産だよなあ。という事は、このミネラルウォーターが売れるためには、それが大量に運ばれてくる必要があります。ここで最近流行の言葉を3つ出して見ましょう。「フードマイレージ」「カーボンフットプリント」「地産地消」……その観点から言えば、あまり遠方から運ばれて来た水を好んで飲む事は、その輸送にエネルギーを沢山使っている事になるとも言えます。これはこれでどうなんだろう?
まあ、そんな重箱の隅を突付くような真似はやめましょう。この井戸掘り事業自体は非常に面白い事だと思いますので。だいたい、私も自宅で飲む飲料水は全てPETボトル等のパック済みのものを飲んでいますし、愛車はボルヴィック同様フランス製なので、決して偉そうな事は言えないのです。

結局、私が言いたいのは、最近よく考える「絶対善」と「絶対悪」の話なのです。善と悪とは相対的なものであり、おいそれと簡単にあれが善でこれが悪などとは言えないのではあるまいか。善だと思っていた事が実は悪なのかもしれなくて、悪だと思っていた事が実は善なのかも知れません。
土曜日の日経新聞のオマケ版「プラス1」に、アフターファイブ座禅なるものについて書かれていました。私も座禅して、その辺の思案を廻らしてみるか……
                      駅員@座禅はどうも思案をする場ではないようですが

2008年7月21日(月)
駅日誌(964) 「椎名林檎の放電と発電」

先日、椎名林檎がデビュー10周年として、アルバム未収録曲集CD「私と放電」とビデオクリップ集DVD「私の発電」を出しました。もう10年も経つか!! 光陰矢の如し。
私は1stアルバム「無罪モラトリアム」からのファンなので買いました。しかし、残念ながら今だそのライブには行った事がないのです。知名度の低いミュージシャンのライブ(人間椅子のライブには何度も行っています)には比較的行き易いのですが、人気のあるミュージシャンだと、発売日初日に完売だとか、最初から抽選だとかになってしまうので、行けた試しがありません。
今回買ったCDの方には、「椎名林檎・生・林檎博'08〜10周年記念祭〜」の告知が入っていました。大掛かりなライブをやる様子です。場所はさいたまスーパーアリーナ。
しかし……やっぱりいきなり抽選なのか……でも、幸い日程は土日を含んでおり、WEBからエントリー出来る様子なので、折角なのでエントリーしておこうと思います。

さて、今回買ったCDとDVDについて。先ずはDVD「私の発電」の方から。こちらはプロモーション用のビデオクリップ集なので、メジャーな曲が多いです。「幸福論」「歌舞伎町の女」「ここでキスして。」「本能」「ギブス」「罪と罰」「やっつけ仕事」「真夜中は純潔」「茎(STEM)」「りんごのうた」「この世の限り」「メロウ」。
この中でも特に「本能」の看護婦姿で硝子を割っている映像は覚えている方が非常に多いのではないかと思います。白い背景、白衣、白塗りに、真っ赤な口紅と真っ赤な輸液という、単純に色彩としての強いコントラスト。椎名林檎自身とこの恰好による不健康な艶っぽさ。そして、硝子を殴り割ったり蹴り割ったりという行動。強い印象を残す映像です。
この他にも、椎名林檎のビデオクリップは印象的な映像表現が多いので、単純に見ていて面白い物が多いですね。私が椎名林檎に興味を持ち出したのも、テレビで観た「ここでキスして。」のプロモーションビデオでした。音楽そのものと映像から、興味を持って、それからしばらくして「無罪モラトリアム」を購入したという形です。

もう一つの、CD「私と放電」の方について。
こちらは、シングルのカップリング曲として入っていたが、アルバムには収録されていない曲が中心になります。私はシングルCDを買う事は殆ど無いので、初めて聞く曲もいくつかあります。
私は「絶頂集」という8cmシングル3枚構成の作品に収録されていた「喪興瑠怒(仮)」という曲が好きです。ロックロックしていて好みです。しかし、生憎英語詞+歌詞が載っていないので、歌っている内容は良く分かりません(昔からリスニングが苦手なので)。「私はからっぽだが、何も新しい物を探そうともしない」「寒いから傍に居たい」とか言っている様子なのですが……
全体的にはシングルの表題曲にロック色の強い曲を持って来る事が多いので、それに合わせてカップリングは静かな曲が多い気がします。また、フランク・シナトラ等多数の歌手がカバーしている「君の瞳に恋してる」や、ザ・ピーナッツの「東京の女」、シンディ・ローパーの「アンコンディショナル・ラブ」といったカバー曲もあります。

しかし、商品としてはどうなのか? ファンしか買わなさそうな商品であり、且つ熱心なファンにはもう全て手元に揃っている物を再編集しただけとなります。
最近は音楽に限らず、「昔取った杵柄」系の物が多い気がします。例えば、映画の今頃になっての続編(ロッキー、ランボー、インディアナ・ジョーンズ)とか……かと思えば、大勢の若者が大挙して芸人になりたがり、ちょっと話題になれば一気に出てはやがて使い捨てにされていたりします。文化の成熟ピークを過ぎてしまったという事なのでしょうか? これからはその文化が腐って、やがて破裂してしまうのを待つ時代なのかも知れません。
                                           駅員@私は感電、で

2008年7月20日(日)
駅日誌(963) 「レイトン教授と多湖輝」

以前、任天堂DSの「レイトン教授」シリーズが面白いらしいという話を人から聞いたので、近場にある中古ゲーム店に行ってみました。既に2作出ていて、この秋には3作目も発売されるそうです。売場でよく見てみると、「監修:多湖輝」とあるではないか! 多湖輝の「頭の体操」系のクイズみたいなのは大好物です。というわけで、その第1作の「レイトン教授と不思議な町」というソフトを買ってみました。

なるほど、ミステリー的ストーリーが進むのと同時に、登場人物たちから多湖輝テイストのパズルを次々に出題されます。「頭の体操」系が大好物と言うだけあって、所々に過去に解いた事のある問題もあったのですが、それでも、続々と出て来るパズルを、操作感の心地良いDSでやって行くのはなかなか気持ちが良いです。特に物を動かす系の問題では、実際に画面で動かせるので、やり易いです。例えば、「イカダに動物を乗せて川を渡る」問題等だと、紙に書いてやるよりも爽快感があります。
ゲーム内で「ナゾ」と表記されているそのパズルを、折角なので片っ端からやって行く予定です。全部終わったら続編も買おうかと思っています。商売上手と言うべきか、この第1作の段階で既に第2作発売が決定していたようで、第1作に、「第2作で手に入るパスワード」を入力すると何かあるという仕様になっています。

さて、ストーリーの方は、何となくコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを彷彿とさせる雰囲気です。キャラクターもまさにそんな感じで、レイトン教授がホームズ、ルーク少年がワトソン君(或いは明智小五郎に対する小林少年か)といったところでしょうか。
更に、何やらホームズシリーズでいう所のモリアーティ教授みたいな敵役まで出て来ました。やっぱり下敷きはホームズなんだなあ、きっと。因みに、キャラクター紹介によるとこのレイトン教授のファーストネームは「エルシャール」だそうです。「エルキュール(ポアロ)+シャーロック(ホームズ)」て事でしょうか。
尚、このレイトン教授はしきりに「英国紳士」という言葉を使います。にも関わらず、その愛車はフランス車(シトロエン2CV)でした。生産国よりも、山高帽を被って乗れる(実際、2CVのコンセプトの一つです)事を重視したという事でしょうか。
          駅員@因みにレイトン教授の声が大泉洋で、ルーク少年は堀北真希です

2008年7月18日(金)
駅日誌(962) 「局所的な大雨」

今日の丁度正午頃、私は板橋区におりました。その時に結構な大雨、バケツを引っ繰り返したような大雨が降って来たのです。
地面は一面水溜り状態で靴はビショビショになるわ、傘を差しても殆ど効果が無く、スーツもビショビショになるわで、本当に参りました。

ところが、それから電車に乗って都心部にある会社に戻ると、雨が全く降っていない……ビショビショに濡れているのは私だけ、という状態になりました。あれー? これは一体?
きっと電車に乗っている私と面識の無い人々は、この経緯を知らないので、「何だ? この水も滴る良い男は」と思っていた事でしょう……そんな筈はありませんね、「何だ? この不気味な濡れ男は」と思われた事でしょう。

しかし、こんな雨に丁度ぶつかってしまうなんて、普段の私の行いが悪い事に対する天罰なのでしょう。それとも、私にしては珍しい事でもしてしまったのでしょうか? よく言う「○○が△△をするなんて。こりゃ、明日は雨だな」というやつです。
そう言えば、この言い回しって何なんでしょう? 何故普段しないことをすると雨になるなんて事になるのか? きっと、このロジックは、逆から見るべきなのでしょう。即ち、雨が降りそうな状態(湿度が高くなる、気圧が低くなる等)になると、違う事をしたくなってしまうという事ではないか、と。この論理は、「ツバメが低く飛ぶ」とか「朝焼け」とか「猫が顔を洗う」なんてのと同じ方向です。但し、どういう作用でか迄は分からず……
                                 駅員@やっぱり行いが悪いからか?

2008年7月17日(木)
駅日誌(961) 「塩の行進」

今日は日がな一日、暑い日差しの下で屋外を歩き回らねばなりませんでした。下手をしたら熱中症で倒れるな……などと思いながら、それを予防するため、日陰や涼しい所で休み休みですが。
汗っかきの私の事です。炎天下を何時間も歩き回れば、汗を大量にかきます。そして、私は色の濃いシャツを着ていたのです。となると、その大量にかいた汗が引いてくるとどうなるか? そのシャツに白く塩が出てくるのです。
それを見て私は「塩の行進」という言葉を思い出しました。シャツに浮き出た塩を見てそれを思い出す……恥ずかしながら、私は高校時代に変な勘違いをしていたのです。

「塩の行進」インドのマハトマ=ガンジーが、当時インドを植民地支配していたイギリスによる塩の専売に対する抗議のために行った非暴力不服従活動です。製塩のために海岸まで380kmの道程を歩いて行きました。
どういうわけか私はその暑い中を延々歩いて行き、かいた汗が乾いて塩が出来るのだと思っていた時期があったのです。
一体、当時は何を考えていたのか……インドといえば暑いイメージがあったせいでしょうか。そうだとしても、汗の塩分は元々体内にあった塩分であり、そこから塩を作っても一切プラスにはなりません。それに、そんな臭い塩を食用に使えるか!!
                                   駅員@そんな事を思い出しました

2008年7月16日(水)
駅日誌(960) 「コケコッコ」

私は、鶏みたいだと言われる事があります。いやいや、物事を三歩で忘れるとか、風見鶏みたいに人の顔色を伺うというわけではありません。
動きが鶏っぽいと言われる事があるのです。仕事で展示会に行ったり、買物に出掛けた時に、キョロキョロしながら歩き、興味深い物を見つけると、プイッと急にそっちを向いてスタスタ歩いて行ってしまうのです。その動きを指して、鶏みたいだ、と。
そして、もう一つ。臆病者だという点です。チキン野郎って事で、鶏です。昔はもっとズバッと物を言える人間だったような気がします。そしてもっと切れ味の鋭い人間だった気がします(勘違いかも知れませんが)。それが、だんだん自分の気持ちを人に伝えるのがどんどん下手糞になってきている……そんな風に感じます。仕事での発言もそうですし、個人的な事でもそうです。よく言えば、多少は人の気持ちを察するようになったせいだと言えなくもないのですが、結局は臆病者、軟弱者なのです。

さて、愚痴はこの辺にしておきましょう。昨日、全国一斉休漁がありました。今後、日本人の食卓にとって当り前だった海の幸が無くなっていってしまうのではないか、と危惧されます。昨日の夜衛星から撮った日本の写真は漁火が無いので、きっと暗かった事でしょう。
休漁を余儀無くされたのは、御存じの通り船舶燃料の高騰にあります。その一方で、原油価格高騰に伴い、バイオ燃料への急激な切り替えにより、穀物が上昇。穀物が上昇すると、魚介養殖の飼料も上がります。魚介類全般が上がるという事は、穀物&魚粉のダブルパンチで、家畜の値段も上昇する事になります。牛も豚も、そして冒頭で触れた鶏も、その卵も。
このスパイラルは一体いつ止まるのでしょうか。ガソリンはレギュラーで200円は超えるでしょう。しかし、このスパイラルの終焉は突如として訪れると思います。現在の状況、これは一種の泡沫経済(バブル)なのです。
オイルバブルが弾けて、一気に下がると思います。しかし、それは果たして喜ばしい事なのか? 今より混乱した経済状況となるだろうと危惧されます。
資本主義経済には波が波を誘う構造がありまして、タイタニック号のように、急激に舵を切ろうにも、そう簡単には操作出来ないのです。だって、相手は神の手です。人間がおいそれと覆せるものではないのです。これ即ち、資本主義の欠陥なのでしょう。
                                               駅員@チキン

2008年7月14日(月)
駅日誌(959) 「麦酒買収」

タッタッタッ……ポーン、タタッ……スパーン、タタタッ……スパンッ、タッタッ……スパンッ、タタタタッ……ブンッ! ピーッ。21−18。課長の2ゲームストレート勝ちです。
「ふふふ、まだまだ練習が足らんのではないか? 係長」「iいやあ、課長には敵いませんよ。しかし、良い汗かかせていただきました」「うむ……仕事の後は、やっぱりバドだな!」
のっけから、ベタなボケを書いてしまい、恐縮です。説明するのも恥ずかしいのですが、一応、バドワイザーのキャッチコピーと、バドミントンとをかけています。

さて、世界2位のビールメーカーであるベルギーのインベブ社が、有名ブランド「バドワイザー」を擁する世界第3位の米国アンハイザー・ブッシュ社を買収しました。
これにより、世界シェアは大きく動き、これまで首位だった英国のSABミラー社を抜いて世界首位に踊り出ました。そのシェアは25%。実に世界で飲まれるビールの4杯に1杯が新会社「アンハイザー・ブッシュ・インベブ」製のビールとなります。インベブ社、これまでも世界2位だとは言うものの、その持っているブランド「ステラ・アルトワ」「ベックス」は私は飲んだ事はおろか、聞いた事も無い始末です。
日本は明治時代からビール会社が着々と成長し、大手4社がガッチリと力を持っているからでしょう。はて? しかし、米国のバドワイザーは飲んだ事があります。日本では、麒麟麦酒が日本でライセンス生産・販売しているからですね。
この大型買収を受け、アジアを中心に世界に目を向け始めている日本のビールメーカーがどう出るかが興味深い所です。海外のビール会社では結構買収の動きがあります。例えば、前述の首位を明渡したSABミラー社は、米国のミラー社を、英国のSAB(サウス・アフリカ・ブリュワリーズ)が買収して出来た会社です。SABの方も、名前から言って元々は南アフリカの企業っぽいですね。
それに対し、日本のビールメーカーはどうか?  基本的にはほぼ戦前から同じ顔触れであると言えます。当初国が免許制度で規制して守ったからと言えます。もしかしたら、今後は国内ビールもこういった再編の波に晒される事になるのかも知れません。
                                       駅員@原料高もありますし

2008年7月14日(月)
駅日誌(958) 「対決・十二番勝負」

東京国立博物館・平成館にて、惹かれる企画展があったので行って来ました。「対決―巨匠たちの日本美術」と題した企画展で、日本の著名な芸術家24人の作品を2人ずつ対決形式で比較して見せる、という構成です。中には歴史上、時の巨匠だった人も、最近になって注目されだした人もいますが、24人の殆どが日本史で聞いた事のある名前だと思います。
対決は以下の十二番勝負となります。
(1)運慶vs快慶――鎌倉時代仏師(仏像彫刻家)同門対決。
(2)雪舟vs雪村――禅僧水墨画家対決。
(3)永徳vs等伯――桃山画壇(襖絵、屏風絵)の中心人物・狩野永徳と、長谷川等伯。
(4)長次郎vs光悦――茶の湯・楽碗対決。長次郎と木阿弥光悦。
(5)宗達vs光琳――江戸初期の大家俵屋宗達と、それを尊敬し且つライバル視していた尾形光琳。
(6)仁清vs乾山――江戸時代、絵付け陶磁器対決。野々村仁清と尾形乾山(尾形光琳の弟)。
(7)円空vs木喰――江戸時代の、遊行僧が彫った独特な仏像対決。
(8)大雅vs蕪村――江戸中期文人画家対決。池大雅と与謝蕪村。
(9)若冲vs蕭白――江戸中期異端画家対決。伊藤若冲と曽我蕭白。
(10)応挙vs芦雪――江戸中期「強化現実」絵画対決。円山応挙と長沢芦雪。
(11)歌麿vs写楽――江戸後期浮世絵対決。喜多川歌麿と東洲斎写楽。
(12)鉄斎vs大観――幕末〜近代の大家対決。富岡鉄斎と横山大観。

この中で、特に私の印象深かったのは、雪舟の「慧可断臂図」、一度見てみたいと思っていた「円空仏」と「木喰仏」、曽我蕭白「群仙図屏風」、円山応挙「猛虎図屏風」「保津川図屏風」。
「慧可断臂図」は、達磨大師に師事したくて自らの腕を切って差し出した慧可という人の図で、慧可は禅宗を引き継ぎ、二祖になっています。この2〜3年、間を開けながらコツコツとちょっとずつ読んでいる道元「正法眼蔵」(読むのがしんどい本で、他に読みたい本があると、すぐに他に行ってしまうので、全五巻、遅々として進まず……)にも出て来るシーンです。構図や達磨大師の顔・衣が特徴的です。
「円空仏」と「木喰仏」は、いずれも修験僧による荒い造りの仏像なのですが、王道から足を踏み外した個性的な仏像です。「群仙図屏風」は古来画題にされる中国の仙人(前述雪村の水墨画にも出て来ます)を集合させた図で、正直気持ち悪い顔の仙人が沢山出て来ます。しかし、細密に描かれたその様子は圧巻です。円山応挙の2点はいずれも掛け値無しに「上手い」と思いました。「猛虎図屏風」の虎の動きや毛並み、「保津川図屏風」の流水の表現が好きです。
今回の企画展では、展示時期が限られた物もあり、例えば宗達・光琳の「風神雷神図屏風」や富岡鉄斎の「富士山図屏風」は今日はありませんでした。風神雷神図屏風は、以前に酒井抱一作と合わせて見た事があったので良いのですが……どうせなら全部見たかった。しかし、出品目録によると、一度に全部見られる日は無かったようです。
尚、国華120周年・朝日新聞130周年特別展だそうです。朝日新聞は流石に文化部のレベルが高いようですね。あそこの政治部は考え方が合わないので嫌いですが。
                  駅員@ついでに本館「六波羅蜜寺の仏像」を見て帰りました

2008年7月12日(土)
駅日誌(957) 「他のネタも頼め」

金・土と大阪出張でした。金曜日は同行者も居たのですが、土曜日は私一人なので、泊まるのは私一人。というわけで、関西在住の友人と予定が合ったので会いました。
この友人にしては珍しく、居酒屋に。何が珍しいのか? この友人、下戸なのです。私も大概弱いのですが、この友人は1杯も飲みません。しかも段取りが良い事に、料理半額のクーポンまで用意してます。
入って先ずは飲み物を注文。私は麦酒ですが、友人は烏龍茶。矢張り1杯もアルコールは口にしません。にも関わらず、居酒屋をチョイスするとは……
その居酒屋のメニューには寿司があったのですが、友人はのっけから寿司を注文。私はつまみを何品か頼んだのですが、つまみを食べるのは殆ど私。折角二貫ずつ頼んでくれているので、寿司も頂きます。鮪、サーモン、鯛、平目、鰻……
やがて追加注文、サーモン、平目、鰻……またか!?
やがて追加注文、サーモン、平目、鰻……他のネタも頼め!!
彼は偏食なのです。私が頼んだ「すじこん」も「すじ」しか食べませんでした。

食事の後、私は予約しておいたホテルに向かって環状線に乗りました。アルコールを飲むと眠くなる私は、目的地の駅を二度通り過ぎてしまいました……
                         駅員@近年益々眠気に弱くなっている気がします

2008年7月10日(木)
駅日誌(956) 「威勢良く女々しい事を言う」

威勢良く女々しい事を言うのは、何とも情けないものです。しかし、私の好きな音楽には、思いっ切りそういう傾向が多かったりします。ブルーハーツ然り、スタンスパンクス然り……一見男らしいが歌詞の内容は実は女々しいという。
そして、その代表格が、ガガガSPです。


私が住んだ事もある神戸。その神戸出身のVGBDの4人バンドです。パンク/ハードコアの曲風なのですが、その歌詞の内容は滅法女々しいのです。そんな音楽を好んで聴く私は、きっと臆病で弱い自分と歌詞を重ね合わせているという事なのでしょう。
明日・明後日は、関西出張です。時間があれば、ついでに懐かしの神戸にも足を運んでみたいなあ。
                                        駅員@センチメンタリスト

2008年7月10日(木)
駅日誌(955) 「正義の味方」

正義の味方……何だか幼稚な事に、私は常々かくありたいと思っているのですが、そうそうなれるものではありません。また、そういう機会に恵まれなかったり、機会に恵まれても動けなかったりするものです。
はて? 今、私は「機会に恵まれる」という表現を用いました。正義の味方になれる機会とは、即ち、対峙すべき悪(人、物、事を含む)が現れる事になります。そして、それを退ける事が出来れば、晴れて正義の味方というわけです。という事は、正義の味方になりたい人間、ヒーロー願望のある人間というのは実は、正義なんかではなく悪なのではないか、という考えも出来ます。だって、悪い人・悪い物・悪い事を待ち望んでいるわけですから。そういう悪が無い限りは、正義の味方というポジションは成り立たないのです。

私は子供の頃は、絶対的善対絶対的悪という構図には疑問を持っていまして、たまにはバイキンマンがアンパンマンを打ち倒す会があっても良いのに……などと思っていました。あの物語には、道徳だとか、生活衛生だとかいう部分も大事な要素ではあるのですが、あくまで一要素。その他に、アンパンマンとバイキンマンという永遠のライバルの対決という構図があります。
アンパンマンは弱点が多いので、大概バイキンマンが良い所まで健闘するのですが、最終的には詰めが甘いというか、アンパンマンが逆転勝利します。それはお約束のパターンというか、もう出来レースなのです。子供向けの番組だから……しかし、私は子供の頃からちょっと引っ掛かっていました。アンパンマンがヒーロー然としていられるのも、バイキンマンが悪さをするからなのです。もし、毎日何事起こらなければ、脇役のカバオ君なんか、速攻でアンパンマンの事をなめてかかるのではないかと思います。
子供心に、こんなに都合良く善と悪がスパッと分かれているものなのだろうか……・と思ったものです。もしかしたら、バイキンマンにも何らかの考えがあって悪さをしていて、もしかしたらアンパンマンはそれを阻止する存在だと見る事も出来るわけです。

私の好きだった漫画の一つに、「ジャングルの王者ターちゃん」という作品があります。ターザンをもじったものなのですが、大分終盤のとある場面でこんな科白が出て来ます。「戦士から何を取ったら、人気がなくなると思う? ……戦争さ」と。
この戦士は戦争中に国民の人気の絶頂だったのですが、それに嫉妬した王に嵌められてしまうわけです。戦争は集結したものの、嵌められたその戦士は没落します。


先日の日誌でも書いた私の好きな映画監督の一人に、M=ナイト=シャマランという人がいます。「シックスセンス」が有名ですが、この監督の「アンブレイカブル」という作品で、丁度この善悪論のようなものが展開されています。
サミュエル=L=ジャクソン演じる博識な男が、ブルース=ウィリス演じる不死身の男(=ヒーロー)に助言を与え続けます。しかし、ヒーローが対峙する事になるアンチヒーローは、そのサミュエル=L=ジャクソンなのです。彼は人工的な悪を自ら作って、ヒーローが活躍する様を見たがっているのです。

世の中は、一方から見れば善でもそれに対抗する側から見れば悪であったり、絶対善と絶対悪というのはそうそうありません。
それなのに、どれが善で、どれが悪であるという定義を人間は作りたがってしまうのです。
                     駅員@最近インチキ哲学的な事を書くことが多いですね

2008年7月8日(火)
駅日誌(954) 「椅子取りゲーム」

電車に乗っていると、面白い事が起こる確率が高いと思います。というのも、知らない者同士が密集した状態で、駅と駅の間は密室なわけですから。異常な状態に置かれていると言っても良いと思います。異常な状態だからこそ、痴漢しちゃったりするおかしな者も現れたりするわけですが。

電車に乗っていると、たまに、つむじの辺りを後ろの壁ないし窓に押し付けて、顔を上向き加減にして口を開けて眠っている人がいます。それを見ると、もしその口に何かが落ちてきたら、一体どんな反応をするのだろう、と思います。例えば、ガムを入れたら、そのままクチャクチャと噛むのではないか、とか。虫が飛んで入っちゃったら、そのままクチャクチャ噛むのではないか、とか(気持ち悪いですね)。
今日も電車に乗っていて、そんな想像をしていました。私が吊革に掴まっている目の前にそういう風に眠っている女性がいたのです。たまに思い出したように顎を引いて口を閉じるのですが、電車に揺られているうちに、徐々に顎が上がってきて、口も開いて来ます。やがて、その人の横の人が降りて、席が空きました。しかし、その前、即ち私の隣には別の人が立っていたので、私がスッと座る気にもならず、そのまま立っていたのです。
暫くすると、今度はその眠っていた人が降りました。私の目の前が空いたので、私はそこに座りました。すると、私の隣に立っていた人も何故かそれに合わせて私の隣に座りました。座りたかったら、そこが空いた時点で座れば良かったのに。何だろう? よっぽど俺の横が良いのか? この男は。ホモか!!
恐らく、本当は私が座った席を狙っていたのでしょう。そこは端っこでしたから。人間は(殊に日本人は)端っこが好きなのです。きっと、その眠っていた人が降りる前に私が降りると踏んで、私が降りたら横にスライドするつもりだったのではないか、と思います。ていうか、そういう風に考えないと横にずっとホモがいたみたいで恐ろしいです。

電車で座れるかどうか……これって一種の心理ゲームだという見方も出来ます。
電車に乗って、座席が埋まっていたとします。私はその場合は角ポジション(ドア脇)が好きなので、そこが空いていればそこに立つ事が多いのですが、もし座りたいのならば、それは得策ではありません。というのも、席が空いた時に席を取りに動き難いからです。
では、座席を狙っている人はどうするべきか?

座っている人々を見比べて、早く降りそうな人の前に立つ事です。
例えば、眠っている人が居たとします。その人は降りるのは遅いでしょう。というのは、眠っているという事は、まだ降りる駅を気にしなくても良いという事だからです。
それよりは、本を読んでいる人の方がまだ見込みがあります。が、油断は禁物です。本を読んでいる人は、鞄に本が入っているという事です。即ち、「移動時間に時間潰しをしたい人」なのです。という事は、「時間潰しをしたいくらいの時間電車に乗る事が予め分かっている人」という見方も出来るからです。
時間潰しと言えば、他に携帯電話、ゲーム機、音楽、新聞なんかがあります。
私の経験上では、乗っている時間が長いのは、本>新聞>音楽>ゲーム>携帯という気がします。絶対ではありませんが、そういう傾向にある気がします。
しかし、最も見込みがあるのは、矢張り何もしていない人。何もせず眠ってもいない人でしょう。しかし、これも意外と最後まで乗っていたりするから絶対ではないのです。
                  駅員@座りたいが座れない人はその辺を観察してみましょう

2008年7月7日(月)
駅日誌(953) 「深イイ話」

今日は比較的早く帰ったので、テレビを点けてみると、「1分間の深イイ話」という番組が放送されていました。この番組、前々からちょっと観てみたいと思っていたのですが、ようやく観る機会が得られました。
なるほど、こういう番組か。自分の実話や他人の実話、フィクションの中のエピソード等から、深くて良い話を投稿して、タレントが品評するという番組だそうです。
私は存外、映画や小説、漫画なんかで琴線に触れると目がうるうるしてしまう事があるので、こういうのを探すのは結構得意かも知れません。こういう台詞を俺も吐いてみたいなあ、なんて思う恰好良い台詞(殆どがうろ覚えなので、ちゃんと思い出さないと使えませんが)が沢山あります。しかし、その多くが残念ながら死に際に吐く言葉だったりするので、なかなか使う機会が無いのですが。
投稿して採用されると3万円、全員一致だと5万円……これは結構な小遣い稼ぎではないか。何ぞ過去に泣いた作品等から、私も探してみようかと思ってしまいます。
問題は「深くて」良い話だという点。結構深みのないシンプルなもので泣いてしまうからなあ……
例えば、学生時代に、友人と飲んでいる時に泣ける映画のDVDを持っているとの事で、飲んだ後、数人でその友人宅に泊まり、そのDVDを見せてもらったのです。やがて、飲んだ後だという事で皆が徐々に眠りに落ちていきました。飲むとすぐ眠くなる私は不思議と目が覚めていて、その映画を一人観ていました。そしてクライマックスの場面で、目がうるうる、鼻がずるずる。そこで、折り悪くそのDVDの持ち主が目覚めたのです。私の背後に転がっていた彼は「あ、泣いてる?」と訊いて来ました。この時は恥ずかしかったなあ……
その時の映画は「サトラレ」でした。
                  駅員@酒でちょっと心が解放されていたのかも知れませんが

2008年7月6日(日)
駅日誌(952) 「百鬼夜行図」

昨日の日誌、ゲゲゲの鬼太郎で思い付いたのですが、水木しげるも参考にしている有名な妖怪図の一つに「百鬼夜行図」というものがあります。
主に室町時代に絵巻として描かれた図で、妖怪変化の類が提灯をもちながら列をなして歩いていると言う図です。妖怪変化の中には、廃棄された物が化けて出るというもの(特に化けた古道具を、付喪神〈つくもがみ〉というそうです)も多く、その思想の根底には「気軽に物を捨てる事への戒め」があるのではないか、と思います。
しかし、これって非常に現代的ではないか……最近のエコロジー流行りの世の中に合っているような気がしてきます。
且つ、当駅にも似つかわしい。というわけで、当駅の画像展示所である「ギャラリー黒駒」に、これから一つずつ現代版百鬼夜行図でも描いて行こうかと思い付いたのです。続き物というのは、なかなか根気が要るので、途中でほっぽり出してしまう可能性もなきにしもあらずではありますが、先ずはその1匹目として、現代を象徴する道具の一つ「携帯電話機」を妖怪変化化してみました。
私も今まで何台も買い替えているので、何台も化けて出る事でしょう。実際のところ、付喪神というのは、器物百年を経て化けると言いますから、現代の道具では到底100年も経っていない物も多いです。携帯電話機が出てまだ20年程度ですから、化けて出るのはずっと先ではあります。ある意味、この試みは近未来SFだと言えるかも知れません。しかし、道具の性質上、昔の単一機能の道具類よりも化けて出易そうな気もします。

今後、根気良くこういう図を並べてぞろぞろ歩いている様にする事が出来れば、結構壮観な図になるやも知れません。
                            駅員@問題は、私は結構飽きっぽいという点

2008年7月5日(土)
駅日誌(951) 「銀幕寸評」

\◎ <ヲイ、キタロウ!!!
  ()\
 く \
記号で文字を書く、アスキーアートというのはなかなか難しいものです……というわけで、テレビで映画「ゲゲゲの鬼太郎」を観たので、銀幕寸評です。
そう言えば、久しく映画館で映画を観ていません。この1年くらい、銀幕寸評はDVDとか、テレビばかりになっちゃっています。しかし、今月の下旬には私の好きな監督の一人である、シャマラン監督(シックスセンスの監督です)の新作が封切りなので、それは観に行きたいなあと思っています。
とは言え、近年好きなシリーズなのに見逃している作品が二つあります(TAXiとSAWいずれも4を観ていません)ので、実際に映画館で観るかどうかは定かではありません)。それはさておき、今日の寸評を。尚、タイトルの右の☆は私の個人的評点であり、5ッ☆満点です。

「ゲゲゲの鬼太郎」 ☆☆
豪華なキャスト、特殊メイクとCGを駆使した美術的再現性の高さ、原作をキチンと読み込んだ物語再現性の高さ……そこは認めます。認めるのですが、どうも高い評点を付ける程面白くはありませんでした。好みの問題が強いのだと思いますが、予定調和&出来レースというそんな印象を持ってしまったのです。原作の鬼太郎があまりに色々な目に遭い過ぎているせいで、ちょっとしたピンチでも全く危機感がないのです。
鬼太郎と言えば、私の中では吉幾三がオープニングとエンディングを歌っていた時期のテレビアニメ(鬼太郎80'sと言われているそうです)となるですが、その記憶を辿ると、魂を抜かれたり、石にされたり、巨大な人型の島に消化されて排出物にされてしまったり……色々な目に遭い過ぎており、それでも毎回30分で問題解決していたわけで、それに比べると何という事は無い危機だと感じてしまいます。
さて、その粗筋は以下の通り。


ネズミ男が稲荷神社から「妖怪石」と言われる石を、宝石だと思って盗んで質屋に売った所から動き出します。その後質屋に来た男がその石に魅入られ、その石を盗んでしまいます。その男から石を預かった息子の健太は男と男との約束という事でそれを口外せずに隠します。父子家庭であるこの家庭には他には姉がいますが、姉にも内緒にし、やがて父は窃盗の罪で逮捕され、その家にも家宅捜索の手が伸びます。
しかし、その石が持つ力を狙っている妖怪空狐が、姉弟の叔父に化けてそれを奪おうと画策します。最初は叔父に化けて懐柔策を取りますが失敗。力尽くで奪おうとした所を鬼太郎らに妨害されます。そこで先ずは、邪魔な鬼太郎を何とかしようと、鬼太郎に妖怪石盗みの濡れ衣を被せます。妖怪裁判が開かれ、放免されたければ1日以内に妖怪石を戻す事を条件にされます。
石を持っているのは健太だという事は分かっていて、健太と死んだ父にもう一度会えたら返すという取引をし、黄泉の国に向かいます。道中空孤の妨害を受けますが、それを天狐(化け狐の頭目)の助けで掻い潜り、父と息子は再会します。妖怪石の力で父は生き返り、石は取り返し、ハッピーエンド(実は、ハッピーエンドではなく、寂しい終わり方をするのではあるのですが)。

ストーリーは映画という尺に合わせて、原作2話分の話をミックスしたものを軸にしています(「妖怪大裁判」+「天狐」)。それを基礎に、鬼太郎が人間の女に恋心を抱いてしまったりという要素を加え、オリジナルストーリーにしています。
私の中での注目は、脇役の妖怪でした。いや、それもレギュラーメンバーではなく、本当の脇役の。昔アニメで見た覚えのある妖怪が色々出ていました。朱の盆、川獺、見上げ入道、油すまし、等々。意外とこういう部分が気になる人は多いのではないかと思います。
と言うのも、前述の鬼太郎80'sは、平均視聴率23%、最高視聴率29%を誇っており、結構多くの人間が観ているのです。私も調べるまでこんなに高い視聴率だったとは思いも寄りませんでした。もう一つ注目されたのは目玉おやじの声。あ! おんなじ声だ。調べてみると、60年代の最初のアニメシリーズからずっとこの目玉おやじだけが同じ声だそうです。いったい、この声優は幾つなんだろうか……?
さて、この目玉おやじ。鬼太郎の左目が髪に隠れているせいで、鬼太郎の左目だと思われている事が多いですが、実際は墓場で母の死体から生まれた鬼太郎の身を案じた父親(ミイラ男のような外観)の魂が、父親自身の目玉に宿ったものです。
とは言え、鬼太郎の左目は潰れて空洞になっているので、そこに入っている事もあるそうですが。
                    駅員@80'sのアニメの記憶が印象強く、どうも辛口評価に

2008年7月4日(金)
駅日誌(950) 「ロボット」

ロボットとは、人造人間を指します。この語の創始者はチェコの作家チャペックです。チャペックの書いた戯曲「R.U.R.」という作品の中で人造人間にロボットという命名をしています。語源はチェコ語で「働く」という意味のROBOTA。
指令を与えられて、人間の代わりに労働力となる存在です。作業ロボットは人型ではありませんが、この定義通りに指示を受けて働きます。一方、「指示を受けて、それを忠実に守る」に力点を置いて、傀儡・イエスマンの事をロボットと言う事もあります。
私の中ではロボットと言うと、機動戦士ガンダムが頭に浮かびます。おっと、厳密な人からは「ガンダムはロボットではない、モビルスーツだ」とか言われそうです。今でこそ、アシモ等人間型のロボットが実際に出て来ましたが、一昔前だとロボット=兵器というような連想を持ってしまう人は多かったのではないでしょうか。

さて、私の勤め先には、毎朝入口の所に警備員が交代で立っています。その中に一人、何やらロボットめいた人がいます。いや、別にエレクトリック・ブギ(=ロボットダンス)みたいな動きをしているというわけでもないし、出勤前にぞろぞろと入口を通る人々に挨拶をする良い方なのです。
ただ、その挨拶が何だかロボットじみているのです。発音はあまりハッキリしておらず、流れるような感じで、抑揚無く「おはようございます」と言っているのがロボット的なのです。通る人一人一人に同じような抑揚で挨拶している様、特に何人も連続して通ると、「おはようございます、おはようございます、おはようございます、おはようございます……」と続けている様を見ると、何やら人が通るとセンサーに反応して声が出ているかのような気がしてきます。
もし、暴漢が闖入して来て、その警備員を突き飛ばしたら……ゴロンと横倒しになって起き上がろうともせず、同じ表情のまま「おはようございます、おはようございます、おはようございます、おはようございます……」となるのではなかろうか? また、もしある日その人が挨拶をしなくなったら、「電池が切れたのか?」と心配してしまいそうです。
                        駅員@キチンと挨拶をする人を笑ってはいけません

2008年7月3日(木)
駅日誌(949) 「古都炎上」

古都奈良では、710年平城遷都の1300周年に向けて、色々盛り上がっているようです。
しかし、最も世間の話題をさらっているのは記念事業の内容そのものではなく、マスコットキャラクターです。現在の所、三人のキャラクターが競い合っているのです。
事の発端は、当初のキャラクターの不人気によります。その名は「せんとくん」。名前の由来は文字通り「遷都」です。その風貌は、何やら不気味な笑みを浮かべた坊主です。そして、その最大の変てこポイントは頭の角。奈良の鹿とかけて、スキンヘッドに鹿の角が生えています。このキャラクターに対して批判が噴出しました。「可愛くな〜い」「気持ち悪っ」「仏様の頭に角を生やすとは何事か!」等々。そこでアンチ「せんとくん」派は対抗馬を立てました。
それが「まんとくん」です。名前の由来は「万葉人」略して「万人」です。こちらのキャラクターは、流石に「せんとくん」を批判しただけあって可愛い鹿のキャラクターです(しかし、結局は鹿なのかよ……)。頭に朱雀門の屋根を模した帽子を被って、マントを羽織っています。

そして、この6月には第三の刺客現る! それが「なーむくん」です。なら市内の寺を中心とした団体のキャラクターです。こちらは鹿を離れて、聖徳太子をモチーフにした飛鳥時代の恰好をしたキャラクターです。何故か私の目にはラーメン屋のキャラクターに見えてしまいます……ていうか、飛鳥時代!? おいおい、平城京遷都1300年記念だろ!? 主旨はどこへ行った!?
この混迷極まる中、民間での人気は「まんとくん」にあるようです。なるほど、他の二人と比べると、上手くまとまっていると思います。

さて、不人気の「せんとくん」の名前は一般公募されて決まりました。実は、これには私も応募しております。私は「鹿遷平(しかせんべい)」とネーミングしてみたのですが、敢え無く敗退……結構練った名前だと思ったのになあ。
                                    駅員@果たしてどうなるのか?

2008年7月2日(水)
駅日誌(948) 「テロ支援国家指定解除」

米国のヒル国務次官補は、キム・ジョンヒルと揶揄されるくらい北朝鮮とは仲が良いとの噂です。そのヒル氏が中心となって行っているのが、米国の北朝鮮政策です。そして、この度、核の申告及び煙突の爆破を受けて、テロ支援国家指定解除通告を出しました。
うーん、六ヵ国協議を始めた頃から、何ぞ進展しているんかいな? 三歩進んで二歩下がって、半歩進んで二歩下がる……最初から見たら半歩しか進んでないではないか!!
その辺、北朝鮮はごね得の手法が上手いと言えます。このままでは、拉致被害者の返還など覚束ないと思います。

思えば、金正男がディズニーランドに行こうとして捕まった事件の時、何で拉致ってしまわなかったのだろう、と思います。何せ、向こうにしてみれば総書記の息子です。人質交換の論理で、拉致被害者全員と交換するカードに出来たのではないか。
では、それが出来なかったのは何故か? 一つは「同じ穴の狢になるわけにも行くまいて」という倫理観でしょう。しかし、それは上っ面の理由です。やはり、同盟国たる米国が助けてくれない限りは、何とも出来ないからではないでしょうか? 残念ながら、恐らく虎の威を借る狐程度にしか見られていないのでしょう。

「虎の威を借る狐」と言えば、私はたまに自分が知らぬ間にそういう位置にいるのではないか、と恐ろしくなる事があります。
例えば会社で仕事をしている時に、私に色々と相談をしに来る人がいます。それ自体は被依存依存症の私としては喜ばしい事なのですが、もしかしたら、それは私の上役が私が良い気分で仕事が出来るように裏で何か手を回していたり、或いはそうせずともその上役に親しい人が、その上役の部下だからという理由で気を使っていたりするのではないか、と思う事があるのです。
考え過ぎだったら良いのですが、もし当たっていた場合、たまに調子に乗って上役の悪口を言っている私は、何と矮小な存在なのだろうかという事になります。そして、頼られているかのような芝居を打たれている私は何と滑稽なのかという事になります。それこそ、西遊記の冒頭で釈迦如来の手と手の間を筋斗雲で飛んで調子に乗っていた猿と何も変わらないではないか、と。
                                         駅員@弱っちい男です

2008年7月1日(火)
駅日誌(947) 「命を預かるという事」

ペットを飼うという事は、その命を手中に収める事でもあります。命あるものを、玩具みたいな気分で飼ってはいけません。しかし、世の中にはペットを飼い始めたが、飼えなくなって捨ててしまう者、更にはあろう事かそのペットに残虐な仕打をする者がいます。
そして、私も決して他人の事は言えません。子供の頃、スズメを捕まえてきて、狭い鳥籠で飼おうとして死なせてしまったり……カブトムシやクワガタを始めとした昆虫に至っては一体何匹殺したかわかりません。ただ、言い訳をさせて下さい。その時はまだ子供だったのだと。私が問題視しているのは大人であるにも関わらず、自分で進んで動物を飼う事に手を出しておいて、満足に養ってやる事も出来ないという事。いや、ちゃんと飼おうとして失敗したという場合は、本人の辛さも勘案してやらねばなりませんが、意図的に放棄する、虐めるという「悪意ある飼育放棄」は頂けません。そんな事なら最初から飼うな、と。ぬいぐるみを買うように買って来るな、と。

さて、世の中にはそんな飼育放棄された動物を預かって他に斡旋する団体なんてのもあります。例えば、NPO法人・日本生命動物生命尊重の会(A.L.I.S.)。そのままなら死あるのみ、或いはボロボロに痛めつけられるのみだった動物を救うという活動をしているわけです。動物を飼いたいという人(そして、きちんと養う責任感のある人)は、検索して調べてみて下さい。
しかし、葛藤が生じ易い性格の私は、立派な活動だと支持しつつも、ちょっと捻くれた事も考えてしまいます。こういう受け皿があるから甘えてしまうという部分も多少はあるのではないか、と思ってしまうのです。やむを得ずというケースの場合は、心から救われたと思えるのですが、無責任な飼主は無責任なままになってしまうのではないか、と。

こういう風に考えてしまうのも、この構図が人間の子供に対する構図と同じように見えるからです。無責任にペットを買って捨てる・虐待する事と、無責任に子供を作って捨てる・虐待する事は構造的には同じなのだと思うわけです。
だからこそ、対象が動物であろうと、子供であろうと、無責任な飼主・親が罷り通ってしまう事が腹立たしいのです。では、どうするべきか? 無責任な飼主と親はある程度懲らしめられないといけないのではないか、と思います。「厳罰化は抑止力たり得ない」とは法学の世界では有力な説なのですが、私は罪人本人のためというよりも、世間が納得する結末があって欲しいと思っています。世の中は不条理です。だからこそ、因果応報という人間が作った価値観を欲してしまうのです。
                                     駅員@世の中に不満がある人
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