2008年11月度目次
 #1060 「Free from Emotion」 ルネッサンスジェネレーション'08を聴講。
 #1061 「無駄足買物」 欲しい物があるのに、どこにも置いていない!
 #1062 「TRICK or TREAT」 怪談牡丹燈籠ならぬ南瓜燈籠。
 #1063 「サンクチュアリ」 他人の領分に踏み込み反感を買う。
 #1064 「二連猿」 米国大統領選でオバマ氏が当選。
 #1065 「小室なる古城のほとり」 おごれる者も久しからず。
 #1066 「買うたパンだ」 怪しげなハンバーガー屋。
 #1067 「威圧がもたらす物」 従順か殺気か。
 #1068 「君子は豹変す」 干渉批判をしていながら、危うく自らが干渉しそうに。
 #1069 「プリンスショッピングプラザ」 西武優勝でセールを実施。
 #1070 「因果応報」 最近の車関係事件を一挙に裁く私案。
 #1071 「パンクえもん」 日本の歌を米国人がパンクにアレンジ。
 #1072 「Apple 10th Anniversary」 椎名林檎デビュー10周年。
 #1073 「高齢犯罪者」 犯罪まで高齢化とは。
 #1074 「CCC」 あなたが選ぶカー・オブ・ザ・イヤー。
 #1075 「刈り掘る庭」 コピーバンドのライブを聴きに渋谷へ。
 #1076 「六道輪廻」 少子化も輪廻の理屈通り……という妄想。
 #1077 「若者からエキスを」 エロネタにあらず。
 #1078 「凶刃」 元厚生事務次官夫妻二組襲撃事件。
 #1079 「文人悪食」 読書感想文。
 #1080 「修羅道」 浮世は憂き世。
 #1081 「咳をしても一人」 俳句&肺苦。
 #1082 「丸坊主割引」 銀幕寸評“私は貝になりたい”。
 #1083 「丸坊主出頭」 元厚生次官襲撃犯が出頭。
 #1084 「判断という業務」 愚痴日記。
 #1085 「LUCKY STAR」 星型ピノに遭遇。
 #1086 「裁判員候補発送開始」 裁判員、なりたかったのになあ。
 #1087 「生林檎博'08」 椎名林檎のライブに行きました。
 #1088 「神々の軍鶏」 信心深い者は存外喧嘩っ早い。

2008年11月30日(日)
駅日誌(1088) 「神々の軍鶏」

神様は平和なんか大っ嫌いなのでしょうか。だとしたら、たまに「カオスの世の中(獣の世の中)が来たら良いのに」などとうそぶいている私は、神に近い存在なのかも知れません(阿呆か!)。どういうわけか、信心深い人々ほど血気盛んに実力行使をしています。インド然り、タイ然り、ナイジェリア然り……
私は、神という存在が居るとしたら、人間一個一個なんて物はミクロな存在であって、善人が幸せだろうが不幸だろうが、悪人が幸せだろうが不幸だろうが、神にとってはきっとどうでも良い事なのだろうと思っています。神という存在が居るとしたら、もっとマクロに物事を捉えているのだと思います。例えば端的に数字でとか。
熱心な信仰者は「全知全能の神が、こんなに信心篤い我々を見捨てる筈が無い!」と思っているかも知れませんが、そういう人は、もし自分が養鶏所の事業主だったら、飼っている鶏個々の事を完全にチェック出来るでしょうか? 丸々と太って卵をよく産む鶏と、痩せて卵を産まない鶏、いずれを大事にしますか? もしかしたら、前者の鶏は後者の鶏の餌を奪っているのかも知れませんよ? こういう譬えを出すと、「人間が鶏を見るのと、神が人間を見るのとは違う」と言われるかも知れません。しかし、私が言いたいのは、能力ではなく姿勢の話です。百歩譲って、神は全知全能だから個々の人間全てを把握出来る能力があったとします。あったとしても、それをフル活用する姿勢が果たしてあるのかどうか? と思うのです。「自分は善人だから見てくれ!」なんてのは「たかが人間如きが付け上がりも甚だしい」のかも知れません。

さて、冒頭で触れたインド、タイ、ナイジェリアですが、インドのムンバイでは同時多発テロが起きました。被害者には邦人も居たそうです。犯行声明によると、イスラム過激派によるヒンドゥーへのテロのようです。今回のテロが特徴的なのは、自爆テロではない点です。非常に組織化された銃撃によるテロでした。そして、その特徴ゆえに人々の耳目を集めました。テロリズムは快楽殺人ではなく、力尽くで政治行為をする事なので、マンネリ気味(という言葉は不謹慎ですが)の自爆テロよりも遥かに効果的です。マスコミはジャーナリズムなんて高尚な事をほざいていても、簡単にテロリストの道具に使われます。
タイでは、バンコク空港が連日不法占拠され、空の便が機能停止状態でした。これは現政権への反対活動なのですが、流血の有無の差だけで、やっている事はテロと大して変わらないと思います。無関係な多数の人々に甚大な被害を与えているので、寧ろ現首相一人を暗殺するよりもタチが悪いのではないかという見方も出来ます。この仏教国も存外喧嘩っ早いです。
ナイジェリアでは、地方選挙の開票結果発表の遅れを巡り、与野党支持者の対立が、イスラム教とキリスト教の対立に発展し、300人以上も人が死んでいるそうです。
……この信心深い人々が、信仰心の欠片も無い「宗教玩具論」者の私よりも随分喧嘩っ早いのは、一体どうした事か? 信仰心が人を不幸にしてしまっている? と、ここで再び鶏の譬えです。この人々って、要はシャモなんじゃないの? と。シャモとは漢字で書くと「軍鶏」で、闘争心が強く「闘鶏」に使われる鶏です。「神々の喧嘩」または「神々の対戦ゲーム」として娯楽に使われているのではないか、と思うのです。キリスト教徒は「主」の、ユダヤ教徒は「ヤハウェ」の、イスラム教徒は「アラー」の、仏教徒は「仏陀」の、ヒンドゥー教徒は「シヴァ(またはヴィシュヌ、ブラフマー)」の、軍鶏か或いは、ゲーム用の駒だったりして、と。神様って、存外縁側で将棋を指している親爺なんかと大して変わらないのかも知れません。
                               駅員@神々が ゲーム興じる 秋の夜長

2008年11月29日(土)
駅日誌(1087) 「生林檎博'08」

私としては初の椎名林檎のライブに行って来ました。場所はさいたまスーパーアリーナ。椎名林檎活動10周年記念ライブです。学生時代から好きなアーティストなのですが、なかなかライブのチケットが取れなくて、10年目にして初参加です。あの広いさいたまスーパーアリーナが満員御礼状態でした。行けて良かったです。とは言え、最も高い席ではなかったので、椎名林檎の顔がよく見えなかったのが残念でしたがね。
セットリストは書きません(書き起こそうとしても曲順の記憶があやふやです)が、人気曲中心の構成で、10年間の集大成という感じでした。内容は完全に椎名林檎ソロのみで、東京事変の曲はやりませんでした。その辺はきっちりと線引きをしているのでしょう。
因みに、椎名林檎の肉親が二名出演。一人は兄の純平で、もう一人は息子です。息子は声だけの出演でしたが、母の生い立ちを語りました。7歳にしては非常にしっかりしています。結構母上が厳しいのかもなあ。その生い立ち説明で、ファンのくせに初めて知った事もありました。生まれも育ちも福岡だと思っていたのですが、実は生まれたのは埼玉の病院(そうか、だから10周年は埼玉でやったのか!)で、一旦静岡に引っ越した後が福岡だそうです。
その椎名林檎もつい先日の誕生日で三十路に突入。しかし、これからも頑張って欲しいです。歳を取るにつれ、声質が美空ひばりに似て来ている(私の耳にはそう聞こえます)ので、このまま婆さんになるまでやって、紅白のオオトリの常連なんかになってくれればと思います。
近年は紅白がしょーもないので、年末は格闘技ばかり観ていますが、椎名林檎が紅白常連になれば、毎年NHKを観ますよ。NHKよ、俺は受信料をちゃんと納めているんだから、一つ頼むで!
 
 開演前の会場の様子。              貰った御土産。

                                 駅員@十年目 林檎の花も 三十年

2008年11月28日(金)
駅日誌(1086) 「裁判員候補発送開始」

裁判員の候補者の元に、「貴方は裁判員候補になりました」という案内が発送されたそうです。350人に1人の割合で赤紙的に送られてくるそうです。生憎、私の所には来ませんでした。一番乗りでやりたかったのになあ……
先ず、裁判員制度とは何か? 私とて法学部出身者の端くれですから、そこから説明させて頂きます。御存じの方は、ここから下の一行空けている所まで読み飛ばして下さい。
平たく言うと、米国や昔の日本にもあった陪審員制度に似た物です。即ち、裁判官・検察官・弁護士という刑事事件の裁判に、+αとして一般人から選抜された人が集められて審理に加わるという物です。開かれた司法として、来年から実施されます。
では、陪審員制度と名前が違うのは何故か? 陪審員制度では審判を下すのは、裁判官ではなく陪審員の多数決です。裁判官は言わば司会者なわけです。その上で、検察側・弁護側が判断材料を提示して、それを基に一般人が評決するのです。一方の裁判員制度では、あくまで審判を下すのは裁判官で、裁判官が一般人の感覚を耳にするという制度なのです。裁判官は、司法の独立のため、結構一般社会から隔絶された世界に居て、世の中の常識を知らない人が沢山居ます。そんなロクに物を知らない裁判官に、世間の感覚を教える役割なのです。
そういうわけなので、もし裁判員に当ってしまった人は、尻込みせず自らの意見を堂々と言ったら良いのです。それでも自信が無いという方には、洋画の「12 Angry Men(十二人の怒れる男)」か、三谷幸喜によるそのパロディ邦画「12人の優しい日本人」を御覧になると良いと思います。

さて、この「裁判員になりたいなあ」という話を会社ですると、後輩に「駅員さん(実際は無論本名です)が裁判員になったら、暗黒の裁判になりそうですね」なんて言われてしまいました。何をう!? この正義の俺様が参加して「暗黒の裁判」だと!?
しかし、実はこれも詮無き事。と言うのも、私は奴隷制度を除いてハムラビ法典を理想としている人間で、「目には目を歯には歯を」こそが刑法の理想だと思っているからです。教育刑論(罰を与える事よりも、犯罪者の更生に重きを置いた刑法論です)などもっての外。例えば、強姦犯には「ちんこ切り落としの刑」が妥当だと思っていますし、痴漢には「ホモのマッチョマンと密室御泊りの刑」が妥当だと思っています。バリバリ応報刑論派なのです。人の世には、残念ながら因果応報という道理はなかなか存在しません。ならばせめて人間の手で因果応報を作り上げても良いのではないか、というスタンスです。うーん、こりゃ暗黒の裁判か。とは言え、何ぼ裁判員になっても刑法の枠からはみ出す判決なんて下せませんから、出来るとしても量刑(罰金とか懲役とか、数値化出来る刑)の裁量くらいなんですがね。
おっと、今回は私は裁判員になれなかったので日誌に書いていますが、当選した人は自分が裁判員に選ばれた事を公表してはいけないそうです。何故なら、犯罪者に逆恨みされるリスクがあるからですね。
                              駅員@落選し せめて年末 ジャンボ来い

2008年11月26日(水)
駅日誌(1085) 「LUCKY STAR」

見慣れた丸い形が並ぶ中に、一つだけ形の違う物が入っていました。通常は丸い物……円錐の上をカットした、横から見ると台形の丸い物が6つ並んでいる筈が、その内の一つが星型だったのです。これが本日のタイトル「LUCKY STAR」です。.
←これ。

外装箱の隅っこに、「願いのピノを探せ」の文字と一緒に星のイラストが描かれています。そうか、これがその「願いのピノ」なのか。そりゃあ、アイスクリームにチョコレートコーティングをした物ですから、そんな綺麗な星型にはなっていませんが、星型だという事はハッキリと分かりました。おお、こいつは縁起が良いぞ! いい大人が目の色を変えて喜んでしまいました。
「願いのピノ」で調べてみると、6箱に1個の割合で入っているそうです。なんだ、まあまあレアだが、然程のレアでもないのか……しかし、こういうのを紛れ込ませようという遊び心がある商品は良いですね。この手の遊びは結構色々な商品で行われていて、前述のエスキモー「ピノ」では星型の他に「ハート型」もあるそうですし、サッポロ「エビス」の「魚篭にも鯛が入っているバージョン」(缶や瓶のラベルデザイン)とか、明治「アポロ」の「逆アポロ」(苺味部分とチョコ味部分が逆)とか、グリコ「パナップ」の「スマイルパナップ」(フルーツソースが顔になっている)とか、フレンテ「ピンキー」の「ハート型」とか……
こういうのがあると嬉しいのは、「限定何個」とか「今だけ限定」とかっていうのがあると思わず買ってしまう人の心理と近い物を感じます。人間は「レア」な物を欲しがる性質があるようです。恐らくは、元来は「皆が欲しがる物だから滅多に手に入らない」だったのが、逆転して「滅多に手に入らないから皆が欲しがる」になっているのでしょうか。

このようなレアを求めるのは人のサガである事を示す好例として、「チリメンモンスター」略して「チリモン」なんて遊びがあります。「ポケモン」と引っ掛けているのだと思いますが、「ちりめんじゃこ」の中から「レアモンスター」を探し出す遊びです。
私も子供の頃に同じ様な事をやった記憶があるのですが、チリメンジャコの中から、エビ、カニ、イカ、タコ、他の稚魚を見付け出すというわけです。特に人気なのが、タツノオトシゴの稚魚だとか。ただ、私が子供の頃よりも現在の選別技術は向上していますので、市販品では出現率が著しく低いそうです。驚きなのは、そういった背景から、わざわざ選別前の物が商品化されているという点です。それこそまさに「チリメンモンスター」という商品名で、「レアモンスター」の出現率が高いそうです。
……待てよ? これって、これまで邪魔者だった物が寧ろ有り難がられるという逆転の発想ですよね。という事は、害虫、害鳥の類が人から追い求められる仕組を作れば、誰もが喜ぶのではなかろうか?
例えば、東京都にはカラスがやたらと居ますが、ならばカラスが有り難がられれば良い事になります。というわけで、東京都知事に進言致します。「美味カラス料理創作者報奨制度」並びに「カラスハンター制度」を作っては如何でしょうか? 前者は、カラスを美味しく食べられる調理法を考えた人に賞金を、また、カラス料理店を開く人に補助金を払う制度です。カラスが美味という事になれば商売になりますので、そこいら中に居るカラスを捕らえようとする人が出て来る事でしょう。私はカラスを食べた事が無いのですが、チキン料理をベースに工夫すれば美味しくなりそうな気もします。
一方、料理に自信があっても獲る自信が無い人も居ますので、「ハンター制度」です。無論、街中で猟銃をぶっ放すわけにはいきませんから、何らかの法令に抵触しない手段での捕獲に留まりますが、捕獲したカラスを都が買い取り、専門料理店に卸すというのはどうかと思います。
                            駅員@レア物に 目がない人は レアでなし

2008年11月25日(火)
駅日誌(1084) 「判断という業務」

組織立って物事を行う場合、大きく分けてプレーヤーとマネージャーという組合せになります(プレイングマネージャーも居ますが)。マネージャーと言うと、何だか野球部員にヤカンで冷たい麦茶を汲んでくれる女の子みたいな響きですが(なんて古いステレオタイプなんだろうか……)、私が今回行っているマネージャーとは、野球部で言うと、コーチなり監督なりの事を指します。組織をマネージメントする立場の人を指しているわけです。因みに、プレイングマネージャーは野球では、一時期の古田監督ですね。一人でプレーヤーもマネージャーもする、という人を指します。
そして、マネージャーに求められる資質として重要なのは、管理能力と判断能力です。自らのマネージメント範囲に居るプレーヤーを指揮し、プレーヤーに迷いがある時には決断を下す事がその役割になります。ところが、世の中にはマネージメント能力が無いのに、なる人が居ないからという理由でマネージャーになってしまう人が多いです。プロ野球の監督でもそういう面があると思います。名プレーヤーが即ち名マネージャーになるとは限りません。例えば、長嶋茂雄氏。彼はミスター巨人軍なんて言われる通りの、一流プレーヤーです。そこは矢張り尊敬に値するのです。しかし、監督としてどうかと言うと、そっちは全然駄目だと思います。これは得手不得手の問題であり、良い悪いの話ではありません。

ですが、野球の監督ならばなる人も少ないのでまだ良いのですが、労働人口の大半を占める給与労働者、即ち会社員(当然、親方に給与を貰っている職人も含みます。何故か世の人は職人と会社員を分けたがりますが、私は給与労働者なら同じだと思っています)は多くの人が「管理職」というマネージャーになってしまいます。リーダー資質の一切無い人でもリーダーにならざるを得ない構造なのです。特に、親分肌ではない人がマネージャーになってしまうと、その管理下のプレーヤーは動き難くて仕方ありません。
で、本日のタイトル「判断という業務」です。マネージャーたる者、配下のプレーヤーから何らかの判断を求められるのが多いのは必然です。それなのに、それをしようとしない人が余りに多いのです。何やら、うにうに言っているだけの事が多かったりします。例えば、○○さんに判断を仰いだとします。すると「それは××さんに訊いて」と言うので、××さんに訊くと「それは△△さんに」と言われ、△△さんに訊くと「○○さんに訊いて」と言われ……何やそれ! と。要はこの人たちは、「自らが判断する=自らが責任を負う」のを逃れよう逃れようとするのです。
判断をする度量が無いのならば、キチンとその旨を人事部なり上役に言って、マネージャーになる事を断固拒否しろや、と。その席を退け、と。早う俺にその席を譲れ、と。そして、お前の給料を俺に寄越せ、と。私ならば、うにうにまごまごするのは大嫌いなので、即断即決するのになあ……
こう書くと、「即断即決は良いが、その責任をお前は取れるのか?」という話になります。しかし、判断を避けて生じたロスについて、うにうに派マネージャーは責任を取らないので、その言葉は無意味です。ただただ責任を薄めておためごかしているだけで、あたかも責任を取れる人間みたいな顔をするのは止して貰いたい所です。

マネージャーとして本来やるべき事は、その指揮下のプレーヤーが最小コストで最大ベネフィットを出せるように仕向ける事にあります。端的に言えば、部下のプレーヤーがどうすればよく動くかを考えるのがマネージャーの仕事です。それが苦手ならば、ハッキリとそう言うべきなのです。それとも、苦手という意識さえ無いのでしょうか?
無論、グループ長、係長、課長、部長とあるわけで、その内の下位の部分ではなかなかマネージメントに不慣れですぐには出来ないかも知れません。しかし、何故わざわざこういう序列が作られているかと言うと、マネージメント力を徐々に鍛えるとともに、マネージメントの資質による選別を徐々に行うためなのです。それが機能していないのならば、役職なんてのは、ただの名札です。
                               駅員@枯葉舞う 秋になっても 青臭い

2008年11月25日(火)
駅日誌(1083) 「丸坊主出頭」

一昨日の日誌で、「咳をしても一人」というタイトルで書いたのですが、昨夜〜今日は洒落にならないくらい咳が出ております。思えば、職場にこんな咳をしている奴がいたなあ……うつされた模様。しかし、恨むまい。今回とは逆、私が感染源となる事もあるだろうし。

さて、本日の日誌ですが、連続で似たようなタイトルです。一昨日、元厚生次官宅襲撃犯が警視庁に出頭してきました。
実際に運送業者だったそうで、運送屋を装って民家を訪ねるというノウハウを持っていたわけです。先日の日誌で「『宅配便です』と名乗ったならば、そいつは偽者だ」という旨の事を書いたわけですが、私の想定以上に完璧に運送屋を装っていたのだと思います。何せ、本職ですからね。出頭して来た軽自動車(レンタカー。ピンクというのがまた、何だか狂気じみています)には、段ボール箱が積まれており、その箱には、伝票まで貼ってあったとの事。念入りです。
いや、もしかしたら、実際にその家への宅配物があって、それを見て犯行を思い付いたのかも知れません。
今回襲われた二世帯は、ともに元次官宅ですから、歳暮なんかが山のように来る事でしょう。中には早めに届いた物もあるかも知れません。それを見て、今やグチャグチャの年金システムに携わった人の元にこんなに贈り物があって、それに対してしがない運送屋でカツカツの生活をしている自分を対比し、逆恨みの感情が生じたのかも知れません。今取り調べを受けていると思いますが、果たして?

ここで、ちょっと罰当たりな深読みをしてみましょう。日本では人の死に触れる事はタブー視されています。しかし、敢えて踏み込む事で見えてくる事もあるかも知れません。そう、「死んだら水に流す」というのは日本の美徳の一つです。しかし、美徳を利用する外道も居て然り。年金を巡る混乱を収拾させるために、何者か(以下Xとします)の差し金で元次官は襲撃されたのではないか? これが罰当たりな深読みです。はて? 以前にも同じ様な事を書いた記憶があります。そうだ、松岡農相(当時)の自殺事件です。あの時の問題も「死んだら水に流されてしまった」気がします。
丸坊主はただの「道具として使われた人」なのでは? 刑法の共犯の類型には「間接正犯」という概念があります。即ち、他人を道具として使って罪を犯すという事です。Xが、間接正犯で犯行を行ったのではないか? だとしたら、犯行後逃げ隠れもせずに丸坊主が出頭して来た事も頷けます。例えば、Xが丸坊主に金品を渡して、犯行&出頭を指示し、御勤めの後の丸坊主の地位をXが保証していたとすれば? Xは一切明るみに出ずに犯行が行えてしまうのです。
もしこの推理が当っていれば、丸坊主はXに約束を守らせるための何らかの担保を持っている筈。
その担保からXを引き摺り出す事は可能です。また、もし担保が何も無かったら、「担保無き約束は反故にされて当り前」と揺さぶれば、吐かせる事が出来るでしょう。あ、勿論これらは全てただの憶測ですよ。
                                駅員@丸坊主に 凍みる雨風 冬間近

2008年11月23日(日)
駅日誌(1082) 「丸坊主割引」

よく、シニア料金とか、レディースデーとか、条件に合致すれば映画が割引になるという制度があります。しかし、生憎私はシニアでもなければレディーでもないので、そういったメリットを享受した事がありません。
それにしても、シニア料金はまだしも、「レディースデー」って何でしょうね? 男女雇用機会均等法等色々と男女平等が叫ばれている昨今なのに、女性は喜んでレディースデーを活用します。「私を舐めるな! 女性割引なんか要らない!」 と言ったりする人は聞いた事がありません。本当に世の女性の大半は平等なんか望んでいるのでしょうか? 一部のフェミニストだけでは? ……なんて書くと、読む人によっては怒られそうです。
どうも皆様が誤解しているようなのですが、欧米の「紳士は淑女に対してかくあらねばならない!」なんてのは、女性を弱者と見ている価値観です。これが正しいか誤っているかは個人の価値観次第なので置いておきますが、欧米は根本的に男尊女卑文化圏なのだという事を御忘れなく。尚、私に言わせれば、人間はどいつもこいつも弱者だと思っています。
……さて、そんな中、男性中心の割引制度を導入した映画が公開されました。それが「丸坊主割引」なのです。丸坊主の人なら\1,000で観られ、老若男女問わず丸坊主なら割引なのですが、女性は度胸が要りそうです(ていうか、女性はそんな事をしなくてもレディースデーなら\1,000なのですが)。その映画は、「私は貝になりたい」です。床屋に行くといつも坊主にしている私には打って付けの割引なので、観に行って来ました。というわけで、本日の日誌は銀幕寸評です。以下、映画タイトル右の☆が私の主観的評点で、5ッ☆満点です。

「私は貝になりたい」 ☆☆☆☆
同名映画のリメイクです。嘗てはフランキー堺が主演を演じた、名作の誉れ高い作品でした。そういった作品のリメイクは、なかなか難しいものですが、果たして今回の主演である中居正広(スマップ)がどこまでそれに迫れるか? 結論としては、上の評点を見ても分かる通り、私は高評価です。私は実は元祖の方を観ていないので比較は出来ませんが、単体で観て良い作品だと思いました。元祖は観ていなくても、テレビの2時間ドラマ等で、何度か観た事がある(所ジョージが主演をやったドラマが記憶に残っています)ので、話の筋は概ね分かっていたのに、恥ずかしながらやっぱり泣いてしまいました。最近、どんどん涙脆くなっている気がします。
さて、その筋を簡潔に。舞台は太平洋戦争末期の日本、主人公である床屋の旦那(中居)の元に赤紙が届き、妻子を残して陸軍に徴兵されます。そこで訓練をしていたある日、大阪を空襲した米軍のB-29の中の数機が撃墜され、米兵が落下傘で脱出しました。その捜索部隊に配属された中居の属する隊は、米兵を発見します。捕虜の扱いは国際法上ルールがあるのですが、そこに居た中隊長の命令で、中居がその米兵を殺すように言われました。一旦はそれを拒否するのですが、「上官の命令は、天皇陛下の命令である!」「命令違反は銃殺である!」と脅され、米兵を殺します(実はもう死んでいた米兵を銃剣で刺しただけなのですが)。やがて終戦を迎え、中居は床屋に復帰するのですが、そこに占領軍の憲兵がやって来て、捕虜殺害の戦犯容疑をかけられて逮捕されます。悪名高き「東京裁判」です。結果、中居は絞首刑を言い渡され、巣鴨プリズンに収監されるのですが……大抵の人が筋を知っていると思うので、最後まで書いても良いのですが、若者にこそ観て欲しい映画なので、彼等にとってネタバレにならないよう、この辺にしておきます。
主人公の中居は、スマップというアイドルグループの一員なわけですが、流石にドラマ映画の場数を踏んでいる為、演技力が付いて来たなと思います。同じくスマップの草薙もチョイ役で出て来るのですが、二人とも演技力は十分だと思いました。しかしそれ以上に、主たる登場人物に力のある役者を揃えているので、非常にクォリティが高い作品だと思いました。特に、ケン坊役(中居の息子役です)の演技が素晴らしいと思いました。
また、主な舞台となる高知の海、山、棚田が季節毎の姿で映るのですが、この映像が単純に物凄く美しいです。こういうシーンは、シーンの移動や時間経過の説明のために使う映像なのですが、説明的だと感じさせず、上手いと思いました。例えば、「秋になった」とか余計な説明は削って、その代わりに美しい紅葉のシーンが映してあるのです。下手糞な監督は、すぐ説明的な部分を入れてしまい興醒めするのですが、今回はそういった部分が上手に削ってあるのも好感が持てます。
また、ちょっとポリティカルな話になりますが、東京裁判が如何に出鱈目な裁判だったかもよく描かれています。米国という国は今も昔も出鱈目です。
また、石坂浩二が中将役(中居の属する小隊→中隊→大隊の上です)で出て来るのですが、そこには理想の上司像も見えてきます。その中将のような気骨ある責任者、現代ではとんと見かけません。無論私の職場でも見掛けません。下衆野郎ばかりですわ。私はこの中将役のような親分になりたいなあ、と思いました。
                              駅員@組織論 先ずは「貝」より 始めよと

2008年11月22日(土)
駅日誌(1081) 「咳をしても一人」

ほぼ毎日書いている当日誌ですが、10月の末から末尾の署名部分(駅員@×××……の所です)を俳句にしております。時折字余りはありますが、基本的に五七五で季語もほぼ必ず入れるようにしています。一句捻るのは簡単ですが、難しいのは、その日誌の内容を反映させる事です。
一句捻るのは簡単だと書きましたが、それはただ「季語を入れて五七五の言葉にする」のが簡単だという意味です。味わいのある俳句詠む事は一筋縄では行きません。努力すれば良い句が詠めるというわけではなく、観察眼の鋭さ、それを句にする一瞬のインスピレーションが物を言います。誰もが簡単に詠めて、それでいて誰もの心に残る句は簡単には詠めないのです。
一方、最近こうして日誌の末尾を俳句にしておきながら言うのもなんですが、実のところ俳句の未来は暗いと思っています。何故か? 文字数の少ない定型詩ですから、全てが詠み尽くされてしまう日は遠くないと思うのです。極論すれば、「あああああ あああああああ あああああ」〜「んんんんん んんんんんんん んんんんん」迄、全ての仮名を順番に当て嵌めて、それを出版して著作権を主張すると、全ての俳句はその人の物になります。「あかがさざただなはばぱまら」×5、「やわきゃぎゃしゃじゃちゃぢゃにゃひゃびゃぴゃみゃりゃ」×3で、13×5+14×3=107。五十音とは言いますが、厳密に出してくると、107音あります(数え漏れはないだろうな?)。107音の17乗、これで全ての俳句の数になります。たったそれだけなのです。
その数、凡そ30000000000000000000000000000000000句。……前言撤回です。俳句はまだまだ無尽蔵にあります。俳句の未来は明るいです。
さて、俳句には五七五で季語を含めるというルールがあると書きましたが、それを逸脱した俳句という物もあります。自由律俳句というやつです。本日のタイトル「咳をしても一人」もその一つであり、これも実は俳句なのです。この句を詠んだ尾崎放哉の他、種田山頭火も自由律俳句を得意にしています(代表作:「分け入っても分け入っても青い山」「後ろ姿の時雨れて行くか」等)。
因みに、この「咳をしても一人」のリズムは、「咳を・しても・ひとり」という、三・三・三になっています。言わば三連符です。よく「8ビートはやり易いが、三連符は苦手だ」と言う人が居ますが、8ビートは4分音符+8分音符×6で、7なのです。定型俳句のリズムは体感的に分かり易いというのがあるのでしょうね。
今日の日誌は、殆どが枕です。日記的内容は、以下のみ。最近、私を含め、身の周りで咳をしている人を多く見かけます。今年の風邪は喉からのようです。肺や気管のあたりから込み上げてくる咳ですね。喘息みたいな咳が出ます。参りました。
                              駅員@流行の 三連符の咳 込み上げる

2008年11月21日(金)
駅日誌(1080) 「修羅道」

先日の日誌で、私はきっと来世は修羅道か畜生道か餓鬼道に落ちると思う、というような事を書いたのですが、最近よく思うのは、「いっそ落ちたい」という事です。餓鬼道は勘弁願いたいですが、修羅や獣になってしまえたら、どんなに楽に生きられるだろうか……と。浮世は憂き世とはよく言ったもので、人間界は懊悩で溢れています。煩わしい事で溢れています。
現在の私は丁度その境目に居るのかも知れません。人間として葛藤を受け入れるべきか修羅や獣になってしまうべきかを迷っている状態とも言えます。
今日も後輩に向かって、「人間界は嫌だなあ……犬にでもなりたいよ」と冗談めかして言ったのですが、これは100%の冗談ではなく、ちょっぴり本音も混じっています。動物の世界はまさにカオス。上下関係はあるものの、いつでも下克上の発生する状態にあります。これこそ、修羅道であり畜生道なのです。
人間界の組織に属していると、如何に正義を振りかざしても、それは叩き潰されるか、歯牙にも掛けられないかの何れかです。
先日、腹に据えかねる先輩の行動があったので、人事部の知っている後輩に社内メールを送りました。「もしも、俺が先輩をどついたら、どういう処分を受ける? 或いは、先輩が先にどついて、私がどつき返したらどうなる?」と。その人事部の後輩は、慌てて「何かあったんですか?」と訊いて来たのですが、「いや、あくまでもしも話としてだよ」と言っておきました。後輩というだけあって、然るべき立場にはないので、明確な答えは得られませんでした。
また、社内のメールソフトには掲示板機能があるのですが、その掲示板で、それとは別に「上の立場の人間が、現行不一致で腹立たしい」という事を書いた事もあります。勿論、記入者の名前が自動的に出る掲示板なのですが、別段誰に見られても構いません。私は人の悪口を言う時は、全てチクられる可能性があるものと思っているので。そちらも、その掲示板を管理している人事部の先輩が駆けつけてきて、「個人攻撃なので削除させてもらう」という事になってしまいました。
他には、言いたい放題の私を見兼ねて「良くないよ」と言ってくれる先輩も居ます。

いっそ、私に浴びせられるそういったリミッターを全て無視して、修羅道をまっしぐらに駆け抜ける事が出来たら、どんなに楽だろうか。邪魔者に対して心にわだかまり無く徹底的に襲いかかったり、他人の物を心にわだかまりなく強奪したり、人を悲しませても何とも思わない鉄の心を持ったり……そういう風に生きられたらどんなに楽だろうか。そうなってしまうと、誰もが私を忌み嫌うようになると思いますが、それすら何とも感じない人間になれたら、どんなに楽だろうか。
こんな事をぶつぶつ呟いている以上、私は結局半端者なのかも知れません。
                               駅員@鉛色の 木枯らし荒ぶ 秋と修羅

2008年11月21日(金)
駅日誌(1079) 「文人悪食」

日誌の本題に入る前に、昨日の日誌「凶刃」を自分で読んで思った事を。
「犯人は宅配便を装って襲撃」……昨日の日誌では、恐らく本当は具体的会社名を名乗ったが伏せているのではないか、と書いたのですが、それを読んで「いや、寧ろ?」と思った事があるのです。犯人は、呼び鈴を押してそのまま文字通り「宅配便です」と名乗ったのではなかろうか? 本当の業者は「宅配便」とは名乗りません。「クロネコヤマトです」「佐川急便です」「日本通運です」といった風に名乗ります。死者が出ている以上、風評被害の心配よりも、こっちの方が現実味があります。という事は、今更言っても詮無き事ですが、注意深ければ回避出来た可能性があります。即ち、「宅配便です」と名乗ったのならば、それは偽者だという事です。
というわけで、俄かに宅配便業者が怖くなって来た方は、そこを注意してみましょう。「宅配便です」という名乗りで出てはいけません。

さて、本題です。本日のタイトルは、最近読んでいた本のタイトルです。嵐山光三郎「文人悪食」。明治大正昭和の名だたる文豪たちの、食の嗜好や食事上の性癖等をテーマにしながら、その作家の本質を抉り出そうという主旨の本です。
東京・京都を中心とした全国の名店の名前も次々に出て来ますが、それ以上に、「こんな物を好んでいたのか!」なんて食べ物が面白いです。例えば、森鴎外は「饅頭茶漬け」なる食べ物を好んだとか。饅頭茶漬けとは、飯の上に饅頭を割って乗せ、そこに熱い御茶をかけるという物です。こう書くと、「とんでもねえ食い物だ!」と思われるかも知れませんが、考えてみれば御汁粉のような物ですよね。存外美味いかも知れません。
そして、そうした食を通して、生い立ちから死ぬまでが書かれています。読んでいて思ったのは、この人たちって、欠陥人間だらけではないか! という事です。金を借りても返さないとか、人にたかっておいて偉そうにしているとか……
明治以降に日本の有名な作家は大抵出ていますので、興味のある方は是非。古い本なので、読んだ事があるという方も多そうですが……
                             駅員@背を丸め 啜る蕎麦から 湯気昇る

2008年11月19日(水)
駅日誌(1078) 「凶刃」

元厚生事務次官夫妻の遺体が発見され、同日夜に元厚生事務次官の妻が重傷を負わされるという事件が起きました。いずれも凶器は刃物であり、手口は宅配便を装って玄関口で刺したと思われるとの事で、その手口と標的から、同一犯による犯行の線が濃厚との事です。事務次官と言えば、役人が役人のまま転職無しで働き続けて出世した場合の最上級の職位です。それがリタイアして悠悠自適の生活に入っていた所を凶刃に襲われたわけです。
凶悪な事件ですが、同時に、マスコミそれも週刊誌やワイドショーが大好物なネタです。あの業界は、他人の不幸が飯の種ですから。


さて、この両元次官は二人とも年金局長を経験しており、年金分野に明るい人だったそうで、「年金テロ」なんて表現も出て来ています。
しかし、どうにも解せないのは、「元」次官が襲われている点です。しかも、一方は本人ではなく奥様が襲われています。だとしたら、年金政策をどうにかしたいという政治への暴力介入だとは考え難いと思うのです。何者かに向けた「次はお前だぜ?」という脅迫狙いという事でしょうか? それとも、彼等はOBとして省に大きな発言権を持っていたのでしょうか?
年金制度に対する不満等が理由あって、且つ真っ当な政治行動が出来ない人間による犯行だとしたら、現役の厚労次官を誘拐するなり、脅迫するなり、もっとテロの目的達成に近付けそうな手を取りそうなものです。今回の事件を「暴力的政治活動」と捉えるには、ちょっとやっている事がハイリスク・ローリターン(この場合のリターンは、政治目的達成度合を指します)ではないか? と思うのです。他にいくらでも、非合法な政治介入手段はある筈です。
なので、私はその線ではないのではないか、と思います。それとは別の何らかの「怨恨」なのか? 或いはハイリスク・ローリターンなのを見越せない「狂人」なのか? そっちの方が有力ではないか、と。悠悠自適の生活を送っている老夫婦が恨みを買う事なんかあるのか? 事務次官というのは各省庁で一人しか居ません。多くのキャリア官僚は、競争に敗れて冷飯を食わされるか、天下るか、転職するかです。という事は、事務次官まで上った者は、多かれ少なかれ出世競争時に恨みを買っていそうです(逆恨みも多分にあると思います)。また、苦労を共にしてきた仲間同士として、引退後も割と強い交流があるのかも知れません。そこで何らかの恨みを買う場合もあるでしょう。
もしくは、犯人の真の狙いは宅配便業者かも知れません。宅配便業者は「宅配便でーす」などと言って訪ねては来ません。具体的に会社名で名乗ります。恐らく、風評被害を抑える為、犯人がどう言ったかは伏せられているのだとは思いますが、宅配便という仕事へのダメージを狙っている者の犯行? この見方はひねくれ過ぎでしょうか。
……これらはあくまで私の憶測に過ぎません。人の死が絡んでいる所で軽はずみな事を書くのは良くありません。それこそ、冒頭で非難した週刊誌&ワイドショーと変わらない下衆な行為ですね。
                                 駅員@憶測の 寒風による 冒涜か

2008年11月19日(水)
駅日誌(1077) 「若者からエキスを」

いやいやいやいや、誤解無きよう! このタイトルは決してエロネタではありません!
今日はちょっと機会があって、現役の大学生とパネルディスカッションの後飲みに行きました。アラフォー(Around Fourty)ならぬ、アラトゥエ(Around Twenty)です。
その中で思ったのは、よく「最近の若者はどんどん馬鹿になっている」なんてほざくオッサンが居ますが、そんな事はないという事。しっかりした奴ばかりでした。いや待てよ? こういうパネルディスカッションに出てみようと思う学生だから、しっかりしているだけなのかも知れませんがね。
具体的に言うと、例えば、パネルディスカッション中にキチンと発言者の方を向いている奴が居ました。これっていうのは、見過ぎても良くないのではありますが、話者の顔をろくに見ない者より、何倍も優れています。例えば、パネルディスカッションの後の飲みで、学生にして周りに気を使える奴が居ました。特に都市部では、気も使えない若者が溢れている中では立派です。
彼等、彼女等は、これからが就職活動になるわけです。景気後退の昨今、就職戦線異常有りかも知れません。しかし、こういうまともな奴らが良い就職が出来れば良いな、と思いました。というわけで、若者から吸ったエキスとは、こういう事を言っているのです。
                                駅員@冬将軍 ならぬ奉行は 鍋奉行

2008年11月17日(月)
駅日誌(1076) 「六道輪廻」

「聖闘士星矢」という漫画(おい、懐かしいな!)に、ゴールドセイントという12星座をモチーフにした集団が出て来ます。その中でも最強の誉れ高いのが、バルゴ(乙女座)のシャカです。そのシャカは、名前の通り仏教的なキャラクターで、技も仏教絡みの技ばかりです。その技の中に、「六道輪廻」という技があります。仏教で言う6つの迷いの世界に相手を転生させるという大技です。
この六道輪廻とは、元来仏教用語です。六道とは、迷える者の世界で、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道を指します。人間の世界は言うに及ばず、天界までが迷いの世界とされています。天道を迷いに入れているのは、天界に居る諸宗教の神々は、悟りを開いた仏陀や悟りを開く一歩手前の菩薩には及ばないと言いたかったからでしょう。
さて、この六道を平たく言うと、天界は今説明した通りで、人間界は今我々が暮らすこの世界です。以下、修羅道は人々が殺し合う世界。畜生道は獣の世界。餓鬼道は飢えと渇きの世界。地獄道は責め苦を受ける世界で、最も酷い世界です。とは言え、天道と地獄道を除く間の4つは、私はこの地球上にあるのではないかと思っています。即ち、人間道は平和な場所、修羅道は戦場、畜生道は動物への転生、餓鬼道は飢餓に苦しむ地帯という風に。ただただ、そういう場所に生まれ変わるのだと。
仏教における転生には、7週間の審理期間があります。7×7=49です。死後成仏するまでの四十九日とは、この事を指します(即身成仏を謳う浄土真宗だけは異なります)から、自分の誕生日から49日前に死んだ人が、前世なのかも知れません。今日の話題は何やら小難しいですが、ここまでが長い枕です。

現世の因は来世で果となるという因果律なわけです。これは、他の宗教にも言えます。基督教の七大罪に相応した地獄然り、イスラムの死生観然り。それでは、私の来世は一体どこになるのか? 天道は余程の聖人でないと無理でしょう。せめて人間道であれば良いのですが、人に対してすぐ殺気立つ事も多い私は、修羅道に落ちるかも知れません。或いは、礼を失した行いをする事もあるので、畜生道に落ちるかも知れません。仕事がら食べ物を粗末に扱う事も多いので餓鬼道に落ちるかも知れません。地獄道もあり得ます。こんなサイトを運営していますし……特に私が行かされそうなのが、「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」あたりだと思っています。七大罪に照らし合わせても同じ様な感じになりそうです。

さて、ここで六道輪廻を世界情勢に照らし合わせてみましょう。現在世界的に少子化が進んでいます。それも特に先進国において。これは、因果応報論の理屈通りなのではなかろうか? と思うわけです。
先進国は罪深き魔都が多いですからね。例えば、残飯を大量に出している国の民は、生まれ変わって飢餓国に生まれ変わっているという事なのかも知れません。或いは、人間としての倫理に欠ける者は、畜生に生まれ変わっているのかも知れません。動物は減っているって? いや、家畜の数は増えている筈なので、牛や豚に生まれ変わっているわけです。そして、世の中から戦争が無くならないのも、修羅道に落ちる者が絶えないからなのかも知れません。
ま、宗教は所詮は玩具。これも只の空想に過ぎませんがね。
                               駅員@哲学を 秋の夜長が 押し付ける

2008年11月16日(日)
駅日誌(1075) 「刈り掘る庭」

私の好きな人間椅子のコピーバンドをしている方から御紹介頂き、渋谷のライブハウス「ギルティ」で開かれたコピーバンドによるライブ「刈り掘る庭JAM49」に行って来ました。刈り掘る庭=Californiaの駄洒落なのですが、末尾の49は第49回目を指しており、息の長いライブイベントのようです。たまたま紹介してくれた方が人間椅子コピーでしたが、別にそれに限らず、色々なコピーバンドが5組出ていました。
その人間椅子コピーバンドは一番手だったので、最初から聴いていて、全部聴いて帰ろうと思っていたのですが、ワンドリンクで飲んだビールが効いてきて、眠くなってしまい、且つ空腹になったので三番手までで帰りました。というわけで、一番手、二番手、三番手の寸評を……え? いくらアマチュアバンドと言ったって、駅員如きに評論されたくない? そう言わずにどうか。

@「人間椅子」コピー
先ずややこしいのは、コピー元の人間椅子自体があまり有名ではないという事なのですが、平たく言うと、ハードロック/へヴィメタルに日本文学的な歌詞を付けて青森文化を振りかけたような、そんなような元イカ天バンドです。
恰好も似せて来ています。ベーシストは白塗り(それも、桃太郎侍の恰好でした)で、ギタリストは眼鏡。なるほど、良い具合にコピー出来ています。寧ろ、近年歳のせいかたまに手元が覚束無くなる場合のある本家よりも、原曲をキチンとなぞっている気もします。しかし、何回も聴いて知っている曲だけに、粗も聴こえてしまいました……
楽曲の一部で電気大正琴を使っていました。先月「林試の森」で聴いた大正琴は生音をマイクで拾っていたのですが、電気式も面白そうです。また、私の好きな曲である「幸福のねじ」「人面瘡」をやったのが良かったです。

A「ジェフ・ベック」コピー
世界で最も偉大なギタリストと言われるジェフ・ベック及びジェフ・ベック・グループのコピーです。最近のバンド漫画「ベック」のベックは、ジェフ・ベックのベックなんでしょうね(読んだ事無いけど)。
5組のバンド全てを聴いたわけではないので断定は出来ませんが、技術的にはこのバンドがずば抜けているという印象です。ジェフ・ベックはギタリストなので、このバンドもギターが上手い事は然る事ながら、私が上手いなと思ったのはベーシストでした。エフェクターを使っての難しそうなベースソロも難なくやってのけていました。

B「ポール・マッカートニー」コピー
元ビートルズのポール・マッカートニー(ビートルズ、ソロ、ウィングス等)のカバーです。
不覚にも、私はこのバンドの時に眠くなってきてしまいました。
誤解無き様願いたいのは、このバンドの演奏が退屈だったというわけではないという事。キチッとボーカリストがベースも弾いており、本格的です。如何せん@Aがノリノリだった後、割と静かで聴かせる曲が多いポールが来て、入ってすぐに飲み干したビールが効いて来てしまいました。しかし、ライブハウスゆえ音量が大きいのですが、それなのに眠くなるという事は、演奏や歌唱からストレスが来ないせいなのだと思います。
気になったのは、やたらめったら元気で、空いているのに立ち続けてバンドに絡んでいた一人の女性……ポール・マッカートニーが好きなのか? このバンドが好きなのか?

と、こんなような具合で、この後の四番手・五番手は聴かずに帰ってしまいました。それにしても、今回のライブで最も気になったのは、前で演奏している最中なのに、横切って歩く人が居るという事。
コピーバンドという事もあり、客の見込みが少ないためか、ライブハウス内に折り畳みの椅子が並べてあったのですが、その隙間を平気で横切って行く人が居るのです。「邪魔やなあ! 俺の前を塞ぐな!」という感情もあるのですが、それ以上に演奏しているバンドに失礼ではないかと思います。これがもし、アマチュアバンドのライブではなく、例えば立川談志師匠の落語だったりしたら、絶対に「帰れ!」って怒られていると思います。
                              駅員@有罪と いう名の地下で 調べ聴く

2008年11月15日(土)
駅日誌(1074) 「CCC」

今回の日誌のネタは、CCC……カルチャー・コンビニエンス・クラブ(TSUTAYAを展開している会社)ではなく、コンシューマーズ・チョイスアワード・カーオブザイヤーの略で、今回が第三回目の「あなたが選ぶカー・オブ・ザ・イヤー」という催しです。一般人が審査員として登録し、投票して受賞車が決まるという仕組みであり、どうにも不透明な感じのする「日本カーオブザイヤー」や「RJCカーオブザイヤー」に対して出来た賞です(それでも中の人には操作出来てしまいそうですが)。
勿論ネットでの投票も可能なのですが、揃っているエントリー車種を生で見比べて投票する方が面白いです。記念品やカタログも貰えるし……

というわけで、会場である横浜レンガ倉庫には、私は電車で乗換え1回で行けますので、行って来ました。しかし、どうも展示車種が少ない……年々少なくなっているような気もします。縮小されているってわけではないですよね!? 見ると、プジョー308が発売された筈なのにプジョーの出展がありません……心配です。
それでも、今年に発売された車の多くが一堂に会した状態で見られる事はそうそうありませんから、車好きには楽しいです。今回の最有力候補は、日本カーオブザイヤーも受賞した「トヨタiQ」です。テレビでもCMを流しているあのチョロQみたいな車ですね。部門賞であるエコカーオブザイヤーも(或いはコンパクトカーオブザイヤーも?)受賞するのだと思います。しかし、何だか不細工な車です……特に真正面からは見るに堪えません。まあ、そこいらをいっぱい走るようになれば馴染むのでしょうが。私ならコンパクトカーならその脇にあったフィアット500を選びます。ルパン3世の愛車だった車の現代復刻版です。
今回はスポーツカーのエントリーは少なかったのですが、アストンマーティンDB9がありました。矢張り恰好良い……スポーツカーオブザイヤーはこれで決まりでしょう。ていうか、他にもクーペはあったのですが、「スポーツカー」と言える代物はありませんでした。
SUVコーナーに行くと、BMW・X6がでんと構えていました。ルーフがクーペのようになった流麗なスタイルのSUVです。しかし、随分幅が広い……数字を見ると2m近くあります。日本で転がすのは億劫になりそうです。
それよりも、SUVで私が注目なのは、その横にある日産・Xトレイル20GTです。デザインには見るべき所は全く無いのですが、注目なのは中身です。世界最新鋭のクリーンディーゼルエンジンを積んでいます。私は寧ろ、これこそイヤーカーに相応しい車だと思います。
そのエンジンは、低排出ガスと高出力を高次元で実現しています。クリーンでありながら、2000という低回転で36.7kgfmの大トルクを発揮し、10・15モード燃費でリッター15.2km(しかも燃料は軽油です)。ちょっと欲しくなりました。
この車の問題点は、売り込みの下手糞さですね。日産の技術者は商品戦略担当者に怒って良いと思います。これだけの商品なのにPRに力が入っていない上、トランスミッションにATを用意していないのです。私はMTが楽しいと思う人間だから良いのですが、世の大抵のユーザーはATを望みます。ていうか、御得意のCVTはどうした!? 本気で自社の車で世界を変える、世界を良くするという気概があるのか!? こういう所が日産の欠点です。やる事が中途半端なのです。まあ、日本人は相手にしていなくて、欧州で売るつもりの車という事なのでしょうね。
 
 

左上からトヨタiQ/アストンマーティンDB9/BMW・X6/日産Xトレイル20GT。

折角赤レンガ倉庫まで来たので、ついでに山下公園に寄ってから帰りました。うむむむ、子連れ、犬連れ、恋人(或いは配偶者)連れだらけではないか! 私以外にも一人の人は居るには居ましたが、極少数派でした。

                              駅員@寒さ凍む 一人身脅す 汽笛かな

2008年11月14日(金)
駅日誌(1073) 「高齢犯罪者」

今朝の新聞に、近年高齢犯罪者が増えているという事が書いてありました。何でも高齢者が増えた比率の倍くらいの比率で犯罪者が出ているとの事。犯罪でも高齢化が進んでいるとは!
犯罪の低年齢化なんて話題は今は昔の話です。そもそも、物の本で読んだのですが、犯罪の低年齢化はここ最近ちょこっと増えているだけで、昭和20〜30年代の10代の方が遥かに犯罪者が多かったそうです。因みに、そのデータは法務省発行の「犯罪白書」「警察白書」に載っているとの事。
うん? 待てよ? 昭和20〜30年代の10代という事は、今の50代〜60代ではないか! ここに、高齢犯罪の根本が垣間見えます。即ち、この世代こそ元々凶暴なジェネレーションなわけです。無論紳士も沢山居るのですが、確かに若者よりキレ易い人も多いような気も……こりゃあ、以前当日誌で書いた「シルバー暴走族」が走り回る時代もそう遠くないのかも知れません。爺さん婆さんになってまで、「大人になれよ」と言われてしまいそうです。

さて、実は「大人になれよ」という言葉は、私の嫌いな言葉なのです。私は下に兄弟が居るので、私自身が子供の頃から「大人になれよ」と言われ続けて来ました。ですから、高校時代までは我慢して、非常に大人しい人間でした。困ったのは、大人になった今、その抑圧されきた物がオーバーフローしているのか、寧ろ今のほうがガキっぽかったりします。
勤め先で言いたい放題言っては、「大人になれよ」と言われるわけです。子供の頃は、「今耐えて大人になれば自由がある」と信じていたのですが、何て事はない、それは幻想だったのです。そんなわけで、我慢の時代を思い出すので、嫌いな言葉なのです。こうして見ると、高齢犯罪者も私と同じような心理なのかも知れません。
                              駅員@落ち葉焚き とは盗む事 火の如し

2008年11月13日(木)
駅日誌(1072) 「Apple 10th Anniversary」 

今年はApple 10th Anniversaryです。10周年なわけです。いえ、アップルコンピューターではありません。あっちはもう創立30年くらいです。
ミュージシャンの椎名林檎がデビュー10周年なのです。10周年記念として「林檎博」というライブを埼玉スーパーアリーナで開いています。その日程の中の、11月下旬のチケットの応募券が、以前買ったCD「私と放電」かDVD「私の発電」にはいっていたので、応募しました。
まあ、私も今まで好きなミュージシャンのCDにその手の応募券があったら何度となく応募して敢え無く落選していたので、「今回もどうせ当たらないのだろうなあ」と思いつつも応募すると、今回は当ってしまいました。私は椎名林檎のライブは初参加になります。帰宅すると、「その書留を郵便局に受け取りに行くか、電話して再送依頼をして下さい」という内容の紙が届いていました。
が、問題が一つ。その手の応募って大概一人かペアで応募するようになっているのですが、連れて行く相手も居ないのにペアチケットになってしまったのです(そりゃあ、誘いたい人ならば山程居るのですが、なかなか、ねえ)……勿論代金も二人分。「一体何を考えているんだ?」と言われそうですが、ふと、応募する時に邪推したのです。「今まで当たらなかったのは、1人注文だからではないか? もしかして、1人よりペアの方が当たり易くなっているんじゃないか?」と。そう思っていたら、当たったわけです。強ち私の邪推も外れとは言い切れなかったのかも知れません……

私が学生だった頃から好きなミュージシャンで、当時から継続して聴いており、現在も東京事変のアルバムは買うようにしています。私の場合は、「無罪モラトリアム」というアルバムから入っています。
曲も勿論好きなのですが、私は特に歌詞が好きです。たまに作詞を「作詩」と表記するミュージシャン(大槻ケンヂ等)が居ますが、あれは「私の歌は、詩なんだ!」という主張なのでしょう。椎名林檎の場合はそういう表記はしていませんが、詞で小説を書いていると、私は思っています。椎名林檎の自称に「新宿系自作自演屋」というのがありますが、自作自演という作業は、自分とは違う人間を作り上げて演じるという事です。これは、小説を書くという行為に非常に似ています。
                             駅員@夕焼けて 楕円に伸びる 林檎の影

2008年11月12日(水)
駅日誌(1071) 「パンクえもん」

昨夜観た深夜番組で、日本の歌をカヴァーしている外国人が紹介されていました。
その中で、「ドラえもん」をパンクにアレンジして歌っている人がいました。スコット・マーフィーという米国のパンクロックバンド・アリスターのヴォーカリストだそうです。こりゃあ、ドラえもん好き且つパンク好きである私がCDを買わずして誰が買う!? ……というわけで、帰りにCD屋に寄って買って帰りました。
御目当てのドラえもんが入っていたのは、「ギルティ・プレジャーズ2」というCDで、8曲入りの内6曲が日本の曲でした。ライナーノーツを見ると、どうも日本大好きなアメリカ人だそうで、好きな日本のミュージシャンも椎名林檎だそうです(私と趣味が合うではないか!)。

さて、今回買った「ギルティ・プレジャーズ2」(\2,000也)ですが、その曲目は以下の通り。「ドラえもんのうた」(オープニング曲)、「Jupiter」(平原綾香)、「I Will Always Love You」(ホイットニー・ヒューストン)、「乾杯」(長渕剛)、「Swallowtail Butterfly あいのうた」(YEN TOWN BAND)、「Voyage」(浜崎あゆみ)、「HONESTY」(ビリー・ジョエル)、「涙そうそう」(夏川りみ)です。
それらが、パンクを中心としたロックアレンジになっています。面白いのは原曲がロックではない曲だらけという点ですね。矢張り、音楽はアレンジによって随分印象が変わるものです。一方同時に、矢張り名曲はどんなアレンジでも良いものなのだと思いました。それにしても、日本語が上手い。まるでデーブ・スペクターです。
なかなか良いぞ、こいつ。という事で調べてみると、「ギルティ・プレジャー」(1)は、アリスター名義で出していて、サザンの「TSUNAMI」やスピッツの「チェリー」等のパンクアレンジが入っているそうです。これも探そうっと。更に12月には、3も発売される模様です。椎名林檎の「歌舞伎町の女王」が入っているそうです。これは購入決定だな。
                             駅員@文化祭に 丁度良さ気な アリスター

2008年11月11日(火)
駅日誌(1070) 「因果応報」

因果応報。情けは人のためならず(蛇足ですが、「情けは人のためにならない」という意味ではなく、「情けは他人のためではなく、巡り巡って自分のためになる」という意味です)。人間というものは、どうしてもそういう状態を、あるべき姿だと思ってしまいます。
しかし、これはあくまであるべき論・理想論でして、得てして世の中はそうなっていないのが辛い所ですね。仏教では本来、因果応報とは来世に反映されると説いています。これはヒンドゥー教の思想と同じですね。いや、そもそも神様から見れば、人間なんて蟻んこみたいなものかも知れません。人間が蟻んこを見て、良い蟻・悪い蟻なんて見分けられないように、神様も人間をマスでしか捉えていないのかも知れません。

それでも、私はなるべく因果応報を重んじていたいと思っています。そういった考え方もあり、私は法学部出身ながら、刑法は「教育刑論」よりも「応報刑論」を支持しています。平たく言えば、教育刑論とは、刑罰は罰を与えるためではなく更生するために行うものであるという考え方で、応報刑論とは、悪い事をしたらそれ相応の苦しみを味わうべきだという考え方です。というわけで、強姦犯はちんこ切り落としの刑が妥当だと思っていますし、殺人犯は死刑が妥当だと思います。ハムラビ法典みたいな刑法が好きです。

さて、最近3件の自動車絡みの事件がありました。一つは、大阪駅のすぐ近くで起きた轢き逃げ事件。一つは、岐阜県の小学生が自動車を運転してしまった事件。一つは、川口の酔っ払い運転交通事故です。
この3つの事件を一挙に裁く方法を思い付きました。その名も「カー・コロシアム」です。その内容はどういうものかと言うと……先ず、周囲をゴムで囲った、どこかにぶつけても搭乗者が安全な車を用意します。その車に運転小学生を乗せ、コロシアム内を運転させます。そこに、大阪轢き逃げ犯と、川口泥酔事故犯を、目隠し&猿轡&後ろ手縛りで、電流発生装置を仕込んで放り込みます。小学生が運転している車を、犯罪者2人に避けさせるわけです。但し、壁際にじっとされては意味がないので、動いていないと電流が流れるようにしておきます。
その結果、3人ともに犯した罪相応の恐怖を与え、車の危険性を教え込む事が出来ます。小学生は、車の運転は人を撥ねるリスクがあるという事を理解します。犯罪者2人は、暴走されて怖い目に遭う側を経験し、車の危険性を理解するわけです(この2人は、下手をしたら死にますが)。更にそれを見世物にすれば、財政にも役立ちそうです。こんな案は如何でしょうか?
まあ、人権無視だと言われるのは目に見えていますがね。
                                駅員@宇和島の 闘牛ならぬ 逃牛か

2008年11月10日(月)
駅日誌(1069) 「プリンスショッピングプラザ」

軽井沢駅前にプリンスショッピングプラザというアウトレットモールがあります。著名な(しかし、高級というわけではない)ブランドの商品が安い価格で販売されています。在庫放出品だとか、正規の価格では売れなくなったB級品等も含んでいますが、新品が安価で買えます。今日は仕事でそっち方面に車で出掛けたので、ついでに寄ってみました。

仕事は群馬県側だったので、碓氷峠を走る事になりました。以前行ったイニシャルD山(榛名山)に続いての峠アタックです。いやいや、アタックなんて、そんなぶっ飛ばしたり出来ませんよ。普通に走りながら、紅葉を愛でる程度です。標高の高い位置ではなかなか綺麗な紅葉が見られました。
以前読んでいた漫画イニシャルDでは、この碓氷峠にシルエイティ(日産シルビアの前半分+日産180SXの後ろ半分。基本が同じ車なので、その筋では割と簡単に出来るそうです)に乗った女性が主人公の対戦者として現れました。その時に走ったコースに描かれていた水道橋等の物がそのままありました。
先程「アタックなんて出来ない」と書きましたが、無論大半は私の腕前のせいではあるのですが、この道がなかなかガタガタ道で、とても飛ばす気にはなれないのです。碓氷なんて表現がある通り、きっと冬場は雪と氷で満たされ、道が劣化し易いのかも知れません。

峠を越えるとすぐに軽井沢です。しかし、何と言うグッドタイミング。昨日の日本シリーズ最終戦は西武ライオンズが勝利したので、西武系列(施設名のプリンスは、プリンスホテルのプリンスです)のこのアウトレットモールでも優勝セールをしていたのです。喜び勇んで入って行きました。
……だがしかし、どうも優勝セールにしては小粒の印象です。優勝セールのポスターはあちこちに貼ってはあるのですが、いま一つ盛り上がりに欠けます。また、平日という事もあり、客も疎らでした。
ガイドマップを手に取って見て、なるほど。11月14日に拡張オープンが控えていたのです。このアウトレットモールは大きく分けてEASTとWESTがあるのですが、そのEASTが増築されていました。もう数日後ですから、建物自体は完成し、まだ開店していない各店にも灯りが点いていました。恐らく陳列等内装関係をやっているのでしょう。一方、WESTの方に閉まっている店が多かったのですが、拡張オープンに合わせて、テナントの入れ替えがある模様です。結構大掛かりです。優勝セールよりも先にこの拡張オープンが決まっていて、どうも経営資源の大半はそっちに向いている様子です。そうか、だから優勝セールはいま一つなのか。

ああ、それにしても西武が勝って良かった。
いえ、私は西武ファンではありませんし、対中日以外では「巨人負けろ」とまでは思っていません。それなのに、何故か? 実は、クライマックスシリーズが始まる前に、巨人ファンの人と賭けをしていたのです。中日が日本一になれば私の勝ち、巨人が日本一になればその人の勝ちで、阪神或いはパ・リーグが日本一の場合は引き分けという賭けです。
という事は、日本シリーズが始まった時点で、私には引き分けか負けしかなくなっていたのです。巨人先取で五分五分に戦っていたので、やきもきしていたのですが、助かりました。
                                駅員@駆け抜ける 山は紅葉 碓氷峠

2008年11月9日(日)
駅日誌(1068) 「君子は豹変す」

昨日は私の誕生日でした。が、しかし、特に変わった事をするでもなく、昼迄たっぷり眠っていました。正直な所、20歳を過ぎてしまえば、誕生日は大して目出度いものでもないと思います。なので、私はよく自嘲を込めて、「死への階段を一段登っただけだよ」なんて言っています。いやいや、勿論他人の誕生日にはこんな言い方はしませんよ……いや、冗談としてなら言った事があるかな?
私は11月上旬の生まれなので蠍座なわけです。星座占いは雑誌やフリーペーパーをめくれば、必ずと言って良い程出て来ますが、星座による区切りって何かあるのでしょうか?
私は蠍座を表現する時には、「弱者をハサミで可愛がり、強者を毒針で刺し殺す蠍座です」と言うようにしています。星座による性格の違い、そんな物が果たしてあるのかどうか?

昨日の日誌では、この「強者を毒針で刺し殺す」的な部分について書いたのですが、今日の日誌はここからが本題です。「君子は豹変す」。「偉い人は、自らが出した方針が間違っていれば、たとえ誹りを受けようともすぐに改める」といったような意味です。私は「君子」という程の者ではありませんが、昨日書いた日誌とちょっと方針の違う事を……
昨日の日誌には、「仕事以外は関係無いのだから干渉するな」という内容も含まれていましたが、昨日そんな事を言いながら、今日は全く関係無い人に干渉したくてうずうずしてしまったのです。実際は何もしなかったのですが、まあ聞いて下さい。

外で食事を摂ったのですが、その時に近くのテーブルに、おっさん、爺さん、婆さんという3人組がいました。恐らくは、父母と息子なのだと思います。尚、「おっさん」というのは比喩ではなく、40〜50歳程に見えました。おっさんは爺さんと婆さんよりは若いのでその分食べるのが早く、先に食べ終わりました。爺さん婆さんはまだ食べています。やがて、おっさんの方から何やら騒々しいざわめきが……ワンセグ携帯でテレビを観始めたのです。
「おい、おっさん! 爺と婆がまだ食っとるやろが! そんなにテレビ観たいんか!」……こんな言葉が喉まで出掛かってしまいました。
うーん、言ったらどうなるんだろう? しかし、「関係無えだろ」とか言われるんだろうな。
そこで、はたと思ったのは、この爺さんと婆さんは恐らくこのおっさんの父母でしょう。という事は、この二人が甘やかし過ぎたせいでこんな風になってしまったんだろうなあ。という事は爺さんと婆さんは自業自得かな? と、そう思ったら、今度は3人というのが引っ掛かって来ます。このおっさんの嫁は? もしかしたら、独身なのだろうか。そりゃあ、別に誰もが結婚しないといけないというルールはありません(私もまだ独身ですし)が、このおっさんの甘ったれ具合のせいではないか? と勝手に想像してしまいました。

いや、待てよ。私の身の周りでは、比較的甘ったれな男の方が早く結婚している気がします。例えば、借りた物もろくに返さないだらしない者、決断力の無い優柔不断な者、すぐに他人に頼る者……何故だ? 「母性本能をくすぐる」ってやつなのでしょうか? ここの所は、甘ったれの旦那(または彼氏)を持つ女性に訊いてみたい所です。「我こそは」という方、御意見を御待ちします。
                               駅員@微力でも 甘垂れ石を 穿つのか

2008年11月8日(土)
駅日誌(1067) 「威圧がもたらす物」

威圧という行為がもたらす物には二種類あり、そして、その分かれ目は、威圧を受ける側の性質によると私は思います。
軍事力なのか、経済力なのか、或いは単純に迫力なのか、威圧する側が威圧をする場合にはそれらのいずれかを、或いはそれらを複合的に用いるわけですが、効き目の有無はその「○○力」によります。威圧を受ける側は、それらの力を見て損得勘定をするわけです。「逆らった方が得だ」と判断するようならば効き目はありません。
冒頭で「受ける側の性質による」と言ったのは、「逆らったら損だ」という場合です。一般的なのは、恐怖感を感じて「だから逆らわないでおこう」という「従順」です。しかし、恐怖感から出て来る反応にはもう一つあります。「殺気」です。
動物に恐怖感を与えると、大人しくなるか、殺気立つか、そのいずれかだと思います。人間も動物の一種ですから同様だと思います。人間の方が動物よりも損得勘定が発達していますから、従順になってしまう人が圧倒的に多いのですが、殺気立つ人もゼロではありません。これは国際関係においても言える事だと思います。最も分かり易いのが、米国と米国に虐げられた国の関係です。従順になってしまう国(例えば日本)と、対抗する国(例えばアフガニスタン)があります。
勿論、そんな大規模なものではなく、卑近な所でも起きています。サラリーマン社会では、会社組織における上司への忠義を、仕事以外にも持ち出す愚か者が沢山居ます。家庭の事に首を突っ込んだり、休みの日に部でゴルフコンペを開催したり……いずれも良かれと思ってやっている事なので、無碍にこき下ろすのも悪いですが、受ける側に見えない力による強制をかけてはいけません。口では強制していなくとも、「強制みたいなもん」になってしまえば、十分に威圧していると言えます。
私なんかは、どうも威圧を喰らうと殺気立つタイプらしく、威圧者にはすぐ逆らいたくなってしまうのですが、大抵のサラリーマンは従順になってしまいます。

今日はそんな従順サラリーマン一名の話を聞き、「じゃあ、俺がその○○部長にキレたろか?」と言ってみたのですが、拒否されました。
どういう意味での拒否なんだろうか? 「折角我慢して従順にしてきたのに、それが台無しになる」というのなら分かりますが、「駅員さんに出来る筈が無い」と思っているのならば、舐められたものです。私は本当にやっちゃう人間だぞ、と。
「駅員、お前もサラリーマンならば、損得勘定をしろよ」という言葉が聞こえて来そうです。いや、実は私は損得勘定をより正確にしているのです。「取り敢えず上だから従う」では、「従ったのに損をする」ケースが多いので無駄が多いのです。で、前述の○○部長は、私の目から見れば、出世メインストリームから明らかに外れています。仮に誰かに媚びるにしても、そんな人に媚びて何になる? という事です。
                               駅員@秋晴れと 思いきやドス 黒き雲

2008年11月7日(金)
駅日誌(1066) 「買うたパンだ」

買うたパンだ……こうたぱんだ……クオタパンダ……クォーターパウンダー。おっと、またやってしまいました。駄洒落タイトルです。本日の日誌は、怪しげなハンバーガー屋、クォーターパウンダー(QUARTER POUNDER)についてです。
11月1日に渋谷と表参道にオープンしたハンバーガー屋なのですが、かなり思い切ったカラーリングのハンバーガー屋なのです。イメージカラーは「赤と黒」。当地獄三丁目駅で好んで使っているカラーリング(私の好きなカラーリング)ではないか! 店内は真っ黒に塗られていて、部分的に赤のアクセントが入っており、非常にインパクトがあります。

というわけで、いざ入店&実食。メニューは二種類。クォーターパウンダーセットと、クォーターパウンダーWセットのみ。セットの構成は、ハンバーガー+フライドポテト+ドリンク(コーラかコーヒー)という形です。はて? 何となくカウンター周りの配置に既視感があります。そして、飲食物を入れてある容器にも。
セットの写真

私が入った表参道店は、地下に座席がありました。おお、こちらも真っ黒+赤。何となく、「地下にある真っ黒の部屋」となると、映画の「ファイトクラブ」みたいです。どつき合いが始まったりしないだろうな……
流石はクォーターパウンダー(1/4ポンド=約110g)と言うだけあって、挟んであるハンバーグが大きいです。恐らくはこのハンバーグが約110gという事なのでしょう。私はWにしたので、計220gくらいの牛肉になります。これは結構食べ応えがあります。
食べ終わってゴミを捨てる場所に行くと、台の上にチラシが置いてありました。そこには、「クォーターパウンダーは、実は某チェーン○○○○○○が展開しています。そのチェーンは何でしょうか?」というクイズがありました。そうか、先程感じた既視感はこれか。その某チェーンのフォーマットを基本にしているというわけです。
                              駅員@秋深し スタンダールを 一人食む

2008年11月6日(木)
駅日誌(1065) 「小室なる古城のほとり」

「小室なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ……」んん!? 「小室」ではなく「小諸」ですね。「小諸なる古城のほとり」は島崎藤村の詩です。尚、これに曲を付けた歌もあります。
歌と言えば、1990年代に名を馳せた音楽プロデューサーがいました。が、その凋落たるや凄まじく、こちらが「小室」なのでした。しかし、「小諸なる古城」こと小諸城は今や城跡であり、小室哲哉の凋落ぶりと重なります。おっと、何と「小諸城」の起源となる館は、木曽義仲家臣の「小室太郎光兼」なる人物が建てたそうです。何だ、この符号は? これで一本物語が書けてしまいそうです。

さて、その小室哲哉氏です。つい先日、しょーもない詐欺で捕まってしまった事は御存じの事と思います。しかし、そのミュージシャン人生は輝かしいものでした。80年代に渡辺美里の「My Revolution」(同年レコード大賞)等、多数の楽曲提供を行っています。その一方で自らもTMNメンバーとして活躍。TMN解散後は、trfや安室奈美恵、globe等々をプロデュースし、いわゆる「小室ファミリー」を築き上げました。
が、そのおごれる者も久しからず。2000年代は音楽のセールスも凋落の一途となり、今は金策に困っている始末。その末の詐欺でした。凋落の要因は一言で言って「マンネリ」です。芸事は細々とやっていればマンネリでも一つの芸として成り立つのですが、一旦大きなムーブメントに乗ってしまったら、急騰と暴落しかないのです。細く長くやるか、太く短くやるかなのです。昨今の若手お笑いブームを見て下さい。一つしか芸が無いのにそれが話題になり、数年後にはもう居ないという世界です。波田陽区って何処行った!? 何い!? クイズヘキサゴンで「一発屋チーム」に!? 恐らく、髭男爵あたりも来年か再来年には居ないんじゃなかろうか?
小室哲哉氏の場合は、マンネリの他に自らの才能に溺れていた節もあります。才に溺れていなければ、変に多角的に手を出す事無く、莫大な蓄えで凋落なんかなんのそのでリッチマン人生だった事でしょう。
今回の詐欺事件は、「自らが作った過去の音楽の権利を売る」というものでした。残念ながら、日本では音楽著作権は全て(少なくとも商品化されたものは)JASRACに取り上げられてしまい、著作権は作曲者なり作詞者の手元にはありません。それを名音楽家である小室氏が知らなかった筈は無く、悪意があったのは明白です。
JASRACによる音楽著作権独占体制が、知財保護体制として良いのかどうか? という疑問はありますが、それはまた別の問題ですね。
                               駅員@川流れ 溺れる者も 久しからず

2008年11月5日(水)
駅日誌(1064) 「二連猿」

民主党のバラク・オバマ氏が選挙で勝利し、米国大統領に当選しました。「米国の選挙システムはインチキが出来るようになっている」とか、「その選挙システムを作っている会社の大株主が共和党員だ」とか、色々な噂が飛び交ったものの、結果としては下馬評通りオバマ氏勝利です。しかし、今は難局です。もしかしたら老獪な共和党員は、一旦オバマを大統領に担ぎ上げてから数々の汚点をなすり付けてボコボコにして引き摺り下ろすとか、そういう事を考えていても不思議ではありません。
米国大統領の歴史の中で初の有色人種の大統領です。米国のフィクションなんかでは、よく黒人や女性の大統領が出て来ますが、ようやくフィクションに現実が追い付いた、という事でしょうか。
日本人である私の心配する所は、オバマ氏はおそらくマケイン氏よりも、日米同盟を重視していないという点です。私自身は日米同盟は破棄したくてしょうがないのですが、今の防衛体制では破棄すると周辺国に食われるのは目に見えているのです。

さて、ブッシュ時代の反動でオバマ氏が当選したわけで、この二人に共通項は少なそうですが、その中での共通点の一つが、本日の日誌のタイトルです。米国大統領が、二代続いて猿顔なのです。ブッシュ前大統領が「テロとの戦い」を叫んでいた頃、その独善に反発した人の中には、「ブッシュの色々な表情の写真と、その横に似た表情のチンパンジーの写真を並べた画像」を作った人もいました。私も見ましたが、あれはなかなか面白かったです。
オバマ氏も何らかの失策をすると、ああいうのが作られそうな気がします。
もし失策をした場合は、人前に出ている以上はそういう目に遭うのはやむを得ないのだと思います(新聞の1コマ漫画みたいなものです)。しかし、米国の恐ろしい所は、平気でマイノリティを差別する人々がのさばっているという点です。今でも黒人蔑視をしている人は沢山居るそうです。そういうアンチオバマ人間が、失策もしないうちからそういう画像を作ってそうで、その辺が恐ろしいです。「罪を憎んで人を憎まず」であって欲しいのですが。
そう言えば、福井県小浜市(2008年8月19日 駅日誌(990)「TRAIN-TRAIN(下)」参照)は、当選の報せでお祭騒ぎなのでしょうか?

                               駅員@日本海の 風に小浜市 震え沸く

2008年11月4日(火)
駅日誌(1063) 「サンクチュアリ」

私の勤め先には、自らのサンクチュアリ(聖域)を守ろう守ろうとしている者が多くて参ります。私は結構何でも小器用にこなしてしまう人間なので、仕事の領分を超えて他者のサンクチュアリに踏み込み、反感を買う事がよくあります。
先週末にも、そういうつもりではなかったのですが、どうやらそれをやってしまったようで、何やら「表面上は明るいが、皮肉と憎悪が篭った社内メール」が届いておりました。おお、行間から滲み出ておる! 「俺のサンクチュアリを荒らしやがって!」という気配が! 参ったなあ……別段その人を蔑ろにしたとかそういうつもりではないのですが……
嫌われるのは一向に構いませんが、それが仕事に響くのだけは勘弁願いたい所です。しかし、職場には、好き嫌いを仕事に響かせる人間も多いのが心配です。金もろてる以上はプロやろ? お前等の糞しょーもないプライドなんかドブに捨てて来いや! そんな物は「誇り」やのうて「埃」じゃ! ……と思います。

こういう事になるのも、私がとことん自力本願の人間だからです。私は兄弟の中の長兄であり、下には2〜3歳ずつ離れて弟や妹がいます。3歳になったら、もう親は赤ん坊に掛かりっきりで、その赤ん坊がその当時の私と同じ年齢にまで成長すれば、次の赤ん坊……生来のセッカチもあり、自分には出来なさそうな親に頼むべき事であっても、親の手が赤ん坊の世話から離れるのを待つのが嫌で、勝手にやってみてしまう子供になってしまいました。そんな育ち方をして、気が付いたら小器用に色々こなせる人間になっていたというわけです。そして、多分そこから殆ど進歩していません。
私の好きな漫画の一つに、「ベルセルク」という物があるのですが、あの漫画に出て来る「ジュドー」という準レギュラー人物(途中で死んでしまいました)に共感しています。この人物は、何でも器用にこなせる人間なのですが、どれもこれも一番にはなれず、「器用なのに生き方は不器用」という人物なのです。
                           駅員@ばりばりと 枯葉踏みしめ 何処へでも

2008年11月3日(月)
駅日誌(1062) 「TRICK or TREAT」

恐ろしげな仮面を付けた者に“TRICK or TREAT?(仕打か、饗応か?)”と言われたら、どういう風に応じるべきでしょうか?
この台詞を知っている人は、用意しておいた菓子を与えるかも知れません。即ち、「饗応」の方を選ぶわけです。しかし、この言葉は文脈によっては、「大人しく金を出すか、ここで俺に撃たれて死ぬか?」という恐喝発言にも読めます。今年も、言った側は前者の解釈、聞いた側は後者の解釈をした悲劇が起きました。米国で12歳の子供がハロウィンの仮装をして民家の戸口に立ち、「TRICK or TREAT?」と発した所、家主に銃で撃ち殺されたのです。撃った側は「強盗だと思った」と言っています。
さて、この事件をどう解釈するか?
 一番直情的で愚かな解釈は、「確かめもせずに子供を撃った家主は凶悪だ!」です。
実はこの家主は過去に強盗に入られた経験があるのです。その時の恐怖が脳裏にあれば、迂闊にドアを開けて迎え入れるのが躊躇われるのも分かります。
しかし、「ハロウィンという行事くらい米国人なら知っているだろ!」って? ハロウィンを装った強盗なんて誰でもすぐに思い付きそうです。恐らく、過去に何件も起きているのではなかろうか。「相手は子供ではないか!」って? ローティーンは一番凶悪な年頃だとも言えますし、人種の坩堝米国では、見た目では年齢がよく分からない人がゴマンと居ます。
……と、こう書いていると、「駅員、貴様は殺人者の肩を持つのか?」と怒られるかも知れませんが、そういうわけではないのです。撃った側も、「強盗かも知れないから撃った」では早計過ぎます。警告を発して追い払えば良かったのだと思います。ドア越しに撃たれるリスクなら、バーベキューの鉄板か何かを盾にすれば良いと思います。

で、こういう事件が起きると毎度毎度話題になるのが、「銃社会が悪い」というものです。これは言えてます。日本でも街を歩いていると、阿呆そうな奴が沢山うろついているわけですが、その辺の阿呆が銃を持てる社会になったら非常に恐ろしいです。例えば、「秋葉原キチガイ暴れ事件」では、犯人はナイフを持っていたわけですが、これが銃だったら死者はもっと増えていたでしょう。ましてや、日本よりも輪をかけて阿呆が多そうな米国で銃が許されていれば、凶悪犯罪が多いのは当り前だと言えます。
人間に科す罰において最悪の物が死刑である以上、自暴自棄になった者には、刑法は抑止力たり得ません。死刑よりも、「生き恥晒しの刑」を強化した方がまだ効き目がありそうです。「銃規制」も尤もですが、人間は一度手にしてしまった利器はそうそう簡単には手放せませんから難しいでしょう。それよりも、抑止力たり得る刑の創造が良いでしょう(死よりも辛い罰は、人権侵害まっしぐらになりそうですが)。

さて、今回のようなハロウィン絡みの事件を防ぐには、どうすべきか? 表札システムなんかどうでしょうか?
ハロウィンの時期には、各戸が表に「ハロウィン歓迎」または「ハロウィン御断り」といった表札を出しておくというシステムです。
また、「歓迎」「御断り」の意思表示をしなければ、自動的に「御断り」になるようにしておけば、今回のような悲劇は防げると思います。歓迎する人は、わざわざ菓子を用意するくらいなので、表札を出すくらいの負担は何でもないと思います。更に、このシステムを使えば、「面倒臭いけど近所付き合いで嫌々ハロウィンをやっている」なんて人も、「本当はやりたかったんだけど、表札を出すのをうっかり忘れていたよ……」の一言で逃げる事が出来るます。
                                  駅員@新落語 怪談南瓜 燈籠か

2008年11月2日(日)
駅日誌(1061) 「無駄足買物」

こんな考え方をしていると、損をする事が多いのは言うまでもありません。物事にはタイミングというもの、支度というものがあります。ところが、それを分かっていて、私は「欲しい時が買う時」みたいな性格のようです。ただ、上手い事嵌まれば、実はうにうにしているよりもスパッと買っちゃった方が得です。その代わり選択ミスをした時に後悔というリスクがあるだけです。

さて、最近欲しくなっている物があるので、今日は思い切ってそれを買いに出掛けました。前述の車のような大きな買物ではないのですが、よく調べて出掛ければ良かった……こう書くと、何か後悔するような物でも買ったのか? と思われそうですが、その逆です。手に入らなかったのです。手に入らないと益々欲しくなります。
午前中から出掛け、その欲しい物がありそうな街(その分野の専門店で有名な街があります)をウロウロし物色。店員に訊いても無し。
そうかー、もっと大規模な専門店でないと置いていないのかも知れないと思い、銀座へ移動。銀座にある何階層もある店に行ってみました。だがしかし、こちらにも無い。うむー、目論みが大きく外れてしまいました。
「そんなレアな物ならば、ネット通販で探しては?」との声が聞こえそうですが、今回欲しい物は、現物を見て触って検討したかったのです。
無駄足に終わった帰りにゲームソフト屋に寄って、任天堂DSの中古ソフトを購入し、夕方からはゴロゴロしてゲームをして過ごしました。欲しかった物が手に入っていれば、ゲームなんかしている場合ではなかったのですが……トホホ。もっと確実に置いてそうな店を調べてから動いた方が良さそうです。
                             駅員@風冷たく 日捲り明日は 文化の日

2008年11月1日(土)
駅日誌(1060) 「Free from Emotion」

青山に、金沢工業大学主催の「ルネッサンスジェネレーション'08」を聴きに行きました。「ルネッサンスジェネレーション」とは、毎年この時期に開催される、大学教授らの講演会です。こう書くと拒絶反応を示す人も多そうですが、カタいものではなくて知的エンターテインメントといった趣のものです。今年で第12回だそうで、私は第10回から行くようになりました。コーディネーターは、ヴィジュアルコミュニケーションアーティストのタナカノリユキ氏と、カリフォルニア工科大教授で脳機能研究者である下條信輔氏です(肩書きが長い……これでも二人ともある程度肩書きを絞っています)。
今回のテーマは「決断なき自由―情動の時代」で、「人類は歴史の中で自由を獲得してきたというが、果たしてそれは本当に自由なのか?」といった内容のもので、ゲストとしてそれぞれの専門領域からテーマに添って語ったのが、国際ジャーナリストの田中宇氏、京大院社会学教授の大澤真幸氏でした。
毎回、専門用語が沢山出てきて一見小難しいのですが、それでもなるべく専門用語を解説しながら話してくれるので、「理解しよう」と心して聴けば、門外漢でも言っている内容は理解出来ます。今回の場合は、上記ゲスト二人とも私が嘗て学んだ法学部の領域に近い部分なので、理解し易かったです。以下、それぞれの内容について掻い摘んで。

田中宇氏「情動戦略のやりすぎの果てに」
話題の中心は国際情勢です。そして、そこには情動戦略があるという論調です。情動戦略、言い換えれば「権力によるソフトだが慢性的なマインドコントロールによる煽動戦略」と言っても良いと思います。この人の面白いところは、「9.11はヤラセだ!」とか「地球温暖化問題は、先進国によるプロパガンダだ!」とか「政治にはインチキが溢れていて、メディアにはタブーが溢れている!」とかなかなか過激な事を言ってくれます。
丁度ホットな話題である「田母神幕僚長事件」(航空自衛隊幕僚長が、懸賞論文に応募。その内容が物議を醸して更迭された事件です)にも触れ、その報道内容は偏っていると断じたりしています。私も報道にちょっと首を傾げていた所なのです。私個人的には、問題は「立場を弁えてやれ」という一点だけだと思っています。論文の内容的には、最優秀賞を受賞するに値する内容だったのだろうと思っています(読んではいないので、何とも言えない部分はありますが)。
報道は、情報を部分的に抜き出すので、事情が歪む場合があります。
「新聞には嘘も書いてある」と言われる所以です。流石に「虚偽を書く」事はそうそうありません(でも皆無ではない)が、「都合の悪い部分は書かない」というのはよく使われる手です。
全面的に支持するのは危ういですが、概ね好きな考え方の人だと思いました。

大澤真幸氏「自由の在り処―自由の牢獄」
社会学的アプローチで、「第三者の審級」という言葉を用いて、自由は個々では在り得ず、他者に認められる事に依存するといった事を説いています。鍵となる「人は自由意志で動いているのか、因果関係で動いているのか」という問いに対し、その論理で解の一つを導き出しています。
尚、演題にある「自由の牢獄」とは、エンデが書いた寓話で、「扉が無数にある部屋に閉じ込められる」という「自由」へのアイロニーを書いているそうです。私はシニカルな寓話が好きなので、エンデの作品を読んでみたくなりました。

これら二人の講演を踏まえて、コーディネーターを含めた4人による討論が最後にあるという構成でした。尚、討論の最後には聴衆の質問コーナーもあり、私も質問しようと思った事があったのですが、時間が押していて出来ませんでした。
質問しようと思ったのが、本日の日誌のタイトル「Free from Emotion」です。「自由と情動」の関係性については一通り聴きました。では、「情動からの自由」を標榜している人はどうなるのか? と。これは詭弁でしょうか? モルモン教徒を始めとした禁欲主義者は、まさに「情動からの自由」を目指しています。返しの一つとして、「『情動から自由になろう』という情動がある」という言葉が予想されますが、そのロジックで行けば堂々巡りです。という事は、「自由」は机上の空論を超える事が出来ない事になるのではないか? ならば、「自由」は矢張り「虚妄」なのではないか? と。これを訊きたかったのですが……残念。
                                駅員@風寒き 霜月来るも 日は暑し
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