2008年12月度目次
 #1089 「大阪原理主義」 大阪の皆様、怒らないで下さい……
 #1090 「恰好悪い車が売れる理由」 私は楽チン第一主義のせいだと思います
 #1091 「罪深き愉しみ」 CD“Guilty Pleasures 3”&DVD“真夏の大感謝祭”。
 #1092 「エコプロダクツ」 環境保護と煙草について。
 #1093 「久々の徹飲」 そして、初めての「一人カラオケ」。
 #1094 「BOKIN or SAGI?」 その募金は果たして本物か?
 #1095 「刑法39条」 天下の悪法だと思います。
 #1096 「解雇解雇解雇のシューリンガン」 人員削減&内定取り消し。
 #1097 「ブルーレイオフ」 SONYの人員削減。
 #1098 「桜島人間」 愚痴日記。
 #1099 「ノロってる?」 ノロウィルスの猛威。
 #1100 「土日の雑感」 思った事を思ったままに。
 #1101 「ルミナる」 出張ついでに最終日の神戸ルミナリエへ。
 #1102 「涙脆さは年を取ったからか」 読書感想文:重松清“みぞれ”。
 #1103 「フライドチキン野郎」 鶏を喰らい、食育を論ず。
 #1104 「これは罪なのか?」 私が司法試験を受けなかった理由。
 #1105 「付き合い下手」 御一人様女性って、実は私と似ているのでは?
 #1106 「M-1グランプリ」 M-1に有利な条件。
 #1107 「だから私は嫌われる」 愚痴日記。
 #1108 「不動産投資」 私には向いていない投資形態です。
 #1109 「名探偵の憂鬱」 小説みたいなタイトルですが、ごく個人的な話題です。
 #1110 「版賀状」 木版年賀状、鋭意製作中。
 #1111 「しあわせの歌」 聴きました。そして、聴かせたい人が頭に浮かびました。

2008年12月26日(金)
駅日誌(1111) 「しあわせの歌」

ベートーヴェンの交響曲第九番。その第四楽章は別名「しあわせの歌」と言います。年末好例の楽曲であるいわゆる「第九」というやつです……いかんいかん! 今日は実は書くべき事が山の様にあるのですが、今晩から帰省致しますので、時間があまりありません。なので、こういったゆっくりとした書き出しをしている場合ではないのです。端折ってコンパクトに書きます。
今日が勤め先の仕事納めでした。そしてその当日夜に、会社の後輩の車に乗っけてもらって帰省です。年賀状がまだ出来ておらず、帰省の支度もまだです。PCにむかっているだけなのですが、気分はてんやわんやで書いています。

さて、そんな「今日」限りで、私の職場を去った人(随分先輩です)が居ます。定年でも転職でもなく、ただ去った人が。その経緯について、ここで詳しくは書きませんが、その人は私から見て一言で言うと、「弱いから強がらざるを得なかった人」でした。
注文をを付けたい所は山程ある人ですが、私は嫌いではありません。そんな彼に最後の注文を。直接的には言えませんが、「最後まで親不孝だけはするなよ」と。この場で申し上げる事とします。


その一方で、後輩から「自分は兄弟と子供の頃からかなり荒っぽい喧嘩をして育った。それでも仲は凄く良い」といったような話を聞きました。なるほど、この人の人生には、荒っぽい喧嘩になりそうな事情も、それでも非常に仲が良いであろう事情もあります。こちらは、私から見て一言で言うと、「生き抜くために強くならならざるを得なかった人」です。逞しい奴です。

冒頭に書いた「第九」。知人が、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団付属の東京シティ・フィルコーワで歌うというので、チケットを買って聴きに行きました。本来は、本日の日誌では、第九全体の感想を書き連ねたかった所ですが、時間も限られているので、またしても一言で。「弱いから強がらざるを得なかった人」、「生き抜くために強くならざるを得なかった人」、そんな彼等にこそ、今日聴いた「しあわせの歌」を聞かせたかった。彼等に幸多き事を。

それでは、当駅日誌更新もこれでしばしの休みに入ります。来年もどうか御贔屓に。

                             駅員@寒風の 上野に響く ベートーヴェン

2008年12月26日(金)
駅日誌(1110) 「版賀状」

今年も年賀状は木版画です。来年の丑年図案で現在鋭意製作中です。遅っ! 今年の元旦締め切りは、24日までだぞ!? うーむ、そうなのです。折角作っても、出せるのは明日の夜か明後日……元旦には恐らく届きません。ああ、もっと早く着手しておくべきでした。昨年も同じ様な事態になっていたような気もします。仕事始めまでには届いて欲しい所です。

さて、木版画の年賀状ですが、今回はその製作手順について、書いておこうと思います。もし、自分もやりたいという方がいらっしゃったら、参考にして下さい。
先ず、必要な物を列挙致します。葉書大の板(1色刷りならば1枚、多色刷りならば色数分要ります)、彫刻等(取り敢えず、5本セットが良いと思いますが、私の場合は基本的に切出、角、小丸の3本しか使いません)、半紙、ペン、糊、版画絵の具、ローラー、馬簾です……おっと、肝心の葉書を忘れました。これは普通の年賀葉書で良いです。では、以下の手順を。
(1)半紙に不要な葉書を置き、その周囲をペンでなぞる。これで、画面を作ります。
(2)画面内に図案を描きます。いきなりペンで行くと失敗しますので、鉛筆で書いてからの方が良いでしょう。但し、消しゴムは慎重にかけないと、すぐ破れますので御注意を。
(3)図案が出来上がったら、板に糊を薄くなるべく均等に塗り、図案を描いた半紙の表面が糊にくっつくように貼り付けます。貼った板の上からは裏返しの(鏡像の)図案となりますが、これで良いのです。葉書に刷る時に元の図案になります。
(4)乾くのを待ちます(一日或いは一晩放って置くと良いです)。
(5)「見当」を作ります。葉書大の板は葉書よりも若干大きいので、周囲が余ります。そのどこかの角の内側を彫り、その角を挟む2直線の外側を彫らずに残すのです。ここに出来た角が、葉書を合わせるポイントになるわけです。1色刷りの場合は無くても良いですが、多色刷りの場合は無いとずれます。
(6)図案に合わせて、着色部分が凸に、白く残す部分が凹になるように彫ります。
(7)切出刀で、図案の輪郭を彫り、そこに向かった丸刀で凹部を彫って行きます。また、着色部に白い線を入れたい場合は角刀を使って線状に彫ります。
(8)彫り上がったら、一旦表面の糊と半紙を水で洗い落とし、乾かします。
(9)乾いたら、彫り足りない箇所が見えてきますので、そこを追加で彫ります。
(10)追加彫りのカスを良く払います(再度洗って乾かしても良いです)。
(11)箱状の器に絵の具を入れ、よく伸ばして、ローラーに付けます。私はあまり固過ぎると使い難いので、絵の具を水で薄めています。
(12)ローラーを版の上に塗り、葉書の角を(5)で作った「見当」に合わせて置きます。上に要らない紙を被せて葉書がずれないように気を付けて、馬簾で力を入れてグリグリと擦ります。
(13)多色刷りの場合は、(11)〜(12)を薄い色から順番に行います。
……と、こんな所です。私もあまり調べずにやっているので、間違っている所もあるかも知れませんが、少なくとも私はこれでやっています。
                               駅員@風の音と 削る音のみ 静けさや

2008年12月24日(水)
駅日誌(1109) 「名探偵の憂鬱」

恐らく、今日書かれたWEB上の日記の中で、トップクラスに暗い日記だと思います。ん? いや、待てよ? 他にやるべき事もなく、こんな物を書いている人はどの人も似たり寄ったりだったりして。
タイトルは何やら推理小説のようですが、実は内容はハッキリ言って面白くないです。私の個人的な苦悩について書いているだけなので、「何だ、興味ねえや」という人は今日はスルーして下さい。
さて、タイトルの意味ですが、「名探偵は実は精神的に非常に辛いものなのだろうなあ」と今日思ったので、その事についてです。名探偵は、その鋭い観察眼とそれを組み合わせる推理力で、読者を楽しませるヒーローです。しかし、「この推理が外れていて欲しい」と思いながら、推理を披露しなければならない事も多いと思います。大概の推理小説で、ただただ憎いだけの犯人はいません。殆どが哀しい人物だったりします。寧ろ、被害者が実は悪人で、犯人は良い奴だったというケースも多いです。それでも、推理してしまう名探偵は実はしんどい仕事なんだろうな……と。

自慢にはなりませんが、私も若かりし頃に、名探偵コナンや金田一少年が犯人を特定するよりも早く犯人を当てた事が何度もあります(外した事も勿論ありますがね)。そういった事もあり、想像力の大切さをよく訴えています。しかし、それは本当に良い事なのか? と苦悩しているのです。この苦悩こそが、本日の本題です。
最近、腑に落ちない事(先日の日誌に「何だってんだ!」と書いたのもその内の一つです)が色々とあってもやもやしていたのですが、そういった色々なもやもやの断片が、一つに繋がったのです。今月の中旬にとある光景を目にし、その時に「もしや?」と思ったのですが、その時は「まさか」とすぐに片付けてしまいました。しかし、暫く放って置いて、今だにその数々の腑に落ちない事が消えない状況を見るにつけ、その様々な事象がその「もしや?」を軸にすると、驚く程綺麗に説明が出来てしまう事に気付いたのです。たまたま私の脳内でそう組み立ててしまっただけで、それが事実なのかどうかは確かめていないので分かりません。しかし、論理的整合性が取れてしまうです。
もしこの推理を披露して、当っていた場合には、私は居たたまれなくなってしまいます。一方、外れていた場合には、激怒され人々から蔑まれると思います。ですが、何としても外れていて欲しい。この苦しみが、前述の名探偵と似ていると思うのです。
その推理の内容は非常にデリケートな問題で、タブーに斬り込んでしまう可能性も高いです。ここでは絶対に書けませんし、尋ねられても答えられません。言いたいには言いたいのですが、当っていても外れていても、取り返しの付かない事になると思うのです。

さて、名探偵の憂鬱・その2として、真相を究明しても、犯人に殺された被害者は生き返らないというのがあります。今回の私の推理にはその要素もあります。推理が仮に当っていても、非力な私では誰一人救えないのです。
                              駅員@探偵は 聖夜に悩む 魔か天使か

2008年12月23日(火)
駅日誌(1108) 「不動産投資」

先日電話営業があった、とある不動産会社から、二度目のマンション投資の電話営業がありました。今日は年賀状の版画彫りくらいしかやる事がなかったので、まあ追々は不動産も視野に入れるのもありかという感じで、会って話を聞いてみました。ならば、一回目で会ってやれよって? 一度目断り二度目で会うのは、実はリスクヘッジなのです。特定商品取引法第17条を御覧下さい。「再勧誘の禁止」というルールがあります。万が一の時にはこれを盾に、向こうのセールスを脱法行為だと糾弾出来ます。
なるほど、今は不動産は底値に近いとは私も思っています。不動産を見積もる目はまだ身に付けていないので、結論としては断ったわけですがね。私が引っ掛かったのは、その話にはディベロッパー側に美味しい所が少ないという点です。それなのに、早く決断をさせようとするのが臭いと思ったのです。利幅が薄そうなのに、力を入れて来る理由が見えなかったのです。給料を貰って仕事としてやっている以上、何らの美味しさが無いと話になりません。それを見付けられなかった以上、私が気付かないような美味しさが隠されているというわけです。隠されているという事は、私に言うとまずい美味しさである事は想像に難くありません。
そういうわけで、何となく食指が動かなかったので断って、帰ってその会社のIRを調べてみると、焦って売りたがった事情が分かりました。今期の業績予想、当初黒字予想だったのが赤字転落だったのです。阿呆のアメリカ人のサブプライムローン崩壊のせいで、不動産業は軒並みダメージを負っていそうなので、業績悪化はこの会社に限った話ではなさそうがね。
不動産は現物資産なので、なるほど、下落してもゼロにはなりません。しかし、それは土地の話。上の箱は当然経年劣化します。また、マンションは一つの土地に階層があって、不動産とは言っても、「土地」を持てるわけではないのです。もしも、ある日爆弾が落ちてその箱が瓦礫になった場合、土地の所有権はありません。最悪土地があれば、箱が無くなっても立て直しは可能だと思いますが、土地が無ければ、実質動産と変わらない気がします。「不動産は有限だから価値がある」というのは、上に建っているものがもし全部平屋だったらの話なのです。箱を上に伸ばせば、いくらでも供給過剰が発生し得るのです。

色々御託を並べましたが、私が最も食指が動かなかった理由は、機動力の低さです。「不動」産というだけあって、セッカチな私には向いていない投資形態なのです。私の好みの問題ですが、投資はなるべく「思い立ったが吉日・即日売買」が理想なのです。こういう事を考える機会が得られたという意味では、話を聞いたのは無駄ではなかったと思います。

                                    駅員@冬来たり 懐寒く 息白く

2008年12月23日(火)
駅日誌(1107) 「だから私は嫌われる」

私はよく上司に歯向かってしまう人間なのですが、今日もちょっと腹が立った事があったので、噛み付いたのです。
職場の私の席の隣に、体と心を壊しがちな先輩(以下「○○さん」とします)が居ます。その人は、もう私より随分年上なのですが、眠気に耐えられず昼下りなんかに船を漕いでしまう事もあり、今日もそうだったのです。流石に私の口から「寝るな!」と言うには、ちょっと心苦しく思っていた所に、上司がその人の背後を通りました。それなのに、何も言わなかったのです。おい、貴方が叱らなければ、誰が叱ると言うのだ? と思って、苛々していた所、そう言えば○○さんは今日はいつもと違う煙草を吸っていた事を思い出し、「○○さん! 煙草吸いに行きましょうよ。今日はいつもと違う煙草でしょ? 1本下さいよ」と言って、何とか起こす事が出来ました。
しかし、本来ならば、それは私のやる事ではありません。上司の仕事です。そして、夜になり、部内にその上司と私だけが残っている状態になったので、一発言ってやりました。「昼間、○○さんが眠っていたのに、見て見ぬ振りをしたでしょう?」と。すると、その上司曰く「え? 寝てた? 気付かなかったよ。寝てる時は言って良いぞ」と。とぼけるな。私はその時の上司の顔を直接見ては居ませんが、気付いていた気配は感じています。「逃げるのか、卑怯者」と思いました。

そんなこんなで、私は以前よりもその上司に食って掛かる事が多くなっています。食って掛かり出したキッカケは、私の先輩二人を会社に来たくなくなるくらいまで追い込んだり、別の先輩が心を病むと迷惑にもアポ無しで押し掛けたりしたのを見てからです。そりゃあ、追い込まれてしまう人も、心の病を抱えてしまう人も、彼・彼女等自身に一切問題が無いとは言いません。だとしても、それはあくまで上司の責任です。上司として私より給料を貰うのはそういった責任を負う事への慰労費だと思っています。だから、私はそれに反感を覚える以上、いつでも猛獣になります。

ところが、最近猛獣になりにくい事態が起きています。私がその上司に噛み付くと、何故かその上司のすぐ下の人の機嫌が悪くなるのです。これが非常にやりにくい。その人には私は別段文句は無いのですが、強いて言えば、その事が気に食わないのです。一体何だってんだ! と。
この人たちは、明らかに勘違いをしています。ポストを与えられた以上、権限があれば責務もあって然るべきなのに、その事が分かっていないのです。そんな事も分からないならば、そのポストの責務を果たせないならば、そのポストを断れよと思うのです。
                              駅員@寒波吐き だから私は 嫌われる

2008年12月21日(日)
駅日誌(1106) 「M-1グランプリ」

サッカークラブワールドカップの決勝戦と、M-1グランプリが重なっていたのですが、迷ってM-1を観ました。我が家のオンボロブラウン管テレビはテレビデオなのですが、ある時からビデオデッキが死んでしまい、録画は出来ません。再生機能のみのDVDプレーヤーを外付けしています。なので、観たい番組が重なった場合はいずれか一つしか観られないのです。とは言え、最近はテレビをあまり観なくなりましたので、普段は困らないため、別に良いかといったところです。

M-1を観ようと思ったのは、私の好きな芸人である「笑い飯」がこの常連だからです。笑い飯を初めて観たのも、随分前のM-1だった気がします。ボケの一つ一つは下らないのですが、テンポと畳みかけで笑わせてくれます。だがしかし! 惜しくも4位敗退。昨年もそこらへんだった気がします……うむー、残念。
M-1は、構造的に「初見で面白い奴が有利」という面があります。というのも、そこそこテレビに露出しているコンビは、鉄板ネタを持っていても、それは「既に観た事があるネタ」なので使い難いのです。しかし、初見が有利とは言え強豪揃いですから、芸の熟練度は求められます。それを踏まえて、ここにM-1に最も有利な条件を言ってみようと思います。漫才師及び志望者は必見! 即ち、「メディア露出は少ないが、メディア以外の場で高い支持を持つコンビ」です。
今回の決勝進出三組を見てみましょう。ナイツは浅草の寄席で鍛えて来ましたし、優勝したノンスタイルはストリートで鍛えて来ています。即ち、テレビにはあまり出ず、それ以外で経験を積めば良いのです! いや、待てよ? 彼等がわざわざM-1に応募するのは、売れたいからなので、何だか矛盾する方針になってしまいます。
ただ、私が声高に宣言したこの「有利な条件」ですが、実はあんまり参考にならないかも知れません。何故なら、冒頭で申し上げた通り、私は最近テレビをあんまり観ないからです。だから、結構メディア露出しているコンビでも、私の目には新鮮に映ってしまいます。さて、この後はダイハードでも観ながら、年賀状用の版画でも彫るか……あんまり観ないと言った割にはテレビが点けっ放しではないか! それでも実際、平日は夜のニュースくらいしか観ないのですよ。
                             駅員@暮れ迫り 板に刃を立て 賀状彫る

2008年12月20日(土)
駅日誌(1105) 「付き合い下手」

私はどうも恋愛が苦手な人間なようです。その理由は自分でも大体見当は付いているつもりなのですが……え? 「直せば良い。単純な話だ」って? まあ、聞いて下さい。

苦手な理由1:セッカチ。私はセッカチな人間なので、歩くのも速い方だし、食べるもの早い方です。別段急いでなくても、ちょっと油断するとすぐに高速行動を取ってしまいます。流石に「早く歩けよ!」とか「早く食えよ!」とまでは言いませんが、そう思っているのが透けて見えて、相手が気忙しくなってしまう事もあろうかと思います。
また、女性と付き合っても「だから、どうしたいの?」「じゃあ、こうしたら良いじゃないか」と結論を急ぐ傾向がありますので、それも圧迫感を与えていそうです。

苦手な理由2:生来の兄貴肌なのかおっさん臭いのか、いつの間にか「兄と妹」のような、更には「父と娘」のようなやりとりになってしまいます。また、割と何でも小器用にこなせる上、単独行動が好きなので、相手に「私なんか居ても居なくても同じじゃないの!」と思われてしまう節があります。そんな事はないと言っても、そう思われてしまっては手におえません。
だったら、「姉さん女房が丁度良いではないか」と言われる事もありますが、年上(と言ってもほぼ同年代です)の人に「小僧のくせに……!!」と泣かれた事まであるという始末なのです……

苦手な理由3:特別扱いが嫌い。平等主義者と言えば聞こえは良いですが、要は恋人を特別扱いするのが苦手です。多くの人は恋人である以上、相手からは自分が特別扱いされるのが当然だと思うものなのですが、私はその線引きの感覚がずれていて、「恋人は好き同士でもあくまで他人、家族になったら特別扱い」という感覚なのだと思います。未婚なので、後半は憶測で言っていますが。

……と、こんなような理由です。おいそれと直せる事、或いは直すべき事ではない事なのではなかろうかと思います。また、仮にこれを覆い隠すように、理由1対策にわざとのんびり振る舞ったり、理由2対策にわざと弱々しく振る舞ったり、理由3対策にわざと特別扱いをしたりしても、それを上手に演じる自信がありませんし、上手く演じ切っても、それでは私自身が偽者になってしまいます。
もしかしたら、昨今多い、いわゆる「御一人様女性」って、私と非常に似ているのかも知れません。
                               駅員@夕暮れに 伸びる人影 唯一つ

2008年12月19日(金)
駅日誌(1104) 「これは罪なのか?」

会社からリストラされ、それでもやり残した仕事が気になり、元勤務先のサーバーに不正アクセスした二人の男が、不正アクセス禁止法違反容疑で逮捕されました。「前職の仕事が気になったから」これが本当なのか、そして、二人は共謀してやったのかどうか、この辺りが裁判では審理される事でしょう。
これが仮に動機が本当だった場合、この二人は本当に罪人だろうか? と思います。理由はどうあれ、刑法上は罪でしょう。それでも、人として罪かどうか? そうなると、私は罪だとは思えません。法治国家で、こういう考え方をしていてはいけないのかも知れませんが、法律には慣習法というものがあります。即ち、何ぼ現代の法律がどうであれ、「古来こういうものだ」という物事は例外的に免責される事があります。この二人の不正アクセスの意図が本当に不正目的ではなかった場合、彼等は救われるべきだと思います。自らを切った組織を恨むのではなく、やり残した事が気になるという、不器用だが真っ直ぐな野郎どもだと思います。

さて、私は法学部出身なのですが、司法試験は一度も受けていません。と言うのも、平均合格年齢が26歳(平たく言えば、平均4浪)という難しい試験なので諦めたというのが最大の理由ではあるのですが、それに次ぐ理由が、上記に書いた事とも関係しています。即ち、私の理想とする正義・倫理観と現代の法律の考え方が相容れない部分があるからです。もし仮に、運良く合格出来たとしても、きっと自らの倫理と判例・学説の狭間で苦悩してしまう事だろうと思ったのです。
よく書いている事ですが、私は刑法は応報刑論派で「罪には罰あり」だと思っていますし、国家が私人に代わって仇討ちをしてくれないのであれば、現在禁止されている仇討ちを認めるべきだ、と思っています。また、もし弁護士になって、依頼人の心根が腐っていた場合、本当に仕事だからとその依頼人の弁護に真剣に取り組めるか? 私には自身がありませんでした。そして、それは今でも変わりません。
うむむむ、私は厳しい人間なのかアマチャンなのか、よく分からない人間ですね。まあ、ただの独善的な人間なのでしょう。今日も、後輩の身の上話の中で、その父上に反感を覚えたため、「何だと!? 俺が怒りに行ったる!」と言った所、かえって迷惑そうにしていました。その後輩はそれを受け止めて生きているのに、俺は本当に独り善がりだなあ……
                             駅員@寒い日に 一人で熱い はみ出し者

2008年12月18日(木)
駅日誌(1103) 「フライドチキン野郎」

たまにケンタッキーフライドチキンが食べたくなります。というわけで、今日は帰りに食べて帰りました。
それにしても、12月は鶏にとって受難の季節です。ケンタッキーが売上を伸ばすという事は、それだけの鶏が死んでいるわけです。しかしながら、私は動物愛護狂のように、「鶏が可哀想だ!」と怒るつもりは毛頭ありません。寧ろ、なるべく隅々まで食べ、骨の周りの軟骨までコリコリと齧ります。
この鶏は人間に食べられるために殺され、揚げられているわけです。ならばせめてその命を頂いているという事を念頭に置いて食べるべきだと私は思っています。
特にフライドチキンは、部位毎に切ってあるとは言え、非常に「鶏を喰らっている」という気にさせてくれる食べ物です。生きていた物を食べて自らの肉体に取り込んでいるという感覚がリアルに味わえます。
昔は、庭で飼っていた生きた鶏を絞めて、首を切り逆さ吊りにして血を抜いてからその肉を食べる事もあったそうで、子供の頃にそれを見た人の中には鶏が食べられないという人が居ますが、私ならば恐らく「新鮮で旨い!」と喜んで食べると思います。なるほど、鶏が食べられなくなるというのは、心が繊細な証だとは思います。しかし、数多の動植物をエネルギーに替えて生きて行かざるを得ない人間にとって、それは受け入れねばならない業なのだと私は思います。なので、よく「頂きます」は「命を頂きます」なのだと言う人が居ますが、私はそれに大いに頷きます。
おっと、「駅員はガサツな野郎だなあ」という誹りを受けそうなので、ここで私の繊細エピソードを一つ。
高校生の頃に祖父が他界しました。火葬場で祖父の遺体を焼き、箸で骨を骨壷に入れてから、親戚一堂の食事となりました。仕出の御膳が皆の前に並べられました。年配の方々は、酒を飲みながら近況などを話しています。私はその時の食事が全然喉を通りませんでした。それどころか、無理に飲み下そうとすると吐き気までしました。そして思ったものです。「こいつらは、今死者を送って、しかもその骨を箸で摘んだ後なのに、よく談笑しながら食事なんか出来たもんだ!」と。
しかし、そんな私も、今では葬儀に出席して骨を箸で摘んでも、その後普通に飲み食い出来ます。これは私の心がスレてしまったのか、それとも心が逞しくなったのか……いずれなのかは判然としませんが。


フライドチキンから、「食」と「死」の関係に話を膨らませてしまいましたが、関係者の方がこれを読んだらどう思うのでしょう? もしかしたら、「気持ち悪い事を書きやがって!」と思われるかも知れません。しかし、私は「命を頂いている」という実感を持つ事は食育の一つだと思っています。決して悪気は無く、それを学ぶ機会を提供しているケンタッキーを立派だと思っており、悪気は一切ありませんので、悪しからず。
それよりも! 最近値上げされたのでしょうか? 特盛チキンセット+飲み物で1,000円近くしました。以前は800円台だった気がするのですが……
                                 駅員@師走来て 顔色伺う 籠の鶏

2008年12月17日(水)
駅日誌(1102) 「涙脆さは年を取ったからか」

年々涙脆くなっています。先月観た映画「私は貝になりたい」も、映画館で泣いてしまいましたし、最近任天堂DSでやっていたファイナルファンタジー4でも、イベントシーンで目をうるうるさせたりしています。
FF4では、特にパロム・ポロムという双子が自ら石化して危機を防ぐシーンと、賢者テラがゴルベーザに挑みかかるシーンが泣けます。この二つは繋がっていて、前者でテラが「死ぬのはこの老いぼれで良かったのに……」と悔んでおり、娘の敵討ちに命懸けでゴルベーザに挑みかかるシーンに効いて来ます。まあ、ストーリー及びゲーム性の御都合主義で人が死に過ぎだろう……という感はしますが、それでも声入りでのイベントシーンは目がうるうるです。このゲームは、元々はスーパーファミコンのゲームで、私がまだ少年だった頃にやったゲームです。この目のうるうるには、もしかしたら昔を懐かしむ郷愁みたいなものもあるのかも知れません。

さて、先日の出張の行きの新幹線で文庫本を読んでいたのですが、これがまた非常に泣ける本で、危うく車内でぽろぽろと涙を流しそうになりました。その本は、重松清の「みぞれ」という短編集です。著者の顔は、何だか「ただのギャンブル好きのおっさん」みたいな感じなのですが、作者と作品は関係ありません。この作家の作品では、他に「ナイフ」という短編集が好きです。こちらは虐めをテーマにした重い内容なのですが、御子様を御持ちの方には、是非読んで貰いたい本です。この作家は、私の中では長編よりも短編で冴えを見せる作家だと思っています。
というわけで、今日の日誌の本題は、「みぞれ」の読書感想文です。先ずは、先日の駅日誌(1100)に書いた「雑感」の一つの種明かしを。「『電光セッカチ』まるで俺の事を書いているみたいではないか!」の種明かしです。これは、実はこの本の中にある1編のタイトルなのです。超セッカチな旦那を持つ奥様の視点による作品で、セッカチが過ぎる旦那が嫌いになってきたという話です。私はまだ独身ですが、これは身につまされました。私も非常にセッカチなので、大いに反省しないとなあ、と。
この本には、20ページ前後の短編が11編収められており、そのどれもが哀しいが温かい話です。特に私が心打たれたのが、「石の女」〜「望郷波止場」までの4編で、これが新幹線の中で泣きそうになったピークでした。それぞれのショートストーリーが、色々な人の色々な人生を切り取ったような話なのですが、設定がバラバラで、恐らく世の中の多くの人が、この中のどれかに我が身を重ねて読めると思います。私の場合は、「電光セッカチ」だったわけですが。
                              駅員@言い訳は 煙草の煙 目に染みた

2008年12月16日(火)
駅日誌(1101) 「ルミナる」

月・火と出張で西の方に向かいました。月曜は単独行動だったので、私の縁の地の一つである神戸に泊る事にしました。神戸と言えば、ルミナリエ。本日のタイトルは、「ルミナリエを観に行く」というのを、無理やり動詞化したものです。ルミナリエとは、阪神淡路大震災の鎮魂の灯火としてスタートした、電球による冬のイルミネーションです。嘗てはクリスマスまでやっていましたが、混み過ぎる事から、クリスマス前までとなりました。今年は昨日15日までだったので、ベストタイミングです。

出張が決まった時に、大阪在住の友人に連絡しておき、待ち合わせて行く事にしました。流石に月曜日だからか、三宮の夜は存外空いていました。私が住んでいた頃は月曜日でももっと人が居た気がしますが、矢張り不景気の影響もあるのでしょうか……
一旦ホテルにチェックインした後、阪急三宮駅東口付近の小さな広場、通称「おっぱい公園」で待ち合わせです。そこは小型のブロックを石畳のように敷き詰めた広場なのですが、そのブロックの密集体がところどころ滑らかに盛り上がっていて、それを指して「おっぱい」と言うのだと思います(この通称、どれくらい通用する言葉なのかが良く分からないのですが、当時地元在住の女の子に教えて貰ったので、ある程度通用するのではないか、と思って使っています)。
友人と食事をしてから、三宮を南下します。ルミナリエ会場に近付くにつれて、警官隊が通行止め用に柵を並べているのが見えて来ました。そして、神戸大丸の脇を回ると、煌びやかな光の回廊が見えてきます。ルミナリエは毎年デザインが変わりますので、近場に住む人の中には毎年観に来ている人も居るのではないかと思います。しかし、混んでは居るものの、以前よりも客は少ない気がします。
中程まで行くと、通路の両サイドに何やら白いベンチコートを着た人がちらほら。来年も続けるための「100円募金」だそうです。という事は、財政的には余り楽観視は出来ない模様。私も募金したのですが、やがて、そのベンチコートの一人に呼び止められました。「あん? 俺はもう募金したぞ!」と思って振り向くと、大学の同期でした。募金活動のボランティアに参加していたのです。勿論私の目的はルミナリエそのものなのですが、久々に元気そうな顔を見られただけでも来た甲斐があったと思いました。
美しいイルミネーションの下での何やら美しげな話なのですが、この大阪在住者も、このボランティアも、二人とも男です。残念ながら色気は一切無し!
  

                              駅員@亡き人の 御魂光るか ルミナリエ

2008年12月14日(日)
駅日誌(1100) 「土日の雑感」

この土日に色々と思った事を、思った事のみの切れっ端で書き並べようと思います。何の事を書いているのかは、殆ど分からないと思います。尚、書いている事は時系列ではありません。

○洗っても取れないくせに、何でこいつは拭いたらそこに付くんだよ!?
○おいおい、プリウスそっくりじゃないか……
○9だと? 一体どんだけ力無いんだよ? そのくせ、態度ばかりでかいなあ。
○ノロウィルスに感染したのは、生焼けの貝でも食ったからじゃないか? 週末はよく海に行くそうだし。
○寒っ!
○暑っ!
○悲劇のヒロインを気取るつもりかも知れないが、残念ながらそれはお前のせいではないぞ。
○ギュウギュウ詰めだ!
○ブレーキパカパカ踏みやがって、この下手糞!
○だから甘いと言うのだ!
○「電光セッカチ」……まるで俺の事を書いているかのようではないか。
○あの子、可愛いではないか。
○何故横に広がって俺の通り道を塞ぐ!?
○バナナ1本!? わいは猿か! プロゴルファー猿か!

と、こんな所です。それぞれの答えは書きません。私駅員が、一体どういう目に遭ってこのように思ったのかは、御想像に御任せします。以前当日誌に書いた通り、想像力は大きな力です。それを養う一助になれば、と思います。
                              駅員@昇華した 思考が降って 冬の雨

2008年12月12日(金)
駅日誌(1099) 「ノロってる?」

流行のノロ! 君はもうノロってる? まだなのかい? 流行に乗り遅れてるよ! とか言いながら、おいらもまだなんだけどね! ……うざったいノリで書き始めて申し訳ありません。感染・発症した人から御叱りを受けそうです。
今冬もノロウィルスが流行っているようですね。内臓にダメージを与えるウィルスで、発症すると、嘔吐・下痢の症状があるそうです。
私の職場でも感染して休んでいる人が出て来ています。うむー……休み始める二日前くらいにその人と一緒に食事をしたのですが、私は大丈夫だろうか? 人によって感染しても発症する人としない人が居るそうです。抵抗力が弱っている人は発症し易いようです。私は何とかは風邪をひかないからか、風邪もあんまりひきませんから、大丈夫かな?
しかし厄介なのは、発症していないだけで感染しているというケース。私がもしもそのケースだった場合、私はぴんぴんしているのに、他の人に感染し、その人がダウンしてしまうなんて事もあり得ない話ではありません。寧ろ、自分が発症してダウンするよりも凹みそうです。
さて、前述の発症した人ですが、その感染経路として考えられるものが一つあります。その人はペットを飼っているのです。ペットが感染し、そのペットは発症しないが、ペットに触ったり下の世話をしている飼主に感染するというリスクはありそうです。いや、これはキチンと調べた事ではないので憶測なのですが、十分にあり得るのではないかと思います。一方では、新型インフルエンザの脅威も迫っています。

ちょっと危ない事を書きますが、私は世の中に新種のウィルスが現れるのは、もしかしたら神が人口を減らしたくてやっているのではないか? と思う事があります。人間って、地球にとってはあんまり好ましい存在ではないのかも知れません。他の生物を殺し、空を汚して、海を濁して、土を腐らせて、木を切り倒して、油を搾り取って……
明日まで、東京有明方面の東京国際展示場で「エコプロダクツ」という展示会が開催されています。入場無料ですので、ほんのちょっとでも何か思う所があれば、行って損は無いと思います。

                                駅員@そう言えば 近年見ない 蝸牛

2008年12月11日(木)
駅日誌(1098) 「桜島人間」

私は鹿児島県には行きたいと思いつつも行った事がなく、桜島も生で見た事は一度もありません。
にも関わらず、自らを桜島に譬えてみている、と。即ち、しょっちゅう小噴火を続けているというわけです。怪物くんです。たーちまちおつむがだいふーんかー♪ です。
小出しにキレる人間でして、何ともしょーもない事で苛々したりします。でも、これは私の一種の健康の秘訣だと思っています。溜めに溜めてしまうと、その負荷がある日大噴火を起こすか、その負荷に押しつぶされるかしてしまい、危ないのだと思っています。
溜めに溜めて、ある日富士山のように大噴火を起こしてしまったり、一気に山が崩落してしまったりするよりも、しょっちゅう煙と灰程度の噴火をするが、大噴火は無いという方が安心! といった理屈なのですが……
しかし、この理屈も独り善がりなものではあります。私は前述の通り、桜島の近くには行った事がないのですが、近くに住んでいる人にとっては洗濯物を干しておくと黒くなるだの、車に灰色の薄い層が出来るだのといった被害があります。なので、小出しにキレる度に、その標的になった人を傷付けているのだとは思います。

さて、私のキレる内容は、大抵私が何らかの目的を持って動いている時に、その邪魔だと感じる存在があった時です。私は「セッカチ」&「曲がった事が大嫌い」という性格だからなのだと思います。
例えば、最近よく「職場の上司への突き上げが厳しくなっている」と指摘されるのですが、それは「極力合理的に業務を遂行しようとしたら、上司が阻害要因になる」と感じたから、という理由があります。これは、私のスキルアップによるのかも知れませんし、単に私の増長慢によるのカも知れません。
私が日頃思っているのは、「会社って、営利組織でしょ?」という事です。最小入力で最大出力が出せればそれに越した事はなく、営利を最大化するためには法と商売倫理に反する事以外は何をしても良い筈だと思っています。場合によっては「上司に噛み付いた方が組織の目的に合致した行動が取れる」というケースもあり、その場合はやっちゃっても良いと思っています。しかし、一般的な社会人はそうではないので、どうも私は浮いてしまうようです。ああ、早く俺に権限と金をくれないかなあ……その代わり責任も被せて良いから。
                                駅員@降り落ちる 雪か灰かの 桜島

2008年12月10日(水)
駅日誌(1097) 「ブルーレイオフ」

このタイトルは、切る所は「ブルーレイ・オフ」ではなく、「ブルー・レイオフ」です。ブルーレイ愛好家のオフ会ではなく、憂鬱な解雇なのです。
あの天下のSONYが、世界で16,000人の人員削減を発表しました。世界でだいたい10万人くらい従業員が居るそうですから、10人に1人がクビなのです。ストリンガーの野郎、バッサリと行きやがるな! 貴様の経営責任はどこに行った!? そも、ソニー経営陣があんな風に外国人に頼ろうというのが情けないですよね。見せろよ、ジャパンパワーを! と思います。このままでは、矢沢永吉のCMが「ソニーのブラビアとブルーレイ!」 ではなく、「ソニーのリストラとブルー・レイオフ!」になってしまいます。
そりゃあ営利企業ですから、企業の存続の為には人を切らねばならないというのは分かります。分かりますが、これだけの規模はあんまりだろう、と思います。米国のフォード創業の志を思い浮かべて下さい。ヘンリー・フォードは、自社の工場労働者が自社のT型フォードを買えるように給料を他の製造業よりも高くしたのです。それの逆をすれば、不買運動が起きて貧すれば鈍すになってしまわないかと心配です。
しかし、腐っても天下のSONY。恐らく解雇になった人の中から優秀な人材は、アジアの電機会社に引っこ抜かれるのだと思います。ストリンガーは日本人ではないので、日本の物作りを守ろうとかなんて全然興味が無いのでしょうね。盛田さんが草葉の陰で泣くぞ! と思います。
                                駅員@名門は 冬時代こそ 熱くあれ

2008年12月9日(火)
駅日誌(1096) 「解雇解雇解雇のシューリンガン」

寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、やぶら小路のぶら小路、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーの、ポンポコナの長久命の長助。古典落語「寿限無」に出て来る人名です。因みに、ファミコンのスーパーマリオに「ジュゲム」という敵(雲に乗って上空からトゲゾーを投げてくる)が出て来ますが、あのトゲゾーになる前の玉の名前が「パイポ」だそうです。
それはさて置き、金融危機の煽りを受けて世界中で人員削減の嵐が起きています。金融業は震源地なので当然なのですが、そこから発生した景気悪化を喰らって、様々な業界に波及しています。今日のタイトルは、先程の「寿限無」の「パイポ」を「解雇」と引っ掛けたわけですが、人員削減を喰らった人は笑えないと思います……いや! 関係無い人も笑えないな!
特に影響を受けているのは派遣社員です。そりゃあ、正社員を切るよりはアルバイトや派遣社員って事になるんでしょうね。なので、2009年問題は「解雇された派遣労働者が溢れる」との事。何だか、「2000年問題」以降毎年毎年「200X年問題」が起きている気がします。
既に何万人も従業員を抱えている大企業では人員削減が始まっています。一方で中小企業に限らず、上場企業でも倒産が増加しています。では、そうなるとどうなるか? 治安悪化が考えられます。働きたいのに働けない人々があぶれたらどうなるか? 人が何故働くのかというと、平たく言うと生活する金を手に入れるためです。という事は、それが手に入らなくなると、生きて行けません。生きるためには犯罪に走る者も出て来る事でしょう。一方で世の中には独居老人が増えていますので、被解雇者が独居老人を狙う可能性もあります。社会不安のスパイラルが訪れる恐れがあるのです。
ここで被解雇者の皆様に提言です。「世の中が変われば仕事も変わる」と私は思っています。産業革命以降、世の中は加速度的に機械化が進んでいるわけです。という事は、産業革命時を起点にして人間のやる仕事はどんどん減っていると言える筈です。それなのに、失業者は数%程度で推移しています。これは何故か? 新しい仕事が出て来ているからです。即ち、世の中には、仕事が消滅する一方で仕事が発生しているのです。大丈夫、仕事は絶対にあります。選り好みさえしなければ、の話ですが。
とは言え、私も決して人の事を言える立場にはありません。私だっていつ失職するか分かりませんからね。

さて、解雇の嵐の一方で、一旦内定を出した学生の内定を取り消した会社があります。その不動産会社では、取り消し者一人当たり100万円を支払うそうです。これって、私だったらラッキーです。100万円貰えたら、就職浪人でも良いかなあと思いますよ。不動産業なんて、仕事つまらなさそうだし! 当事者の方はそう思ったら良いと思います。それくらい踏ん張れない会社なんて、寧ろ入らなくて正解ですよ。
                             駅員@木枯らしに 耐えて蓑虫 春を待つ

2008年12月8日(月)
駅日誌(1095) 「刑法39条」

刑法39条……責任能力についての条文です。即ち、「心神喪失者と心神耗弱者は罰しない」、つまり、頭のおかしな奴は人間としての責任能力が無いから、人間として罰する事が出来ないというルールです(故意の酩酊とかポン中は例外で罰せられます)。
ならば問おう、人間に噛みついて怪我をさせた動物は銃殺されるのに、人間に満たないホモサピエンスという動物は何故そうならない? おかしいではないか! と。真っ当に処分されないのであれば、それは野獣を野に放しているようなものです。国民投票で、改正できないだろうか? 法務省に訴えられないだろうか? そんなケダモノに強姦されたり殺されたりする人々やその遺族が報われません。
この制度を支持している人は、「駅員よ、頭のおかしな奴なら、罰しても抑止力になるまい?」と仰ると思いますが、少なくともキチガイを演じる者を抑止出来ますし、何より被害者や遺族の溜飲が下がります。以前から言っている事ですが、人の世は残念ながら因果応報にはなっていません。だからこそ、人の手で因果応報を作るべきだと思います。
同様に、私は少年法も大反対なのです。極悪人はどんな者であれ、罰せられて然るべきだと思っています。

こんな事を思うのも、一昨日に千葉県の東金に棲む鬼畜が逮捕されたニュースを見てです。あの鬼畜はそういった施設に入っていた人だそうなので、あんな事をしておいて無罪放免は確実なのです。何年か精神病院で療養した後、野に放たれる事でしょう。しかし、そうなって次の被害者が出てからでは遅いのです。
こういう腐ったルールを支持している連中は一体何なのだろうか? と思います。彼等は自分の愛する人がそういう被害に遭う可能性を考えていないのでしょうか? それとも、愛する人が被害に遭っても、「ルールだからしょうがない」と思うような冷徹な人間のでしょうか? もしそうならば、そんな奴に人を愛する資格など無いと思います。

おっと、誤解無きよう。何も、罪を犯していない心身喪失者・心神耗弱者を差別しているわけではありません。罪は罪だと思うだけなのです。寧ろ、私は彼等を自分と同じ人間だと認めたいと思っています。その代わり、人間だと認める以上は人間としての責任を果たすべきなのです。無罪放免? 寧ろそれこそ差別だと思いますす。人を人と思わない所業だと思います。
                              駅員@罪は罪 おおジーザスよ 罰は罰

2008年12月7日(日)
駅日誌(1094) 「歳末助け合い?」

今日は午前中に職場の同僚たちとバスケットボールをしたので、その事を書こうかと思っていたのですが、その帰り道にふと見た光景についての事を書きたくなったので、そっちにします。どういう光景を見たかというと、「地震復興のための募金活動」です。駅のそばでやっていました。
私は一時期神戸に住んでいたので、地震の被害がどのような物か想像するのは難しくありません。その頃は阪神淡路大震災から何年も経っており、街並はほぼ復興していたのですが、まだ公園には仮設住宅が建っていましたし、地元の人から地震の時の話を聞いた事もあります。では、そんな私はその募金箱に寸志を入れたか? j答えはNOです。「地震の被害を知っているくせに、何てケチな奴!」と思われるかも知れません。しかし、これには事情があります。
地震が残した爪痕とその復興には金が要るという事も分かっていますが、その一方で、災害にはそれを騙る極悪人が跋扈するものだという事も知っているのです。即ち、募金箱を持って街頭に立っているの人は、小遣い稼ぎの詐欺師かも知れないのです。おっと、私は何も今日見た人々がそうだと言っているわけではありません。本物なのか偽者なのかが不明だと言っているのです。
そもそも、私が兼ねてから募金について疑問に思っているのは、「何であんな効率の悪い金の集め方をしているのだろう?」という事です。もし、本気で金を集める意志があるのならば、日雇いでも何でもやってその日当を回せば、一日で一人頭数千円〜一万円程度の金を集められるのです。一日街頭に立っていて、一体一人頭幾ら集められるのかは分かりませんが、相手にしない人も多いので、恐らく大した額ではないと思います。「いや! ケチなお前と違って心ある人々が沢山払ってくれる!」って? もしそうならば、寧ろ詐欺師の温床になり易いわけです。
そういうわけで、私は募金をしませんでした。もしどうしてもやりたいなら、もっと身元がハッキリした組織を通して払います。道端に立っている知らない人をそこまで信用出来る程、私は大きな人間ではないのです。

さて、先日椎名林檎のライブに行って来たわけですが、それについてのネット上の掲示板に、チケット詐欺に遭ったという書き込みがありました。何でも、見ず知らずの人が「チケットを譲ります」と言い出し、話がついたので金を払い込んだが、チケットが一向に届かず音信不通になってしまったという話です。
これなんかも、まさしく「何故そんな人を信用してしまったのか?」という例です。世の中には信用出来る人間も居るが、全ての人がそうではない事を肝に銘じましょう。
                             駅員@鴨飛べば 見ていた鷺も 後を飛ぶ

2008年12月6日(土)
駅日誌(1093) 「久々の徹飲」

金曜日だった昨日は、久々に朝まで飲んでおりました。社外の仕事上の繋がりのある人々(しかし、利害関係は余り無いので、気楽)との忘年会でした。一軒目、鍋料理。二軒目、串焼き。三軒目、キャバクラ。四軒目、バー……解散したのは朝の4時です。私が幹事的な役回りだったのですが、「二軒目まで行って、後は行きたい人だけで行ってくれ」というつもりだったのですが、半ば拉致されるように三軒目に連れて行かれてしまいました。
スタートは19:00頃と早かったのですが、三軒目を出たのが1:00。もう電車が無いではないか! というわけで、四軒目にも行く事になってしまいました。普段、私は酒が入るとすぐ眠くなってしまうのですが、この日は朝までずっと起きていられました。
眠らずに済んだ理由は、恐らく次の2つです。先ず、二軒目が寒い屋外の立ち飲みだった事。それと、私が加われない話をされなかった事でしょう。
会社の年配の人と飲むとすぐ眠くなって怒られるのですが、「昔居た誰某さん」の話等をされ出すと危うくなってきます。そんな「知らない人」の「詰まらない話」は、正直しんどい……客先との接待でも、年配の上役が居るとそういう話題になり易く、眠くて眠くて非常に辛いです。私はそういう話題よりは、例えば学校の講義等の「ちゃんと自分の脳味噌が機能していられる話題」の方がまだ眠くならずに済みます。ですが、年寄りが酒を飲むと、昔を懐かしみたくなるものらしく、「それを耐えるのが仕事だ」と言われるのだろうなあ。

で、問題は解散が4時だった事。タクシーで帰れる距離の人も居たのですが、私はタクシーだと恐らく10,000円近くかかりそうなので、始発を待つ事にしました。しかし、師走の寒風吹き荒ぶまだ暗い早朝。どこで寒を凌ぐか……目に入ったのはマクドナルドの灯り。以前、24時間営業を「浮浪者(当然、ネットカフェ難民も指します)増加の一因」と批判した気もするのですが、今は救いの光! ところが、何と清掃中で入れないとの事。
その通りには漫画喫茶もあったので、そこに足を向けました。「満席です」……とほほ。

次に見えたのはカラオケ。歌が好きな人の中には「一人カラオケ」を好む人も居るそうですが、私は気恥ずかしくてした事がありません。しかし、背に腹は代えられん、「はじめてのひとりカラオケ」です。眠っても良かったのですが、眠くない上、折角カラオケに入ってそれでは何だか勿体無い。ええい! 歌ってしまえ! いざやってみると、誰にも気兼ねなくメドレー等が歌えるので、これはこれで良いなあ、と。ただ、インターバルが無いので、非常に喉がしんどかったです。電車が動き出す時間までたっぷり歌ってから帰りました。

自宅で目が覚めるともう午後でして、空腹感からごそごそと起き出して出掛けました。で、その時に凄い物を見てしまいました。「ケサランパサラン」です。
「ケサランパサラン」とは、1970年代に話題になった日本のUMA(未確認生物)でして、1mmもないような核から全方向に放射状に白い羽毛のような毛が伸びている浮遊物体です。私が見たのは直径3〜4cm程度で、それが手の届きそうな所をふわーっと浮遊して行きました。捕獲したかったのですが、民家の塀の向こうに行ってしまいました。何らかの植物の種なのかなあ(タンポポの綿毛のような)。

幸福をもたらす存在だそうなので、私にも何か良い事があるかも! しかし、ただの二日酔による見間違いという線も捨て難い(幻覚が見える程飲めませんがね)。
                           駅員@寒風に ケサランパサラン 舞い上がる

2008年12月4日(木)
駅日誌(1092) 「エコプロダクツ」

「エコプロダクツ」という環境保護商品・サービスについての展示会が、来週開かれます。私は毎年観に行っているのですが、今回も行く予定です。如何せん、社会科見学の定番コースになっており、チビッ子がうろちょろしているのが大変なのですがね。でも、子供の時期からこういう事を考えるは大事な事だとは思います。
今回のスローガンは「もうできる! CO2-50%エコライフ」だそうです。-50%!? そんな事が出来るのなら、京都議定書クリア余裕やないかい! ……と思いきや、とてもではありませんが、今すぐ出来る事ではありません。気候変動枠組条約で出た2050年目標ですね。50年に-50%……何だか、ただの語呂合わせみたいにも見えてきますが。しかし、それはあくまで先の話。残念ながら、今目の前にある日本の1990年比削減目標-6%も覚束無いのです。2008年は思いっ切りオーバーどころか、1990年より増えているという始末です。

私は前々から思っているのですが、この世の自動車のATを禁止にするだけで、随分な削減効果がありそうです。MTはATより燃費が良い上、ハイブリッド等のようにレアメタル・レアアースを沢山使う必要もありません。「駅員、お前はMT好きだからそんな事を言うが、俺は面倒で嫌だ!」という声が聞こえて来そうです。しかし、それこそが真の狙いです。乗る必要がある人は面倒でも乗るし、面倒が勝るのならば乗らなきゃ良いので、台数自体の削減も見込めるのです。ていうか、慣れればATより動かし易いですよ。問題はそんな暴挙に出ると、自動車メーカーから失業者が沢山出てしまいそうという事でしょうか。
我ながら、何て横暴な意見なんだろうか! しかし、こういう横暴が罷り通っている世界があります。煙草業界です。何度も何度も増税で値上がりしています。また、次々に喫煙可能場所が削られています。AT依存症は良くて、ニコチン依存症は駄目な理由がよく理解出来ません。楽をしたいがために枯渇資源を無駄遣いする車を転がす事が、自らの人体に有害な嗜好品を嗜む事よりも支持されているとは……
副流煙やポイ捨ての問題もありますが、そこは分煙とポイ捨て禁止をもっと徹底し、違反者には強権発動をしても良いと思います。そこまでは認めます。しかし、国を挙げて税収を減らしてでも禁煙を勧めているのがどうにも解せないのです。私が煙草を吸った税金の内なんぼかは、体の悪い方への福祉に回っている筈なのです。
一方で、私は、嗜好品には多少高めの税を課されるのはしょうがないとも思っています。必需品を含む全体を増税するよりは、煙草、酒、珈琲あたりの嗜好品の税を上げるべきです。煙草一箱\1,000は極端ですがね。
さて、ここで妄想に入って行きます。私はどうもありもしない物語が頭に浮かび易い質で、「もしも○○だったら……」という話をすぐにしてしまいます。煙草がもし明日からいきなり\1,000になってしまったらどうなるか? 私も矢張り本数を減らさざるを得なくなります。そして、これは大半の方がそうだと思います。無論、その中にはやめるという人も沢山居る事でしょう。そうなってくると、喫煙者の絶対数も減る事になります。その一方で、煙草はただのヤニ臭い物から、ステイタスの象徴に格上げされる事になると思います。結果、「煙草を吸える立場」という物が出来上がると予想します。
……おっと、話がどんどん逸れてしまいました。しかし、この煙草から、冒頭のエコロジーに話題を戻します。
タバコとは植物の名称です。その葉を加工&乾燥させて巻いた物がいわゆるシガーで、刻んで紙で巻いた物がいわゆるシガレットなのです。その植物のタバコなのですが、今最も砂漠緑化に近い位置にあるのが、このタバコなのです。まだまだ砂漠をタバコの緑で満たすには程遠いですが、砂漠での耐久性が高い種類を作る研究が進んでいます。私から毟り取った金でどんどん進めて欲しい研究ですね。
ま、何だかんだと能書きを垂れた所で、煙草の煙を不快に思う人が沢山居るのもまた事実。そういう人になるべく迷惑をかけないように吸いたいです。
                               駅員@冬の朝 紫煙か寒さか 白い息

2008年12月3日(水)
駅日誌(1091) 「罪深き愉しみ」

今日は仕事で終日千葉県某所に行っておりました。そには鳥が沢山居るのですが、物凄く疑問に思う事があるのです。というのも、ハトやスズメやカルガモは沢山居るのに、カラスが居ないのです。これは一体? 首都圏に最も多い鳥はカラスだと思うのですが、何故か一羽も居ないのです。その場所では、もしかしたらカラスの嫌う音波か電波か匂いでも出しているのでしょうか?
……それはさておき、カルガモが沢山居るので、ついついやってしまう罪深き愉しみがあります。カルガモってのは人懐っこいので、餌をちらつかせるとすぐ近付いて来ます。指に餌を摘んで誘き寄せて、手をカルガモの嘴がギリギリ届かない高さにしておきます。すると、カルガモは嘴を上に掲げて、ピョンと跳ねます。その跳ねるタイミングに合わせて手をちょいと上に持ち上げて避けるわけです。これがまた「食べさせてよー!」と騒ぐ駄々っ子みたいで可愛いのです。おっと、動物愛護団体の皆様に「虐待だ!」と怒られそうです。何度か運動させた後に必ず食べさせていますので、どうか御勘弁を……

さて、罪深き愉しみ……Guilty Pleasure。先日の日誌にも書いたJ-POPカバー米国人スコット・マーフィーの新譜「Guilty Pleasures 3」が発売されたので、早速購入しました。
今回も誰もが知っている曲(のパンクアレンジ)が多数入っています。
特に、椎名林檎が好きな私は、「歌舞伎町の女王」の英訳バージョンが嬉しかったです。英語圏でのSheena Ringoの注目が期待されます。
他には、モーニング娘。の「LOVEマシーン」が入っているのですが、コーラスが豪華です。コーラスをしているのが、何と元モー娘の中澤、安倍、保田なのです。また、H-Jungle with Tの「Wow War Tonight」が入っているのですが、これって作詞作曲:詐欺師TKなのですが、印税ってどうなるんだろうか。逮捕されて作品が販売停止になっているのですが……更に、最近の歌なのにGreeeen(eの数合ってる?)の「愛唄」が早くもカバーされています。

上記CDと同時に、サザンのDVD「真夏の大感謝祭LIVE」を買いました。本当は限定の「御歳BOX」が欲しかったのですが、生憎売り切れ……通常盤を買いました。12月3日発売と言いながら2日から店頭にあるので、昨日の昼休みにでも買いに行くべきだった!
今年の夏に日産スタジアムで行われたライブのDVDです。このライブにも行きたかったのですが、残念ながらチケットが取れずでした。勤め先には行った人も居て、非常に羨ましがったものです。内容は、これでもかと言うくらい人気曲をてんこ盛りにしたライブでした。私の好きな曲も沢山ありました。こうして並べてみると、矢張り芸風の幅広さが伺えます。純情あり、エロあり、風刺あり、ロックあり、歌謡曲あり。
                            駅員@師走来て 街はメリヤス 繰り済ます

2008年12月2日(火)
駅日誌(1090) 「恰好悪い車が売れる理由」

いや、勿論日本車にも良いデザインの車は沢山あります。あるのですが、それらはあまり定着しません。モデルチェンジをして良さを失ってしまったり、販売がサッパリで車種自体が消滅してしまったりします。過去に沢山あります。モデルチェンジして改悪されてしまった事がある(または改悪される事が多い)車……トヨタセリカ、日産スカイライン、プリメーラ、ホンダアコード等々。販売がサッパリで消滅してしまった車……いすゞピアッツァ、ビークロス、マツダ・ユーノスプレッソ、ランティス、ユーノス500等々。
まあ、デザイン≒見た目というものは人によって好みが大きく異なるので、私が好きでも大多数の方は支持しなかったという事かも知れませんので、消滅車種はしょうがないと思います。しかし、モデルチェンジ改悪の場合は大抵販売台数も落ちていますので、強ち私の感覚も外れではないと思います。
では、何故モデルチェンジで改悪されてしまうのか? 先ず第一に考えられるのは、4年のモデルチェンジサイクルという暗黙のルールです。良いデザインなのだからそのまま継続しても良さそうなのに、このサイクルで変えざるを得なくなってしまうのです。この反省を受けてか、昨今はモデルチェンジサイクルの長い車種が増えましたし、一方ではガチガチのキープコンセプトの車種も増えました。
さて、前述の4年モデルチェンジ改悪ですが、自動車メーカーの目論見はどうだったかと言うと、以下のような感じではないかと思います。即ち、「現行型を買っている人の大半はたった4年では買い替えない」=「現行型の持ち味を多少外しても、現行型を買わなかった人の声を反映させた方が台数が伸びるのではないか?」と。
なるほど、マーケティングの理屈としては筋は通って見えます。車は一人何台も持つ人は稀なので、現行型のユーザーが新型に買い替える可能性よりも、他の車種からの買い替えを重視したらこうなったというわけです。恐らく、現行型ユーザーの不満の声も反映されてはいるのでしょうが、新型が開拓したいのはあくまで「現行品を買っていない人」なのです。その結果、例えば「狭いから買わなかった」という声が多ければ、元々「狭いけど走りの良い車」だった車種は、走りの良さは維持または向上しつつ広くするために、ぶくぶくと太ってしまうのです。昔のスカイラインはまさにこの流れだったのだと思います。
「おいおい、モデルチェンジによる改悪は何も日本車に限った話ではあるまい?」という声が聞こえてきそうですが、先ず日本人は「人と違う」よりも「人並み」を望みます。また、欧州あたりよりも「花より団子ユーザー」が多いのではないかと思います。後者は必ずしも悪い事ではなく、合理主義だという事でもあるのですがね。
しかし、私が最も悪いと思うのは、「楽チン第一主義」です。異様にAT率が高く、ハイテク便利機能至れり尽くせりです。その結果、楽チンで薄味の車ばかりが売れて、メーカーはそれを見て売れる車を作るというわけです。そう言えば、日本ではバイクまでAT全盛ですね。よく道を走っているあの400cc(250かな?)のスクーターです。若者に多いのですが、あれって私の目にはダサく見えてしょうがないのですが……まあ、見た目は前述の通り人の好みによるものなので、昨今の流行に私がついて行けていないだけなのだと思います。

話は変わりますが、楽チン第一主義の弊害は、車に限りません。いわゆる「モンスター」たちですね。モンスターコンシューマーなんてのが最近は増えています。あの、蒟蒻ゼリーってどうなったんでしょう? 私はあれが結構好きで、たまに食べていたのですが、もう売っていないのでしょうか? それとも、弾力の無くなった物を売っている? あのゼリーはあの弾力が最大の売りなのになあ……
確かに、幼児や老人が喉に詰めて死んだのは痛ましい事故であり、御家族の方の心中御察し致しますが、私は「よく分からない菓子を愛する子供に食べさせて死なせた親」にも大いに責任有りだと思いますが。消費者団体の中には、「子供や老人が喉に詰めるリスクのある商品が売られている事が間違いである!」なんてとち狂った事を言っている人まで居るそうです。それを言い出したら、ぶつかっても痛くない柔らかい壁と床がある、常時適温に管理された部屋で一生全裸で過ごし、必要な時に殆ど味のない御粥を与えられるという暮らししか出来ませんよ。それは人間を辞める事でもありますが。
販売禁止ではなく、煙草のパッケージみたいにデカデカと注意書きがあっても良いから販売して欲しいです。「のどにつめて死ぬ可能性あり!」と大書きしても良いと思います。そう書くと今度は、「不当に自由を制限された!」と言うクレームが出てくるのでしょうか。
                                  駅員@人類の 冬か人間 弱体化

2008年12月1日(月)
駅日誌(1089) 「大阪原理主義」

昨日の日誌で書いた通り、世の中には原理主義が溢れています。何故そこまで意固地になるのかというくらい溢れています。個々の人間がしっかり信念を持ちつつも、もっと寛容に分かり合えたら、世の中は絶対に良くなるのに……
原理主義と言えば、真っ先に頭に浮かぶのは、イスラムです。彼等は、自分が暴れたせいで世界中のムスリムが苦しむ可能性について何も考えないのでしょうか? いや、これはイスラムに限った話ではありません。例えば、米国大統領は戦を始める折には、聖書に手を置いて祈っているそうです。
さて、本日のタイトルは「大阪原理主義」です。要はOsaka as No.1を声高に叫ぶ人々を指します。私も近畿圏出身なので大阪は決して嫌いではなく、寧ろ好きなのですが、原理主義者は頂けません。大阪原理主義者を見ると、何だか大阪の地位が落ちるようで情けなくなってきます。前述のイスラム過激派同様、多くの関西人が苦しむ可能性について考えないのか、と思います。

例えば、私も関西訛りが残っているのですが、その「関西訛り」という表現で不機嫌になる大阪人が居ます。「関西弁は訛りやない! そんなん言うんは、コンプレックスを持ってるからや!」と言ってくるわけです。いやいや、逆やろ、と。この人の頭には、「訛りという表現=田舎」というコンプレックスがあるのだと思うのです。思えば、方言を貫き通す人は関西人に多いです。無論私も訛っているので、関東出身の人からは同じ様に見られているのだと思いますがね。
私は標準語よりも方言の方がソウルフルな言葉だと思っているので、全国津々浦々の方言が好きで、決して「訛り」という表現を悪い意味では使っていないのです。勿論、東京訛りもありますし、日本人がどれだけ英語を一生懸命に勉強しても日本訛りの英語になりますし、英語の本家たるイギリスにも、訛り英語は沢山あります。地域的特性は一種の味わいであり、悪い事ではないと思うのです。
もう一つ情けないのは、「うどんとたこ焼は大阪が一番!」というやつです。確かに、私もうどんは関西風が好きなのですが、それはわざわざ声高に叫ぶ事ではなく、当然の事でなのです。東国が蕎麦文化中心なのに対し、西国はうどん文化中心なのですから。そして、名物があるのは大阪に限らず、日本全国あちこちに地場の旨い物があるのです。
こういった関西原理主義については、私の好きなコテコテの関西人作家、中島らもも同じような事を書いていました。

おっと、こんな事を書くと、大阪原理主義の方からテロを喰らいそうです。しかし、言い訳をさせて下さい。私がこういう事を思うのも、寂しさ故なのです。私は、幼少の頃から近畿〜中部〜近畿〜関東と移り住んでいますので、アイデンティティとして確立される程に一つの地域に住んだ事がないのです。だから、私がこういう事を思うのもヤッカミなのだと思いますので、どうか御勘弁を。
                               駅員@北風に 西のうどんを 懐かしむ
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