2009年2月度目次
 #1138 「鳥打帽」 強風で帽子が飛ばされました。
 #1139 「抜き打ち尿検査」 相撲協会全員への薬物反応検査。
 #1140 「Paint it Black」 増える黒。
 #1141 「政府紙幣」 発行が検討されているとか?
 #1142 「海老庵」 えびあん。
 #1143 「その通貨は円天」 L&G社詐欺事件。
 #1144 「雪山」 スノーボードに行ってきました。
 #1145 「修行が足らんわ!」 これは自分に言っています。
 #1146 「天ぷらにソースをかけますか?」 読書感想文。
 #1147 「食べる前に飲む」 カンポ&かんぽ。
 #1148 「SMTS」 最近は反省する事が多いです。
 #1149 「過眠」 私は眠気のリズムと強さが狂っている。
 #1150 「ホイップ」 生クリームを御椀&スプーンでホイップしてみました。
 #1151 「無駄遣い経済」 成熟した資本主義を支えていたのは無駄遣いなのか。
 #1152 「脳内補正」 五感は存外頼りにならない。
 #1153 「フェイク」 頭上と足元の偽り。
 #1154 「ストロベリーナイト」 読書感想文。
 #1155 「切手の博物館」 世の中、何にでも博物館があるもんです。
 #1156 「ずう」 上野動物園に。
 #1157 「娑婆駄馬娑婆駄馬」 寓話っぽく書いてみました。
 #1158 「兄貴肌」 こればっかりは治らんですよ。

2009年2月24日(火)
駅日誌(1158) 「兄貴肌」

えーと、最初に断っておきますが、サブだとかバイだとかホモだとか、そういう話題ではないですよ。まあ、あれはあれで一種のアイデンティティなので、好き同士でやっているのであれば、私は否定しませんがね。
で、本題は私のアイデンティティについてです。私は兄弟の中で長男だった事もあり、どっちかと言うと兄貴肌です。それ故、現実世界でも、こういったネットの世界でも、上を叩いて弟分や妹分を助ける事が多いです。また、弟分でも妹分でもなくても、弱い立場の者が苦しんでいれば、その上に攻撃をしたくなります(それが御門違いな場合もあるのが玉に瑕ですが、ね)。
時にはそれが鬱積して、こういった場で叩くという陰湿な事もしていました。生来、ドライかウェットかというと、ウェットな人間なのでしょう。
但し、私が今年の抱負に掲げたのは「遠慮を減らす」ですから、2009年になってからは、こういった所で人を叩くのはやめました。なのに、2009年になってから、二度も不快感を表明されています。何となく、小学生が宿題をしようと二階に上がりかけたタイミングで、親から「宿題しなさいよ!」と言われたような気分というか何というか。とは言え、私とて表現者の端くれなわけですから、いつでも読める状態で開示している以上は、たとえ昔の日誌だろうと何だろうと、その時に私がそう書いたのは間違いありません。それに対して読み手が何を思うかは自由なのです。誤解して文章を書いたり、誤解される文章を書く者が悪いのです。だから、過去に書き散らした物について言い訳はしません。いくら卑怯な人間だとは言え、辛うじてこういった矜持は持っています。
さて、薄汚い話はこれくらいにして、今日は良い奴だと認めていた後輩の転勤に伴い、飲みに行きました。私が酒に弱いのは自分で分かっている事ですが、すぐに顔が茹蛸状態になったとしても、彼が転勤先で持ち前のスパッとした仕事ぶりを発揮出来るように送り出してやりたいものだと思いました。今後の展望でも、或いはその逆の不満でも何でも、色々と言いたい事は全部言えただろうか? そういうのを聞くのも兄貴肌の務めなのだと私は思っています。
                             駅員@杉花粉 舞って目を擦る 異動かな

2009年2月23日(月)
駅日誌(1157) 「娑婆駄馬娑婆駄馬」

娑婆駄馬娑婆駄馬〜♪
その駄馬は娑婆を闊歩していた。血統は悪くはない。なのに、何故駄馬なのか。その駄馬が駄馬と言われる所以は、その気性であった。ある時は暴れ馬となり、ある時はゲートが開いてもじっと走り出さない。かと思えば前足を振り上げていななき、騎手を振るい落として暴走するのだった。そんな駄馬のくせに、自らの血統が悪くは無い事を鼻にかけており、鼻持ならない。そして、増長して鼻息も荒くしているかと思えば、意気消沈して項垂れている事もある。
気性が荒い上に、つかみ所が無く、馬主も騎手も調教師も、皆途方に暮れていた。その狂った性根を叩き直そうにも、文字通り、馬の耳に念仏なのである。或いは人参でつって手懐けようとした事もあるが、人参を遠慮無く食らうくせに、しばらく経つとまた元通りであった。
また、駄馬のくせに、馬主や騎手や調教師をコケにする事も多かった。わざわざ後ろ向きに立ち、後ろ足で足元の砂をかけたりするのだった。時には、馬主や騎手や調教師が見ていない隙に、彼等が干しておいた洗濯物を叩き落したりもした。その上で、素知らぬ顔をして厩舎に戻っているのだった。しかし、泥に塗れた洗濯物を見れば、誰が洗濯物を叩き落したのかは明白だった。この図太い蹄の痕は、その無神経な駄馬の物に間違いないのだった。
いくら性格の悪い馬だとて、賞金さえ稼いで来れば、目を瞑ろう。だが、その駄馬は、特段の賞金を稼いで来るわけではないのである。その程度の賞金ならば、稼いで来る馬は沢山居る。それも、気性の穏やかな馬で、である。こんな駄馬は馬刺しにして食ってしまった方が良い……そんな事を考えていた時に、その駄馬は他所の牧場に移る事になった。移籍先の牧場では、これまでのような飼い方はしないかも知れない。馬刺しになってしまうのかも知れない。その駄馬は娑婆に残るのか、地獄に落ちるのか。

……と、全く面白くもない寓話を。ていうか、寓話になっているかどうかも怪しい物です。私は寓話が好きなのですが、なかなかポンと面白い寓話なんか書けませんね。
                            駅員@寒凌ぎ 馬子にも衣装の コート着て

2009年2月22日(日)
駅日誌(1156) 「ずう」

動物園に行きました。上野動物園に。私はこれで行ったのは二度目です。一度一通り見たつもりだったのですが、それでも新鮮でしたね。美術館や博物館で、興味ある企画展があると、それを観に行ったり、或いは買物に行ったり、比較的よく足を運ぶ街なのですが、動物園というのはなかなか一人では来られるものではありません(男一人で来ていると、寂しくなってしまいます)ので、行ける機会があった良かったです。
それにしても、現在、上野動物園のトレードマーク&主役のジャイアントパンダって居ないんですね。以前心不全で死亡してから、新しいパンダは来ていないようです……残念。上野と言えばパンダ。パンダ関連の土産物も沢山あります。
という事は、パンダ不在につき、入場者が激減しているのか!? と思いきや、結構な客入り。以前パンダが居たガラス張りの折には、代打としてレッサーパンダが居ました。レッサーにジャイアントの代理が務まるのか!?
いやいや……結構頑張っています。可愛い! そのよちよちと歩く姿が間近で見られました。樹上生活が多いせいで、足が木登りに適したようになっているのでしょうか? 平面はやたらよちよちと歩いています。こんなんで、大自然の中で生き延びられるのか!? いや、もしかしたら、本気の時はタスマニアデビルのように獰猛なのかも知れませんね。


それにしても、レッサーパンダや猛獣コーナー等には、この寒い中でも結構な人だかりでした。これでも以前よりは減ったのかも知れませんが、それでも混んでいました。もしかしたら、殊にこういったレジャーに限ってですが、不景気の中で特需が発生しているのかも知れません。そう、ジャイアントの抜けた分を補うだけの。
というのも、ここの入場料って\600なのです。より高い余暇の過ごし方から、より安い余暇の過ごし方へのシフトにより、特需が発生しているとも考えられるのです。ディズニーランドが今期増収だったのですが、これは25周年だったという事もありますが、もう一つの理由として、同様の安レジャーへのシフトがあると言われています。
そして、上野動物園の入場料はその10分の1なのです。もしかしたら、旅行等の高いレジャーからディズニーランドにシフトしたように、ディズニーランドに行こうと思っていた親子がより安いこちらにシフトしている部分もあるのではなかろうか? と思います。
それにしても、\600って激安なのではないでしょうか? 今日は昼からでしたが、ここならば\600で一日中を過ごせます。動物が嫌いでなければ、十分楽しめます。これってもし人の子の親ならば、随分安く子供を満足させられるのではないでしょうか。だって、一日中居られて、外食をする飯代よりも安いのです。逆に、これで利益が取れているのか心配になってきます。
                              駅員@客は来る パンダなくとも 動物園

2009年2月21日(土)
駅日誌(1155) 「切手の博物館」

世の中、色々な博物館があるものです。深海魚の剥製ばかりを集めた博物館や、寄生虫の博物館なんてのもあります。東京の目白には、切手の博物館なる物があります。今日はそこに行ったので、その事について書きます。
「駅員は、切手集めが趣味だったのか」と思われそうですが、実はそうではありません。そんな私がどうして「切手の博物館」なんかに来たのか? 丁度開かれている企画展のテーマが「仏像」だったからです。たまたまそれを知ってしまったので、仏像が好きな私はちょっと行ってみたという次第です。

場所は山手線の目白駅に程近い所でした。歩いて数分の所に、その建物はありました。どうやら郵便局がくっ付いているようです。もしかしたら、今「かんぽの宿売却取り消し」で話題の日本郵政が運営しているのでしょうか?
入ってみると、思ったより手狭な博物館で、「仏像切手」の企画展も、10畳〜20畳程度の一室で催されていました。なるほど、手狭ではあっても、パネルには仏像関係の切手が沢山あります。そうか、切手は小さいから、この程度の広さで博物館になれるのだな……この切手一枚一枚が絵画だったらこうは行きません。
日本の切手では、鎌倉大仏や、金剛力士、阿修羅……等々があります。私が特に仏像切手で好きな「伐折羅大将」の切手もあります。500円切手の、逆立った髪にクワッとした憤怒相のやつです。仏像に興味が無くても、どこかで見たこともあるという人が多いのではないでしょうか?
その他、海外の仏像の切手もありました。見てみると、インドやラオスでは、ヒンドゥー教やそれから派生した宗教の神々の像も仏像扱いでした。意外にも、仏像個々ではなく、寧ろこの点に仏教の特徴が色濃く表れていると言えます。仏教ってのは「滅ぼし型」の広がりではなく、「取り込み型」の広がりをしているという特徴です。これは「滅ぼし方」の広がり方をしたキリスト教とは対照的です。キリスト教は、その伝播の過程で、地域地域の土着の神を「悪魔」だとして広がって行きました。それに対し、仏教では、その土着の神を「仏の化身」だの「仏の眷属」だのと扱いました。こういうのは民族性が現れていて興味深い所だと思います。この事は、チェスと将棋での取った駒の扱いの差にも似ている気がします。チェスではただ取り除かれる駒が、将棋では持ち駒となって、味方になるのです。

話が逸れました。この切手の博物館ですが、その展示場の他には、図書館や切手販売コーナーがあります。そのまま使用出来る切手は勿論、海外の切手や、使用済みのレア切手なんかが販売されています。また、使用済み切手の回収ボックスも……それを見て思い出した事があります。
私は小学生の頃、ボランティア委員会なるものに入っていた事があります。当時私の学校では、学級委員に限らず、クラスの全員が何らかの委員になっていて、集に一度、各クラスの委員が集まって活動するというのがあったのです。ボランティアその時は活動の一環として、毎週切手の付いた葉書や封筒を回収ボックスで集め、委員は切手の周りを綺麗に切って集めるという活動をしていました。その切り方にはルールがあり、なるべく切手ギリギリでカットするのだが、周囲のギザギザを必ず残す、というものでした。
あの時は、「使用前の切手なら分かるが、使用済みの切手を集める事が一体何のチャリティになるのか?」と思っていたのですが、こういう使用済み切手のマーケットがある事を見ると、「こういう所が買い取っていたのかも知れないな」と思いました。殆どの切手が金にならない気がしますが、中には、例えば「地域限定切手」なんてのが結構あるのかも知れません。或いは、デザイン変更前の切手を保管しておいて、変更後暫く眠らせてから販売するというのも手でしょう。需要さえあれば、そこにはもう市場があるのだなあ。
                              駅員@博物館 切符を買って 切手見る

2009年2月19日(木)
駅日誌(1154) 「ストロベリーナイト」

本日は、読書感想文です。私は帰路のみ通勤読書家なので、だいたい一冊読み終わるのに一週間かかります。今回は、同僚に面白いと薦められた誉田哲也・著の「ストロベリーナイト」についてです。「推理小説」等はたまに読むのですが、「警察小説」というジャンルって事になると、これまで殆ど読んだ事がなかったのですが、薦めに違わず面白かったです。
この同僚は、元々は活字を読むタイプではなかったのですが、ふとある時に東野圭吾を薦めてみたら、そこから読書の面白さが分かり、今では私に薦めて来るようにまでなりました。そして、それが実際に面白かったという域に達しました。ふむー、もしかしたら、私よりも読書家になっていそうです……では、読書感想文に入ります。


警視庁捜査一課の女性警部補を主人公にした小説で、連続殺人事件を扱ったストーリーです。更には過去の事件等が絡んで来て、厚みのある話になって来るのですが、冒頭は警察組織の動き方等の描写があり、なかなか読み進めにくかったです。しかし、それも必要な描写で、それがちゃんと効いて来て、割と早い段階から物語のテンションが上がって来て、徐々に読むスピードが上がって行きます。更に、主人公が経験した中盤の過去の事件が中盤に明らかになり、そこからは電車を降りて帰宅してからも一気に読んでしまいました。
そうした話の筋も然る事ながら、この作品の真骨頂はキャラクターですね。結構な数のキャラクターがそれぞれ個性的で、キャラがきちっと立っています。最初は主人公視点&部分的に犯人視点のみかと思ったのですが、他のキャラ視点も何箇所か出て来ており、ドラマ的に読めました。そんな魅力的なキャラクター群の中で、私が特に魅力的だと感じた主人公が、ガンテツと渾名される勝俣警部補です。主人公視点では、明らかに敵役として描かれているのですが、後半に向かうにつれて、この勝俣視点の箇所が増え、そのダーティーヒーローぶりと、信念とが際立って来ます。
解説の所を見ると、こういったキャラ立ちがする理由が分かりました。なるほど、作者は、実在の俳優・タレントをモデルにしてキャスティングした上で書いているとの事。だから、ドラマのように読めるわけか。一昨日、この日誌に書いている「脳内補正」って物が、作者の狙い通りに、私の脳内で作動しているという事なのかも知れません。
尚、何やら濃いキャラなのに、ちょっとしか出てこなかった人物も結構居て、続編があれば読みたくなりました。と、思ったら矢張り出ているんですね。文庫化しているのだろうか……していたら、早速買って読みたくなりました。否、もしかしたら、薦めてくれた同僚が持っているかも? 持っていたら借りようっと。
                             駅員@その帯に 面白過ぎの 一語の寄る

2009年2月18日(水)
駅日誌(1153) 「フェイク」

さて、昨日に引き続き、今日もフェイクの話題です。昨日は、脳が勝手にフェイクを発生させているという事についてだったのですが、今回は人間が意識的にフェイクを行うケースです。
電車に乗っていてふと向かい側を見ると、妙に足の甲が高い靴を履いた男が居ました。んー? まあ、足の形は人それぞれであり、足の甲が高い人もいるでしょう。しかし、私がそれを見て思ったのは、「もしかして、これがシークレットシューズってやつか!?」と思ったのです。もし正解だとしたら、私は初めてそれを見た事になります。否、もしかしたら、何度も目にしているのに気付いていなかっただけなのかも知れませんがね(この、「見たのに気付いていない」という事は、昨日の日誌の内容になります)。
更に目を上に向けると、頭の方も何だかフェイクっぽいぞ……と思った時、電車が駅に停車。はうっ!? その男の後ろの窓、丁度頭の上に育毛・植毛の広告が! それも、「自然な仕上がり」の文字! これは、都営地下鉄の奇跡か……!

それにしても、どうして人ってのは、そうまでして自らをよく見せようとするのでしょうか? 前述の方のように背が低かろうが頭が薄かろうが、或いは、太っていようが、痩せていようが、鼻が低かろうが、目が一重だろうが、ホクロがあろうが……それはその人のアイデンティティってもんだと思うのですが。
私も頭が寂しくなりつつあるのですが、それをフェイクでどうにかしようとは思いません。薄いとモテないって? そりゃあ、私とて女性にモテたいという気持ちは勿論あります。だがしかし、自らを偽ってモテても、それは偽りの私がモテているだけであり、本物の私ではありません。それって、虚しい事だと思います。
こういう事を書くと、「では駅員、貴様は人を見た目で判断しないのだな?」と問われると……判断してます。ええー!? でも、例えば「デブは嫌いだ」とか「目が細い人は冷酷そうだ」とか、そんな切り方はしません。太っていても、目が細くても魅力的な人は沢山居ると思っています。そんなわけで、私が魅力的だと感じる人って、結構共通点が無かったりします。
具体的に言葉に出来ませんが、見ている所がズレているのかも知れません。
具体的に言葉に出来なかったのは、見ていた頭がズレているのではありません。
今回は、ちょっと構成に凝ってみました……
                              駅員@本当は 嘘が下手糞 なだけです

2009年2月17日(火)
駅日誌(1152) 「脳内補正」

人間は、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)で得た刺激を、脳に運んで、脳でそれがどういう事かを判断して、物事を認識しています。そして、経験上から、そのプロセスを効率化するために、様々な補正が自動的に掛かっています。これは無意識の内に、です。先入観や固定観念という物は、そういった効率化の結果出て来るものなのです。例えば、火が燃え盛っているとしましょう。それが本当は熱くない偽物の火だとしても、それを触ると何となく温かく感じてしまいます。暖色・寒色により、体感温度が変わるのです。

さて、今日、「イカチョコ」なるものを口にする機会を得ました。要は、茹で烏賊の切り身の表面にチョコレートが付いているという物です。最表面はココアパウダーが塗してあり、パッと見は生チョコかと思います。
それを「イカチョコだってさ。食べる?」と口頭で聞いた上で食べたのに、食べてから違和感があり、ようやく烏賊が入っているという事を認識し、先程の口頭の言葉が「イカチョコ」だったのだと認識しました。聴覚では、明らかに「イカチョコ」と聞いているのです。しかし、それを認識出来ずに、「板チョコ? 見た目は生チョコだが、どこが板チョコなんだ?」などと、聴覚とは違う認識をしてしまっているのです。即ち、脳が勝手に補正を加えていたわけです。これは、先入観から、「ここにあるココアパウダーの中に、烏賊なんかが入っているはずが無い。イカチョコと聞こえたのは、聞き間違いなのだ」と認識してしまっているのです。
ふむ、実に面白い(福山風に)。
意外や意外、五感は頼りないものなのです。例えば、探し物が目の前にあるのに、それが目に入っていない、認識出来ていない事があります。これも、恐らくは「今探している○○は、こんな所にある筈が無い」と思い込んでしまっているのでしょう。ドラえもんに、「石ころ帽子」という道具が出て来ます。これも同じメカニズムで、視覚としては目に入っているのに、路傍の石ころのように認識されなくなるという道具です。そう考えると、世の中は実は盲点で溢れているのかも知れません。今、私が真実だと認識している事が、実はフェイクなのだという場合もあるのでしょう。

さて、五感が頼りにならない……と言えば、中川財務大臣が辞任だそうですね。先日のG7での失態の責任を取ってという事なのでしょう。酔っ払っていたのか睡眠不足なのか、物凄く眠そうで注意力も散漫でした。余程疲れていたのか、それとも風邪薬のせいなのか。何はともあれ、あれはまずいという事なのでしょう。風邪薬&ワインの複合作用って所なのでしょうがね。何故、代理を立てなかったのか? 急激に眠気が襲って来たのでしょうか? 私もアルコールが入るとすぐ眠くなり、酒の席での失敗も沢山あるので、決して非難は出来ません。ですが、私なんかとは舞台の次元が違いました。
急激に眠く……? 待てよ? 陰謀って事は考えられまいか? もし、何らかの薬物で睡眠を誘発させた人間が居たとしたら? VIPなので、そんな曲者の入り込む余地は無いのでしょうか? 例えば、食事会の給仕が袖の下を貰っていれば、出来るかも知れません。常識的に考えるという脳の自動補正から、敢えてちょっと思考を外してみました。しかし、何だかこれでは中川氏の回し者ですな。
                          駅員@其処にある 其れは誠に 其れなるか?

2009年2月16日(月)
駅日誌(1151) 「無駄遣い経済」

消費が冷え込んでいますね。早い所、景気が戻ってくれないと、私の塩漬け株式も眠りっぱなしです。贅沢品や嗜好品等の「必要という訳ではない物」の消費減少は言うに及ばず、景気弾力性の低い=景気の影響で売れ行きが左右されにくい=必需品・日用品も売上も減っているそうです。
……んん? 待てよ? 何故必需品まで売上が落ちる? 必要な物ならば、買わないとどうにもならないのに。という事は、必需品・日用品とは言え、これまで必要以上に買われていた=無駄遣いされていたという事になります。経済成長の正体見たり、無駄遣い?
これも真理の一面だと思います。必要な物がコモディティ化した=あるのが当り前になってしまった社会では、極論すれば「如何に無駄遣いをさせるか」が、商売の鍵なのです。成熟した経済下で登場した「マーケティング」なんてのは、「知恵を絞って頑張って無駄遣いを促す作業」であると言い換えても語義通りだと思います。
また、今回の消費冷え込みには、景気悪化の他に、環境保護意識の向上も原因の一翼を担っていると思います。即ち、ワンガリ=マータイ氏曰くの「MOTTAINAI」です。「勿体無い」という表現は、前述の「無駄遣いを無くす」という事と直結している気がしてきます。

もしかしたら、資本主義という経済システムはそろそろ疲弊してきているのかも知れません(株式資産を持っている私は、それでは非常に困るのですが)。では、それに変わる経済システムは? 共産主義? マルクス主義者の方には悪いのですが、それはありません。共産主義は既に実験され、そして失敗しました。失敗の原因は、人間は完全に勤勉で忠実な存在ではないという事です。
今の所、私も資本主義よりも良いシステムは思い付きません。いや、もし思いついたならば、私は社会の教科書に出て来るような偉人になれますね。今はただ、景気は波であるという既成の概念を信じて、波が上向くのを待つしかありません。
人類は、無駄遣いがなくなると生きていけない個体が沢山出て来るような世の中に生きているのです。彼等を生かす為の無駄遣いは、果たして本当に「無駄」遣いなのでしょうか? 殊、経済については、何が道義的で何が正義なのか、その境界線が溶融しています。
「無駄遣い」という表現は聞こえが悪いですが、「無駄遣い」が一切無くなれば、人間は何て無味乾燥な物になるのだろう、と思います。小説も漫画もゲームも玩具も音楽も絵画も……文化(サブカルチャーを含む)と言える物全てが、「必要というわけではない物」なのです。今後は、如何に地球やその資源を損なわない無駄遣いをしていくか、が重要になるのだと思います。
                            駅員@経済を 回す神の手? 悪魔の手?

2009年2月15日(日)
駅日誌(1150) 「ホイップ」

先日(といっても結構前ですが)、職場で鳴門金時の芋を貰っており、それが冷蔵庫で眠っておりました。一方、先日、仕事の関係で「ホイップクリーム絞り袋」が必要になり、それがオマケで付いていた生クリームを購入しており、その生クリーム本体の方が冷蔵庫で眠っておりました。
道具とレシピさえあれば、スイートポテトなんかをこしらえても良さそうなものですが、私が台所には、まともな調理器具はありません。
なので、芋は電子レンジを使って蒸して、それに生クリームをホイップして付けて食べみようと思い立ちました。
幸い、2段構造の樹脂製電子レンジ蒸し器があるので、芋を洗ってその蒸し器に投入し、適当な時間が分からないので、2分刻みずつで様子を見ました。合計8分で丁度良い感じになったので箸を刺してみると、ずぶっと刺さります。
その電子レンジの一方で、生クリームに取り掛かります。牛乳パックの短いやつに入った生クリームを、ボウルが無いので木の御碗に。結構な量です。どんなもんか、ちょっと飲んでみました。うーん、ちょっと甘味があってどろりとした牛乳だなあ……私は生憎泡立て器等という気の利いた物は持っていないので、スプーンで混ぜ始めます。砂糖を加えて混ぜ始めたのですが……いかん、中身に対して器が小さ過ぎてこぼれます。もうちょっと飲んで減らしました。何とか器用に混ぜればこぼれない程度にまで減らして、後は時々飛び跳ねる飛沫に苛付きながら、スプーンで混ぜ混ぜ。ちょっとずつ泡が出て来ました。が、これでは一体何分掛かることやら……
同時平行の芋が出来上がり、ホイップの手を止めて味見。いけるいける。
一方の生クリームはとてもまだ付けて食べるレベルにあらず……ええい、コクもあるし、砂糖の甘味もあるし、若干泡立った程度のここにドプッと芋を浸して食べてしまおうか。一口、二口。芋を食っては混ぜて、を繰り返している内に、芋が無くなってしまいました。生クリームの上の方には細かい泡が沢山あるものの、下はまだ液状(この御椀の中では、何だかとろろに見えてきます)。まだまだ時間がかかりそうです。どうせ、このままホイップしていても芋が冷めてしまうだろうし、まあ、良いか。
……と思ったら、ここからが存外早かったので驚きました。程無く手応えが変わり、丁度シェービングの泡のように。
私はクリームをホイップするのは初めて(それも正規の道具ではない)なので、全く感覚と違いました。こんな事なら、芋は一旦置いておいて、ホイップに専念すれば良かった。しょうがないので、ホイップクリームはそのままスプーンで掬って喰らいました。
料理の出来る方がこれを読むと笑われてしまいそうです。まあ、泡立て器&ボウルが無くてもホイップ出来る事が分かったって事で……
こんな感じです。

                                 駅員@Creamを BGMに ホイップす

2009年2月14日(土)
駅日誌(1149) 「過眠」

昨夜蒲団には入りながら、枕元で任天堂DSをやっていたのですが、ついついやり続けてしまい、いつの間にかカーテンの外が白んできてしまいました。おおっと、これはやばいぞ……と眠りに就いて、昼頃に起きる予定だったのですが、起きたら今度は真っ暗。夕方まで眠ってしまいました。ふむー、私は夜行性なのでしょうか? 放っておいたら昼夜逆転って事が結構よくあります。
そのくせ、酒を飲むとすぐに眠くなります。
酒の席で眠ってしまったという失敗も多いです……自らの飲める限度については弁えているつもりなのですが、それでも不意に眠気が襲って来て眠ってしまいます。夜行性なのではなく、眠気が来るリズムやその強さが狂っているのかも知れません。海外出張に行った後には、24時間連続睡眠した日もありましたし、今日なんかも結局12時間も眠っているのです。
たまに、「これって、もしかして病気なのではないか!?」と思います。「眠り病」。「眠れる森の美女」や「眠り姫」のような……すいません、何やら響きの良い物ばかり並べました。「三年寝太郎」のような……眠り病? これは防衛本能なのか? それとも現実逃避なのか? しかし、何から防衛したいのか、何から逃避したいのか……それも自覚無しです。
いや、きっとそんな大層な物ではなく、ただただ、何もせずに眠ってゴロゴロしているのが好きな怠け者って事なのかなあ。
それにしても、今日はバレンタインデー。そんな日に何の予定も無く、夕方まで眠っているというのも寂しく、情けないです。チキショウ! こんなんじゃ、御天道様に顔向け出来ねえぜ! いや、今日は実際に御天道様に顔を向けて居ないのです……
                         駅員@目を閉じて いる間に日が出 日が落ちる

2009年2月13日(金)
駅日誌(1148) 「SMTS」

11日〜今日まで、東京国際展示場にて、スーパーマーケットトレードショーという展示会が開かれていました。平たく言えば、食品メーカーや関連機器・資材業者、輸入業者が、流通業のバイヤーに対し、売り込みをするための展示会です。私はどちらかと言えば出展者側に近い仕事をしているのですが、知人から招待状が届いたので、昨日行って来ました。
面白いのは、地域地域の色々な食材・食品が沢山出ている点です。試食・試飲も沢山あるので、昼食代を浮かせられます。何て貧相な! いやいや、そんな事よりも、自分の知らない食べ物や食べ方が沢山あって、非常に面白く、勉強になりました。先日の日誌で書いた「天ぷらにソースをかけますか?」の本にあったような事に近い経験が出来ました。

招待状を下さった方は、大小間で出展しており、私も挨拶をしようと思ったのですが、二度向かった二度とも何やら商談中……私は招待してもらったものの、その人の会社から買う立場ではないので、邪魔になっても悪いと思い、挨拶は辞めておきました。
しかし、これってどうなんでしょう? もしかしたら、物凄く無礼な行いかも知れません。人によっては「それは、待つのが面倒臭い人間の言い訳だ!」と仰います。その通り、その商談が終わるまで待てば良いのです。が、しかし、あまりに広い展示会だったので、ついつい……
また、他にも挨拶をしたい方が居たのですが、ほぼ同様の理由で挨拶せず。いかんなあ、こういうのが私を人から遠ざけてしまうのだなあ。あれ!? 2009年の私の抱負は、「遠慮を減らす」だった筈なのに……早くも破ってしまいました。
これでは、SMTS=Super Market Trade Showではなく、凄く・無益な・頓珍漢・社会人です。うーむ、これも無理やりだなあ。

                              駅員@汗ばんで コートを脱いで 春近し

2009年2月11日(水)
駅日誌(1147) 「食べる前に飲む」

食べる前にのむ! 大正漢方胃腸薬のCMに出て来るコピーです。代々俳優がCMに出ているのですが、私は田中邦衛の時が一番記憶に残っています。その時には「カンポ、カンポ、カンポ」という歌で踊り、田中邦衛が「タヴェルマエニヌォム!!」と独特の口調で言っていたのが印象的です。

さて、カンポと言えば、簡保。今日の本題は「かんぽの宿」落札騒動です。
民営化に伴い、日本郵政では、年間40億円の赤字となっている「かんぽの宿」売却のための入札を行い、オリックス不動産が落札しました。とは言え、建てる為に費やした費用2400億円から比べると、あまりに安い金額109億円です。
これについて、鳩山総務相がケチをつけました。その論拠は、郵政民営化検討委員会(正式には総合規制改革会議)で議長を務めたのが、オリックスのCEO宮内氏だった事。
そういった関係から、「何だかヤラセ臭いぞ」と言っているのです。私はそれに賛成ではないのですが、なるほど一理はあるとも思います。というのも、民営化・四分社化の条件が整う事が、「かんぽの宿」を買う条件ですから、「もしもですが、オリックスが『かんぽの宿』を昔から内心欲しがっていて、そのために民営化等を推進していたのだとしたら?」という見方も出来ます。捻くれた見方ではありますが、民営化・分社化に反対の人は、これを論拠に使えてしまう状態でもあるわけです。実際のところはどうか分かりませんが……
しかし、だったら最初から、競売参加資格を与えなければ良かったのに。叩き売りと言われていますが、他の会社の提示金額はもっと安かったから、オリックスになったのではないの? こうして一旦決まった売却価格まで表に出た以上、オリックスを弾いて再度入札を行っても、金額的には上がらないのではないか? と思います。それとも、入札の影に談合等のやりとりがあって不当に安くなっているのでしょうか?
結局は鳩山氏は売却自体に反対なのだと思います。ケチをつけた後には、「日本郵政の経営努力で黒字化すべきだ」と主張しています。オリックス不動産は買う以上は、黒字化出来ると踏んでいるのでしょう。ならば、日本郵政にも出来るだろう、という理屈です。私は、赤字の理由と言われている「儲けを考えていない現在の価格設定」を見る限り、これより値段を上げても今の稼働率を維持出来るかどうかは怪しい気がします。今の高稼働率は、他よりも相対的に安いがゆえのものだと思うからです。
まあ、私はかんぽの宿に泊まった事が無いので、何とも言えません。これでは、「食べる前に飲む!」ではなく、「ほざく前に泊まる!」と言われてしまいそうです……
                                 駅員@難しい 対象かんぽ 移譲役

2009年2月10日(火)
駅日誌(1146) 「天ぷらにソースをかけますか?」

天麩羅には何を付けて食べますか? 天つゆ? そりゃあ、揚げ立ての天麩羅に天つゆがあれば申し分ありません。塩? 淡白な味の魚の天麩羅を藻塩で食べると香りが良くて美味しいです。しかし、家庭で食べる時は、何かと言うと、まあ醤油かソースでしょうね。私はちょっと時間の経った天麩羅にはやっぱりソースです。特にかき揚げにソースをつけて食べると美味しいです。
さて、今回は読書感想文です。新潮文庫から出ている野瀬泰申・著のそのままズバリ「天ぷらにソースをかけますか?」という本を読みました。
読んでみると、日本全国の色々な食べ物・食べ方が出て来て非常に面白いです。私は中京・関西・関東の食文化に触れて育った上、国内一人旅が好きなので、結構あちこちで食事をしてはいるのですが、それでも知らない食べ方が沢山ありました。

主な分布は矢張り、中京圏の独特の食文化を境に東西で大きく異なるといった分布が多いようです。味噌だとか、肉饅と豚饅だとか、カレーに乗せる玉子は生玉子か茹で玉子かとか……夫婦の出身が離れていると、場合によっては家庭内紛争になるケースもあるとか。
しかし、地域地域にはそれぞれの美味しい物があり、美味しい食べ方があるという多様性ってのは、大事にしたいですね。私はこういった部分について、恐らく一つの地域で土着的に育った人よりも寛容だと思います。両親が中京出身で、近畿で育ち、今は東京在住といった生い立ちが影響しているのだと思います。前述の天ぷらにソースも神戸に居た頃に好きになりました。
そりゃあ、昔は色々と戸惑ったもので、疎外感を感じた事もありました。先ず、両親が愛知なので、実家の味噌汁は赤だしです。なので、保育園の頃か小学生に上がってからか、家の外の味噌汁に触れた折にはカルチャーショックでした。「味噌の色が違う!」と。
最近のカルチャーショック例では、東京に来てから食べたおでんです。「ちくわぶ」の存在を私は知らなかったので、あれも水産練り製品だと思っていたのです。でも、今では好きなおでんだねの一つになりました。そして、好きになった理由が、複雑なのですが、近畿で育ったせいもあると思うのです。私はデンプン+デンプンの食事が好きな人間です。お好み定食、焼そば定食、うどん定食……こういうのが好きだから、同じくデンプンのちくわぶも好き、と。
ちょっと話が逸れますが、私の持論として「エネルギー源の内で、デンプンの占める割合が高い人は気が短いのではないか?」というのがあります。どっちかと言うと、東国よりも西国の方がイラチ(いわゆる短気)が多い気がしますし、現にデンプン+デンプンを好む私もイラチの傾向があります。また、イタリア人って気が短いイメージですが、イタリアも随分コナモン文化ではないですか? パスタありーの、ピッツァありーの、ニョッキありーの。
更に、脂質よりも糖質の方がエネルギーに変わるのが早いので、短気向けなのだと思います。ん? 待てよ? そういう意味では、「デンプン摂取派だから短気」なのではなく、「短気だからデンプン摂取派」なのかも? それなりの研究機関が調べれば、面白いデータが出るのではないかと思います。

ええと、いつの間にか読書感想文から遠く離れて来たので、話を戻します。この本で特に注目なのが、最終章の「東海道を歩いて食の境界線を探る」という内容の章です。日本橋〜三条大橋という、まさしく東海道なのです。色々な食べ物の境界線が見えて圧巻です。静岡でイルカを食べるというのは初耳でした。今度静岡に行った折には食べてみたいものです。嗚呼、また一人旅がしたくなって来た!
                                駅員@寒いので 春を待っての 草枕

2009年2月9日(月)
駅日誌(1145) 「修行が足らんわ!」

剣聖・塚原ト伝が、囲炉裏端に座り、鍋が煮えるのを待っていた所に、修行中の若かりし宮本武蔵が斬り込みました。ト伝はその刀を鍋の蓋で受け止めて「修行が足らんわ!」と言ったとか何とか、そんなような逸話があります。
実話なのかどうかは物凄く胡散臭く、武蔵が生まれる前に、ト伝はもう死んでいたとか……しかし、いつどこで出来上がった逸話かは分かりませんが、ドリフのコントや漫画のネタになるくらいのメジャーな逸話です。塚原ト伝の名前は知らなくても、鍋蓋で刀を受けるという映像が頭に浮かぶ人は多いのではないでしょうか。
世界中で、このような「パッと見ヨボヨボの老人」に血気盛んな若者が挑みかかって、軽くいなされてしまうと言った逸話は数多くあります。この構図は現代の漫画なんかでもよく見る構図ですね。最早使い古されて意外性は無いのですが、物語類型の一つとして定着しているのだと思います。この根底には、恐らく「姥捨て山」にあるような「老人をなめるな!」といった思想があるのではないかと思います。
どうも日本の剣豪列伝等を読むと、剣聖・剣豪と謳われた人の多くは、最終的に技術ではなく哲学の世界に入っていっていますね。私はそういった哲学的・思想的な話は好きなのですが、人間としては一向に修行が足らんなあ、と思います。

ちょっとした心の変化がすぐに表に出てしまいます。可笑しければ笑い、悲しければ物憂い顔になり、恥ずかしかったり照れたりすれば赤面し、苛々すればカリカリし、焦っていればアセアセし……この事を、「裏表が無いのだ」と評してくれる人もいますが、それは百歩も二百歩も譲った上で、私のためにそう言ってくれているのでしょう。そのくせ、人の喜怒哀楽が非常に気になります。自分がそうやって喜怒哀楽を表に出すくせに、人が表に出すとそれに反応してしまいます。こういった点を指して、修行が足らんと思います。
しかし一方で、それこそ菩薩のように、自分の喜怒哀楽にも、他者の喜怒哀楽にも一切動じずに、ただ穏やかに目を半開きにしているというのも、傍から見ればムカつかれそうです。いやいやいやいや、「ムカつかれそう」とか気にしている時点でアウトです。悟りを開く、或いはその1ランク下の菩薩のように振る舞うというのは、そのフリだけならば出来ても、本質的に実行するのは至難の業なのだと思います。当然ですが、矢張り悟りを開くなんて事は一筋縄では行かないのでしょうね。世の中には「修行の末、いついつ大悟した」なんて事を経歴に載せている宗教家がいますが、一体彼等のうちのどれだけがその領域に入っているのだろうか?
今日はどうもディープな方向に考えが向かいました。まあ、こんな事を考えているうちは、まだまだ修行が足らんという事でしょう。人間の尺度で考えている以上は、人間を超越してはいないのです。もしかしたら、こんな事を何も考えずに、一切の罪悪感をも持たずに生きている人の方が余程悟りに近かったりして。
                                 駅員@新幹線 席の夢見は 煩悩か

2009年2月8日(日)
駅日誌(1144) 「雪山」

金曜土曜と日誌の更新が滞ってしまったので、本日は2本書きます。その2本目。
今朝早起きして、日帰りでスノーボードに行って来ました。今シーズンでは初です。私の場合は、飛んだり回ったりといったテクニックは備えていないので、滑るだけなのですが、それでも楽しかったです。
ただ、強風が吹いており寒かったせいで腹が冷えたのか、滑っている最中は気にならなかったのに、帰る頃になってどうも腹具合が悪くなってしまいました。うーむ、今年はどうも胃腸が弱っているようです。養生せねばな。

今回行った所には、食事所のそばにDJブースがくっ付いており、そこでスキー場内に流している音楽を選定していました。そのDJブースの脇に「リクエストボックス」なるものが。「折角だし、書いてみるか」というわけで、我々一同、それぞれリクエストを書いてその箱に入れておきました。
昼食の後、しばらく滑っていたのですが、やがてリフトの支柱等に取り付けてあるスピーカーから、リクエストが読み上げられました。おっと、私が書いたやつではないか……私のリクエストは桑田佳祐「祭のあと」。このDJが流すのは、用意してあるCDからの選曲だそうで、「無いかなあ」と思って諦めていたのですが、いざ掛かってみると嬉しい物ですね。ラジオ番組に葉書や電話、ファックスでリクエストを出す人の気持ちが分かった気がします。
リフトを降りた所から。

                              駅員@吹雪く中 季節外れの 桑田かな

2009年2月8日(日)
駅日誌(1143) 「その通貨は円天」

金曜土曜と、日誌の更新が滞ってしまったので、本日は2本書きます。先ずは1本目。こちらは、金土いずれかに書こうと思っていたネタなのですが、いずれも日誌更新前に眠ってしまい、書きそびれました。
タイトルにある「円天」とは、とある擬似通貨を指すのですが、本日の日誌は、それを発行していたL&G社による詐欺事件についてです。最早マスコミで一通り騒がれたネタなのですが、私もちょっと書きたい事があったので、遅ればせながら。

この「円天」とは、日本の通貨である「円」と、1:1のレートで交換出来る擬似通貨で、一旦L&G社で換金し、その上でL&G社が円天市場という場で販売する商品を購入出来るとしたものです。
世の中には擬似通貨は沢山あり、広義ではマイレージやポイントも擬似通貨のような物だと思います。なので、擬似通貨発行自体は悪い事ではないのでしょう。
しかし、その手口に詐欺がありました。「円天」を発行する時の売り文句が、「一度円天を買えば、翌年から毎年同額の円天が発行され、且つ最終的には元本が保証される」等と言っていたそうです。どう考えても最終的には行き詰まる仕組に見えて来るのですが、矢張り行き詰まってしまい2007年に破綻。円天を買った出資者の元には金が返ってこなくなってしまいました。その当時も話題になりました。そして、今回の会長の逮捕です。凄いのはこの会長の態度ですね。よくもまあ、ここまで偉そうに出来たもんだ……

さて、気になるのは、日本政府が「政府紙幣」の発行を検討しているという今の時期と、今回の逮捕に伴う報道の時期が重なっているという点です。
「政府紙幣」も、日本円と等価値で、日本円とは異なる貨幣という点では共通します。先日の日誌にも「政府紙幣」の長所短所について書きましたが、今回の円天詐欺事件を頭に置いて見ると、その負の部分ばかりが目立ってしまいます。「円天」と「政府紙幣」とは、全く違うものであり、その信頼性も大きく異なる筈なのに、「政府紙幣も何だか危なそうだぞ」という感覚が芽生えてしまいます。
即ち、「政府紙幣」の発行の是非についての世論が、今回の円天詐欺事件で大きく変わってしまう可能性があるのです。これは神の作為か? それとも人の作為か?
                              駅員@イメージは 築かれ難く 折れ易し

2009年2月5日(木)
駅日誌(1142) 「海老庵」

新月の夜、引潮によりその道は開くという。岬の先に位置する島へ歩いて渡る道である。鬱蒼と木々が茂る島の中央には一つの草庵があり、その名も海老庵という。その庵の中には、背の曲がった海老仙人という老人が住んでおり、その海老仙人に祈りを捧げると、骨粗鬆症が治るそうな……
はい、無い話は終了! 日本昔話的にスタートしましたが、今日の話題はフランスの関係です。フランス……海老庵……えびあん……エヴィアン、と。また枕に駄洒落を使ってしまいました。

さて、エヴィアンと言えば、フランス原産の有名なミネラルウォーターです。日本でもPETボトルに入った水が売られています。そのエヴィアンですが、毎年イヤーボトルという限定品を販売しています。イヤーボトルの2009年版を知人から頂いたので、本日の日誌はそれについてです。
2009年のボトルデザインは、ジャン・ポール・ゴルティエの作。形状はスタンダードなボトルなのですが、表面に水晶や雪の結晶をイメージさせるデザインが施されています。この水、750ml入りで1本\1,500だそうです。大体通常品の相場としては300ml程度のPETボトルで\150前後ですから……高っ!! こりゃあ、最早一種のコレクターズアイテムなのですね。ブランド力の維持のための物なのでしょう。
よくパリコレとかのファッションショーで、一般人はどう考えても着ない服をモデルに着せて闊歩させるという事をやっていますが、あれに近いのだと思います。
で、ジャン・ポール・ゴルティエって何者!? 名前の感じからはどうやらフランス人っぽくて、どこかで聞いた覚えもあるのですが……
というわけで、何する者ぞ、と調べてみました。ピエール・カルダンの弟子にして、ファッションデザイナーです。エルメスでも仕事をしているデザイナーだそうです。映画フィフス・エレメントの衣装や、マドンナやBOφWYのステージ衣装も手掛けた事があるとか。ふーむ、件のイヤーボトルの値段……そこには高いデザイン料が含まれているのでしょう。味は、エヴィアンですから、美味しく頂きましたが。
命名:なで肩ボトル。

                              駅員@高い水 これぞまさしく 水商売?

2009年2月4日(水)
駅日誌(1141) 「政府紙幣」

我々が使っている紙幣は、日本銀行が発行する日本銀行券で、単位は「円(\)」です。その「円」とは異なる第二の紙幣を発行しようか、どうしようかという事が政府で検討されているそうです。
その名も「政府紙幣」。日本銀行ではなく、日本政府が発行する紙幣です。日本でもかつて、明治維新後や第一次世界大戦中に発行されていたそうです。そういった非常事態に発行されてきたわけですが、今回は何故か? 財政再建策であると同時に、貨幣の流通量を増やしてデフレ対策にもなります。国債を発行せずして国が使える支出を増やせるという魔法の紙なのです。
そんな魔法の紙ならば、即刻発行出来るようにすれば良いではないか……という気もして来ますが、ところが使い方を間違うとえらい事になるというリスクもあります。先ず、政府は金を使いたいだけ使える事になるわけです。バッサバッサとばら撒けばどうなるか? ハイパーインフレを招いてしまいます。
極端な話では、うまい棒1本10万円とかそういう事になり兼ねません。うまい棒を買うのに万札10枚! その比率で言えば、自動販売機でジュースを買うのに100万円の札束を突っ込む事になりますし、ちょっとランチを食べただけで1,000万円の札束です。
はたまた、チップ式のトイレで箱に札を捻りこんだり……
成金じゃなくても、玄関が暗くて靴が見付らない時に、札に火を点けて灯りにしたり……
歓楽街のいかがわしい風呂に行く人が皆、やけに大きな鞄(3億円分!)を抱えて行く事になり、いかがわしい風呂に行こうとしているのが一目でバレたり……

何やら馬鹿な事ばかり書いているように見えますが、極端なハイパーインフレが起きればそういう事態になります。1900年代前半の、ドイツかどこかヨーロッパの国の写真だったと思いますが、札束を積んで出来た箱に腰掛けたおっさんの写真を教科書で見た記憶があります。先程の冗談のような表現も、実際に起き得る事なのです。

キチッと発行の制限を設け、且つ危機を脱したら二度と発行しないと確約出来るのであれば、一つの策ではあります。しかし、一度楽な手段を身に付けた人間は再び苦労をしようと思う事はなかなか出来ません。政府紙幣慎重論者の論拠は突き詰めればここいらにあるのではないか、と思います。煙草、酒、麻薬・覚醒剤……依存性のある物は世に数あれど、「楽チン」ほど依存性の高い物はないと思います。
                                駅員@狸から 貰った紙幣 枯葉かな

2009年2月3日(火)
駅日誌(1140) 「Paint it Black」

I see a red door and I want it painted black♪
No colors anymore I want them to turn black♪
    〜The Rolling Stones “Paint it Black”より

赤いドアがあったので、黒く塗りたくなった。黒以外には塗りたくない。何やら、短調のロックナンバーに合わせて黒い陰鬱な事を書くと思いきや……黒い物が多くなった事について触れたいと思います。
今日、煙草の自販機を見て、気になる煙草があったので、試しに買ってみました。セブンスターのブラックインパクトというやつです。7mgと私にとっては軽めな煙草なのですが、うーん、なるほど。7mgにしては味がシッカリしているという印象です。まあ、これが無くなったら、またいつもの銘柄に戻すわけですが。黒い煙草と言えば、フィリップモリスでもマルボロ・メンソールの黒いやつが発売されています。元々白地の物を黒にするだけで、結構しまって見えるものです。
嘗てはこういったパッケージでは黒はあまり一般的ではなかったのですが、最近は結構多いですね。特に食品では一部にしか使われる事がなかったのですが、「黒いポタージュ」なんてスープもありますし、ラベルが黒いコーラもあります。食品分野で大いに黒いパッケージが増えたのは、思うに、黒胡麻とか黒豆とか黒米とか、黒くて健康に良い物が出て来て、「黒」という色に対するイメージが変わってきたせいでしょうね。
元来、何となくイメージとして黒は「悪」みたいな所があります。カラスや黒猫、コウモリは不吉とされますし、「白くて羽が生えた人」は「天使」というイメージなのに対し、「黒くて羽が生えた人」は「悪魔」というイメージです。
が、その一方で恰好良い色でもあります。例えば、スポーツカーは、赤とか黄色といったソリッドカラーが恰好良いのですが、黒も非常に恰好良く感じます。これは、もしかしたら、昔テレビで見たアメリカドラマの「ナイトライダー」(懐かしいなあ、おい)のせいかも知れませんが、今でも黒が似合う車の黒は恰好良いです。私の中では、マツダのRX-7(FD3S。RX-8の前の滑らかなラインで構成されたモデルです)には黒が良く似合うと思います。また、色の白い人が黒い服を着ていて、それが似合っていると、非常に恰好良く見えます。
黒と言えばもう一つ。「何色にも染まらない」というイメージがあります。裁判官の法服は黒ですが、あれも原告、被告、弁護士、検察、利害関係者といった人々の意見に染まらずに正義を貫くという意味が込められています。
不思議です。一方では悪のイメージを持たれながら、一方では正義のイメージを持たれているという稀有な色なのです。
ブラックインパクト。自販機で一段ぶち抜きでした。

                               駅員@冬の夜は 漆黒なのか 透明か

2009年2月2日(月)
駅日誌(1139) 「抜き打ち尿検査」

尾車部屋の十両・若麒麟が大麻取締法違反容疑で逮捕されたのが、先日。ちょっと前に若ノ鵬、露鵬、白露山が同じく大麻陽性反応で逮捕・クビになったばかりです。いやいやいやいや、たとえそれまで吸っていたとしても、何故そんなリスキーな時に吸ってしまうのだろうか!? やっぱり依存性があるのでしょうか。
これで四人目です。このところ、角界の醜聞が尽きません。こんな体たらくでは、やくみつる(漫画家。日本相撲協会外部委員)は大忙しです……いや、待てよ? やくみつる? 薬、満つる!? 黒幕は奴か!! 角界で醜聞が広がって一番儲かるのは、奴だと言っても過言ではありません! ……そんなわけないか。「やくみつる」の「やく」は、「薬」ではなく「役満」の「役」です。下らない言葉遊びでした。やくみつるさん、失礼致しました。

しかし、こんなに逮捕者が出ると、まだ居るんじゃねえのか? というわけで、親方・力士・行司を含む相撲協会全員への、抜き打ち尿検査が行われるそうです。
力士の尿検査ってどんな具合なのでしょうか? 尿検査と言えば紙コップで小便を受けてする検査です。中には堂々たる体躯ゆえに自分のちんこが見えない力士も居るのではないか!? その場合、ちゃんと紙コップに受け止められるのでしょうか!? それとも、付人の居るクラスになると、自分で摘まず、付き人が摘んだりするのでしょうか?

(以下、下品な描写を含みます)

関取「おう、尿検査だ。頼むぞ」
付人「押忍。わかりました」
関取は便器の前へ。付人はその脇に跪き、恭しい手付きで関取の着物の裾を上げ、帯の後ろに押し込んだ。次いでパンツを下ろすと、その中にあった物がパンツのゴムに弾かれてぷるんっと付人の眼前をかすめた。付人は思わず眉をひそめたが、関取は何食わぬ顔で前方の壁を見ていた。付人は右手の人差指と親指でそれを摘むと、左手には検査用紙コップを構えた。
付人「関取、準備出来ました。先ずは、ちょっとだけ出して一旦止めて下さい」
関取「おう」
関取が少し腹に力を入れると、その先端からはちょろちょろと黄色い尿が流れ落ち、すぐに数滴の雫となった。それを見届けた付人は、紙コップをあてがって、関取の顔を見上げる。
付人「結構です」
関取が再び腹に力を入れると、その流れが再開した。が、力の調整を誤ってしまった。流れは急流となり、紙コップの底に激しく衝突。飛沫が上がり、付人の顔に。
付人「うわっぷ!」
付人は後ろに仰け反り、その勢いで紙コップが宙を舞った。金色の輝きを撒き散らして。

うーむ、しょうもない事を書いてしまいました。実際にはどうしているんでしょうね。
                             駅員@その手形 張り手の跡か 麻の葉か

2009年2月1日(日)
駅日誌(1138) 「鳥打帽」

今日は昨日とは打って変わって、晴れた天気でしたが、強風が吹いていました。私は帽子を被って出掛けていたのですが、突風に吹き飛ばされてしまいました。風で飛ばされた帽子という物は厄介な物で、追いかけて拾おうと屈むと、手から逃れて飛ばされ、また追い付いて拾おうとすると、また飛ばされて、となってしまいます。
車道に飛んでしまい、その時幸い車は通っていなかったので、ダッシュで追いかけて自分で拾う事が出来ました。
丁度その時、私よりもちょっと後ろを歩いていた人が、拾おうと車道に出て帽子の所まで移動していました。私は簡単に謝意を述べてそのまま行ってしまったのですが、思えば、その通行人が帽子のそばに立った事で、風防が出来た御蔭で拾えたのかも知れません。それに、危険な車道に出て拾おうとしてくれたので、もっとキチンと謝意を述べるべきだったか……と後になって思いました。
そう言えば……以前もこの帽子を被っていて風に飛ばされた事があります。思うに、この帽子はハンチングなので、他の種類の帽子に比べて被り方が浅いのだと思います。だから飛ばされるのでしょう。

ハンチングと言えば、最近、任天堂DSの「レイトン教授」の第三弾をやっているのですが、この作品の登場人物がハンチングだらけです。シリーズ通しての、レイトン教授の弟子であるルーク少年がハンチングですし、今作には、そのルーク少年の未来の姿も出て来て、そのルーク青年もハンチングです。一方、回想シーンに教授になる前のレイトンが出てくるのですが、こいつもハンチングという始末。尚、第三弾では、レイトン教授がシルクハットを常時身に付けている事情も出て来ます。
今のところ、ストーリーに出て来るナゾは全問解いて、ストーリー部分は終了しているのですが、レイトン教授の挑戦状というコーナーがあと二問解けずに放置です。いずれも「スライドパズル」系の問題です。こういうのって、パッと閃いて一瞬で解けるタイプではなく、色々動かしてみてクリアするタイプなので、どつぼに嵌まると、グルグルと同じ事をしているだけで一向に前に進みません。こりゃあ、本編では何としても使いたくなかった「Sヒント」に手を出さないと無理か……? しかし、やっているうちに解けてしまったという解け方がよく起こるタイプの問題なので、もうちょっと粘ってみようかと思っています。

それにしても、ハンチングって、私の中では「競馬好きのおっさん」が被っているイメージがあります。私も耳に赤鉛筆を、小脇に競馬新聞を挟んでいたら、100%競馬好きのおっさんになってしまうと思います。あとは、泥棒とか刑事とかが被っていそうな……
しかし、元々は恐らく狩りに被る帽子なのでしょうね。HUNTINGから来ているのだと思います。調べて見ると、実際にそのようで、出自はイギリスの狩猟用の帽子だそうです。
日本語では「鳥打帽」(とりうちぼう)と言うそうで、かつては主に商人が被る帽子だったそうです。ああ、そう言えば、日本香堂のCMに出て来る眼鏡の丁稚坊主もハンチングを被っていますね。
                                 駅員@冬風に 鳥打帽が 飛翔する
                      ▲ページTOPへ▲