昨日の日誌に書いた、連休の東海道歩きの続きです。
横浜に泊まるのも何だかなあ、という事で一旦帰った翌日。再びそれと同じ路線に乗って横浜へ。
横浜駅から出て西へ歩き、街道に復帰。環状一号線の脇にある旧街道を歩きます。しばらく行くと、そのまま保土ヶ谷宿に着き、その通りは商店街になっています。
ここの商店街は旧街道にあるにも関わらず活気があり、前日に通った品川宿の商店街とは全く違いました。特に八百屋に活気がありました。商店街の外れで軽い昼食を済ませ(またしても街道歩きらしいものは食べられず。レトルト味のカレーでした……)、そのまま道なりに歩いて行くと、帷子川です。
帷子川に緋鯉の姿が見えたので見下ろすと、それまでは気が付かなかったのですが、黒い鯉がうじゃうじゃと橋の下に群れていました。皆一様にこちらを見て口をパクパクしています。この橋から餌を与えられているのでしょう。しかし、余りに数が多過ぎてグロテスクでした。
川を越えると相鉄の天王町駅があり、そのガードをくぐります。くぐった先には旧帷子橋跡として、橋の模型がありました。
そこから更に進み、国道一号線に合流。その脇を歩いて行くと、やがて坂道に差し掛かります。「権太坂」というその坂は入口が結構急な坂で、急な部分を過ぎてからもまだ上り坂が続きます。上り切った所に境木地蔵尊という地蔵堂があり、そこが旧武蔵野国と相模国の境目だとか。そこからは「品濃坂」という坂を下って行きます。
JR東戸塚駅付近を過ぎてまた道なりに歩き、JR戸塚駅そばの踏み切りを渡ります。駅の側で、且つ同じ方向の路線が複数あるこの踏み切りは、いわゆる「開かずの踏み切り」で、私は上下合わせて4本の電車を待つ事になりました。何でも、この開かずの踏み切り解消のために、立体交差工事が進行中だそうです。丁度この辺りが戸塚宿になります。
駅の近くには、清源院長林寺という寺があり、そこには徳川家康の妾だった「於万の方」の墓があるそうです。「於万の方」と言えば、つボイノリオが放送禁止歌「極付け!お万の方」という歌を出しています。最低な歌なので、ここで触れるのはよしましょう。
尚、その寺の下には、あのガチンコラーメン道の佐野実が暖簾分けした「支那そば屋」がありました。
そのまましばらく平坦な国道沿いの歩道を歩き続けていると、やがて上り坂になってきます。その坂の上で国道から分岐した道を歩きます。ここからは長い下りが続いて、日が暮れる頃には藤沢宿です。
ここには時宗の総本山の遊行寺があるのですが、生憎もう辺りは暗くなってきていたため、寄るのはやめておきました。踊念仏をやっていた宗派なので、何ぞ面白い物でも見られるかと思ったのですが。
時宗は、浄土宗の派生なので南無阿弥陀仏の念仏を唱える訳ですが、時宗ではその信・不信は問わず、念仏を唱えるという行為そのものが極楽往生に結び付くといったコンセプトのようです。これでは、コントやなんかで「なんまんだぶ」とか「なんまいだー」とかと唱えているのと大差無いような気もするのですが……
何はともあれ、もう暗くなってきたので、ここいらで泊まる所を確保しないといけません。
大きなビジネスホテルがあったのですが、生憎満室。飯無しの旅館に泊りました。
左:保土ヶ谷宿商店街。 右:帷子川の鯉の群れ。
左:旧帷子橋跡。 右:藤沢宿前の道に咲いていた彼岸花。
この2日目の途中から足の裏に違和感が発生しました。大きなマメが出来たのです。そして、その後とうとう潰れました。足に鈍痛が走り、そこからはその潰れたマメを庇うように歩いたため、足の筋肉に妙な張りが出来ました。
一晩泊まれば潰れたマメの様子も治まり、再び歩けるだろうと思っていたのですが、翌朝も全く痛みは引かず、今回の連休は泣く泣くここまでと致しました。次の連休にはこの藤沢スタートで歩こうと思っています。
東海道五十三次(2)歩行距離 : 21.6km(日本橋〜49.1km)+α。
駅員@面の皮と 違って弱き 足の皮
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