2009年11月度目次
 #1242 「東海道五十三次(5)」 箱根湯本〜箱根宿。
 #1243 「東海道五十三次(6)」 箱根宿〜三島宿〜沼津宿〜片浜駅。
 #1244 「Purple Haze」 煙草増税について。
 #1245 「顔面改造」 英会話講師死体遺棄容疑者。
 #1246 「食べ物をオモチャにする」 悪い例と良い例。
 #1247 「Mobile Suit」 池袋ヤマダ電機。
 #1248 「チャーリー鹿沼」 ロードバイクでツーリングに。
 #1249 「壁」 ベルリンの壁崩壊から20年。
 #1250 「猫」 近所に猫が多い。
 #1251 「花」 国際フラワーEXPO。
 #1252 「右」 平成天皇陛下即位二十周年式典とその周辺。
 #1253 「籤」 ロト6、ガンダム、カンビュセス。
 #1254 「宙」 パラレルワールドについて。
 #1255 「免」 免許更新とH&M。
 #1256 「杯」 エネルギッシュな人。
 #1257 「若」 現役大学生に話を聴く。
 #1258 「分」 事業仕分けについて。
 #1259 「理」 ペナルティよりインセンティブ。
 #1260 「怖」 怖いもの。
 #1261 「鍋」 会社の部署のメンバーと鍋。
 #1262 「汗」 籠球&人間椅子。
 #1263 「檎」 11月25日は椎名林檎の誕生日。
 #1264 「鬼」 山陰に行きたくなる店。
 #1265 「弗」 投資・投機は自己責任で。
 #1266 「玩」 久々にプラモデルを作りました。
 #1267 「末」 銀幕寸評 “2012”。
 #1268 「拳」 昨日のWBCフライ級タイトルマッチ。

2009年11月30日(月)
駅日誌(1268) 「拳」

WBCがWBCを超えたそうですね。
即ち、亀田興毅vs内藤大助の、WBC(World Boxing Council)フライ級タイトルマッチのテレビ中継の視聴率が平均43%、最高視聴率では51%を記録し、今年の一番の記録だそうです。WBC(World Baseball Classic)の最高視聴率を上回ったのだとか。

それにしても残念なのは、亀田が勝ってしまった事です。実は私は亀田一家が嫌いなのです。同意見の人は結構居るかも知れませんが。
何が嫌いかって? そりゃあ、興毅も大毅も和毅も態度はムカつきますが、そんな事じゃありません。あの糞親父・史郎が大っ嫌いなのです。田舎ヤンキーそのものの子育て方針、不遜な態度で吐く暴言の数々……それもムカつきますが、それ以上に、決定的に私が亀田親父を嫌いになったのは、2007年の内藤vs大毅戦とその後の記者会見です。
この糞親父は、罵声で威嚇したり、更には反則の指示を出しておきながら、謝罪会見で「反則の指示は出していない」と抜かしたのです。息子の選手生命が失われるかも知れない場面で、です。
反則の指示を出していたのは明確なのですが、もしも仮に、指示を出していなかったとしても、「指示を出したのは俺だ」と言ってやるのが親父だろうが! と思うのです。こんな糞親父がボクシング界から追放されても、三兄弟に素質があれば、もっと良いトレーナーについて強いボクサーになれるのです。「もしも話」を続けて恐縮ですが、もし、大毅がライセンスを剥奪されていたら、どう思ったのでしょうか? それでも「周りが悪い、俺は悪くない」とほざくのでしょうか? この糞親父は。
何はともあれ、この糞親父がトレーナー資格を停止されて、この兄弟は救われたと思います。今回の亀田興毅の最大の勝因は、トレーナーが変わった事だと思います。最も幸いなのは、若い段階でこの糞トレーナーから離れられた和毅ですね。まともなトレーナーにつけば、良いボクサーになるんじゃないかと思います。
                            駅員@曲がりくねり 仔亀惑わす 亀の尾や

2009年11月29日(日)
駅日誌(1267) 「末」 銀幕寸評 “2012”

映画を観に行って来たので、本日の日誌はその寸評です。下記、タイトルの右にある☆は私の個人的な評点で、5ッ星満点です。

「2012」 ☆☆☆
マヤ文明が予言していたという、世界の終末を描いた映画です。太陽系の惑星が一直線に並び、太陽が活動を活発にした事で、地球に異変が発生し、地殻が大きく移動を始めます。それにより、地震・噴火・津波が発生し、人々はパニックを起こし逃げ惑います。
なるほど、テーマは大きく、映像には迫力があり、しっかり人間も描いています。しかし、所詮は「ハリウッドにありがちなベタベタの骨組み」の枠から一歩も出て居ません。何て言うか……「どーせ、こーなるんだろ? ほーら、やっぱり」「こいつとこいつが生き残って、こいつとこいつが死ぬんだろ〜な〜」という予定調和が最初から透けて見えるのです。まあ、これは必要悪なのかも知れません。水戸黄門と同じなのです。御子様から御年寄まで幅広い層が安心して見られるわけです。と、こんな辛口な事を書いておきながら、評点は3ッ星と悪くない……では、それは何故か?
先ず、最大のポイントとして、私がこの映画の監督を嫌う要素が、今回の作品には少なかったという点です。この監督は過去に似たような映画「インディペンデンス・デイ」「デイ・アフター・トゥモロー」を撮っていますが、それらには嫌いな要素がありました。特に「インディペンデンス・デイ」においてなのですが、「アメリカ万歳」臭さです。「宇宙人からの、第二の独立記念日だ!」って? 脳味噌どんだけ「アメリカ=世界の中心」になってんだ、このFuckin'Yankeeが! と思ったものです。そういった面が無かった点が良かったです。
次に、「宗教の偉大さと無力さ」を合わせて描いているという点も良かったです。チベット僧(&考証不足のためインチキ臭いダライ=ラマ)が出て来るのですが、益々チベットに行きたくなりました。
また、豪華客船のバーで演奏している爺さんコンビ(ピアノ&歌の黒人と、ベース&歌の白人)が出て来るのですが、彼らがなかなか良い味を出しているなあ、と思いました。
と、このように良い点もある映画なのですが、矢張り既存の枠から出ていないという感覚は否めません。「結局これって、ポセイドンアドベンチャーやん……」と。
最後に、観ていて最も気になった点を……主人公が別れた妻の再婚相手の男が、何だか私の目には「ますだおかだの岡田」に見えてしまって、そいつが出て来るシーンが可笑しくて可笑しくて……
                             駅員@ボクシング 横目に映画 思い出す

2009年11月28日(土)
駅日誌(1266) 「玩」

「認めたくないものだな……自分自身の若さ故の過ちというものを」
   〜「機動戦士ガンダム」シャア=アズナブルの台詞より〜

先日、PCと携帯電話機を新しくした時に行ったヤマダ電機には、別館の中にガンダムオンリーのフロアがありました。ちょっと見て帰るだけのつもりだったのですが、その時にプラモデルをちょこっと買って帰りました。何ともガキっぽい散財。これぞ、自分自身の若さ故の過ち、か。買ったは良いのですが、ちょっとだけ作って放置していました。それを今日組み上げたというのが、日誌の内容です。なので、ガンダムに興味の無い人は今日の日誌はつまらないかも……

プラモデルを作るのは、何年ぶりでしょうか。しかし、作ってみるとこれはこれで楽しいものです。先日買ったのは、「ハイゴッグ」と「ズゴックE」。ガンダムの外伝的な話の「0080ポケットの中の戦争」という作品に出て来る水陸両用型のモビルスーツです。それぞれ「機動戦士ガンダム」に出て来る「ゴッグ」「ズゴック」をリファインしたモビルスーツで、物語上における性能もそうですが、デザインもリファインされています。この「0080ポケットの中の戦争」に出て来るモビルスーツは殆どが、そういったリファイン物になっている(他に、ガンダムNT-1、ザクUFZ、リックドムUなんてのが出て来ます)のですが、なかなか恰好良いデザイン揃いで気に入っています。
基本的にプラスチックに着色されているので、わざわざ色を塗らなくてもそれなりに出来上がるのですが、ちょっとだけ塗装もしました。ボディパネルにある筋・溝を黒く塗るペンと、小さな部分を塗るマーカーです。全体に色を塗らなくても、この筋・溝に黒い線を入れるだけで、随分出来上がりの印象が変わるものです。
 左がハイゴッグ、右がズゴックE。

しかし、作ったは良いのですが、どうしたものか……本棚の上に並べておいても、やがて埃塗れになるのは間違いありません。えっ? 埃が溜まらないように頻繁に部屋を掃除しろって? え、えーと……
                                駅員@少年の 如く模型を 組む土曜

2009年11月27日(金)
駅日誌(1265) 「弗」

「引越は引越のサカイ、Please!」 「ヒッコシハ ヒッコシノ サカイ!」
「引越は引越のサカイ、Together!」 「ヒッコシハ ヒッコシノ サカイ!」
「Good! フジヤマ ゲイシャ」 「ヒッコシノサカイ!」
「円高 ドル安」 「ヒッコシノサカイ!」
「儲かりまっか?」 「ボチボチデンナア」
   〜サカイ引越センターCMより〜

米ドルが、1ドル=86円台になってしまいました。うむむむ、どこまで行くのか円高ドル安。
このまま行くと……米国沈没か!? パックスアメリカーナの終焉か!?
否、そうはならないと私は踏んでいます。80円をボーダーに、政府日銀のドル買い介入は間違いないですし、他の国でもどこかの時点でドル買い介入をするでしょう。
そして、そして、かの国には恐ろしい切り札が残っています。景気浮揚特需の自作です。是即ち、戦争也。嘗て、かの国は経済危機を戦争特需で乗り切って来た事が度々あります。標的になる「悪の枢軸」は一体どこか? それとも、オバマ政権ではそうはならないでしょうか? ノーベル平和賞剥奪を恐れて? 或いは、そのカードの切り方が見透かされている事を反省して? いずれにせよ、このままドル安が底無しに進んでしまうと、世界の至る所で、商売、生活、果ては人命が吹き飛びます。
これはこれで暴走しているエコノミックアニマルに神が「見えざる手」で下した天罰なのかも知れませんがね。
しかし、そうだとしても、我々はエコノミックアニマルという業の下に生きていますので、その宿命として防衛を余儀なくされています。という事は……何らかの手を打たれて底打ちが来るのだと思います。
ならば、今はもしかしたら、米ドルの買い時なのかも知れません……おっと! もし、これを読んで米ドルを買おうと思った方がいらっしゃっても、投資・投機はあくまで「自己責任」です。「駅員を信じて損をこいた!」なんて事を言われても、私は何もしませんし、何も出来ませんので、悪しからず。
                              駅員@米穀を 挽いた米粉で パンを焼く

2009年11月26日(木)
駅日誌(1264) 「鬼」

ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ 朝は寝床でグーグーグー♪
楽しいな 楽しいな お化けにゃ学校も 試験も何にも 無い♪
ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ 皆で歌おう ゲゲゲのゲ♪
  〜ゲゲゲの鬼太郎より〜

ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげるは鳥取県出身です。鳥取の境港市には、鬼太郎のキャラクターの銅像が並ぶ道もあるそうです。また、その隣の県である島根県には10月(神無月。出雲では神有月)に八百万の神々が集まる出雲大社もあります。妖怪&神……異界の気配漂う山陰。一人旅に行きたくなってきます。
今、ちょっとずつ進んでいる東海道五十三次歩きの次は、山陰一人旅に行ってみようと思います。飛行機で飛んで、レンタカーであちこちに行けば楽しそうです。
さて、何故このような事を思ったかと言うと、昨日行った「炉端かば」という店が、居酒屋が山陰の料理&酒を売りにした店だったからです。存外色々と美味しい物があり、それでいてなかなか面白いメニュー構成でした。
その中に「ぼうずごろし」というメニューがありました。何かと言うと、「岩もずく」というもずくの一種だそうで、シッカリとした歯応えがあり、なかなか美味です。それにしても、名前の由来が気になります……では、先ずは辞書で。えーと、「僧を誘惑して堕落させる事。僧相手の売春婦、または男娼」……御釈迦様の修行中にちょっかいを出してきた魔物か? これは違うな。だがしかし、ネットで検索をかけても由来らしきものが見当たらず。
単純に「印度人もビックリ!」みたいなノリのネーミングなのでしょうか? つまりは、美味し過ぎて僧が死んだ、とか何とか。どなたか御存じの方がおられたら、教えて下さい!
飲み物でも、地酒・焼酎の他に、地ビールもありました。矢張りと言うべきか……鬼太郎ビール! その黒ビールを飲んだのですが、これもなかなか美味でした。
 鬼太郎ビール・スタウト。
こりゃあ、益々山陰旅行の気運が高まってきます。東海道の後なので、春か夏に行きます。

                                  駅員@妖怪の 国の隣に 神の国

2009年11月25日(水)
駅日誌(1263) 「檎」

Happy Birthday to you♪ Happy Birthday to you♪
Happy Birthday Dear Apple♪ Happy Birthday to you♪


今日……否、もう日付が変わってしまったので、昨日は、私の好きなミュージシャンの一人である、椎名林檎の誕生日でした。私が若かりし頃に「ここでキスして」という曲を聴いて気に入り、今でも聴き続けています。私の特にお気に入りの曲は、「月に負け犬」「警告」「幸福論〜悦楽編〜」あたりです。うーむ、初期の曲が多いですね……最近の曲の中ではJAZZYな曲が好きですが。

さて、11月25日という事は、12星座で言う所の射手座です。私はどうした事か、昔から射手座の女の子を好きになる事が多いです。椎名林檎の場合は、好きになると言っても、ファンになるという意味でですが、学生時代に好きだった子も射手座でした……
何でしょう? 私は「矢に射抜かれたい」という願望でもあるんでしょうか? 不思議なものです。
                               駅員@秋が来て 実る林檎の 蜜の味

2009年11月22日(日)
駅日誌(1262) 「汗」

2日連続良い汗をかきました。
今日は朝から、会社の同僚及びその友人とバスケットボールをしました。
近年、身体的な衰えを実感する事が多いのですが、今日は思ったよりは動けました。今秋から「東海道五十三次歩き」を開始したので、多少は足腰の強さが戻って来たのでしょうか?
或いは、私は暑がりなので、寒いくらいの時期の方が体が活発になっているのかも知れません。「バスケットボールは冬のスポーツである」バスケ経験者の同僚がそう言いますが、それと関係している? 
いやいや、それ以前に、何故冬のスポーツなんだろうか……? それはバスケットボール発祥の米国における、発祥当時の位置付けに関係しているそうです。アメリカ人のスポーツと言えば? 最も有名なのは、矢張り「野球」と「アメフト」でしょう。そして、この二つに共通して言えるのは、屋外のスポーツだという点です。米国は東西にも広いですが、南北にも広く、冬には雪が大量に降り積もる地域も沢山あります。という事は、冬は野球もアメフトも出来ない地域が多いわけです。そんな中で開発された「冬でも出来るスポーツ」が、屋内で行うバスケというスポーツだった、との事。

冒頭に「2日連続」と書きましたが、昨日も良い汗(?)をかいております。昨日の日誌に書いた上司宅での鍋から遡る事、約2時間。
私は渋谷に居りました。目的地はタワーレコード。先日買ったCDの購入特典として、インストアライブ入場券が貰えたのです。その演者は「人間椅子」。江戸川乱歩の小説から取ったバンド名です。当日誌でも度々取り上げているのですが、イカ天時代からスタートし、おどろおどろしいバンドとして今でも活動しています。
 
 ※ライブでは撮影禁止だったので、以前サイン会で撮った写真を。
  左からドラム・ナカジマノブ/ベース・鈴木研一/ギター・和嶋慎治です。

先日発売された新譜「未来浪漫派」というアルバムから数曲+α2曲を演奏していました。流石は首都東京。こんなマイナーなバンドでも、私の見立てで200人程が来ていました。
そりゃあ、ちょっと変り者風の人も居ましたが、全体的には割と普通の人々ばかりです。はて? 私はどちらに含まれるのでしょうか?
というわけで、結構人が密集していましたので、暑かったのです。その日の良い汗はこちらでした。はて? 「おどろおどろしいバンド」のライブでかいた汗は「良い汗」か?
                                  駅員@老朽化 闘い走る 籠球か

2009年11月21日(土)
駅日誌(1261) 「鍋」

会社の部署のメンバーで上司の家に集まり、鍋をしました。寄せ鍋&キムチ鍋のダブル鍋です。いずれも非常に美味しかったです。外は最早冬の寒さですから、鍋の美味しい季節です。こうやって仲間で鍋というのは楽しいものです。
だがしかし、こうして旨い物を沢山食べ、酒を沢山(と言っても私の場合は知れていますが)飲むと眠ってしまうのは相変わらず。上司の家で眠ってしまうとは! いかんなあ……
それにしても、上司の御家族を始めとして集まった皆優しい方々です。私が眠っているのを見て、卑劣な攻撃はして来ませんでした。こういう情けの上に乗っかって生かされているのだという事を思い知らされます。私が持って行った半分くらい飲んだ泡盛も好評だったようで、酒に強い方は飲んでいました。もし私も手を出そうものなら、一杯で速攻轟沈間違い無しです!
こういう風に集まって飲み食いするというのは、やっぱり部署の結束を強めますね。世の中ではよく批判的な意味合いで「飲みニケーション」なんて言葉を使われたりしますが、これはこれで非常に有意義な事なのだと思います。
                             駅員@血の池の 如きキムチも 美味の鍋

2009年11月20日(金)
駅日誌(1260) 「怖」

兄さん! 兄さん! 意気地無しの兄さん!
僕は君と姉さんを、脳髄は人間の中の迷宮であるという観点から、敢えて許そう!
だから兄さん、どんなに沢山の人が馬鹿にしても、
君たちはフェティシストで在り続けて欲しい!

兄さん、聞いているのか? 兄さん、聞いているのか?
    〜筋肉少女帯「いくじなし」より〜

時々、「自分は何と意気地無しなんだろう」と自己嫌悪に陥る事があります。上司に食って掛かる度胸はあっても、柄の悪そうな人に食って掛かる度胸はあっても、それよりももっともっと怖い事が私にはあります……
例えば、自らの信念を捻じ曲げる瞬間。信念を捻じ曲げてしまったら、人間として生きている意味がなくなりそうに思ってしまいます。それでも社会人になると、捻じ曲げざるを得ない場面があります。そんな時には、自分の弱さを感じます。
例えば、絶叫系の乗り物。高い所に上って行き、そこからフッと落下に変わる瞬間……「あっ! 死ぬ!」と思っちゃいます。
例えば、「人に認められなかったらどうしよう」という恐怖。そりゃあ何年も生きて来れば、上手くいった場合も、上手く行かなかった場合もあります。異性に対して上手く行かなかった場合には、一人で桑田佳祐の「祭りのあと」という曲を聴きながら涙ぐみます。
例えば、そんな意気地無しな自分を、これはこれで自分という人間なのだと認めてしまう、自分への甘さ。
例えば、いつの間にか評論家然とした物言いをしている自分。
例えば、グリンピース御飯。
あれ? これはちょっと違うか!

                             駅員@怖い物 無い振りしても 矢張りある

2009年11月19日(木)
駅日誌(1259) 「理」

人を、或いは組織を、或いは社会を動かすために取る手段には、大きく分けて二つの方向性があります。一つはペナルティを以てするという方向性で、いま一つはインセンティブを以てするという方向性です。平たく言えば「鞭を用いるか、飴を用いるか」という事です。
無論、この両方に意味があり、両方を上手く使いこなすのが最良の手なのは言うまでもありませんが、二つを比較してどちらが有効かと言うと、インセンティブ(飴)の方です。
「こら駅員、嘘を吐くな」と、ペナルティ(鞭)または叱責での指導を信条としてきた人は言うでしょう。
しかし、これは動物実験でも実証されている事なのです。それでも、叱責を良しとしている人は言うでしょう。「いや、経験上、叱った後は必ず前よりも良くなっているのだ!」と。ところが、それは「叱ったから」ではなく、その言葉の中に「改善手段が提示されているから」なのです。何の改善手段もなければ、良くはならないでしょう。また、叱られるような事態が起きるのは、往々にしてイレギュラーです(叱られるような事態がレギュラーだったら、もう叱られない=見放されている事でしょう)。イレギュラーという事は、結構「偶然」の要素も含まれています。「偶然」ならば、そりゃあ、次回は良くなって当然。偶然はそんなにしょっちゅうは起きません。
即ち、叱るという行為形態と、改善される事には実は因果関係が無いのです。
おっと、ただただ褒めれば良いと言っているわけではありませんので、誤解無き様。

さて、このインセンティブで人や組織や社会を動かすという方式をちょこっと利用して、「人(上司等)にゴチャゴチャ言われない」方法を一つ伝授致しましょう。
ゴチャゴチャ言われるのが嫌ならば、「ゴチャゴチャ言わない方が得だ」と思わせれば良いのです。
例えば会社員の場合、その上司よりも先回りして仕事をすれば良いのです。言うは易し、行うは難しですが、そういう意識をしているか否かでは大きく違うのではないか、と思います。
「あれをやっとかないとゴチャゴチャ五月蠅いな」「ゴチャゴチャ言われる前に片付けておこう」という風に考えているのと、「どうせ叱られるし」「言われても我慢すれば良いや」という風に思っているのとでは随分違うと思います。後者の場合は、いつまで経っても五月蠅い嘴を突っ込まれます。怠け心か何かで、言われていた継続的な事を途中で勝手に止めてしまうのも愚の骨頂です。「ゴチャゴチャ言ってくれ」と言っているようなものです。
ゴチャゴチャ言われない事を念頭に置いて動いていれば、やがては、ゴチャゴチャ言って来ても、一言で封じ込めるようになります。
更に、禁断の秘術として、ゴチャゴチャ言われた仕事を後回しにし、その一方でゴチャゴチャ言われない仕事を電光石火でこなせば、「ゴチャゴチャ言わない方が得だ」というイメージを濃く出来ます。これを繰り返せば、いつしか「こいつはゴチャゴチャ言うと仕事が遅れ、ゴチャゴチャ言わない方が効率が良い」という考えを植え付けられます。但し、この方法に出る時には、ゴチャゴチャ言われた仕事を後回しにはしても、ギリで間に合わせる必要があります。これをしくじると目も当てられません。

                              駅員@飛び回る 五月の蠅に 蠅取り紙

2009年11月18日(水)
駅日誌(1258) 「分」

政府の、事業仕分け作業の前半部分が終了しました。テレビで部分的に観ましたが、政治家の粋がり具合と官僚のもやもや具合が、何だか鼻に付きました。どちらにも言い分はあるのだとは思いますが、きっと政治家寄りの人間は、官僚の不甲斐無さを嘲って、公務員寄りの人間は「政治家は何も分かっちゃいない」なんて言っている事でしょう。
私の大学時代の同級生には公務員になった人間が多いので、彼等は思いっきり官僚サイドの感想を持っている事でしょう。しかし、私に言わせれば、どっちサイドの人間も、何と視野の狭い事か、何と想像力の乏しい事かと思います。

その事業仕分けでは、4,000億円の経費を浮かせたみたいですね。これを十分と見るか、不十分と見るか? 私の見立てでは、民主党はやっぱりちょっと左寄りなんじゃないかと思います。こう思うのは、私が「小さな政府」支持者だからなのだと思います。自然淘汰で弱者が滅び、強者が生き残るというのは、生物の進化或いは種の保存に不可欠な事だと思います。弱者保護があまり行き過ぎると、ホモサピエンスという種の弱体化に繋がるのだと思います。分を過ぎた発言、失礼しました〜。
                           駅員@葉っぱ食む 麒麟の首は 何故長い?

2009年11月17日(火)
駅日誌(1257) 「若」

知人の大学教授が、その受け持つゼミの学生を連れて来て現役大学生の生の声に触れるという企画があったので、それに出席して来ました。彼らは大学三回生です。という事は21歳。今年は平成21年ですから……えっ!? 平成生まれ!? 昭和は遠くなりにけり。私はまだまだ若者のつもりで居ますが、もうおっさんなんだなあ……

それにしても、「草食男子」と言われている通り、最近は男の弱体化が指摘されていますが、彼等を見ていると、「成程、確かにな〜」と思ってしまいました。おっと、これはもしかしたら、色眼鏡で見ているせいかも知れませんね。もしかしたら、元来女の方が男よりもタフで、それが今までは隠されてきただけなのかも知れません。或いはそれとは逆に、本当は現代男子たる彼らも本当は男らしい所を持っているが、そういった面を見ていないだけなのかも知れません。マスメディアは、故意か過失か平気で嘘を吐くという事を肝に銘じる必要があります。それは巧妙に仕組まれているのかも知れませんし、ただええ加減なのかも知れません。
私が大学生の頃に、ゼミ生の先輩で「新聞は矢張り○○新聞が良い。他の新聞は読むに堪えない」なんて事を言っている人が居ました。この人は私より成績が良い聡明な人なのですが、案外こういう人が巧妙な手口で思想をコントロールされていたりします。この○○新聞は、その内容如何は別にして、確かに文章力はあります。入試の文章題に使われる事も最も多い新聞です(これでは新聞名を伏せた意味がなくなる?)。即ち、入試対策に力を入れた人ほど、この新聞に触れる機会が多く、その新聞が望む方向に思想が歪んでいる可能性があります。
そして、この新聞の文章力が優れている理由は、その新聞が優れているからではないと理解しないといけません。昔は、新聞を読む人間は、ある程度以上の知性が要求されるという時代がありました。その一方、日本のインテリが挙って共産主義的思想に傾倒した時代がありました。という事は、ごく単純なマーケティングとして、インテリ層が好む内容(その時は赤色思考)をインテリ層が好む文章力で書く事で、一定の需要が見込めたわけです。そして、それを読んだ者がその新聞社に入りたがる、というサイクルが出来上がります。この構造が今でも続いているという、それだけの事です。ところが、今や共産主義は資本主義に打破されてしまいました。現在でもその○○新聞の内容が良いものか? というと、甚だ疑問だと感じたものです(ヘタレな事に、それを言いはしませんでしたが)。
ちょっと苦い思い出ではありますが、それも懐かしき大学時代。何年前だ!? 私はまだまだ若者のつもりで居ますが、もうおっさんなんだなあ……

                               駅員@若者の 若い声聞き 若返る?

2009年11月16日(月)
駅日誌(1256) 「杯」

さかずき……酒を飲むための、月のような形をした器をこう呼びます。真上から見て満月、横から見て三日月という事なのでしょう。元来は「さかづき」だったのだと思われます。字面としては「盃」の方が酒を飲むという感じがし、「杯」は「さかずき」というより「カップ」という感じです。ワールドカップ等のチャンピオンシップも、「○○杯」と言いますね。
中国語にはカタカナのような外来語を表記するのに便利な文字が無いので、カップは「杯」と書きます。日本も明治の頃には、なるべく外来語も日本語に直すという努力がありました。例えば「抽象的」「具体的」等の「的」ですが、これは「ロマンティック」や「ドメスティック」の「ティック」に相当する物として出来た日本の歴史から見れば比較的新しい言葉です。中国語では、「的」で日本語の「の」みたいな意味です。
こういう所を見ていると、中国人も明治時代の日本人も、共通してエネルギッシュなのだと感じます。外来の物事を自国の物事へと消化し吸収する事に貪欲なのです。中国人がこの様にエネルギッシュなのを、国民性の違いだと言われたりしますが、私は然に非ずと思います。日本人は明治時代に持っていたエネルギーをいつしか失ってしまったのだと思います。
私の勤め先にも中国人が居ますが、矢張りエネルギッシュです。無論、中国人にも大人しい人は居るのですが、この人はいかにもエネルギッシュな中国人を地で行く感じです。これを冷笑する事は、それこそ明治時代に持っていたエネルギーを失ってしまった日本人そのものなのだという感じがします。それは良く言えば「洗練された」という言い方も出来ますが、悪く言えば「スレてしまった」のだと言えます。
現代日本人にも、中国人並或いは明治時代人並にエネルギッシュな人は勿論居ます。例えば、冒頭に書いた、中国語で言う所の「杯」を使ったアート専門の芸術家「紙コップアーティスト LOCO」なんて人が居ます。代表作は「コップ人間」。2つの紙コップの側面同士を貼り合わせると、傾斜があるので水平にはくっ付きません。それを無数に貼り合わせれば球状になります。それを頭に被ってパフォーマンスをするというものです。その人の生い立ちのような本を最近読んだのですが、矢張りエネルギッシュな印象でした。
この様にエネルギッシュに生きられたらなあと思ったのですが、エネルギッシュではなく年々「アブラギッシュ」になっている気がするのはどうした事か!
                               駅員@エナジーを その杯で 一気飲み

2009年11月15日(日)
駅日誌(1255) 「免」

免許証の更新の時期が来たので、免許試験場に行って来ました。
警察署等と違い、試験場では日曜日でも更新手続きが出来るので、矢張り混んでいました。皆平日は忙しいのでしょう、休日に偏ってしまうようです。いつも思うのですが、役所の窓口業務は平日のどこか2日を休みにし、土日は開くようにしたら良いのにと思います。窓口の人も下級公務員(かバイト?)でしょう。ゴミ収集をして下さる公務員は、場所によっては土曜にもやっていますよ。土日オープンは、国民の生産性向上、GDP向上に少なからず貢献すると思います。民間人が仕事を抜け出して役所に行く時間のロスを解消出来るわけです。それとも、日曜日は「ちょっとミサに」とでもほざくのでしょうか? 信教の自由があいますので、その場合は已む無しか。もし、日曜日が窓口オープンになったら、偽キリシタンが山のように出たりして!

さて免許ですが、5年前に更新した時にはゴールド免許だったのが、3年程前に速度超過をしたせいで青に戻ってしまいました。その時の速度超過の言い訳をさせて頂くと、我が愛車ではなくレンタカーだったのですが、3速ATの軽自動車だったのです。ATは4速でもレスポンスが悪いのに、3速なんかでは高速道路を普通に走るだけでも支障があります。失速しないようにベタ踏みで走っていたら、コーナーの壁の陰にパトカーが……高速道路で失速してしまい、のろのろ走っている方が遥かに危険だろうが! と思いました。
今回の更新で、私の免許証からも本籍の表示が消えてしまいました。これはちょっと不便だな〜。本籍が必要な事なんてそうそう無いと言えば無いのですが、それでも、例えば、生まれ故郷が今どうなっているかを見に行ったり、結婚した時に住んでいた場所が今どうなっているかを見に行ったり、そういったノスタルジックな思い立ちの時に便利です(滅多にないですが)。逆に言うと、何故消されたのか? 個人情報保護だそうです。「警察の職務等で使わない項目が何故載っている?」とどこぞのリベラリストあたりが言ったのでしょうか? え? 被差別地域の出身だとばれるのを嫌がる人が居るって? それはおかしい。本籍地は日本国内であれば、どこへでも任意に変えられます。例えば、皇族でもないのに皇居所在地が本籍だったり、阪神ファンだというだけで甲子園球場所在地が本籍だったり、無人島の沖ノ鳥島が本籍だったりする人が居ます。

その帰り道で銀座に寄り、H&Mに初めて入ってみました。外からは開店当初に見た事があるのですが、並ぶのが嫌なのでその時は入らず。そろそろ空いているだろうと踏んで行って来ました。なるほど、安いと言う程安くはないのですが、リーズナブルです。テレビでユニクロよりちょっと質が良くてちょっと高いというポジションと言っていましたが、確かにそんな感じです。とは言え、店が狭いという事は選択肢も狭く、ちょっと拍子抜けでした。それでもカジュアルなジャケットを1着購入して帰りました。ズボンも欲しかったのですが、売られているのはスリムフィットばかり。確かに流行りなのですが、私はスーツでも何でもスリムフィットのズボンは好きではありません。だって動きにくいんだもん……
                              駅員@金色の メッキ剥がれた 免許証

2009年11月14日(土)
駅日誌(1254) 「宙」

宇宙は一個ではなく、我々が居るこの宇宙の他に無数の宇宙があるという「パラレルワールド」(並列世界/並行世界)という考え方があります。そのパラレルワールドに、宇宙物理学という視点、哲学という視点、文学という視点、脳機能という視点から迫るというシンポジウムに行って来ました。金沢工業大学が主催し、年一回行っている「ルネッサンス・ジェネレーション’09(第13回)」という催しです。13:30〜18:30迄(途中休憩あり)ありました。長時間講演を聴くと眠くなるという人には辛いと思います。現に私の隣に座っていた知らない人は、遅れて来た上、舟を漕いでいるという有様。じゃあ、わざわざ来んなよ! 立川談志の高座だったら摘まみ出されている所です。

内容は「パラレルワールド! ―明日見る夢を、あなたは覚えていますか?―」。以下の構成でした。
@イントロ「多元世界の「射程」
監修者であるタナカノリユキ氏(広告デザインを中心とするアーティスト)、下條信輔氏(カリフォルニア工科大教授)によるパラレルワールドの紹介です。


A基本レクチャー「現代宇宙論の描くパラレルワールド」
佐藤勝彦氏(東京大学数物連携宇宙研究機構特任教授)による、物理学からのアプローチです。無からの宇宙の誕生、宇宙の膨張、そして量子力学や超弦理論・ブレーン(膜)宇宙論によると、宇宙はUniverseではなくMultiverse(一個ではなく、複数ある)という考えが出て来ているという考え方が解説されます。パラレルワールドは存在するという説が有力だという見解なのですが、認識主体にとっては、無数にある宇宙の内の自らが所属する宇宙以外は認識出来ないそうです。

宇宙は、仏教の三千大千世界(小世界が千個集まって中世界を成し、中世界が千個集まって大世界を成し、その大世界が千個あるという世界構造)そのものであったという事だそうです。SFの世界のような途方もない話を分かり易く話していました。

B基本レクチャー「『人間の自由は科学の名のもとに幻想だとされてしまうのか』という問いに対して『そんなことはない』と答えたい。」
野矢茂樹(東京大学教授)による、哲学的アプローチです。例に、今、左手を挙げると、それは厳密な因果法則に基づいて決定論的に、即ち自由意思は関係なく「手を挙げる運命」だったのか? それとも手を挙げるか挙げないかを決める自由があったのか? という事を語りました。野矢氏は後者のスタンスを支持し、如何にして決定論に対し、自由意思がある事を訴えるかをという話でした。
これがパラレルワールドとどう関係するかというと、「手を挙げる」瞬間に、「手を挙げない」という選択肢が存在しているという事は、挙げない方を選んだ世界もあるだろう、という意味でのパラレルワールドです。これがもし決定論的に定められての挙手だとしたら、そこには何も分岐は発生しない事になります。

一癖ありそうな教授でしたが、その語り口が面白く、聴いていて楽しめました。前出の物理学者佐藤氏と対立するスタンスとなっています。そこで思ったのが、もし「ラプラスの魔」(あらゆる事象の一瞬先の軌道を、一瞬先よりも早く計算出来るという架空の存在)が実在したら、どうなるのかという事です。それでも自由は残るのでしょうか? 科学の究極の一つは「ラプラスの魔」に近付く事だとも言えます。もし、それが実現してしまった場合、全ての事象は予測可能になります。人間の心は本当に計算されずに残るのでしょうか?

Cビデオレクチャー「パラレルワールド―二極化から多元宇宙へ」
井辻朱美氏(白百合女子大教授・作家)による、ファンタジー文学におけるパラレルワールドの創造について。昨今流行りの、作品そのものではなく、それを形作る土台の世界構造から創作するという本格的ファンタジーについての解説。これはこれで面白い話だったのですが、今回の議論ではちょっと蚊帳の外という印象でした。佐藤氏と野矢氏の対立軸の方が面白く、そっちが気になりました。


D対論「知覚と身体の多元世界解釈」……タナカ氏と下條氏による知覚・認識分野からのアプローチ。

E総括討論「反実仮想が現実を支えている?」……佐藤氏、野矢氏、タナカ氏、下條氏によるパネルディスカッション。途中から井辻氏も遅れて参加。ここでも、佐藤氏と野矢氏の対立軸が面白かったです。

人間はなかなか自ら知覚出来ない物事を認めにくいものです。理屈としては、なるほど、パラレルワールドは存在するのかも知れないとは思うのですが、如何せんその多元世界に行く事も、多元世界を見る事も出来ないのです。私が尊敬する藤子F不二雄は、ドラえもんは勿論、色々な作品でパラレルワールドについて触れているのですが、短編漫画「パラレル同窓会」という作品では、各パラレルワールドに分岐した別の自分が集まるという話が描かれています。そんなのが起きたら面白いのになあ……
また、佐藤氏の話に出た「無数の宇宙が存在する」という考え方から、世の中とは「神の実験場」なのだという感覚がしました。色々な条件で試験管のように一つ一つの宇宙を作り、その中で世界が生成されていくのを観察しているようなイメージです。更にそのイメージから、俳句は50の17乗(50音×17文字)で全ての句が制覇されてしまうわけですが、その内意味を成さない物が失敗作の宇宙、意味を成す物が知的生命体の居る成功した宇宙、というようなイメージが連想されました。
そう言えば、私は日誌のラストに俳句(川柳)を書いていますが、これも50の17乗分の一なんですね。
                        駅員@五七五 小宇宙(コスモ)を燃やす 聖闘士

2009年11月13日(金)
駅日誌(1253) 「籤」

いきなり難しい漢字のタイトルです。「籤」と書いて「くじ」と読みます。
先日、初めてロト6を買ってみました。購入者の意思が反映されない(反映され難い)ジャンボ宝くじと違って、自らの意思が介在する余地がある点で、何となく当たりそうな気がする籤です。
ロト6は、1〜43の数字の中から6つの数字を任意に選び、それが一口\200で買えます。その6つの数字が一致すれば、一等で、最高2億円が当たります。また、抽選では7つの数字を選び、7つ目はボーナス数字になります。ボーナス数字を含む7つの内6つが当たれば二等です。以下、数字の一致が多い順に等級が定められています。毎週木曜日に抽選され、その結果が金曜日の朝刊に載っています。
そのロト6を先日3口買ってみたのです。して、初挑戦の結果は……? 残念当たりもかすりもせず! そりゃあ、初めてでしかも3口しか買っていなくて当たってしまったら、毎回買っている人に恨まれます。
ギャンブルは身を滅ぼすと申しますが、このように小銭を使う程度で毎週わくわく感が持てるという意味では安いものです。何か待ち遠しいものがあれば、時間が長く感じます。という事は、年々速くなっているように感じる時間の流れをちょっとでも遅く出来るのではないか、なんて思います。

籤と言えば、福袋や何が出てくるか分からないガチャガチャや小さな安い玩具なども一種の籤ですね。
セブン‐イレブンで、今ガンダムキャンペーンが展開されています。例えば、チロルチョコのガンダムバージョン、ポテロングのガンダムバージョン等が売られています。また、そういった「○○のガンダムバージョン」とは逆に「ガンダムの○○バージョン」もあります。
ガンダムの小さなフィギュアのセブン‐イレブンバージョンなんかが売られていました。私もガンダムは好きなので、1個買っちゃいました。
緑のジムが変!


籤と言えば、こんな話は御存じでしょうか? 「カンビュセスの籤」。
昔、ペルシャの王カンビュセスが、エチオピアに侵攻した折、砂漠の行軍で食糧が尽きてしまったそうです。そこで、生き延びるために採られた奇策が、「カンビュセスの籤」です。
軍勢を10人ずつのグループに分け、1/10が当たりの籤を引かせます。当たりを引いた者はその瞬間兵士ではなくなります。即ち、残りの9人の食糧になるのです。
こういった「○○(カタカナ言葉)の××」という言葉って何だか知的で恰好良いので私は結構好きです。他には、「カルネアデスの板」とか、「オッカムの剃刀」とか、「シュレディンガーの猫」とか、「アホの坂田」とか……
                              駅員@籤引いて 幸か不幸か はずれ也

2009年11月12日(木)
駅日誌(1252) 「右」

右翼うようよ 三うようよ 合わせてうようよ 六うようよ♪
  〜早口言葉「蛙ぴょこぴょこ」より〜

漢字一文字タイトルシリーズが続きます。当分はこの路線でタイトル付けをしようと思います。さて、本日のタイトルは「右」。そして、冒頭に書いた有名な早口言葉をもじった言葉の通り、右翼ネタです。
平成天皇陛下、即位二十周年御目出度う御座います。その式典が、都心も都心、日比谷あたりで行われたため、日比谷・新橋・銀座あたりには、黒塗りに文字の書かれたミニヴァンやマイクロバスがうようよ。そして、それを取り締まる警察車両もうようよ。物々しい厳戒態勢と相成りました。右翼街宣車の中には、大音量で軍歌を流している車両あり、片や一見怖そうなのに一般通行人に対しては凄く腰の低い車両あり、でした。
 厳戒態勢の銀座。

私はこういったちょっと威圧的な車両に乗るのはどうかとは思うのですが、思想的にはこれはこれで真っ当な事を言っていると思っています。英国人が“God Save the Queen”を歌ったり“Union Jack”を掲げても非難されないのに、何故日本人が「君が代」を歌ったり「日の丸」を掲げると非難されるのか? その辺の理屈がちっとも分かりません。
そして、平成天皇のような立派な人(ガチガチの右翼と異なり、私は天皇陛下を神だとは言いません。あくまで人だと思っています)を讃える事は良い事だと思っています。平成天皇は、即位した時から「象徴天皇」という難しい立場を強いられた最初の天皇です。また、その「象徴天皇」とはどう在るべきかを常々考えて努力してきた方です。今後も長く生きて欲しいと思います。そして、日本国の、日本人の在り方について考えて欲しいと思います。現皇太子の次がどうなるか……それが気になる所ではありますが。
米国大統領が最敬礼で出迎える人物が世界に3人居ます。1人はカトリックのトップに立つローマ法王、もう1人は米国の嘗ての宗主国英国の女王、そして日本の天皇です。何故、米国人よりも日本人が天皇を軽んじているのでしょう。こんな事では、外国人に「ジャパニーズはわけが分からない」と言われるのも当然です。
                              駅員@日の出づる 国の象徴 微笑みて

2009年11月11日(木)
駅日誌(1251) 「花」

一昨日、昨日と漢字一文字のタイトルが続いたので、今日も同じく漢字一文字で。漢字一文字と言えば、毎年年末に清水寺で坊主が巨大筆で漢字を書き殴る「今年の漢字」というのがありますが、あれを主催しているのが、日本漢字能力検定協会です。私は準一級です。不正な金の流れでそのステイタスが揺らいでいるのが気掛かりですが。
さて、本日のタイトルは「花」です。今日から幕張メッセで、国際フラワーEXPOという展示会が開かれています。私の仕事にも関係が無きにしもあらずなので、行ってみました。
大きく分けて、花の出展と園芸用品の出展があります。花はまさしく花そのものなのですが、中にはプリザーブドフラワー(一種のドライフラワーなのですが、カリカリに乾燥しているわけではなく、比較的生花に近い見た目の物です)もあり、昨今は贈り物で使われる事が増えています。なるほど、直接渡すのであれば生花の方が感動は高いのですが、遠方から送る場合や貰った後の扱い(生花の場合、花瓶があれば良いですが、無と心苦しくもすぐ捨てる事になってしまいます)については、プリザーブドフラワーの方が便利です。
園芸関係では、ガーデニングブーム以降、ベランダ等の狭い場所でも出来るような物を含め色々な種や苗、鉢・プランター等が出ています。特に最近は「食の安全」と「節約」から、花よりも野菜が人気だそうです。例えば、ゴーヤ。無論苦瓜として食べられる他に、生育中はサンシェイド代わりにもなる一石二鳥植物なんだそうです。

花と言えば、植物における花の部分は、人体で言えばどこに相当すると思いますか? 顔? 確かにそんなイメージがありますが、正解はあそこ=「性器」です。機能面から言えば生殖器官ですからね。で、根っこが口、葉っぱが目と鼻、茎が骨格と血管といった感じです。花があそこで、根が口という事は、地面に頭を突っ込んで股間を露わにし、広げた両掌に目があり鼻がある……人間で言うとそんな形が花の姿です。
という事は……花を眺めたり香りを嗅いだりしているのは、股間を眺めたり匂いを嗅いだりしている事になりますし、切り花を花瓶に生けて卓上に置くのは、性器のホルマリン漬けを卓上に置いておくようなもの……わっ! 変態! ならば、「変態」とは「花と人間の区別が付かなくなった状態」という言い方も出来そうです。
                               駅員@変態が 編隊組んで 花愛でる

2009年11月10日(火)
駅日誌(1250) 「猫」

私の自宅のそばには随分猫が居ます。野良猫なのか放し飼いなのかはよく分かりませんが、夜に通り掛かると、近所の植え込みの所に何匹かが集まっていたりします。
近付くと気配に気付いてビクッとこっちを凝視し、更に見詰め合いながら近付くと、ダッシュで逃げます。指をちろちろと動かしながら口笛を吹いて近付いても効果無し。秋口には、猫じゃらしを一本持って近付いたのですが、それも効果無し。
何とか気を引きたいなと思い、帰り掛けに魚肉ソーセージを買って行った事があるのですが、魚肉ソーセージをじっと見はするものの、近付くといつでも逃げられる態勢で身構えます。しょうがないので、千切って投げると、そこに飛び付き、口に咥えてダッシュで逃げてしまいました。その場で食べてくれればおかわりにもう一千切り与え、徐々に安心させて近付く事も出来たろうに……次はソーセージを紐で結んで、投げてからその紐を引いたり辿ったりしてみようか、と考えています。
猫の心を引くのはなかなか難しいです。もしかしたら、何らかの辛い目に遭って人間不信になっている猫なのかも知れません。だとしたら、撫でる事など不可能に近いですね。しかし、猫は気まぐれな動物だと申します。ある日突然警戒を解くかも知れません。撫でたりするならその時か。
否、そもそも無責任に懐かせるのは良くない事なのかもしれません。「懐いたら連れて帰るのか?」と問われれば、独身の身では「出来ません」としか答えられないのです。
21時〜22時頃から雨が降り始めました。今日の帰りに見た猫は、雨の中どうしているのでしょう。どこか雨露を凌げる場所でじっとしているのでしょうか。
                            駅員@その逃げ足 強さか弱さか 野良走る

2009年11月9日(月)
駅日誌(1249) 「壁」

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊しました。今年で20周年になります。ニュース番組等でもその話題が出ていました。
第二次世界大戦で敗れたドイツは連合軍に占領されました。しかし、世界は既に次の対立軸が出来ていました。資本主義圏と共産主義圏という対立軸です。日本に原子爆弾が落とされたのは何故か? 日本を徹底的に叩く為? いえ、わざわざあんな兵器を使わずとも、趨勢は決定的でした。理由はその対立軸が故です。即ち、資本主義圏の代表格たるアメリカ合衆国が、共産主義圏の代表格たるソビエト連邦に対して力を見せ付けるために、あんな物が落とされたのです。わざわざ御丁寧に違う構造の爆弾を一個ずつ(ウラン爆弾とプルトニウム爆弾です)落としています。
話が逸れました。その、当時新しく出来た対立軸により、ドイツは東西に分断されたわけです。また、国土全体だけでなく、その首都ベルリンも東西に分断されました。そのベルリンを分けていた壁がベルリンの壁です。西側は米英仏が、東側はソ連が占領しました。それから1989年まで分断されていたわけです。当時、壁の上に立ってツルハシで壁を叩いたり、側面から斧の様な物で叩いたりしている映像は記憶に残っています。
しかし……これは、昔話なのでしょうか? 資本主義vs共産主義の対立は、今は資本主義の勝利で終わったのですが、何らかの対立軸という物は世界中に残っています。近年では、何でしょう? 宗教の対立軸がありますね。キリスト教圏とイスラム教圏の対立がありますね。いつからやっとんねん、と。
また、今後熱くなってきそうなのが、地域ブロックの対立軸です。EUが結束を強めていますし、東南アジアやアフリカも結束を強めています。目覚めた眠れる虎・中国の趨勢も日本としては非常に脅威です。経済的にも軍事的にも。もしかしたら、未来には日本がドイツの様に分断される時代が来るのかも知れません。それこそ、西日本と東日本に。西日本が中国に占領され、東日本が米国に占領され……私は西国出身・東国住まいなので、それこそベルリンの壁の様に、親兄弟と離れ離れになってしまいます。何を馬鹿な、と言われそうですが、無い話ではないと思います。
                                駅員@その壁を 貫いたのは 民の力

2009年11月8日(日)
駅日誌(1248) 「チャーリー鹿沼」

ごめんくさ〜い、あ、これまたくさ〜い、あ〜臭〜。あなたどなた? 僕チャーリー。吉本興業所属の芸人、チャーリー浜。昔は新喜劇でよく見たものですが、今でも活動しているのでしょうか? 私は近畿圏を離れて長い事もあり、その辺がさっぱり分かりません。調べてみようとしたら、昨日11月7日が誕生日なんですね。ハッピーバスデー!チャーリー!
チャーリー浜と私は誕生日が一日違いなのかあ。今日は私の誕生日だったのです。祝ってくれる人も無く……と、思いきや。

本日は、会社の同僚夫妻に誘われ、ロードバイクでツーリングに出掛けました。自転車屋が主催しており、自転車もレンタルです。私は自転車は殆ど一般的なママチャリにしか乗った事が無く、本格的な自転車に乗るのは初めてでしたが、何と軽やかで乗り易い事か。タイヤが細くてサドルが高い自転車に前傾姿勢で乗るというのは初めてでしたが、割とすんなり乗れました。
場所は栃木県鹿沼市。20km程を自転車で走行しました。なかなか面白かったです。こういう自転車が一台欲しくなりました。我が愛車の屋根にはシステムキャリーも付いているので、屋根に乗せてどこかに自転車を漕ぎに行くという遊びも楽しそうです。我が愛車のプジョー社では、自転車も作っているんだよなあ。しかし、昨日PC&携帯電話を買い替えたばかり(朝〜晩迄不在でしたので、まだ受け取れていませんが)ですから、買うとしてもまだしばらく先の話か……
走った所はそれほど坂も無く、思ったより楽に走れましたが、問題はサドルが細くて堅いので尻対策です。今回はスノーボードのパッドをズボンの中に履いて行ったのですが、ガードするべきポイントがずれていました。もっと尻の下の方〜股間にかけてのガードが要ります。こればかりはこれ用の物を用意した方が良さそうです。
本来はゴールを古峰神社(天狗信仰がある神社のようです。土産物屋の天狗面がちょっと欲しくなりました)に設定していたのですが、神社へ上る部分は坂道が続きますので、初参加という事もあり、その手前からは車に乗っての移動でした。今回は参加者が多いようで隊列が前後に伸び、その分待ち時間が掛かったため。私は大学一回生の頃、坂の上にある段々畑のような大学に自転車(ママチャリ)で通っていた事もあるので、自転車での登坂にはちょっとだけ心得があり、行けそうな気もしたのですが。
その後、林檎狩り&バーベキューをし、腹一杯食べました。うーん、自転車で消費したカロリーよりも遥かに多いカロリーを摂取しています。林檎狩りの林檎は持ち帰ったので、明日からしばらく朝食は林檎!
尚、誘ってくれた同僚夫妻に誕生日プレゼントを頂きました。そう言えば、誕生日に何かを貰うのって凄く久し振りです。有難いじゃあ〜りませんか(チャーリーは、周りがこけてくれいないと、結構さぶいですね)。
 
(左)こういう自転車に乗りました。 (右)古峰神社入口。

                                駅員@紅葉の 山を眺めつ 銀輪漕ぐ

2009年11月7日(土)
駅日誌(1247) 「Mobile Suit」

機動戦士ガンダムシリーズに出てくるロボット兵器は、モビルスーツという名称が付けられています。アルファベットで書くと、Mobile Suit。このモビルスーツの「モビル」=「モバイル」です。モバイルという場合は、携帯端末等を指しますね。あっ、だからか! 先日新しく出来た、池袋ヤマダ電機の別館「モバイルドリーム館」の最上階にガンダムだけのフロアがあるのは。

金曜日に、今秋のオータムジャンボを含む60枚の宝くじを宝くじ売場に持って行ったら、\6,000程の臨時収入になりました(いや、、支出がちょっとだけ戻って来ただけなのですが)。折りしも、当地獄三丁目駅を運営しているPC(2001年購入。8年使用)と、個人契約の携帯電話(2006年購入、3年使用)が老朽化しており、そろそろ買い換え時期だと思っていた頃だったので、上記の池袋ヤマダ電機に行ってみる事にしました。
着いてみると、人、人、人。エスカレーターの前が特に混んでいます。なんだかんだ言っても、消費は結構旺盛なんじゃないか……否、ここに居る客が全て買物をして帰るとは限りませんね。しかし、賞与が出たらもっと混むんだろうなあ。
すぐ近くにはビックカメラやさくらやもあり、家電激戦区です。このヤマダ電機は、三越の跡地に建てられているのですが、それを思うと、流通業界の栄枯盛衰を見る思いがします。栄華を極めた百貨店は現在押しなべて業績が振るわず、その一方で家電量販店は取り扱い品目を増やして拡大しています。しかし、今の天下もいつまでか。諸行無常、時代は変わるものです。
それは何事にも言えます……ならば、次々と変われば衰退しまいって? それはよっぽどドラスティックな事が出来る人間でないと難しい事なのだと思います。既得権益、既存のルーティンの上に乗っかっていて、浮沈はあったとしても辛うじて安泰なのであれば、人は変革などは望みません。そして、こんな事を偉そうにほざくだけならば誰にでも出来て、誰でも言います。経営者でも言いますし、飲んだくれのおっさんでも言います。

早速、パソコン売場に行きました。現在使っているPCはノートなのですが、実は持ち運ぶ事など全然なくて、いつも机上に据えてあるだけです。では、何故ノートなのか? デスクトップPCのタワー……あの脇に立てたり、モニターの下に置いたりする箱です。あれがあると邪魔に思えて仕方なかったので、当時はノートを購入したのでした。
しかし、現在はモニターの後ろにコンピューター部分が収納されているデスクトップPCも随分増えました。なので、今回はデスクトップPCを物色しました。その中の一つ、最新式ではないのですが、キーボードを収納出来るようになっている点が気に入り、且つ安かったので決定。配達が届き次第移行しようと思います。
続いて、モバイルドリーム館で携帯電話売場を物色……現在愛用している機種と同系統の新しい型に機種変更しました。
ついでなので、最上階のガンダムフロアにも行ってみました。プラモデルを始めとしたガンダム関連商品が多数置かれています。見ていたら久々にプラモデルを作りたくなり、安いやつをちょこっと買いました。それにしても驚いたのは、若い女の子がガンプラを物色していたり、ニッパー(プラモデルのパーツを切り取る鋏)を随分熱心に選んでいたりしていた事です。別にいかにも腐女子といった風体ではなく、寧ろギャルっぽかったりして。それも一人ではなく何人かそういう人が居て驚きました。諸行無常、時代は変わるものです。
                          駅員@モバイルと モビルスーツを 売るビルか

2009年11月6日(金)
駅日誌(1246) 「食べ物をオモチャにする」

子供が食べ物をいじって遊んだりすると、「食べ物をオモチャにするな!」と怒られます。例えば、子供の頃に、友人の弟が芋天を白飯の真ん中に立てて「お墓」と言ったら、父親から「食べんでもええ!」と怒られたという話を聞いた事があります。我々は、他の生物の命を体内に取り込んで生きている身ですから、こういう倫理観は真っ当です。
しかし、本日の話題はこういった悪い意味ではない「食べ物をオモチャにする」です。近年流行っている玩具に、食べ物を作る事を遊ぶ玩具があります。例えば、蕎麦打ち玩具、巨大プリンを作る玩具、餃子を作る玩具、カップケーキを作る玩具……その他諸々。こういうのが流行っているそうです。外食を控える等、倹約志向が広がっている今という時代にマッチしているから売れるのでしょうね。自宅で食事をする、それも子供と一緒に作るプロセスを遊ぶというわけです。これはこれで、健全な「食べ物をオモチャにする」ですね。東急HandsやLOFT、Village Vanguardなんかでよく見かけます。
その手の店で売られていると言えば、食べ物を元ネタにしたパズルや雑貨なんかも多いですね。これはこれでまた別の意味での「食べ物をオモチャにする」なのだと言えます。例えば、おにぎり型のトランプ、コーヒーショップのカップのような入れ物に入ったジェンガ系ゲーム、器の中に梅干型ピースをぎっしり詰めるパズル、板チョコ型のパズル……その他諸々。こういう物はこういう物で、プレゼントやちょっとしたパーティーの余興なんかに良いのでしょうね。
この手の物は、何度も何度も遊ぶでしょうから、割としっかりした素材が使われています。その一方で、パーティーの余興等に使うのなら、その場限りで簡単に捨てられる物というのもアリなのかも知れません。前述の「コーヒーショップのカップ型の入れ物に入ったゲーム」などは、がっしりしたプラスチックのカップに入っているのですが、中身のゲームそのものを紙か或いは皮を取れば食べられる物で作って、外側のカップはそのまんま紙コップを使っちゃうというのも一つの形ではないでしょうか。昔は割り箸で輪ゴムを飛ばす鉄砲を作ったり、フィルムケースと輪ゴムを使ってコロコロ動く玩具を作ったり、空き缶を使って缶蹴りをしたりしたものですから、その延長線上にある遊び方だとも言えます。

そもそも、人間――特に日本人は目で味わうという文化がありますから、食べ物をオモチャにする素地があるのかも知れません。流し素麺なんかも食べ物をオモチャにしていると言えますし、広い意味では蒲鉾の飾り切りや、林檎で兎を作ったり、ウインナーでタコを作ったりというのも食べ物をオモチャにしていると言えます。そう言えば、昔「ねるねるねるね」という菓子がありました……懐かしいなあ〜。
                         駅員@おもちやに おもちゃもちゆく おもむろに

2009年11月5日(木)
駅日誌(1245) 「顔面改造」

世の中、顔を改造している人は沢山居るそうですね。もしかしたら、貴方の隣に居る人も顔を改造しているかも知れません。いや、自分でお金を払っているのだから、顔を改造する事自体を非難する気はありません。言ってしまえば、化粧や歯並び矯正の延長線上にあるわけですから、やりたい人はどうぞ、と。しかし、顔は心の鏡です。顔をいくら改造しても、その顔の奥に潜む雰囲気はそうそう変えられません。
ところが世の中には、美しくなりたくて、或いは男前になりたくてという目的以外……自分の存在を隠すために顔を改造する人が居ます。今回成型後の顔写真が公開された、市橋達也容疑者がその一例です。
それにしても、元の顔は凶悪そうな顔でしたが、そこから間抜け面に改造するとは……こんな間抜け面になるくらいなら、前の方が遥かにマシな顔だと私は思います(私も比較的凶悪な顔だと言われますし……)。それとも、改造そのものよりも、先程書いたような「顔は心の鏡」って事なのでしょうか。犯行当時の凶悪な心から、逃げるのに疲れて呆けてしまった心へと。おっと、こんな事を書いていて、標的にされたらどないしよ……ハハッ! この程度の小物、恐るるに足らぬ! 返り討ちじゃ!
とは言え、今はまだあくまで被疑者です。疑わしきは被告人の利益に(まだ被告人にもなっていませんが)。法的にはまだ、「英会話講師死体遺棄をした人間」ではなく、「それをやったんじゃないかと疑われている人間」です。無闇に罵るのはやめておきましょうか。
                                駅員@顔面を 一文字変えて 頑迷に

2009年11月4日(水)
駅日誌(1244) 「Purple Haze」

ゆらゆらと、口に咥えた煙草の先から、紫の靄が立ち上っています。否、私は自宅で吸う時には換気扇の下に行く事にしているので、実際はこの文章を打ちながら煙草を咥えているという事はありません。
昔、灰皿をテレビデオの前に置いていた事があるのですが、その時はヤニがビデオのヘッドに付いてしまったのか、ビデオ機能が壊れてしまいました。そのテレビ自体は今でも使っているのですが、それ以降は外付けのDVD再生機です。と、このようにヤニが付いてしまうという事からも、この煙を吸い込むと肺が汚れるというのは自明の理です。ですが、それを勘案しても、心的健康面から今の所やめる気は起きません。

しかし、鳩山首相や厚生労働省が不穏な動きを見せています。煙草税の増税です。現在一箱\300のところを、\500〜\600にしようと言うのです。私はだいたい1日に20本前後吸いますので、毎日出費が\200〜\300余計に掛かってしまう計算になります。という事は、煙草以外の菓子だの飲物だの酒だのの費用を削るしかないか……煙草をやめる/減らすという方向に考えが向かないのが愚かと言えば愚かですが。そうなのです。間接税には、こういう面があるのです。私を含む大多数の給与所得者にとっては、直接税(所得税、法人税、住民税等)よりも間接税(消費税、酒税等)の方が、現ナマで差が目に見えるため、吝嗇につながり易いのです。消費税が何故なかなか上げ難いのかというと、消費冷え込みを危惧してなのです。
とは言え、消費税と酒税や煙草税では、課税範囲が異なります。消費税は全ての消費行動に課税されるのに対し、酒税や煙草税ではあくまで酒を買った人、煙草を買った人にのみ課税されます。そういう意味では、消費税よりは課税し易いと言えます。

税収を増やす目的の一方で、煙草は健康を害する物なので、規制するという意味合いもあります。即ち、高くなってやめるのを狙うというわけです。人間はエコノミック・アニマルですから、その群れを操作するのに、金を以ってする程効果的な事はないわけです。
しかし、規制と税収増のそれぞれは理屈が通っているわけですが、両立しようとするとこの考え方は破綻します。税収を増やしたければ、煙草をガンガン吸って貰う必要があり、喫煙者は国家財政の救世主という事になります。一方、規制を徹底しようと思えば、喫煙者がガンガン減らないといけませんので、税収は激減します。国民の健康は向上しますが、国家財政は救われません。否、医療費が下がる事により、医療保険が助かるという面があります。だがしかし、それも長い目で見てみると、長生きが増えると医療費や年金がしんどくなります。
何がベストなのか? あれだけ大勢のインテリが集まっても大間違いをやらかすのが政治・行政というものですから、これは簡単には言えませんね。それこそ相互に影響する要素を拾っていくと、際限無く広がってしまいます。
まあ、煙草が高くなって、喫煙が「高級な嗜み」になるというのも、それはそれで一興かも知れません。懐事情が苦しくなるのは困りますが……あっ! いざとなったら旧三級品があるか! 増税したら、「旧三級品ブーム」が来たりして(どこが「高級な嗜み」なのか)
                             駅員@行く末は 紫煙の先に 見ゆるのか

2009年11月3日(火)
駅日誌(1243) 「東海道五十三次(6)」

昨日の日誌に続いて、東海道歩き11月2日分です。2日は平日でしたが、今日の文化の日と飛石連休になっていたので、有給休暇を取って4連休にしました。

小田原のビジネスホテルを出て、箱根登山バスで前日の到達地点、箱根宿まで移動してのスタートです。8時半頃に駅前でバスに乗ったのですが、やはり平日、駅前には出勤・通学姿の人が多数。その一方で、箱根に向かうバスを乗り降りする客は殆どが温泉客のようでした。
バスを降りて、先ずはビニール傘を購入。天気予報では曇りだったのですが、小雨が降っていました。傘を差して歩き始めると、雨以上に厄介なのが、濃霧。車道を横切るのが以上に恐ろしいです。車から発見されずに撥ねられやしまいか? そんな心配が生じるくらい濃い霧でした。息も白くなる寒さなのですが、薄着であるにも関わらず気持ちの良い寒さでした。スキー場の寒さのような。空気が綺麗なせいでしょうか。
箱根宿西端を出ると、箱根峠(標高846m)です。峠を越えると、そこからは殆どが下り坂です。と同時に、神奈川県から静岡県に入ります。ようやく神奈川県を抜けました。箱根西側も東側同様、「○○坂」と命名された石畳の坂が断続的に続きます。今日は平日で、しかも雨&霧のせいか、ハイカーには殆ど遭遇せず(それでもゼロではありません)。
「かぶと石」(兜の形をした石です)、「雲助徳利の墓」(雲助=人足。酒好きの人足を偲んだ墓)等の史跡があります。ここに限らず、史跡には墓が多いですが、死んでから衆目に晒されるというのは、どういう気分なのでしょうか。死人に口無し、訊けませんが。

だいぶ下って来て車道を歩いている所で丁度昼頃。腹が減ったなあ……と思っていると、炭で焼いていると分かる美味そうな鰻の香りがして来ました。鰻屋です。早速入ったのですが、テレビのロケだとかで一般客は15時まで食べられないとか! 何だと!? テレビ東京と地獄三丁目駅、どっちの取材が大事なんだっ!!(テレビ東京の方が大事です)
しょうがないので、もう少し下った所にある、昼は食堂、夜は居酒屋みたいな所で食事。シーズン物の牡蠣フライと、豚汁。あまり期待はしていなかったのですが、これはこれで美味でした。
 
(左)濃霧。真っ白です。
(右)「幾億の足音が坂に積もり、吐く息が谷を埋める。わが箱根にこそ」司馬遼太郎。


そこから更に進むと、降ったり止んだりしていた雨が上がり、晴れてきました。しかし、西の空にはまだ雲があり、富士山は拝めず。
引き続き、車道脇と石畳を断続的に下って行きます。
下り坂は徐々になだらかになってきて、やがて平地になると、「三島宿」です。
伊豆の国一ノ宮である三嶋大社では、七五三詣でをしている人が見受けられました。そうか、11月かあ。神社に詣でてから三島宿を抜け、「沼津宿」へ。
ここいらは、車道脇を延々歩くというコースになります。沼津宿の西端には、和歌山牧水の墓がある乗雲寺があります。もう日が暮れてきていましたが、沼津駅まで引き返すのも勿体無いので、このまま前進。この辺りは比較的温暖で苦にならなかったので、そのままJR東海道線の次の駅である片浜駅まで進んでから電車で帰りました。
  
(左)富士山は雲隠れ。 (中)三嶋大社の樹齢1200年の金木犀。
(右)三島駅広小路駅近辺にあった、井戸汲みロボ。


しかし、東京に戻って感じたのが、「寒い!」という事。長時間暖かい電車に乗り続けだった事もあるのでしょうが、朝の箱根の峠よりも寒く感じました。1日に出て来た時はこんなに寒くなかったのになあ……
東海道五十三次(6)歩行距離 : 24.4km(日本橋〜122.7km)+α。
                             駅員@富士見えぬ 霧の箱根を ひた歩く

2009年11月2日(月)
駅日誌(1242) 「東海道五十三次(5)」

11月1日〜2日と、9月下旬に始めた東海道五十三次の続きを歩きました。今回の日誌で11月1日分を書き、明日の日誌で11月2日分を書こうと思います。

前回は、小田原宿からちょっと西、箱根湯本まで進んで温泉に入って帰ったので、そこまで電車で移動してのスタートです。小田急箱根湯本駅を出て、三枚橋という橋を渡り、そこから坂を登って行きます。流石は箱根。その坂には温泉宿がいくつも軒を連ねていました。しばらくは車の行き交う狭い坂道の隅を歩くわけですが、やがて石畳の林道に入ります。風情たっぷりで、旧東海道を歩いている気分が盛り上がって来ます。
ここからは、断続的にこういった石畳の林道を歩く事になります。車道の端を歩いたり、車道を横切って渡って林道に入ったりを繰り返して登ります。石畳の坂には大抵「○○坂」という名が付けられており、その入口に坂の名前が彫られた石が立ててあります。中には「女転ばし坂」なんて凄い名前の坂も尚、これらの石畳や土の林道はハイキングコースにもなっており、何度か山歩きをしている人と擦れ違いました。
途中、河原に出たので、そこで裸足になって川に足を浸しました。ああ、気持ち良い。足を冷水で冷やすのは、長距離歩行には有効な足の休め方だそうです。
  
(左)さるはし&猫。 (中)女転ばし坂。 (右)冷たくて気持ち良い川。


途中には、これまで通って来た東海道の例に漏れず、道祖神や小さな石仏、神社仏閣等が度々現れます。そんな中、一際異彩を放っていたのが「箱根大天狗山神社」。何やらカラフル。入口に「信者の方はどうぞお入り下さい」と書いてあります……排他的! だが、俺は信者ではないけど入る。
境内にはペンキみたいな塗料で金色に塗られた金剛力士や、梵字モチーフのオブジェが……ん? 神社なのに、仏教系の物ばかりです。何人か、在家信者と思しき参詣客に挨拶をされましたが、そえが気まずくなり脱出。振り返ると、塀の上に有刺鉄線があります。泥棒避け? それとも……? 私は「宗教は玩具である」が持論なので、宗教に貴賎を付ける気はありませんが、あくまで「玩具」として見ての話、ちょっとチャチな印象でした。

箱根湯本から6〜7km程の畑宿という辺りには、寄木細工屋が軒を連ねています。箱根の伝統工芸ですね。寄木細工の栞を買いました。
そこから更に山道を上って下って、芦ノ湖に到達。芦ノ湖では天気の良い日には「逆さ富士」が見える事もあるそうです……が、その日は大荒れ。望むべくもない状況です。風も強く、寒い! 喫茶軽食店で、珈琲を飲みました。珍しく砂糖を2杯も入れて甘くして。特に肉体労働者が缶コーヒーを好んで飲む理由が良く分かります。肉体を使うと、温かくて甘い珈琲が非常に美味いのです。
すぐそばには、大きな鳥居が見えます。携行している本によると、この鳥居の近くに「賽の河原」があるとの事。あれです、地獄で水子霊が「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため、三つ積んでは兄弟のため」というやつです……が、狭っ! 狭い敷地に地蔵が何体か置いてあるだけです。元々は広々としていたそうですが、廃仏毀釈の頃にこうなってしまったそうです。
更に南側の湖畔を歩いて行くと、箱根関所跡です。当時の関所を再現しており、なかなか面白い場所です。関所を越えると「箱根宿」になります。周辺にはホテル、旅館、民宿等があり、箱根駅伝折り返し点の近くには、記念碑が立っています。
  
(左)大荒れの芦ノ湖。 (中)写真右下の墓地状の場所が「賽の河原」です。
(右)関所跡の土産物屋の前にあった、首出し看板。


湖畔をぶらぶらして、時刻は16:00頃。雨が降り始めました。参った……今回は撤収するか? 携帯で調べると「明日の天気は、曇りのち晴れ」。箱根宿で泊まる場所を確保しようと思い、民宿に電話を掛けてみたのですが、1箇所目は不通、2箇所目が「休み」との返事。ここで心が折れて、箱根ホテルにかけてみると「御一人様だと2万円」……高え! 流石は富士屋ホテル系列という事でしょうか。
箱根登山バスで小田原に引き換えし、ビジネスホテルを確保。\4,700也。安っ! 御世辞にも上等とは言いがたいホテルでしたが、これで十分。翌朝は再び箱根登山バスで移動してスタートです。それは明日の日誌に。
東海道五十三次(5)歩行距離 : 約10.5km(日本橋〜98.1km)+α。
                               駅員@雨降って 駅伝の如く 折り返す
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