2010年9月度目次
 #1445 「踊」 阿波の国 鳴門の渦の 泡踊り(8月13日〜14日回顧)。
 #1446 「秋」 蝉の声 ぴたりと止んで 秋の風。
 #1447 「東海道五十三次(19)」 名鉄津島駅〜佐屋街道・佐屋宿〜桑名宿〜近鉄益生駅。
 #1448 「東海道五十三次(20)」 近鉄益生駅〜四日市宿〜石薬師宿〜庄野宿〜亀山宿。
 #1449 「東海道五十三次(21)」 亀山宿〜関宿〜坂下宿〜土山宿〜水口宿。

 
2010年9月30日(木)
駅日誌(1449) 「東海道五十三次(21)」

昨日の続きで、東海道歩きについての日誌です。9月20日歩行分です。
亀山で泊まったビジネスホテルから街道に復帰すると、そこは「亀山宿」。宿場町のあたりは、歩道の色が変えてあって、古い家並みが多く残っている町でした。亀山宿西端を抜けてもまだその街並みは宿場然とした、野村という地域が続きます。その外れにてっぺんに大きな木の生えた一里塚があります。しばらく進むと、川沿いになり、大岡寺畷という道を通ります。この辺りでちょっと小雨がパラつきました。おっと、今回は折りたたみ傘を持って来るのを忘れていた……まずい事にならなければ良いが……狐の嫁入りだったのですぐ止み、助かりました。真っ直ぐ進み、東名阪自動車道の下をくぐり、JRと国道一号線とを越えると、「関宿」です。

関宿は国道を越えてすぐの入り口の所こそ地味ですが、いざ宿場に入ると、地域を挙げて宿場町という地域性を環境資源にしようという努力の強い町でした。古い家並みの保存の他、随所に宿場の匂いがします。日本郵政も協力的で、ポストは黒い箱に庇が付いて「書状集箱」と書かれています。よく古い街並みで見る赤い円筒形のタイプではなく、景観維持のために専用形状にしている様子。観光地として整備された展望台や休憩所等、宿場の押し出しは東海道随一かも。
宿場の中ほどに大きな寺がありました。地蔵院。大小の僧形の像が多い寺でした。本堂右側に、びんずる尊者像と思しき木像があります。矢張り、撫でると利益があるというやつなのか、削れています。それにしても、びんずる尊者系の木像を見るといつも思うのですが、結構スプラッターよなあ……顔を中心にあちこちがずるむけです。西の追分で宿場は終わり、国道に合流。そこからは鈴鹿峠に向かってだんだん上り坂中心にになってきます。右には小高い所に関ロッジという建物が見えます。国民宿舎、とか。興味深いのは、ブルートレインが置いてあって、そこに泊まる事も出来るのだとか……うーむ、マニアックです。山の宿泊施設に来て、わざわざ狭いブルートレインで寝るという酔狂。これはこれで味わってみたい気もします。そう言えば、私は列車は好きな方なのですが、寝台列車には乗った事がありません。夜間に走る電車と言えば、ムーンライトながら(通常の東海道車両)くらいしか乗った事がないです。
筆捨山という山が見える場所から更に進み、国道を離れて、山道に入ります。お! 誰かがうずくまっている!? 妙にリアルでちょっとドキッとしました。見ると、足元は円盤状の台になっているのですが、その台から足が連続しています。台の直径丸太から、彫り出した像なのか……

沓掛集落を通り、白がまぶしい古い小学校の木造校舎を元にした鈴鹿自然の家の前を通りしばらく進むと「坂下宿」。嘗ては鈴鹿峠越えに備えて、或いは鈴鹿峠を越えてからの宿場として栄えていたそうですが、今は見る影もないです。
国道の峠道に合流し登ります。しばらく行くと、「大道場岩屋十一面観音」という碑があり、閉ざされた門扉(低いもの)がありました。「大道場」この響きに興味を惹かれになり、門扉を押すと、鍵はかかっていませんでした。入ってみると、小さなお堂(こちらは鍵がかかっていて、この中に居るであろう十一面観音は見られず)と滝がある程度……にも関わらず、所々に撮影禁止の文字。山岳、滝、仏像……修験者の修行場? その修行を撮るなという事なのでしょうか。
峠道を進むと、右手に片山神社という石碑があり、そこからその参道兼の石畳の道を登ります。登った上方は杉木立の間を通るような恰好で進むと、分かれ道があり、その一方には鏡岩という岩があり、そこから峠道を見下ろせます。鏡岩の分岐まで戻って、正規ルートを向かうと、そこはもう三重県と滋賀県との県境。茶畑があり、滋賀県甲賀市になります。思ったより短い峠でした。箱根と比べると随分小規模です。いかにも峠道に至るまでの登り坂が私の脳内でカウントされていないせいでしょうか。越えた先の滋賀県側はゆるゆると国道を下っていきます。
国道の脇の砂利道を下ると、小さな祠があり、「蟹塚」というのがありました。また、近くには「蟹坂古戦場跡」という看板も……この地域は蟹と縁が深い? そこから更に殆ど国道に沿って道を下って行きます。新名神高速をくぐって更に進み、右手に逸れて旧道を歩くと、海道橋という橋があり、そこから田村神社(坂上田村麻呂を祀っています)の参道正面に出ると、道の駅・あいの土山に到着。鈴鹿峠からここまで途中に何も無く、飲食もままならない状態だったので、ここで休憩です。すぐそばには「田村神社名物・かにが坂飴」の店がありました。原材料:澱粉、大麦麦芽、以上。シンプルの極みです。400円也。買ってみました。うーむ、干し芋のようなやさしい甘さ。えーと、子供がまずいと言いそうな飴です。道の駅では、前日にお会いしたT氏が休憩をしていました。T氏は食事を摂った後の休憩だそうです。私は今から食事。土山は茶が売りだそうで、茶そばならぬ茶うどんを食べました。

道の駅の裏から「土山宿」です。鈴鹿峠を越えてから殆ど国道を歩いただけだったので、期待していなかったのですが、思ったより遥かに宿場町然としていました。ここには、森鴎外の祖父が亡くなった旅籠や、その墓参りに来た鴎外が泊まった旅籠があったそうです。宿場を抜けてからは国道に合流したり離れたりを繰り返して西北西へ歩きます。橋を渡る度に鈴鹿山系の水の綺麗そうな川が見えます。
住宅街で興味深い物を見付けました。「堆肥化システム回収容器・甲賀市」。遊園地やテーマパークで清掃スタッフが引いている車輪付きのゴミ回収ボックス風の樹脂製箱です。生ゴミをこれで回収して堆肥化するサイクルが構築されているようです。こういうのって、廃棄側、回収側ともにルールを順守していないと機能しないものなのですが、ここでは上手く回っている様子です。但し、そばに「こういう物は捨てないで下さい」という張り紙があるので、過失か故意か、異物が入る事も結構ありそうです。
やがて、「水口宿」に到着。もう日が傾いて居ましたが、水口宿にも宿場町の匂いが結構あります。この日は三連休の最後なので、帰る必要があったため、ペースは速めでした。あ、あの「ESP指導所」「エスパーシール」なる怪しげな店も気になるが、やむなくスルー。何とか、近江鉄道・水口石橋駅に到着。電車を待っている間、先程のT氏と合流。近江鉄道で1時間半かけてJR米原駅。そこから新幹線です。三連休の最終日でしたが、ひかり号で喫煙席であれば、何とか座れました。新幹線ではT氏と並んで弁当&麦酒。街道歩きについて喋りながら帰りました。このT氏ですが、既に中山道を制覇している猛者で、色々有益な事が聞けました。

東海道五十三次(21)歩行距離:32.5km(日本橋〜454.5km)
                                          駅員@足の裏 30kmが 関の山

 
2010年9月29日(水)
駅日誌(1448) 「東海道五十三次(20)」

昨日の続きで、東海道歩きについての日誌です。
9月18日夜には近鉄四日市駅近くで宿泊したわけですが、テニスウェアを着ている客が多いような気が……朝食の時にそれは確信に変わりました。テニスウェアだらけ。中には岩手県というゼッケンを付けている客まで。
昨晩あちこちのビジネスホテルに電話をかけた時に「団体で満室」だった理由が分かりました。どうやら三重で全国規模のスポーツの大会がある様子。後で調べてみると、丁度この三連休に、スポーツマスターズ三重大会というものが開催されていたそうです。参加者約7,000人。そりゃあ、ビジネスホテルも一杯になるわな。

朝食を終えた私は、近鉄で前日の中断地点、益生駅まで引き返しました。しばらく住宅街になっている旧道を歩きます。やがて町屋川に掛かる町屋橋に辿り着きます。常夜灯がありましたが、その先の旧道に橋は無し。嘗ては木造の橋がここに掛かっていたそうですが、現在は、すぐ横の国道一号線に橋が掛かっています。一旦国道に合流して、橋を渡ってすぐまた旧道を歩きます。この辺りには「御厨」と付いた神社が随分ありました。後で調べると、中世に力を持っていた有力な神社の荘園を意味する言葉だそうです。三重と言えば伊勢神宮。伊勢系の荘園に配置された神社というわけか。存外政治的な意味合いのネーミングでした。
しばらく進むと、朝明川を渡ります。近くはまたも常夜灯。丁度その辺りで伊勢湾岸自動車道の下をくぐるのですが、信号機を見上げると、そこには「柿」と書かれていました。かき交差点? 昔ここに柿の木でも生えていたのでしょうか……ふと思い出したのは、茨城にある「鯨」という交差点。茨城県でも比較的埼玉に近い辺りで、海はそう近くないのに、「鯨」。かつては海に近かったのでしょうか。
続いて旧道を歩きます。歩道が無い部分が多い割に車の通りがあり、歩き難い道です。ふと見上げると、その道の前方遥かまで、道をの上にまたがっている電線の中間点に何やら灰色の萎んだポンポンのような物が付いています。うーむ、何だろうか、これは? 何かの目印?
近鉄富田駅そばにある一里塚を過ぎて、更に旧道を西へ。道端に「くわなのつめたいおやつ あいすまんじゅう」の幟がありました。興味あり! アイスまんじゅうと言えば、私の中では九州の丸永製菓のずんぐりしたアイスバーを思い浮かべるのですが、桑名名物なのか!? 生憎幟を出している所は店には見えず、店だとしても営業していない様子なので断念。あとで調べてみると、桑名の方が発売が早いものだそうです。九州名物とばかり思っていました。
と、ここいらで旧道がT字路で突き当たりになってしまい、道のチョイスを誤って迷ってしまいました。逡巡する事しばらく、またまた携帯のコンパスの頼りになってしまいました。住宅街でコンパスで道を確認している私って……
しばらく進んで右側から一号線に合流した後、左側に抜けて再び旧道です。多度神社と三ツ谷一里塚を見て、川を二つ渡ると、「四日市宿」が近付いてきます。「笹井屋のなが餅」という名物菓子の店がありました。あいすまんじゅうを食べ損ねた私は、取り敢えずその最小サイズを購入(7個入り)し、公園で一休みしながら食べました。

商店街等のある市街地に近付きました。昼頃にようやく今朝起きた町まで辿り着きました。幟等で、首の長い大入道のイラストを何箇所かで発見。四日市の祭りに出て来る山車の一つがこの首が伸びる大入道だそうです。身の丈3.9mで、首が2m伸びるとか。四日市市のシンボルキャラクターだそうです。待てよ? 先程、道にまたがる電線にポンポンが付いていたのが疑問だったのですが、もしかしたら、あの道にも大入道が通るのでは? そして、その首が引っ掛からないようにするための目印とか? この推理の正否は分かりませんが……
しばらくする国道一号等太い道が交差するあたりに「日永追分」がありました。道に囲まれた三角州のような状態で鳥居と道標があります。ここを右に抜け更に進みます。内部橋を渡り、杖衝坂という坂を上ると、小高い所に出て、国道合流します。見ると、随分な斜面に、もうけられたゴルフ練習場がありました。うーむ、あそこに書いてあるヤード数は果たしてあてになるのだろうか? 下世話な詮索はこの辺にしておいて、国道に合流して進み、再び旧道に入った辺りで、年配の男性(以下T氏)に声を掛けられました。この方も街道歩きをしているそうで、しばらく一緒に歩く事に。

やがて「石薬師宿」に到着。石薬師と言うからには、薬師如来の石仏がある筈……石薬師寺という寺があったので、T氏には先に行って貰い、寺を観ました。本尊は見られなかったのですが、境内にある頭でっかちの石仏群がなかなか面白くて、しばらく見て居ました。
再び国道一号線に合流して、合流したり別れたりしなが「庄野宿」に到着。この辺りで、先程のT氏と再び一緒になりました。歩行速度は私の方が速いのだなあ……と内心調子に乗っていたら、この方は、東海道歩きは始めてから13日目との事。私は20日目……ガーン、全然俺の方がペース遅いやないか! さて、この辺りにはやたらと「川俣神社」という神社が多いです。その中の一つに、樹齢推定300年というスダジイの巨木がありました。巨大で古いのに葉はみずみずしい……古来、木が神格化されるのもよく分かる気がします。
国道に合流したり離れたりが続きます。ふと振り返ると、東(私が背を向けている方角です)に気球が3つ程浮かんでいました。気球を飛ばすイベントでもしているのでしょうか。無人駅の井田川駅を過ぎて、再びふと東の空を見ると……うわっ!!? 気球が10も20も浮かんでいます。多過ぎ! 後で調べてみると、「鈴鹿バルーンフェスティバル」という催しがあったそうです。
日が傾いて暗くなってきています。瓦葺の3階建てマンションという何やら気になる物件を脇目に道を急ぎます。目指すは今日のゴールに想定している「亀山宿」です。カメヤマローソクの工場がありました。蝋燭の国内トップ企業(シェア50%)です。本社は大阪ですが、創業の地がここ亀山なわけです。「亀山宿」到着のめどが立ち、今夜の宿を探して電話を掛けた後休憩していると、T氏と遭遇。ともに亀山を目指します。暗くなって、私は亀山駅近くのビジネスホテルに。T氏は、もう少し先のホテルを取ってあるとの事で、まだ先に進みます。私とT氏のペースの違いは、朝の早さとその日の目標地点まで歩く根性にあるのだなあ……

東海道五十三次(20)歩行距離:31.7km(日本橋〜422km)
                                      駅員@初めての 旅は道連れ 東海道

 
2010年9月28日(火)
駅日誌(1447) 「東海道五十三次(19)」

また随分間があいてしまいました……今回は、先日敬老の日の三連休で歩いた東海道歩きの続きです。
7月に海の日の三連休で歩いた時に、あまりの暑さのせいで、汗っかきの私は3日間ともTシャツに塩をふいてしまいました。そのため、猛暑の8月はやめておいて、今回の歩行となったわけです。それでも天気が良くて、まだ暑いには暑かったのですが。

前回、東海道の脇往還である佐屋街道(熱田神宮〜桑名を舟で渡る「七里の渡し」ではなく、それを迂回して歩いて通る道です)を途中まで歩き、津島神社に寄ってから撤退したので、今回は新幹線で名古屋まで行った後、名鉄に乗り換えて津島駅からのスタートです。
津島駅からは……本来は埋田追分まで引き返して、佐屋街道に復帰すべきなのですが、どうも道が途絶えて居たりしてハッキリしないそうなので、佐屋街道の終着点・佐屋宿を目指して南下する事としました。
線路沿いを南下しながらちょっと道を外れたりしながら、なるべく旧街道的な匂いの道を選んで進みました。東海道もここまで歩けば、これまでに道に迷った回数も数知れず。ちょっとだけですが、何となく旧街道臭い道を見る目が養われて来た心地がします。適当に進んでいると、ビンゴ! 「愛宕追分」という道標がありました。旧来の石碑は残っていないようで、新しく造られた鉄製でしたが。
と、ここで図に乗ってしまったのがいけなかったのか、その後あらぬ方向へ向かう羽目になってしまいました。うーむ、何時の間には何も無い画一的な農道を歩いています。街道の匂い一切無し……幸い、私の携帯にはコンパス機能が付いているので、針路を軌道修正し、佐屋宿を目指して進みます。やがて「佐屋街道址」という比較的新しい石碑。街道に復帰です。
しばらく進んで「佐屋宿」に到着。宿場の入口付近に松尾芭蕉の句碑があります。ここも往時は宿場町だった筈なのですが、その風情は殆ど残っていません。しかし、かつてはこの辺りには宿場があって、川があって「佐屋三里の渡し」があったのです。残っているのはそれを偲ばせる石碑くらいです。如何に舟を使わない道とは言え、木曽川・長良川・揖斐川が集中しているここばかりは、当時は舟でなければ渡れなかった様です。現在は橋で渡れるので、私は橋を目指します。
佐屋宿から、現在の木曽川・長良川・揖斐川の方向に歩きます。休憩。喫茶店でアイスコーヒーを飲みました。注文すると、「サンドイッチか菓子が付く」との事。まだまだ名古屋喫茶文化圏なのでしょうか。小腹も空いていたので、サンドイッチ付きにしました。店内には、テーブル面が画面になった麻雀ゲームのゲーム機が置いてあります。昔の喫茶店に置いてあったインベーダーゲームの機械のような機械です。このゲーム機がまだ現役なのだろうか? それとも、アンティークなのだろうか? 判然とせぬまま、暑さでくたびれた体を休め、再び歩きます。
やがて、幅の広い川に差しかかります。木曽川です。そこにかかる尾張大橋を渡り、しばらく進み、続いて伊勢大橋を渡ります。川幅が広いので橋の長い事長い事。伊勢大橋の方は、長良川と揖斐川が河口付近で合流するので、中間地点に中州のような場所があります。そこには中堤信号という信号がありました。普通の国道で橋の途中に信号があるというのも珍しいです。尚、ここは右折禁止だそうです。そりゃあそうだよなあ、前も後ろも長い橋。渋滞は洒落にならんものがありますからね。ふと振り返ると、川の向こうに富士山が乗っかった円盤型の展望台がせり上がって行く様が見えました。あんな物もあったのか……後で調べてみると、長島リゾート系の施設の一部のようです。
川を渡り切ったら桑名の七里の渡し……かと思いきや、ここから更に川を海に向かって下る必要がありました。七里の渡し周辺は公園になっており。また、この周辺は大きな宿場だったと見え、町の区画の構造も宿場町らしさが残っていました。ここには料亭・精肉・惣菜で有名な「柿安」の本店があります。柿安本店で豪勢に肉でも食うか! と思ったのですが、あまりに静かな佇まいの料亭本店の方には、汗みどろの男一匹では気後れしてしまい(「御予約は?」とか言われたら嫌だしなあ……)、精肉店本店の1階軽食コーナーのような所で、「その手は桑名の蛤」というわけで……「はまぐりラーメン」というのを食べました。
佐屋街道から東海道に復帰したので、道案内は比較的しっかりしています。特に、宿場周辺では道が違う色で舗装されています。思えば、佐屋街道は随分情報不足な中よく歩いたなあ……と我ながら思います。青銅製の鳥居が見えて来ました。「桑名宗社」という神社がありました。二つの神社が合体しているという珍しい構造です。尚、この青銅製の鳥居は、この町が鋳物の街だった頃の名残だとか。更に進むと、東海道ミニチュアのような公園がありました。おっと、ここにも富士山の模型が。先程の展望台と言い、随分富士山の模型が多いです。
道標の多い東海道に戻れたのもつかの間、宿場の外れの火の見櫓の辺りで日が暮れてきたので、今日の行程はこれにて終了。桑名で泊まろうと思ったのですが、何と、電話をかけたビジネスホテルが立て続けに、団体客で一杯との返事。そう、一人旅なので、予約などしていません。行き当たりばったり旅です。参った……しょうがないので、四日市のホテルにかけてみると、何軒目かでようやく確保。火の見櫓の近くの近鉄益生駅から四日市まで電車で移動しました。四日市駅の近くで、地域のB級グルメ「トンテキ」を食べ、宿泊。この続きは、次の日誌で。

東海道五十三次(19)歩行距離:約20km(日本橋〜390.3km)※佐屋街道、正確な距離分からず。
                                     駅員@木曽長良 揖斐を渡って 桑名宿

2010年9月3日(金)
駅日誌(1446) 「秋」

昨日はちょっと涼しくなったかと思った(それでも暑いには暑かったのですが)のに、今日はまた暑かったです。もう9月になったというのに。私は汗っかきなので、暑いのはたまりません。それでも、確実に秋は訪れて来ています。
それが如実に表れているのが、夜です。夜の風が多少涼しくなりました。
また、聞こえてくる虫の声が変わりました。ほんのちょっと前までは夜でも蝉の声が聞こえていたのですが、今ではコオロギやキリギリスの類、秋の虫の声です。
人間の居る所には真の闇はやって来ません。人工的な明かりが闇を切り裂きます。蝉は、目に飛び込んで来る明りの下、夜でも鳴き続けます。これは彼等にとってはどういう物なのでしょう? 短い成虫の期間に眠ることなく歌い続けられる希望の光なのか、短い成虫の期間を更に縮める破壊の光なのか……後者と言った方が何となくヒューマニズムなのですが、確証が無いので何とも言えません。

さて、蝉と言えば、以前の日記に蝉の幼虫の写真を載せましたが、あの後、羽化したての白い蝉の写真を撮った事があったので、それを載せておきます。この蝉は、木の幹ではなく根っこ辺りに纏わり着いていました。そして時折風に煽られてオタオタとしていました。よく見ると、羽の端がちょっと曲がっています。乾きかけで伸びきっていないためなのか、それとも風に煽られてどこかにぶつけて曲がってしまったのか。この蝉はあれからどうしたろう? 蝉の声の聞こえない今夜はもう生きてはいないのはほぼ確実。死ぬまでに生を全うできたのかどうか。
待てよ? 写真は携帯で撮ったのですが、暗かったので、撮影補助ランプを点けました。もしかして、私のその一射のせいで目がやられてしまっていたりしないだろうなあ……
ひょんなキッカケで生まれた人もいる♪ ひょんなキッカケであの世行きもある♪
   〜THE YELLOW MONKEY「ゴージャス」より〜
                                     駅員@蝉の声 ぴたりと止んで 秋の風

 
2010年9月2日(木)
駅日誌(1445) 「踊」

ほぼ毎日書くようにしていた筈の地獄三丁目駅・駅日誌なのですが……長〜い、夏休みになってしまいました。昨年も夏場に長期間日記を書かない時期がありましたが。え? そんなに忙しかったのか? 否、そうでもなかったのですが、財布を失くした事や(駅日誌#1444では何やら大仰に書いていますが、失くし物は財布だったのです)、その財布の中に入っていたカードや身分証明書等の復旧による気疲れや、猛暑や、他にも精神的に疲れる事が色々あって、平日の晩も休日もどうにもこうにもやる気が出ず、やたらと眠ったり、ゴロゴロして本を読んだりしていました。
……なのですが、それでも書きたい事柄があるので、随分時間が経ってしまいましたが、今日の日誌はそのネタです。

私の学生時代からの友人に、徳島在住者が居ます。今年の夏は、その人の実家に泊めて貰って阿波踊り見物に行きました。一度は行ってみたいと思っていたのです。その時、私はやたらとスポーティーな、ナイロンのような素材にマジックテープで開閉する、ズボンの方に繋げられる紐付きの財布を携行しておりました。うーむ、小学生のような財布です……恥ずかしい。否、恥ずかしいのはそんな形式的な事よりも「財布紛失」の方ですから、この恥ずかしさは敢えて被るべきなのです……
日程は8月13日〜14日。13日は、飛行機の予約が遅かったので、朝一番の飛行機でした。羽田空港7:20発。前の晩には飲んで帰ったので、そのまま眠り、支度の時間まで考えると……うひゃー! 4:30起きです。
徳島空港到着は8:40頃。阿波踊りは無論、夜です。それまでどうしようかと思っていたのですが、友人が車で迎えに来て付き合ってくれました。もう一人の友人もこちらに向かって来るのですが、合流は13:00頃。
それまでどうするか? 徳島と言えば、御遍路の四国八十八か所のスタート地点。折角なので、時間まで、その1番札所から車で回ってみたいと言うと、快諾してくれました。私は東海道歩きをやっているくらいですから、御遍路も非常に興味があります。今回は車での移動でしたが、札所はなかなか面白く、ますます御遍路への憧れが募りました。札所の寺には、白装束や笠や金剛杖、納経帳等の御遍路グッズが売られていました(と、それを纏った不気味なマネキンも)。御遍路グッズ買いたい! このまま御遍路しちゃいたい! 会社の有休を全部突っ込んで「御遍路終わるまで帰りません」と電話して……もし本当にやったら、戻った時に私の席は果たしてあるでしょうか?
一番札所「霊山寺」、二番札所「極楽寺」、三番札所「金泉寺」までじっくり見て回った後で、余裕を見てもう一人の友人を拾いに向かい、3人で徳島ラーメンを食べました。徳島の友人御薦めの「奥屋」です。スープの色も味も濃い〜ですが、生卵を投入してマイルドにして食べるとこれが旨い事旨い事。

腹を満たした後は、鳴門の渦潮を見に行きました。丁度見頃の時間でした。以前にも徳島には来た事があり、その時は見頃の時間なんか調べて居なかったので見られずでしたから、感慨一入です。
夕方からいよいよメインイベントの阿波踊り。徳島駅周辺に向かい、様々な連(阿波踊り集団。学校や企業、自治体なんかから出ています)の踊りを見て回りました。徳島は人形浄瑠璃も有名なので、人形浄瑠璃で阿波踊りをするという趣向もありました。シンプルな踊りではあるのですが、見ていると、流石にプロと言えるような連と企業等の連では、テクが段違いです。成程、存外奥が深いわけです。暑かったので、ビールやかき氷を口にしながら回りました。
友人の実家に厄介になり、翌日は阿波踊り会館で同じくプロの踊りを見てから、ロープウェーで眉山に登り、徳島市街を一望。その後帰路に就いたのでした。
丁度精神的にも肉体的に気だるくなっている時期でしたが、内容的に非常に面白く、且つ久々に友人とも会えたのは良かったです。しかし、それから帰ってからずーっと、日記更新が斯くも遅れてしまいました。さて、そろそろ日記習慣にも戻れる……かどうか?
                                      駅員@阿波の国 鳴門の渦の 泡踊り
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