2012年2月度目次 (御意見御感想は掲示板にどうぞ)→

 #1773 「合掌」 人は死ぬるもの。
 #1774 「風邪」 流行っているようです。
 #1775 「銀幕寸評」 “月光ノ仮面”。
 #1776 「麺」 最近お気に入りのラーメン。
 #1777 「宗教戦争」 否、宗教冷戦。
 #1778 「煙草」 煙草にフレーバーを付けるパウダー。
 #1779 「あるなる」 言葉の変化。
 #1780 「死刑」 私は死刑賛成論者です。
 #1781 「擬音」 オノマトペ。
 #1782 「Bon Voyage」 良い旅を。

  by 駅員 @ 地獄三丁目駅

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2012年2月29日(水)
駅日誌(1782) 「Bon Voyage」

月日は百代の過客にして、行き交ふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口捉えて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。
   〜松尾芭蕉「奥の細道」より〜

東京事変結成から7年余り……2月29日閏日をラストステージとして、東京事変が解散しました。東京武道館でのライブ、喉から手が出る程チケットが欲しかったのですが、敢え無く抽選落選。
……と思ったら、映画館でライブシネマ(サッカーW杯なんかを映画館で放送したりしましたが、そのライブ版です。私は初)を開催するとの事。そちらは何とかチケットが取れました。
解散ツアーの名前はボン・ヴォヤージュ。仏語で「良い旅を」(ボン・ジュール、ボン・ソワールのBonに、旅行・航海のVoyage)。無人探査船船にボイジャーなんて名前がありますが、ヴォヤージュする者の意で旅人です。

映画館でも行けないよりは遥かに幸せでしたが、矢張り武道館に行った人は羨ましい!!
とは言え、生ライブでは見えないアップ等もありましたし、これはこれで良かった。余韻に浸り、CDの東京コレクションを聴きながらこれを書いております。

さて、私事でも色々1月から2月に掛け激動でした。
1月に職場が移転した事は以前に当日誌に書きましたが、その後ごく最近に、職場の組織構造が大きく変わる事になりました。転勤ではないのですが、私の立ち位置は随分変わる事になります。
この時期に、ボン・ヴォヤージュというタイトルのライブを聴けた事を幸いとし、私もまた舟の上に生涯を浮かべ、馬の口を捉えて参りましょう……

2012年2月27日(火)
駅日誌(1781) 「擬音」

オノマトペという言葉があります。擬音語・擬態語の事ですね。会話や文章に臨場感を添える効果があり、童話や絵本では良く使われますが、多用し過ぎると阿呆丸出しになります。

今日はピューピューと風が吹く寒い日でした。先週は小春日和と言うには暑いくらいの陽気で、ぽかぽかしていたのに、ガラッとまた冬に逆戻りです。ぽくぽくと表を歩いていると冷気が首にひゅうっと入って来て、思わず首をずずずとすくめます。
こういう寒い日はラーメンでも、と、からりと扉を引いてラーメンを頼みます。コテコテの油っこいスープの絡んだツルツルモチモチの麺をすすり込みます。
……ああああ、うぜええええ!!! 使い過ぎると、阿呆っぽいというか文章がくどくなります。

さて、音楽を曲名を言わずに楽曲のフレーズで言う事があります。例えば「てーれってー」。これは「北斗の拳」の挿入曲で、主題歌の「愛をとりもどせ」のインスト・アレンジバージョンです。ケンシロウが悪党に北斗神拳奥義を放っている時なんかに鳴ります。
この「てーれってー」みたいな文字表現も、オノマトペと言うのでしょうか……?

2012年2月21日(火)
駅日誌(1780) 「死刑」

山口県光市の母子殺人事件の判決が下りました。死刑。問題は法務大臣がちゃんと執行させるかどうかですが……
私は、死刑賛成論者です。死刑、というだけでは生温い。散々苦しめて公開処刑をした方が良いとさえ思っています。(それどころか、法学部出身のくせに、奴隷制度是認を除けばハムラビ法典が好きだったりします)

子「お母さん、あの人、何で頭だけ出して地面に埋められてるん?」
親「悪い事したからやで」
子「悪い事って何をしたん?」
親「人の家に侵入してお母さん(をレイプして)と赤ちゃんを殺したんやで」
子「これから何が始まるん?」
親「鋸で首をちょっとずつ切られるんやで」
子「嫌や、怖い……」
親「人殺しレベルの悪い事をしたらああなるんやで。でも、坊はそんな悪い子と違うもんな?」
子「違う」
親「それやったら、怖がることあらへん。よう見とき」
子「おっさんの首に鋸当ててはる。でも、鋸って銀色やんな? あれ、木ぃみたいな色してるで?」
親「あれは竹鋸言うんやで。竹で出来とんのやで」
子「何で竹なん? 鉄の方がよく切れるんと違うん?」
親「わざと切れ味が悪い鋸を使うて、苦しませるんやわ。罪を反省させるために」
子「ぞ〜……」
親「さっきも言うたけど、ああなるんは、死刑になるくらい悪い事した人だけや」
子「うん……」

これ、私は結構健全だと思っているのですが、こんな会話文を書いている私が全く健全ではないか……
関西弁に馴染みの無い方は、「火垂るの墓」の清太さんと節子で再生してみて下さい。

2012年2月16日(木)
駅日誌(1779) 「あるなる」

古文の日本語の用法で、存在の「あり」と伝聞の「なり」が繋がり、「あるそうだ」という意味の「あるなり」という言葉があります。更に、係り結びの「ぞ」「なむ」「や」「か」が付けば、或いは連体形として後ろに名詞が来れば「あるなる」。その「ある」が撥音便で「あんなる」。そして、「ん」の表記が省略されると「あなる」。
昔、古文の教科書にそんなのが登場しました。そして、阿呆な高校生はそれに反応してしまうという、ありがちな事ですね。
大学時代に三宮に出掛けた時、駅前のバス乗り場の辺りが「おっぱい公園」と呼ばれていました。バス停の前に広場があり、そこの地面が所々盛り上がっていたのです。その公園内に大きなモニュメントのような物(時計の台だったか?)が立っていたのですが、そこに「アナル」と落書きされていました。その頃にも、「あるなる」の事を思い出したなあ……全くもってどうでも良い余談でした。

さて、分析を生業としている人の事を「アナリスト」(Analyst)と言います。アナライズ(Analyse)をする人で、アナリスト(Analyst)……では、もしかして、「分析」という名詞は?
残念ながら、アナリシス(Analysis)です。
そもそも、アナル(Anal)という単語は形容詞です。名詞ではありません。
しかし、日本語は便利なもので、片仮名語にしてしまえば、その言葉が何詞であるかなんぞ関係なく通用してしまいます。
思うに、Anusという名詞よりもAnalという形容詞の方が普及するのは、きっと「穴」という響きのせいなのでしょうね。しかし、嘆かわしいと仰る方、普通に一般化してしまっている「帝王切開」という言葉は如何でしょう? 間違え度合いとしては、これも相当……元々はラテン語で、「切る」という言葉と「カエサル」という言葉を取り違えて欧州各国語に訳され、ドイツ語から更に日本語に翻訳されたためです。語源辿りを多少緩くすれば、「シザー」と「シーザー」を間違えたといったような感じです。

間違っていても普及すればそれが正しい表現になる。まさに、言葉は生き物です。「あるなる」→「あんなる」→「あなる」これも言葉が生き物である例でしょう。
これからも言葉は変わって行くでしょう。例えば、割と近年登場して、最早そこそこ市民権を得ている「きめえ」というのも、言葉の変化ですね。「気持ちが悪い」→(「が」省略)→「気持ち悪い」→(「気持ち悪い」が一つの形容詞と見なされてその形容詞の短縮形)→「きもい」→(「臭い」→「くせえ」のようなえ穏便)→「きめえ」。
言葉の変形としては、筋の通った変形とも言えます。
え? 「あなる」からこんな言語学的展開をしている私がきめえって?

2012年2月16日(木)
駅日誌(1778) 「煙草」

煙草関係で面白い物を手に入れました……と言っても、1000円煙草The Peaceではありません。The Peaceも今月の頭に買いましたが、「それ、日記のネタにするつもりでしょう」と言われてしまったため、却下!
今回のネタはChefreという商品です。プラスチックの容器の中にパウダーが入っており、これに煙草を差して先端に粉を付着させて吸うと、マンゴーフレーバーになるという物です。
また、同時に煙草臭が和らぐとか。
更に、タール・ニコチン・一酸化炭素も減るそうですが、これは何だか眉唾です。煙草臭が和らぐというのも、誤魔化しているだけと言えばそうなのですが……
何はともあれ、早速吸ってみましょう。容器の蓋を開けて、煙草を差し込みます。そして、着火。あ、確かにあまーい味がします。ちょっとメンソールっぽさもあるかな? これはこれで、たまに気分転換に吸うには良いかも?

気分転換に吸うと言えば、最近、フィルターの中にあるカプセルを潰すとメンソールになるという煙草が増えましたね。あれはあれでなかなか面白いギミックだと思います。惜しむらくは、現状あまりガツンと強い味の煙草には無いという点です。
まあ、子供っぽい仕掛けだと言えばそうですが、そも、喫煙行為は「大人がする子供っぽい行為だ」という言い方も出来そうです。口の悪い人などは、「喫煙なんてのは、母の乳首の代替だ」などと言いますね。

2012年2月14日(火)
駅日誌(1777) 「宗教戦争」

小さな宗教戦争……否、火花は散っていないので宗教冷戦とでも言いましょうか。そんな光景を目にしました。
私が通る道に、幸福の科学の建物があります。立派ですが、周りから浮いていて一体どうありたいのかと不思議に思う建物です。その隣にはマンションが建って居ます。しかし、その何階でしょうか、幸福の科学の建物よりもちょっと高い所のベランダから、旗が掲げられています。
見覚えのある旗だなあと思うと……そうか、そうか、創価の旗か。創価学会の赤黄青の三色旗です。
うーむ、きな臭い事が起きないと良いのですが。今の所、相互に嫌がらせをしていたりとか、そういった事は無さそうな静かな印象です。
宗教は人を救うか? 救う事もあるでしょう。私は「宗教=玩具」論者なので、のめり込む事は恐らくありませんが、のめり込む人を否定するわけでもありません。人に害を為さない限りは、趣味にのめり込んでいる人を見るのと同じような目で見ています。

さて、これら二つの宗教ですが、いずれも仏教系であり、いずれも政治活動をしているという点が共通します。しかし、政治的スタンスは随分異なり、創価学会=公明党が左寄り、幸福の科学=幸福実現党が右寄りです。「右寄り・左寄り」とは書きましたが、どちらも結構ぶっ飛んだ事も主張しているようです。
もう一つの相違点は、公明党が結構な政治的影響力を持っている(連立与党になる事もありました)のに対し、幸福実現党の政治的影響力はほぼ皆無。公明党の政治活動の方が積極的だからでしょう。私自身は「聖教新聞を取ってくれ」や「公明党に一票入れてくれ」と言われた事はありませんが、世の中にはそれで迷惑している人も多いようです。
大学時代に同じバイトだった女の子は、ちょっと天然な子だったのですが、そのバイト場所のビルのメンテナンス業者の若者に、「池田大作って知ってる?」と聞かれたり、ちょっと誘われていた模様です。その時も私は一切無かったなあ……私には、何らかの威圧感でもあるのでしょうか?

2012年2月13日(月)
駅日誌(1776) 「移転」

1月の下旬から職場が移転(転職ではなく、会社の所在地が移転)し、新しいルートでの通勤や新しい事務所にも徐々に慣れて来ました。
新しい職場には、ビルの中に食堂があるのですが、どうも内容と価格のバランスがイマイチ。そりゃ外で食べるよりは安いのですが、この内容ならば会社の補助とかでもうちょっと安くして欲しいよなあ、という感じです。
というわけで、駅界隈の食事処を色々散策するわけですが、なかなか良い店もあります。取り敢えず、少なくとも週一ペースで使う事になりそうな御気に入りの店を見付けました。前のオフィスでは最低週一で愛用していた店は「はなまるうどん」だったのですが、今回はラーメン屋です。おいおい、駅員、またラーメンか、と。

丸千製麺。麺はザクザクした歯応えの低加水麺……いわゆる博多麺で、高菜や紅生姜等、博多風トッピングのある店です。但し、スープは豚骨ではなく鶏ベース。店では水炊き風と言っています。白濁するまで煮込んだとろみのある鶏出汁でなかなか濃厚で美味です。
そう言えば、鶏の水炊きも博多が有名ですね。博多風の組み合わせです。
白濁の鶏出汁と言えば、以前、埼玉に住んでいた時に愛用していた「武蔵坊」というラーメン屋が同じく白濁鶏スープでした。無化調を売りにしており、旨味が足りない人用の、塩昆布があるという点が特徴的でした。
先ず、そのまま食べて、替玉を塩昆布プラスで食べるのが丁度良い感じでした。
さて、博多麺のラーメン屋では麺の固さを注文するシステムがよくあります。武蔵坊では、固めと注文していましたが、前述の最近お気に入りの店は、麺の固さは訊かれません。しかし、固め〜バリカタレベルの物が出て来るので、固麺好きの私は、この点にも好感。
麺の固さシステムと言えば、やわ/普通/カタ/バリカタ/粉落とし、とあります(ハリガネなんて呼称の所もあるとか?)。私はこの最も固い「粉落とし」(読んで字の如く、湯にくぐらせるのは「麺についた粉を落とす程度」だけという意味合いでしょう)を注文した事がありません。「はい?」ってなるのが怖いというのがあります。「バリカタ」なんてのも、「バリカタはありません」と返される事も当然ありますし……
そういう意味では、牛丼の「つゆだく」なんてのも、昔はそういう位置付けだったのだろうなあと思います。
昔、2ちゃんねる等で、「ただ『つゆだく』と言いたいだけとちゃうんかと、問いたい、問い詰めたい、小一時間問い詰めたい」なんてのもありました。
私は「つゆだく」は好きではないので、頼んだ事がありませんが。

今思ったのですが、夜中に更新する日記で腹の減りそうな事を書くのは罪深い事なのかも知れないなあ。私自身小腹が減りました。

2012年2月12日(日)
駅日誌(1775) 「銀幕寸評」

私は、板尾創路が結構好きで、昔のテレビ番組「ごっつええ感じ」でも、板尾係長シリーズや、「しょうた!」(自ら死んだ事に気付いていない子供を松本が演じる葬式コント)なんかが好きでした。
暮れに電人ザボーガーという映画を観たのですが、それも板尾が見たくて、という感じでした。
さて、1月から封切になっている、板尾監督作品を観て来たので、今回の日誌は銀幕寸評です。下記、タイトルの右にある☆は、私の個人的評点で、5ッ☆満点です。

「月光ノ仮面」 ☆☆

うーむ、正直ちょっとわけが分かりませんでした。笑う映画なのか、考える映画なのか。その楽しみ方に乗っかる事が出来ませんでした。
それはきっと、難解だから二度三度見ないと分からない? ……という感じでもなかったと思います。無論、私の読解力の不足なのかも知れませんが、仮に二度三度観て、私なりの解釈を捻りだす事が出来たとしても、理解という事にはならなそうというか……私の書いている事がわけが分からないという感じですが、まあ、そんな映画なのです。
序盤から臭う伏線がばら撒かれているのですが、それが回収されず、放り投げられているという感じです。ヨーロッパの意味無し映画のような物を狙ったのか? それとも、緻密に練られているが、それを私が読み取れなかったのか……?
ストーリーは、太平洋戦争終戦から二年後、町に帰って来た兵士の板尾が、寄席の小屋に入る所から始まります。板尾は何も語らず、高座へ上がり、座り込みます。それを見て周りが騒ぎ、手に持って居た御守りと、肩にある特徴的な痣から、徴兵された元噺家の「森乃家うさぎ」だという事になります。
板尾は記憶喪失なのか、それを装っているのか判然としないまま物語が進むのですが、中盤、板尾が一人で河べりで座っていると、唐突にある人物が登場し、その人物は殆ど登場人物と絡まないのですが、そこからシュールな世界に突入して行きます。以降、ラストでとことんシュールなシーンが出るまで、一応ストーリーの本筋は破綻無く進むのですが、何やらシュールなシーンが続きます。
テーマの根底には、古典落語の「粗忽長屋」を下敷きにしています。「粗忽長屋」は、とある長屋近くで行き倒れが出て、長屋に住む八っつぁんが「これは同じ長屋の熊という奴だ。本人を呼んで来て確認しよう」と言い出し、自宅で元気にしていた本人が来て、「この死体はたしかに俺だ」と言うというナンセンスな噺です。
成程、死んだと思われた人間が実は生きていて、それを取り違えるという部分は、この映画は「粗忽長屋」的ではあります。しかし、何だろう……? 板尾の演じる役と、浅野忠信の演じる役がもっと顔が似ているとか、最初から最後まで板尾の顔から包帯は取られずに(犬神家の一族の佐清みたいに)話が進むとかしないと、何だか入りこめません。婚約相手の石原さとみを始め、皆が皆、全然違う顔の板尾と浅野を、違和感なく受け入れて居ているのか? というようなリアリティの無さというか、何と言うか……
満月を中心とした幻想的な映像と、効果的に使われるベートーベンの月光等、良い部分もあるのですが。

2012年2月9日(木)
駅日誌(1774)

風邪が流行っているようですね。インフルエンザも。マスクを付けている人、風邪っぽい咳をしている人をちらほら見掛けます。職場でも、自身がインフルエンザに罹患し休んでいたり、子供がインフルエンザという事でマスクを付けて来ている人が居ます。
私は鼻や喉の調子が悪くなる事は多くても、風邪をひくレベルに行くのは少ない方ですが、周囲の状況を見ていると何だかこっちまで具合が悪くなって来た気がします。
というわけで、今日は早々と寝てしまおうっと。冷えピタ付けて。この冷えピタ、人によっては子供みたいだと馬鹿にしますが、私はかなり重宝しています。風邪かな? と思ったら冷えピタ付けて寝る事で進行を防ぎ、本格的な風邪っぴきを回避出来ます。
……と思ったら、残りがあると思っていた冷えピタ(人箱に10枚くらい入っているので、余りがあったりするのです)が、無い。今から買いに行くのも面倒ですので、今日はそのまま就寝します。早寝これだけでも充分防御力になりますしね。
皆様も、御身体には御気を付け下さい。

2012年2月7日(火)
駅日誌(1773) 「合掌」

普段、誕生日なんてものは大人になってからは死への階段を一歩登っただけだ、なんて嘯いていますが、身内に不幸があるとそんな事は言ってられません。先日祖母が亡くなり、通夜・葬儀に行って来ました。
私は、高校を出た後、大学〜社会人は一人暮らしです。一人暮らしの間も帰省はしますが、父が長男ではないので、帰るのは父母の居る実家であり、祖父母はそこには居ません。なので、実質十年以上も会っていませんでした。顔を見せておくべきでした。
否、嘘を吐くな。お前はもっと冷酷な人間だ……「顔を見せておくべきだった」などというのは、亡くなったからそう思うだけで、亡くなるまではそんな事は露にも思っていなかった事だろうと思います。

もう一人の祖母が亡くなったのが5年前でしたが、その時には、この駅日誌をもう書いて居りました。さて、その時の駅日誌にはそれについて何か書いているだろうか……?
見てみると、同じような事を書いていました。そして、それからもう5年も経っているのに、私は何一つ進歩していないという事か。祖父母の死を糧に出来ていない事、これこそが最大の冒涜か……
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