2012年12月度目次  ※御意見・御感想は、掲示板にどうぞ→

 #1935 「第四帝国」 議会制民主主義はもう限界なのかも知れない。
 #1936 「風船」 バルーンアート。
 #1937 「自己成就予言」 発信により成立する予言。
 #1938 「寒冷」 寒くなってまいりました。だが、コートはまだだ!
 #1939 「濃厚」 顔も笑いの方向性も濃厚過ぎる人。
 #1940 「めCVS」 大盛り野菜炒め弁当。
 #1941 「水族館」 しながわ水族館。
 #1942 「What some beat ?」 沼津・港あじ鮨。
 #1943 「一二」 12年12月12日12時12分12秒。
 #1944 「選挙」 選挙に行く意義。
 #1945 「勝負」 サッカー&選挙。
 #1946 「波と流れ」 流れを手繰り寄せるという事。
 #1947 「特撮」 ヒーロー物の方です。
 #1948 「思い込み」 脳による効率化の功罪。
 #1949 「均等」 平等?
 #1950 「終末の週末」 滅びが脳裏に浮かぶのは人の普遍的無意識か。
 #1951 「動物園」 クリスマス・イヴのZoorasia。
 #1952 「Ozzfest」 来年の事を言うと、Iron Manではなく鬼が笑う。
 #1953 「邪神」 そぼ降る氷雨の中に現れた邪悪なる存在。

 by 駅員@地獄三丁目駅

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2012年12月28日(金)
駅日誌(1953) 「邪神」

H.P.Lovecraftというアメリカ人作家が書いたホラー小説のフィクション世界を体系化した神話、「クトゥルフ神話」という物があります。元々書いていた小説は大衆文芸だった筈なのですが、その世界観の深さから、ファンが体系化したのだとか……

では、その神話世界はどういう物なのか?
太古の昔に出来た数々の神話は、何かと神が人間に干渉します。ある神は人々の願いを聞き、ある神は人々に試練を与えます。では、クトゥルフ神話の神はどうなのか? 干渉するにはするのですが、それは全然違う目的で動いているとばっちりが人間に降り掛かって来るというだけです。
クトゥルフの神は、大昔に宇宙から地球に飛来し、人類が現れるずっと前から、人類そっちのけで権力争いをしているのだ、というような話です。

何となくその感覚は理解出来ます。善人が不幸になり、悪人が幸福になるような事もザラにあるこんな世の中には、「神も仏も無い」と思ってしまう事が多々あります。そんな中で「神から見れば、人間なんぞはどうでも良い軽い存在なのだろう」と思うのは十分あり得る考え方です。一種のニヒリズムですね。
神話構造としては多神教で、邪神と呼ばれる存在が沢山出て来ます。「邪神」と書いた通り、登場する神々は善き事は何一つしません。まさに欲望の赴くまま動くグロテスクな神です。
で、仕事納めの今日、たまたま見付けた邪悪なる存在(と思しき像)がこちら……

長っ!! 一体その触手で何をするつもりなのか!? そして、左手には凶器まで持って居ます。もし、これが生きて暗がりから出て来たら、先ず命は無いでしょう。まさに邪神。
さて、この下らない写真で、今年の駅日誌更新は終了です。明日、里に帰らせて頂きます。
皆様、良い御歳を。

2012年12月27日(木)
駅日誌(1952) 「Ozzfest」

来年の5月に、Ozzfestが日本で初開催されます。HR/HMが好きな方は御存じの通り、それ程ではない方でも「Ozz」の字を見れば想像出来るかも知れませんが、Ozzy Osbourne(Black Sabbath)の「Ozz」です。主催者はOzzyの奥さんであるSharonで、HR/HMを中心としたRock Festivalなのです。
来年の事を言うとIron Manが……もとい、鬼が笑いますが、もう私は行く事に決めています。


2日間開催され、1日目の目玉がSlipknot、2日目の目玉がBlack Sabbathです。私はSabbathが見たくて2日目のTicketを申し込んだのですが、この度、追加Bandsが発表されてちょっとガックリ。というのは、日本のBandsが各日3組ずつ追加されたのですが、1日目に私の好きなBandであるMaximum the Hormoneと、一度見たいと思っていたMan with a Missionが出るではないかorz 流石に、二連荘は体力的にも金銭的にも辛い……明くる月曜日は、Professionalの労働者として働かなければいけないわけですからね。
さて、ここで恐れ多くも、何もかも投げ打ってライブに捧げている人に物申す!! Musicianにプロとしての仕事を求めておきながら、自分はProfessionalとしての仕事をこなせないようではいけないと思います。学生ならばまだしもね。

というわけで、これから追加されるBandsに期待して待つ事にします。
願わくば、日本一のBlack Sabbath Freakである人間椅子に出て欲しい(Ba鈴木研一が「万が一Offerが来ても、見たいから出たくない」などと言っていますが……)。
或いは、遥か北国Swedenからその人間椅子を好んでいる、Spiritual Beggarsに来て欲しいです。

TodayのDiaryは、DrawingにRideして、AlphabetをTypeしちゃったぜ(ルー風味)。

2012年12月26日(水)
駅日誌(1951) 「動物園」

日曜日に「陛下、誕生日御目出度う御座います!」と乾杯してシャンパンを飲んだ翌日、その振替休日のクリスマス・イヴには横浜動物園=Zoorasiaに行って来ました。ここは初めてです。

寒いせいか混んでおらず、人混みに辟易する事無く、じっくり見る事が出来ました。
しかし、流石にクリスマスです。随所にクリスマス風の装飾が施されています。
Zoorasiaの名の通り、矢張りユーラシアに注力している動物園なんですね。園が推しているのは、オカピ。あの麒麟のような縞馬のような動物です。オカピも餌もクリスマス風なのか、リース状でした。
次いで推しているのが藪犬(ブッシュ・ドッグ)……うーむ、見るからに進化系統樹では昔からあまり変わっていないような外見。ちょっともっさりしている熊のような犬のような動物。しかし、これはこれで、カピバラに対する可愛さに似たものがあります。
 

私が個人的に特に良かったと思ったのは、ウォークイン・バードケージに居た銀鶏(ギンケイ)と、赤河猪(アカカワイノシシ)です。ウォークイン・バードケージは、中に入れるという体験型施設。襲って来たり逃げたりしない、比較的大人しい鳥が沢山居ます。銀鶏は、何て美しい鳥なのだ、と。雉に似た姿です。こうして見ると、雉と鶏って似ていますね。
赤河猪は、その名の通り赤褐色の毛皮をした、川の近くに棲息する猪です。耳は尖り、顔は黒地に髑髏のフェイスペインティングをしたような感じです。恰好良い!! しかし、昔は畏怖か迫害の対象だったのだろうなあ……
 

2012年12月22日(土)
駅日誌(1950) 「終末の週末」

マヤ暦がこの冬至周辺(12月21日〜23日の間)までで終了していて、そこで地球が滅亡するという説があるそうです。ムー民等のオカルト好きの間では、1999年のノストラダムス以降の滅亡ネタです。
それにしても、終末思想が好きな人って多いですよね。古来世界のあちこちで、繰り返し「ああ、これで地球が滅亡する」という騒ぎになった事があります。末法思想、皆既日食、ハレー彗星、終末時計、等々……という事は、人類の多くが、普遍的無意識レベルで心のどこかで「滅亡を望んでいる」または「滅亡は近いと思っている」という事でしょうか。心の奥底の無常観が意識に上って来るのでしょう。
何年の瞬間に起きるだとか、大規模なカタストロフィだとかは、まあ眉唾なわけですが、この感覚についてはハズレではないでしょう。もしかしたら、ノストラダムスやマヤ暦も当たっているのかも知れません。しかし、そういうのは、事が起こってからしか分からないのでしょう。

事後のこじつけならば、何とでも解釈出来ます。例えば、ノストラダムスの「1999年7ヶ月」。よく「7の月」なんて曖昧な表現をして居ますが、7ヶ月の方が正しいそうな。
これについては、1999年にダイエー・ホークスが日本シリーズを制した事を予言した詩だと私は解釈して居ます。1999年の7ヶ月に渡るペナントレース&日本シリーズの野球シーズンにおいて、空(鷹は空を飛んでいます)から恐怖の(大)王(監督)が……と。この流れだと、「d'Angolmois」(アンゴルモアとされている固有名詞)は「ドラゴンズ」っぽく見えて来ます。ノストラダムスが、英語の「Dragons」という単語を知らなければ、そんな書き方をされても不思議ではありません。ノストラダムスのおっさんは、スペルミスなんてザラらしいですし。そして、予言通りに、この年はパリーグ王者のホークスがセリーグ王者のドラゴンズを下した、と。

そんな冗談はさておき、きっとこのマヤ暦も、後になって「な〜んだ、これの事だったのか」という事になるのだと思います。それはもしかしたら、我々が知覚出来ない程巨大な事が起きるのかも知れませんし、知覚出来ない程ちっぽけな事が起きるのかも知れません。必ずしも知覚出来ると思うのは、人間の思い上がりでしょう。
21日が始まってから、南米時間で23日が終わるまで、あと半分くらい……?

2012年12月21日(金)
駅日誌(1949) 「均等」

1986年に制定され、1997年、2007年に二度の改正が行われた、男女雇用機会均等法。これによって女性の社会進出が進んだ一方、雇用現場の生産性は落ちたのではないか、と私は思っています……おっと、こんな事を書くと「女性の敵!!」と罵られそうですが、まあ、聞いて下さい。私の思っている事を非難したければ、読んでからに願います。

「雇用の機会は能力や意欲によって均等に与えられる必要があり、そこに性別による差別はあってはならない」というのが立法主旨なのですが、それが本当に果たされているのか? 或いは、本当に求められているのか? という疑問があります。
先ずは、「果たされているのか?」について。例えば、「女性管理職の比率を一定以上にする義務」これって、平等でしょうか?
無論、能力・意欲ともに管理職に適格な女性が管理職になっても当然ですし、私の上司が女性でも一向に構いません。噛み付く事もあるでしょうが、それは今の男性上司に対しても同じです。
しかし、「一定以上にする義務」というのはおかしい気がします。例えば、90点の能力の男性Aと、80点の能力の女性Bが管理職候補になったとします。で、もし、その組織の女性管理職比率がその一定数に満たないとしたら、AとBの比較をするまでもなくBが昇格するわけです。
流石に、雇用機会均等法ではこんな義務はありませんが、EUでは役員については4割女性の義務化の動きがあるのだとか……

続いて、「求められているのか?」について。管理職になりたい男性とそうでない男性、管理職になりたい女性とそうでない女性の比率って、同じなのでしょうか? 統計は見て居ませんが、男女差があると思います。とは言え、昨今は男でも草食だらけで偉くなりたくない奴が多いようですが(じゃあ、俺様がそこに君臨するから、どいてろよと思いますが……)。

あと、基本的に「女性ならではのセンスが云々」などと言う人は、スタート地点で「女はこういうもんだ」という視点で物を言っています。即ち、「性差は当然あるもの」というスタンスです。そう言われる、或いは、もし男性社員よりも優しく接して貰っていたら、「職業人間として見たらナメられている」という事です。それに甘えて権利ばかり求めていては、男女雇用機会均等法の理想とする社会など夢のまた夢。
私の周りでも、出来る女性はごちゃごちゃ言わずに男性に負けない仕事をしています。権利だ何だとほざく女性は、大抵そういう女性よりも仕事が出来ませんね。これは、男性も同じですがね。

2012年12月20日(木)
駅日誌(1948) 「思い込み」

「こうだろう」と思っていたら、実は違った。実は正反対だったなどという事があります。

人間の脳はあらゆる場面で効率的に行動するために、過去の経験のデータベースから、物事を類型化し、間のプロセスをすっ飛ばして素早く動けます。この部分の処理はコンピュータではまだまだ追い付けない部分です。コンピューターは演算能力は人間より遥かに速いのですが、基本的にデータベース内を高速で隈なく検索して、答えを導き出します。

例えば、自動車を運転して居る時に、ここで右足をどれくらい動かしてアクセルを踏み込んでエンジンの回転をどこまで上げて時速何キロまで加速し、車線を見ながら両手の角度を何度くらい傾けて軌道を修正し、クラッチペダルを踏んで左手を動かして何速に入れて、停止線の何m手前で右足をアクセルから離して横にずらしてブレーキを踏み始めて……みたいな事を一つ一つ考えながら運転してはいないでしょう。自動車を運転して目的地に移動するという中で、脳内で自動処理している部分が多々あるわけです。運転の個々の動作については殆ど無意識で行っていると思います。前述のような事を逐一考えていたら、私ならパニックを起こしてしまいます。
脳内で演算処理やそれに類する事をせずに、特に何も考えずにスッと行動出来る所が、人間とコンピュータの違いです。まあ、近年はプログラミングが発達して、個々の動作については、人間顔負けの動作が出来る機械が沢山ありますが、人間レベルで複数の行動を統合しようとすると、膨大なスーパーコンピューターになってしまう事でしょう。
この脳の特性は、良い方に働く事もありますが、悪い方に働くのが「思い込み」です。

電車に乗って座っていたら、だんだん車内が混んで来て、ふと顔を上げると目の前に総白髪の小さな爺さんが手摺りに押し付けられるような恰好で立って居ました。「おいおい、爺さん、大丈夫かよ」とここで思うのが、コンピュータではなく、人間の脳内処理ですね。そこで、たまには殊勝な事でもしてやろうかと思って、駅に着いて若干スペースが出来たタイミングで立ち上がって、爺さんの肩をポンポンと叩いて、ちょっとこちらに引き寄せて座らせました。
「有難う御座います」
その声を聞いて気付きました……何と、爺さんではなく、婆さんだった!! 総白髪の高齢者でベリーショートだと、もう見ただけでは性別なんか分かりませんね。無言でやって良かった。

2012年12月19日(水)
駅日誌(1947) 「特撮」

私の好きなバンドの一つ、筋肉少女帯。これ、「隊」ではなく「帯」なのは何故か分かりますか? 「帯」=「ベルト」=「バンド」なわけです。そのヴォーカルである大槻ケンヂがやっていた別のバンドが、「特撮」です。
だがしかし、本日の話題はその「特撮」ではなく、いわゆるヒーロー物の特撮の方です。近年あちこちに御当地ヒーローが作られており、しかもクオリティが高いのです。テレビ局が作っているヒーロー顔負けです。そして、その波がとうとう韓流にも来たのか……?

とうとう、ペ・ヨンジュンが特撮に? 否、これはパチ屋のチラシなのですが、左前のペ・ヨンジュンと右奥の金色の狼は全く関係ないらしいです。狼の方は「牙狼」というテレ東の特撮キャラクターです。絵柄の配置から言って、てっきりペ・ヨンジュンがこいつに変身するのかと思いました……

2012年12月17日(月)
駅日誌(1946) 「波と流れ」

昨日の選挙戦でも、昨日のサッカーの試合でも、野球の試合でも、それ以外のスポーツでも、株価でも、パチンコでも、麻雀でも……よく「波」や「流れ」という表現が使われます。
勝負事についてはすんなりと御理解頂けると思います。
他には、腹痛なんかにも波があります。例えば、電車に乗っていて家まで持ち堪えたい時に、腹痛の波(やばくなったり、ちょっと緩和したり)があったという経験は御座いませんか?

こういう風に列挙してみると、世の中は波・流れで満ちているのかも知れません。何もかも、波・流れがありそうな気がします。否、ただ単に人間の感覚器官がそう感じさせるだけでしょうか?

「モテ期」なんて言葉があります。一説によると、人生に三度訪れるのだとか? 本当かよ、とは思いますが、これも波・流れの一種なのだと思います。
私の思い過ごしかも知れませんが、もし「モテ期」なるものがあるのだとしたら、私は現在その時期なのかも知れません。しかし、放っておいたら突如訪れるという類ではないように感じます。
特定の恋人が居て、その人に誠実であればある程、他の異性からも良く見られているような気がします。また、過去を振り返ると、恋人が居る時期と居ない時期で、異性との接し方に違いが出ているように感じます。居る時期は感覚的に馴染んでいるのでしょう、自然です。居ない時期は感覚を忘れているのでしょう、ちょっとギクシャクします。まさに、これこそがモテ期の真実なのではないか? と私は思っています。即ち、運命なり何なりの周辺環境ではなく自分の変化によるものなのではないか、と。
……という事は、勝ち組と負け組の格差社会になってしまう? 既に恋人が居る者がモテて、居ない者はモテないという事態になってしまいます。ふうむ……これが良いとはとても思えません。私の周囲にも、糞ムカつく奴なのにモテる者が居て、その一方で非常に良い奴なのにモテない者が居ます。
何か妙手は? そんなのが簡単に思い付くようなら、私はとっくに愛の伝道師として君臨してますね。一つ考えられるのは、選挙に向かう政治家のように、打席に立つ打者のように、相場に立ち向かう山師のように、麻雀卓に向かう雀師のように、「流れ」を手繰り寄せる事、なのだろうという事ですが。

2012年12月16日(日)
駅日誌(1945) 「勝負」

サッカー・クラブワールドカップの決勝戦がありました。優勝したのはブラジルのコリンチャンス。セルジオ越後が最初に所属したチームです。あの爺さんが、という事は、歴史が深い事は推して知るべしです。100年以上の歴史があるそうです。
対するイングランドのチェルシーも凄まじく強いチームで、こちらはコリンチャンス以上に歴史のあるチームです。双方激しい攻防を繰り広げ、実力はほぼ伯仲。ここまでのレベルの対決になると、勝敗は寧ろ運に掛かっているのかも知れませんね。見ていて非常に面白いゲームでした。
それにしても……トヨタがスポンサーをしている今大会で、横浜国際競技場でブラジルのチームが勝ったというのは何たる皮肉。横浜国際総合競技場は、Fマリノスの本拠地:日産スタジアムで、日産の会長CEOカルロス・ゴーンはブラジル人なのです。

そして、今日はもう一つ大きな勝負がありました。総選挙です。
民主党が凋落し、自民党が躍進するだろうという事は想像に難くなかったのですが、まさかここまでの圧勝とは。民主党は下野するにしても、菅直人、田中眞紀子、仙谷由人、樽床伸二あたりの有力候補が負けるとは思っていませんでした。これは、民主党は文字通りの惨敗です。
そんな中、野田佳彦は圧勝で当選。私はあの解散啖呵で野田を見直したのですが、私と同感だった人が多いという事でしょうか。民主党幹部の中には、「野田代表の責任は重い」と言っている人が居るそうですが、解散カードをあのタイミングで切った事について言っているのだとは思いますが、何と的外れな発言か。こういう馬鹿が幹部としてのさばっているから負けるのだよ、と。責任が重いのはバ菅と鳩ポッポでしょう。

一旦、民主党政権になってみて、「改めて、消去法で自民党しかない」という結論になったのが、世間の目だったという事でしょう。
今回私が注目して居たのは福島県です。福島県民が如何に賢く根性ある人々なのかが、今回よく分かりました。民主党の数少ない気骨ある政治家である玄葉光一郎が居る3区以外は、自民党が勝利して居ます。福島第一原発のある5区でさえ、です。自民党は脱原発ではなく、厳しく精査して行くというスタンスです。多くの福島県民は、昨年の原発事故を「事故」である度合いよりも「人災」である度合いが高いと捉えているのだと思います。聡明な見方だと思います。

2012年12月15日(土)
駅日誌(1944) 「選挙」

明日、12月16日には衆議院総選挙があります。合わせて、石原慎太郎現職東京都知事が辞任したため、東京都知事選も開催されますが、これはこれで、まあローカルな話題です。20歳以上の全ての人に関係があるのは、総選挙の方でしょう。選挙権のある方は是非投票に行って頂きたいと思います。

ある人は、「えぇ〜? わたしぃー、政治とかってぇー、分かんないしぃー、興味無いって言うかぁー……」などと言う事でしょう。
ある人は、「新聞やニュースで見た下馬評ではああなりそうだから、まあ、俺は行かなくて良かろう」などと言う事でしょう。
この日記で度々書いている事ですが、そういう方々に言っておきたい。「選挙権」は、政治家を選ぶ権利なわけですが、それは同時に、政治に文句を言う権利でもあるのだという事を。
普段の生活に何も不満はありませんか? 「なんであれはこうなっているんだ?」と思う事はありませんか?

「政治」と言うとやたらと大上段に構えて見えてしまいますが、何もニュースで喧伝しているような大それた物事に関する事ではなくても良いのです。例えば「給料が安い」、例えば「彼氏・彼女が出来ない」、例えば「○○をするのが面倒臭い」……等々、そんな卑近な事で構わないのです。
そんなレベルの事は政治と関係が無い? 否。
給料は景気によって変わります。好きな仕事に就けるかどうかも変わります。
彼氏・彼女が出来るかどうかは、そりゃあ本人次第というのがメインではありますが、本人=人間はその周りを構成する様々な要素が反映された存在です。前述の給料もそうですし、規制緩和により、もしかしたら今までパッとしなかった人が活躍出来る場が広がるかも知れません。すると、「ああ、あの人は意外と素敵な人間なんだ」という風に思って貰えるかも知れません。
規制緩和により、或いはその一方で法制度の変化により、色々な手続きが面倒臭くなったり、簡単になったりもします。
「不満なんか無い」と言う人も、もしかしたら、現状の不満が無い状態が潰されるかも知れません。それを阻止するのも、十分に選挙に行く目的になります。

また、世代別投票率を御存じでしょうか? とある財団法人がデータ(「明るい選挙推進協会」より)を出しています。ザッと見て、年齢が高いほど投票率が高くなっています。60代は80%もあります。
「年寄は暇なんだよ」って? そんな暇な年寄が選んだ政治家が、世の中の事を決めて良いのですか? 選挙は、支持を多く集めた者勝ちの競争です。プレーヤーは当然、票が多く見込める層が気に入る事を言います。即ち、投票率が低い世代の優先順位は低くなります。若者の不満の声は、若者の投票率が低い限り、聞く価値が無いと思われてもしょうがないのです。
その手元にあるスマホやパソコンの通信機能は、メールやゲームをするためだけにあるのではありません。ブラウザを起動させて、「政党別の政策」とか、そういうキーワードで検索してみて下さい。沢山の字数で詳細に書いてある所も、少ない字数でシンプルに書いてある所も、必ずあります。

2012年12月12日(水)
駅日誌(1943) 「一二」

一二一二一二……全たーい、止まれっ!
今日は、2012年12月12日でした。そして、昼には12時12分12秒が存在したわけです。その時、私はどうしていたか? 漫然と昼食を食べておりました。そして、あと少しでその12日も終わります。121212121212の瞬間は、時計の前でカメラを構えていても良かったよなあ〜……
何せ、そういうタイミングは、これから暫く、否、この先ずっと来ないのです。
だって、来年は2013年です。13月はありません。2014年、15年〜ずっと私が死ぬまで来ないのです。2020年代になれば、年の下一桁で例えば、2021年1月1日1時1分1秒は出来ますが、プレミアム感では2001年に大きく見劣りしますし、10月〜12月は出来ません。10月〜12月でのレア配列は、2100年代にならないと来ないわけです。
昨年は、2011年11月11日を、個人的に「スーパープリッツ&ポッキーの日」と名付けていましたが、気付いたら終わっていました。一昨年の、2010年10月10日も同様(東海道五十三次歩きのゴールは、2010年10月11日でした。惜しい!)。
もう二度と来ないであろう、最も凄かったのは、矢張り1999年9月9日9時9分9秒でしょうか。ここまで希少な瞬間は、次に来るのは約1000年後です。果たして、人類はその時まで生きているのか? 或いは、生きていたとしても、現代から連続性のある文明の人類なのだろうか?

実は、人は気付かぬ内に、非常に貴重なタイミングを何度も見過ごしているのかも知れません。そして、後々になって「あれは、もしかしたらそういう事だったのか!?」と気付いたり、全く気が付いていなかったり、気付いたと思ったらそれは誤解だったり……きっと、全ての「一瞬」が重要なのでしょうね。

2012年12月11日(火)
駅日誌(1942) 「What some beat ?」

What some beat ? What some beat ? Talk at a sheep, shall the bull leads to care ?
  〜聖飢魔U「不思議な第三惑星」より〜

冒頭に挙げたのは、聖飢魔Uで最も好きな歌です。「第三惑星」以外の歌詞は全て英語なのですが、空耳で日本語に聞こえるという歌です。空耳のために書かれていますが、ラフではありながら英文としても意味がちゃんと通っているという凄い歌です。例えば、What some beatは「わさび」と聞こえるのです。

今日は沼津へと出掛け、夕方の帰り道で駅弁を食べながら帰りました。これまで、こんなに近い駅から駅弁を食べる機会はあまりなかったのですが、東京までの約1時間は、一人で食事を済ませて食休みをするには丁度良いです。
今回食べたのは、「港あじ鮨」。駿河湾で獲れた真鯵を使用した寿司が3種類入っています。しめ鯖のように酢でしめた鯵を帯状の紫蘇の葉で酢飯に留めた寿司、わさびの葉で包んだ寿司、鯵を芯にした太巻き寿司という構成です。

さて、ここでタイトルの「What some beat ?」に戻ります。この駅弁、生わさびとおろし金が付いているのです。写真の左下に写っている銀色の醤油袋の下にありました。生わさびをおろして、醤油を垂らし、それを寿司に載せて食べました。美味!
新幹線が動いてから撮ったので、手ブレは御容赦を……

2012年12月9日(日)
駅日誌(1941) 「水族館」

今日の昼間に水族館に行きました。水族館に行くのは、二年ぶりくらいです。
流石に世は師走……クリスマス演出が随所に見られます。例えば、クリスマス島周辺に生息する魚の水槽、水中に沈めたモミノキの周りを走り回る赤い海老、例えば、デンキウナギの発電で光るツリー……水族館も色々考えているんだなあ。
 

イルカのショーや、アザラシのショー、マゼランペンギンの餌やり……この辺もなかなか楽しめました。
鮫のコーナーには、ミツクリザメの標本。何だ、こいつは、超流線型で恰好良いではないか!? そのすぐそばにはネコザメの標本もありましたが、こっちはちっこい。ケースに穴があいていて、その鮫肌を触れるようになっています。

しかし、この注意書き……死んでるのに噛まれたら、怖過ぎるって!!

2012年12月8日(土)
駅日誌(1940) 「めCVS」

今日食べた弁当が一筆に値するものだったので、今回はコンビニ飯日記の「めCVS」です。

今日食べたのは、ファミリーマートの「大盛り野菜炒め弁当」450円。おっと……写真がありません。書こうと思うかどうかは、食べてからの感想なので……(←最初から一応撮っとけ!)
白飯とたっぷりの野菜炒めだけのシンプルな弁当ですが、まさしく私のような独身男性が求めていた弁当ではないかと思います。コンビニ飯はバランスが良くないと言われがちですが、これなら野菜もたっぷり摂れて良かろうと思います。具材は豚肉、モヤシ、キャベツ、人参、ニラ、玉葱。
食べてみると、アリかなと。そりゃあ、実際に中華鍋やフライパンで作った野菜炒めには劣りますが、これはこれで、塩味がしっかりしていて飯が進みます。否、ちょっと塩が強いか……私のバランスだと白飯がもっと多くても良いくらいです(但し、私は、標準的な定食を食べる時、おかずそのまま米飯増量派の人間です)。塩分を減らして胡椒を増やすともっと良いと思います。或いは、塩を減らして別添胡椒を付けるとか。或いは、食塩は使用しないで「味覇」みたいな中華調味料で味作りをするか。
シンプルな弁当なのですが、ラベルを見てみると色々書いてあります。
「私たちのおすすめ:戸田フーズ発案」……この戸田フーズというのは弁当会社です。文字通り、埼玉の戸田にあり、多分駅弁なんかも作っている会社だと思います。
「おとなコンビニ研究所」ファミリーマートの、比較的高年齢の人向けのサブブランドです。なるほど、野菜を多くしている点が、サブブランドのコンセプトに合致しそうです。
「吉本興業」コラボレーションしているようです。しかし、う〜む……寡聞にして知らない芸人です。私が知らないだけですが、このコラボは意味があるのだろうか?

というわけで、今後もコンビニ飯で、実際に食べて「これは」というものがあれば、こういう日記を書こうと思います。

2012年12月7日(金)
駅日誌(1939) 「濃厚」

電車に乗っていると、「強運」という思い切ったタイトルの本の広告が貼ってあります。うん? このおっさん、どこかで見た事がある顔だなあ……
何だか「藤岡弘、」に甘さを入れたような顔をしています。和風だがこってりした顔というか、たまり醤油顔というか……はて、どこで見たのか? 知り合いに似ているのか?

あっ! もしかして……あのヘンテコなCMや広告を出している、みすず学苑の学長じゃないか!? と思って調べてみたら、ビンゴでした。
以前、あのカオスな「怒濤の英語」の塾が気になったので、調べてみた事があるのです。その時に見た学長のプロフィールのページに同じ顔が出て居ました。凄いのがそのプロフィール。一体この人どれだけ沢山の公職に就いているのか!? というような人でした。
うーむ、私なら面白そうだから行ってみたいが、もし子供が居たら子供を行かせたくはない感じだなあ……実際の所は分からないので、いい加減な事は言えませんがね。
顔も笑いの方向性も濃厚過ぎます。

2012年12月4日(火)
駅日誌(1938) 「寒冷」

銀杏の葉が舞い散り、師走です。今年は例年よりも寒いのではないか? そ、それとも、歳のせい!?
私は毎年、正月明けの勤労意欲減退の緩和を目的としたスタートダッシュとして、平日のコート投入は仕事始めからという自分ルールがあります。12月はスーツのみで乗り切っています。電車の中は暑いし、外を歩き回っていれば、案外まだまだ我慢出来る寒さです。
平日のコートの方は乗り切れると思います。問題なのは自宅で一人で居る時の寒さです。一人暮らしの部屋で座っているのは寒いのです。精神的に、という側面もありますが、物理的にも寒いのです。まだ暖房類は未投入でいようと思ったのですが、とうとう今日は点けてしまいました。一旦入れると、少なくとも朝は毎朝投入だなあ……

おっと、寒さが苦手な人は、前述のコート未投入はあまり御奨め出来ません(誰もやんねーよ!)。風邪などひいて私のせいにされてはかないませんからね。
だがしかし、私は内心、気温と風邪の相関関係は大して強いものではないのではないか、と思っています。そりゃあ、感染してからは暖かくしている方が良いとは思いますが、感染するかどうかの場面で相関関係が強そうなのは、、湿度と栄養だと思います。即ち、乾燥によるウィルスの飛散、それに抵抗するための防衛力としてのビタミンです。
寒さはあまり相関が無いというのも、私の個人的見解です。私は医者ではないので、鵜呑みにはしないで下さいね。

2012年12月3日(月)
駅日誌(1937) 「自己成就予言」

「自己成就予言」という言葉を御存じでしょうか? 即ち、予言して当たるというのではなく、発信した事により予言が成立してしまうという意味です。夢を語る事で実現に近付くというのにも近いですね。或いは、言霊の一種とも言えそうです。
その代表的な例が、「プルタブを集めると車椅子と交換出来る」というものです。先ず、そういうデマが実しやかに流れたのです。車椅子の素材はその殆どが金属ですから、もっともらしいわけです。そのデマを信じた純粋な人々が、道端に落ちているプルタブを集めて福祉団体に持って行ったのです。昔は缶ジュースのプルタブは缶から切り離される形でした。そのため、道端によく落ちていたのです。
面喰ったのは、福祉団体です。「そんな事業やってないぞ?」と。しかし、プルタブを集めて持って来る人が続々と来るのです。「こりゃ、やらざるを得ないか」という事で、実際に車椅子に交換出来るようになったのです。
デマが世の中を良い方向に動かしたわけです。出所は、きっと道端に落ちているプルタブを快く思っていない人が、「そんな事が出来たら良いのになあ」と語ったとか、そういう事なのでしょう。

だがしかし……

現代の缶から外れないプルタブをわざわざ千切って集めるのは、如何なものか?

2012年12月2日(日)
駅日誌(1936) 「風船」

近所の年末福引会場に行ったのですが、面白い物を見掛けました。バルーンアートというやつです。周囲を見ると、それを作って貰ったであろう子供たちが居ました。
流石に私は大人なのでやめておきましたが、参考品を見ているとなかなか素晴らしい腕前です。だがしかし、難点も無きにしも非ず……

ええと、ちょっとキモい感じもあるわけです。白目を剥いてるキャラが……

2012年12月1日(土)
駅日誌(1935) 「第四帝国」

現在先進国で主流の統治形態である議会制民主主義は、共和政と帝政とを繰り返してきた人類文明の歴史を踏まえて、落ち着いた姿です。だがしかし、これは最善の統治形態なのか?
皮肉屋のウィンストン・チャーチルは「民主制は最悪の統治形態である。これまでに試されたあらゆる統治形態を除けば、だが」と言いました。無論、これは民主制を支持する意味の逆説なのですが、その裏には「あくまでこれまで人類が考え付いた物の中ではマシというだけ」という意味合いもあります。

今月中旬に衆議院の総選挙があります。現与党の民主党vs下野している自民党の対決という意味合いが強く見えますが、一方で新党が乱立し、第三極なる勢力があります。そして、第三極も大きく分けて二種類、ネオコン(Neo-Conservative=新保守)勢力と、プチ民主党的勢力ですね。
これらのゴタゴタを見ていると、もしかしたら議会制民主主義は限界なのかも知れない、と思います。今回の総選挙で、いずれかの勢力が過半数を持てれば良いのですが、全てが過半数割れ場合は、連立政権にならざるを得ません。すると、公約通りの政治が出来るかどうかが怪しくなります。嘗ての自公連立で、自民党と公明党の意見がまとまらない事が度々あったのと同様です。

そこで、極論ですが、私が提案するのは「再度帝政にしてみてはどうか?」というものです。冒頭で述べた通り、共和政と帝政が繰り返され、その都度の反動でだんだん統治形態が磨かれて来たわけです。帝政が良いとは微塵も思っていませんが、そこを乗り越えた先には、これまでの議会制民主主義の限界を突破した新しい統治形態が見出せる可能性があるのではないか? と思うわけです。
ドイツには、第一帝国(神聖ローマ帝国)、第二帝国(ドイツ帝国)、第三帝国(ナチスが作ろうとした帝国)という言葉があります。「第四帝国」はその次の帝国という考え方で、便利な用語として「新たな帝国」という意味でドイツに限らず広く使われています。即ち、アドルフ・ヒトラーの思想と共通するもので危険な思想でもあります。
しかし、私が目指すゴールとして考えているのは、帝国の成立なんぞではありません。それが滅んだ後に新たに出現する統治形態なのです。それは共和政かも知れませんし、民主政かも知れません。或いはそれとも異なる全く新しい統治形態なのかも知れません……まあ、その頃には私はとっくに墓の中でしょうがね。

そう言えば、同じ日に東京都知事選もあります。総理大臣は間接選挙(代表者である議員を選んだ後、その議員が総理を選ぶ)で決まりますが、知事は直接選挙(有権者による多数決)で決まります。「直接民主帝政」というのは如何でしょうか? 様々な岐路で、決を取る争点を発信するのが帝で、決定権は有権者による多数決とか。通信インフラが整った現代に直接民主制を取り入れるのは面白いかも知れません。
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