コインの旅路 #10 The End


 俺は1円アルミニウム貨幣。造幣局から出荷され、その後日本各地を転々とし、今はとある若い刑事のポケットの中に居る。と言っても、いつここから出されるかは分からないが。

 刑事は覆面パトカーの赤色灯を点け、猛然と走っていた。どうやら事件らしい。やがて、急ブレーキをかけて車を停めると、目の前には、一人の男が、黒いスーツ姿の女を取り押さえていた。
「警察だ!その女性を放せ」
 男は女の喉元に包丁を突き付けて人質とした。
「助けて!」
 女の悲鳴が響く。野次馬根性か、買物帰りと見える一人の中年女性が人込みを掻き分け、身を乗り出してその様子を見た。が、男を見るや否や、手に持っていた買物袋を手から落とし、血相を変えて走り去った。
 人込みのざわめき、刑事から滴る汗。それ以外の時間は止まっているかの様な状況。男と刑事は無言で見詰め合っている。
 暫くして、先程の中年女性が一組の母子を連れて戻って来た。
「あなた!」
「パパ!」
 母親の方は男の妻であり、三歳前後と見える幼い子供はその息子である。子供は呼びかけると同時に泣き出した。それを聞いて男は一瞬うろたえ、そちらを見た。
 その時、男の後ろからジュースの缶が飛んで来た。一つ、二つ、鈍い音を立て、一つは男の肩に、もう一つは男の腕に当たった。男は包丁を落とし、人質の女は逃げ出した。
 人込みの中に居た、汗ばんだ青年がその缶を投げた様である。男は肩を押さえて唸り声を上げた。
 隙を見て、刑事が一気に駆け寄る。しかし、刑事よりも早く男は包丁を拾い上げた。男は刑事の胸を刺した。場が静まり返る。

 しかし、刑事はそのまま男を取り押さえた。血は出ていない。その代わり、俺の意識が遠くなって行った。男の包丁が刺し貫いたのは、刑事ではなく、その胸ポケットに居た俺だったのだ。ここまで功労のあった1円玉は他には居まい。

 薄れ行く意識の中、缶を投げた青年の歓声が聞こえた。
「教祖様が、毎日缶ジュースを2本持って走れ、と言っていたのは、この為だったのか! 御布施をしていた甲斐があったよ!」
                       (完)2005/08/14


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