死人に口無し


 今、目の前で弟と妹が口論をしている。内容は昨日急死した父の葬り方についてだ。

 弟は、父の遺体を焼いた灰をガンジス川に流すのだと主張している。こいつは、学生時代にシルクロードをバイクで横断旅行した事があるのだが、その時に通りかかったインドで見聞きしたこの風習にいたく感慨を受けたのだと言う。大いなるガンジスにその身を委ねる事で、肉体は自然に帰り、魂は輪廻するのだとか何とか言っている。
 一方、妹は、父の遺体の首を切り取り、干首を作るのだと主張している。こいつは、青年派遣で南米に行った折に、エクアドルの部族がそれを行っているのを見て、最初は気味が悪かったものの、その内にある精神性を聞いていたく感慨を受けたのだと言う。首を干して保存する事で往時を偲び、常に供養の心を持てると同時に、父が生きた証が残るのだとか何とか言っている。
 当家の先祖代々の墓に入れるのが常識的であり、それ以外の葬り方など考え付きもしなかったが、これだけははっきり言える。こいつらの意見はとんでもない意見だ。そんな妙な葬り方をされては父も浮かばれまい。しかし、二人とも一歩も引かずに、刻々と時間は過ぎていた。私は欠伸をした。それを見た二人は、「父の葬り方について真剣に議論している時に欠伸をするとは何事か!」と憤慨した。変な葬り方を主張しているが、それは決して冗談なんかではなく、真剣に主張している事なのである。私は欠伸の件を謝った上で口を開いた。
「葬儀はうちの宗派に則って行い、火葬した上で、御骨は先祖代々の墓に入れる。お前等の滅茶苦茶な議論は終わりだ」
「そんな。兄貴だからって、勝手に決めるなよ」
「そうよ、私は本当に父さんの事を思って言っているのよ。干首はグロテスクだとでも言うの? 父さんの首なのよ? グロテスクだなんて酷いわ」
「父さんの首を切り離すのはグロテスクじゃないか。火葬して魂は輪廻の輪に戻り、肉体はガンジスの中で無に帰すべきなんだよ」
 議論が再燃してしまった。私は強くテーブルを叩いた。
「終わりと言ったら終わりだ。お前等の考えは、自分の葬儀の時に遺族にやってもらえ。これは父さんの葬儀だ。父さんがそのお前等の葬り方を望んでいるのか? 父さんの意見が聞けたら良いが、それはもう叶わない。そうである以上、これまでの方法で葬る。良いな?」

 ようやく二人を黙らせる事が出来た。
 翌日、葬儀は粛々と執り行われ、無事先祖代々の墓に父を葬る事が出来た。私は安心と疲れから深い眠りについたのだが、その夢枕に父が現れた。何か私に言い残した事でもあったのだろうか。
「こら、一郎。何で焼いてしまったんだ! よく調べもせんで! どうしてくれる!」
 父は怒っていた。弟や妹が怒られるのならともかく、何故この私が怒られるのだろうか。反論しようとしたら、目が覚めた。
 「よく調べもせんで」父はそう言っていた。私は布団を出ると父の書斎に向かった。机のひきだしの一つが一センチ程開いていたのが目に付いた。開けてみると、そこには立派な装丁の分厚い本が三冊あった。
「蘇生教聖典」
「現代医学での死は、本当の死ではない―蘇生教」
「魂が戻れば肉体は蘇生する―蘇生教」
                       (了)2006/02/14



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