2009年5月度目次
 #1197 「急襲九州」 連休は九州に行ってきます。
 #1198 「急襲九州・その1」 福岡編・上。
 #1199 「急襲九州・その2」 福岡編・下。
 #1200 「急襲九州・その3」 鹿児島編・上。
 #1201 「急襲九州・その4」 鹿児島編・下。
 #1202 「急襲九州・オマケ」 鹿児島編・オマケ。
 #1203 「新フルエンザ」 感染者がグングン増えていますが。
 #1204 「追悼花火のつもりか!?」 核実験&短距離ミサイル。

2009年5月26日(火)
駅日誌(1204) 「追悼花火のつもりか!?」

どうも、この所日誌を更新せずに眠ってしまう事が多く、更新頻度が落ちています。つい数ヶ月前まではほぼ毎日更新していたというのに。いや、別段多忙というわけではないのです。帰宅電車で読んでいた本をそのまま切りの所まで読もうとして、ゴロゴロしながら読んで、そのまま眠ってしまうケースが多いです。眼鏡をかけるようになってから目が疲れやすくなりました。眼鏡が合っていないのかも……

それはさておき、本日の本題です。昨日、北朝鮮が核実験を行いました。更に日本海に短距離ミサイルを発射もしています。4月のテポドン2号を発射したばかりなのに、です。
六ヵ国協議関係国を中心とした国際関係に緊張が走ります。
つい先日、韓国の前大統領が亡くなり、国民葬を行う事になり、それに対して、死を悼むメッセージを発したばかりだというのに……追悼花火のつもりか!? というのが本日のタイトルです。
一体、北朝鮮はどこに向かうつもりなのか? ミサイルの射程距離が伸びており(前回の人工衛星打ち上げという言葉も一向にその後衛星が確認されたとは聞きません)、ミサイルに搭載する弾頭の開発も進んでいる(今回実験された爆弾が搭載可能かどうかは不明ですが)という事は、最早なりふり構わず、ハードパワーで列強に比肩しようという事なのでしょうか。
無論、今回の弾頭がテポドンに搭載可能だったら恐ろしいですが、そうでなくても、日本の場合は距離が短いので、ミサイルの性能は低くても十分射程圏内に入っています。これまで割と反応の薄かった中国、ロシアはどう出てくるでしょうか。中国もロシアも当然射程圏内なのですが。
もしかしたら、戦争はもう目の前まで来ているのかも知れません……日本人は、60年戦争から遠ざかっています。60年。私はたまに、戦中・戦後を味わった世代は矢張り一味違うと思う事があります。人間の気骨として、気概として。果たして現代の軟弱な日本人に戦争は耐えられるでしょうか。私? 無論、私も軟弱な現代日本人の一人です。私は戦争が起きた時に、どう動けるか? 何が出来るのか?
                                 駅員@戦場に 赴く足は 震えつつ

2009年5月20日(水)
駅日誌(1203) 「新フルエンザ」

「新フルエンザ」……実際に新型インフルエンザに感染して苦しんでいる人がいるのに、こんな略号を付けては怒られます。
とは言え、インフルエンザはインフルエンザ。マスクが売り切れたり、学校が休校になったり、イベントが中止になったり、騒がしくなっていますが、そんなに恐れるものでもないのではないか、と思います。そりゃあ、乳幼児や高齢者にとっては命に関わる問題ではありますが、それは冬に流行るインフルエンザと一緒です。対策としても冬にインフルエンザ対策をするのと大して違わないのではなかろうか、と思います。
テレビ報道ではうがい・手洗い・マスクを中心とした色々な対策を報道しています。あれはあれで、良いことなのではあるのですが、その一方で不安を煽る効果もあります。ちょっと語弊があるかも知れませんが、マスクが売り切れているのは、石油危機時にトイレットペーパーが売り切れたのと似ているのかも知れません。
テレビや新聞では、毎日世界の感染者数を発表しています。とうとう1万人を超えました。ついこの間5,000人くらいだったのに……でも、こうも毎日毎日数字がグングン上がって行くと、物凄い勢いで蔓延しているかのように見えますが、たった67億人の内の1万人、67万人に1人です。
……はい、すいません。一種の詭弁を講じました。67億人の内の1万人……こう書くと、いかにも少なそうに思わせてしまいます。
こういうスケールを変えた表現というのは何となく感覚を狂わせますね。
有名なのは、「世界では3秒に1人子供が死んでいる」という言葉。これは実際に起きている事であり、その言葉に偽りはありません。が、物凄い勢いで人が死んでいるかのような印象を受けてしまいます。表記を変えてみれば、感じ方は変わってしまいます。例えば、1年間とは、365日×24時間×60分×60秒=およそ3000万秒。3秒に1人ですから、年間1,000万人の子供が死んでいるという計算です。むむむ? 表現を変えても随分多いではないか……ここで「意外と少ない」数字でも出れば、綺麗だったのですが。
さて、新型インフルエンザに話を戻しましょう。世界で毎年死んでいる子供の数と比較すると、まだ大した数じゃないでしょ? なんて文脈は卑怯でしょうか。
それにしても、兵庫・大阪での感染拡大からそれ程時を経ずして、東京都内でも感染が判明したそうです。いや、その人に限らず、多分もうとっくに感染者は居るものだと思っています。感染はしても潜伏期間な人とか、本格的に発症せずに済んじゃった人とか居るのではないかと思います。そう言えば、最近都内でも通勤電車でマスクをしている人が多い気がします……
                              駅員@その数の 大か小かは 見方次第

2009年5月18日(月)
駅日誌(1202) 「急襲九州・オマケ」

民主党代表、新型インフルエンザ、松本人志結婚……書きたいネタは他にもあるのですが、今日は昨日までの九州日誌のオマケを。鹿児島で観光ついでに見た気になった物について。

流石は活火山、桜島です。鹿児島には汚れた車が多く走っていました。これは、鹿児島県民が不精と言うわけではありません。煤煙が舞って来るからですね。特に黒っぽい色の車は非常に目立ちます。黄砂の比ではありません。私のような不精者は、こういう地域に住めば自分の不精を隠せるかも知れません。木を隠すなら森に、汚れを隠すなら汚れやすい場所に!
ふと、嘗てテレビの1コーナーで観た「人志松本のちょっと良い話」(「すべらない話」でありません)を思い出しました。ある小学校のクラスに一人の悪ガキが居ました。とある授業中に、その悪ガキが突然立ち上がり、教室の隅に花をいけてあった花瓶を取って、隣の席の女の子に水をぶっかけて、そのまま教室から逃げて行きました。女の子は泣き出したのですが、実はそれはこの仕打を悲しんでの涙ではありませんでした。その女の子は授業中に小便を漏らしてしまったのです。それに気付いた悪ガキがそれが露見しないようにと、水をかけたのでした……と、こんなような話だったような。元ネタはもっと他の所にあるのかも知れませんが。そんな人志松本も、とうとう結婚ですか。相手は元お天気お姉さんだったそうですが、今は一般人なので、騒ぎ立てしないで欲しいとの事。ガキの使いのトーク等でよく「キレた話」等をしていますが、その実、存外紳士的な面も持っていますね(これはテレビでもたまに垣間見える事がありますが)。
……おっと、閑話休題。小便を隠すなら、水の中に。車の汚れを隠すなら汚れた車の中に……良い話をこんな譬えに使ってはいけませんね。

また、鹿児島市内には、「ごみ収集所」の他に「灰収集所」もありました。灰を専用で集めて回収するシステムがありました。流石は活火山、桜島。
更に、桜島そのものには、至る所に「避難壕」という建物がありました。そりゃあ、活火山である以上、いつ岩が飛んで来るか分りませんからね。ここでは、噴火リスクは日常なのだ、と思いました。とは言え、普段はバス停の雨避けや雨宿り用の屋根という役割を果たしているようでした。
 
(左)降灰指定置場 (右)避難壕。


あと、これは活火山とは関係無いのですが、鹿児島でやたらと目に付いたのが、あの「顔のところだけ穴が開いていて、そこから顔を出して写真を撮る看板」です。今回の放浪の間にも幾つも見ました。何が面白くてそんなもんばかり置くのか!? それを顔も出さずに嬉々として写真に撮っている私も私ですが。
いや、これは、決して愚弄すべき事ではありません。地域そのものが観光地という自覚を持っているという事なのだろうと思います。
  
 
顔出し看板写真。
                             駅員@灰かぶり 大根馬車の シンデレラ

2009年5月17日(日)
駅日誌(1201) 「急襲九州・その4」

この日誌の内容は5月5日です。もたもたしていた今回のGW旅行のレポートも、この「その4」で終了です。次回以降は、通常のペースに戻します。
5月5日は車も無いので、鹿児島市街散策をする事に致しました。鹿児島空港発の飛行機が14:00頃なので、鹿児島市街のタイムリミットは12:30頃です。
ホテルをチェックアウトした私は、早速市電に乗りました。目指す天文館(鹿児島の中心商業エリア)方面です。鹿児島中央駅から歩いて行ける位置なのですが、乗物好きとしてはこりゃ乗っておかないと、というわけで乗り込みました。それにしても、中四国九州には随分路面電車が多い気がします。広島然り、高知然り、愛媛然り、長崎然り、熊本然り……調べてみると、私が思っていたほどの偏りではないのですが、矢張り現役路線の比率としては西国が多いようです。
 
(左)路面電車。 (右)こんな歩道のポールも真上から見れば島津家紋。


路面電車で天文館に到着し、辺りをうろうろしていると、「照国神社」という神社の大きな鳥居が見えました。参詣して見ると、島津斉彬を祀った神社だとの事。うむー、鹿児島市内の至る所に、島津家の家紋(丸と十字)がありますし、こちらでは「島津」は非常に重要な位置付けなのだなあ、と思いました。
地図を見ると、その照国神社から見える緑の山が「城山公園」との事。鶴丸城址の背後に広がる小山で、西南戦争最後の激戦地だそうで、登ってみる事にしました。木々が茂って日陰になっているとは言え、「本日は晴天也」で暑く、汗だくです。所々で何度も猫を見掛け、随分猫が居る山だなあと思いつつ、やがて城山展望台に到着。晴天のため、展望台からは桜島が綺麗に見えました(昨日はあんな天気だったのになあ……)。
 
(左)西郷隆盛像。 (右)展望台からの風景。


更に山の裏を回って行くと、「西郷洞窟」なる物があるそうなので、そっちに回って行きました。
途中には、「十三仏」という場所があり、弘法大師ゆかりの場所だそうです。そこにある石仏を見ようと階段を降りたのですが、ふと見ると、二人の老人が居ます。一人は座っており、もう一人は立っていたのですが、座っている老人が目の前に立っている老人の股間を両手で押さえているではありませんか。うっ! これは一体何をしているのだろうか? 座っている方が、立っている方に何らかの健康回復の措置でも取っているのだろうか。あまり関わり合いにならない方が良いと思い、洞窟を目指して更に下りました。
やがて、西郷どんの銅像が見えて来ました。その両サイドに洞穴があります。内部は、西南戦争〜西郷隆盛自決までの経緯等を絵巻物風に解説するコーナーになっていました。これが西郷洞窟か? しかし、この洞穴、どうも半ドーナツ形状をしており、当時立て篭もったにしてはどうも作りが綺麗……と思ってその銅像から離れてみると、そこから階段を少し下った所に、本物らしき物がありました。こんな狭い洞窟に篭って居たとは。追い詰められた西郷隆盛は、ここで何を考えていたのでしょうか。
 
(左)レプリカ洞窟? (右)本物洞窟?


そのまま裏側を下り、再び市街地へ。ぶらぶらしている内に、時間もなくなって来たので、ちょっと早めの昼食。折角なので、ならではの物を食べたいな……と思っていると、ちょっと混んでいるラーメン屋を発見。「くろいわラーメン」。鹿児島では有名な店のようです。

というわけで、食べてみました。ラーメンのスープは、豚骨+鶏ガラでしょうか。スープは結構美味しいです。また、降りかけられた焼葱が香ばしいです。が、しかし、麺が……ぬめりありのダマになっちゃってました。目の前で流れ作業的に沢山のラーメンを作っている様子が見えているので、ちょっと心配にはなっていたのですが……しかし、これだけの人気店ですから、恐らく今回は忙しさにかまけて本来の味が出せていなかったのだろうと思います。もっと空いている中途半端な時間に来るべきだったか。
 
(左)くろいわラーメン。 (右)5月5日の子供の日……鯉幟ならぬ鰹幟が。

ラーメンを食べ終わり、空港直通バスの乗り場のある鹿児島中央駅へと向かい、帰路へ。
今回は行けた場所も限られ、ちょっと不満の残る旅でした。いつか鹿児島リベンジ観光に来たいと思います。霧島、知覧、イッシー、屋久島等……まだまだ行きたい所がありますしね。
                                   駅員@空港で 後ろ髪引く 鰹幟

2009年5月17日(日)
駅日誌(1200) 「急襲九州・その3」

え〜と、今日書く日誌の内容は、5月4日の内容です……5月13日に書いた日誌(内容は5月3日)の続きです。
5月3日夕刻、旧友と別れて鹿児島に向けてリレーつばめ&新幹線つばめに乗って鹿児島に向かいました。車中で九州物語という駅弁(九州あちこちの食を寄せ集めた弁当なのですが、味はいま一つ。矢張り範囲の広過ぎる弁当だったようで、虻蜂取らずといった印象でした)を食べ、鹿児島中央駅へ。この日はそのまま予約しておいたビジネスホテルに泊まりました。
翌朝、空は雨模様……レンタカーを予約しておいたのですが、この天気では一体どうした物か。とは言え、折角の旅行ですから、鹿児島港へ。フェリーに乗って桜島に行く事にしました。フェリーの列に連なっている間も、雨が続きます。雨の中桜島に行って果たして観光など出来るのか? と不安ではあったのですが、そのまま突撃。フェリーに乗る事、15分程。鹿児島中心部から対岸の桜島に到着。雨は殆ど降っていない程度の小降りになっていましたが、まだ空は雲だらけ。
上陸早々、看板に何やら興味深い文字が……「恐竜公園」。他の案内よりも一際近いので、先ずはそこに行ってみようと思い、車を走らせました。一体、どういう公園なのだろう? 車の擦れ違えない狭い急坂を登って行くと、ありました。ああ、そういう事か。コンクリートで建造された恐竜型の遊具のある公園でした。見ると、親子連れが来ていました。うーむ、大人一人で来る場所ではないな。しかし、このロケーションにあれだけの物を作った心意気には感服(それとも、税金の無駄遣い?)。
 

(左)フェリーから見た桜島。(右)恐竜公園。

急坂を降りて、再び島の周りを周遊する道に戻りました。ちょっと行くと、「湯の平展望所」の文字。レンタカー屋で貰ったガイドによると、車で行ける最も高い展望所だとの事。早速向かいますが、しかし、天候のせいで、展望所の見晴らし悪し。
何だかなあ……と展望所を降りて、何はともあれ、桜島を一周してみようというわけで、反時計回りに周遊道路を走りました。
次に出てきたのは、「古里温泉郷」。ここには変わった露天風呂があるとの事。車を停めて、早速窓口へ。時刻は10時頃ですが、湯上りに昼食も頼めるそうなので、名物と言っている釜飯を頼んでおきました。
この露天風呂は、アコウの巨木(鹿児島ではあちこちでこのアコウの木を見掛ける事になりました)を竜神に見立てており、その巨木の根が温泉の方に向かってぐわわっと伸びて来ています。また、その根の下が洞穴のようになっており、中には仏教の「○○童子」の像が何体も置かれていました。その脇には竜神観音像……写真に撮りたい所ですが、何分浴場ですからそれはあたわず。で、その竜神様に無礼にならぬようにと、白い浴衣を着て入るという掟になっていました。浴衣と言っても帯ではなく、甚平のような紐で留めるタイプなのですが、それを着て風呂に。衣類を付けたまま湯に浸かるというのも、これはこれで面白い経験です。しかし、ちょっと湯から上がると、水を含んだ浴衣がずっしり重く、かつ肌にまとわり付きます。いかんせん、この状態は矢張り気持ち悪い。尚、この温泉は浴衣を付けるので混浴です。生憎、私が入っていた時には若いお姉さんは居なかったのですが、もし居たら、ビショビショに濡れた衣がピタッと肌にくっ付いた状態は裸よりもエロいのかも!(こんな事を考えていると、竜神様の罰が下ります)
風呂から上がって、先程頼んでおいた釜飯を食べます。この温泉の湯を使った、海鮮中心の釜飯で、塩ベースの割とシンプルな味付けの釜飯でした。
 

(左)温泉入口。(右)名物・竜神釜飯。

一休みすると、雨は上がっており、晴れ始めていました。それでも狐の嫁入り状の雨は時折パラつきます。更に進み、「有村溶岩展望所」へ。この展望所の入口付近がバスと車がごった返して結構大変な状態でした。
何とか入れそうな隙を見付けて車を停めて、展望所へ。溶岩が固まった岩の塊がごつごつとした展望所で、遊歩道が設けられています。そして、あちこちに小さな松の木が生えているのが随分目に付きます。溶岩質の土壌に相性が良いのだろうか……? また、バスツアーで来た外国人が沢山居ました。
展望所を出て更に車を走らせると、大隈半島(鹿児島の東側半島)へ向かう分かれ道がありましたが、そのまま桜島外周ルートを走ります。次は、「黒神埋没鳥居」(噴火で埋没してしまった鳥居)を目指したのですが、いつの間にか外周道路は細い道に入り、いつの間にか通り過ぎていたようです。折り返せる場所を見付けて折り返し、ようやく到着。鳥居、ありました。中学校の脇道にポツンと。周りには何台かの路上駐車。そう言えば、さっきこの辺を通った時に「何でこんなに路駐しているんだろう?」と思ったのでした。それが私と同じ目的の路駐だったとは……
  
(左)有村溶岩展望所から観た桜島山頂。天気が回復してきて○。
(中)土産物屋の看板。「薩摩どり・・・園」。「・・・」て何!?
(右)土産物屋裏にあった埋没鳥居のレプリカ? 手前の白蛇オブジェも気になります。
 
(左)土産物屋裏の植わっている桜島大根。 (右)黒神埋没鳥居。

その後、海岸沿いに車を停めてうろちょろしたりしている内に、時刻は15:00頃。「今からフェリーで中心部に戻れば、もう一箇所くらい観光行けるな」と思ったので、早速フェリー乗り場に戻りました。が、フェリー乗り場には長蛇の列。本土に戻ったのは16:00を過ぎていました。うむむ、他にも色々と行きたい所はあったのですが、この時間から行ってもちょっと厳しいか、と断念。この日は桜島観光のみとなりました。それでも、天気が回復してくれて助かりました。終日雨だったらたまりませんでした。
この日は鹿児島中央駅近辺の店で、黒豚のトンカツを食べて今朝と同じホテルに戻りました。

                                 駅員@取り巻くは 煙か雲か 桜島

2009年5月13日(水)
駅日誌(1199) 「急襲九州・その2」

GWの九州旅行2日目です。この日、5月3日は「博多どんたく」。動員数200万人を超える日本でも有数の有名な祭りです。何でも「どんたく」とはオランダ語の「ゾンターク」(日曜日、休日って意味だそうです)が訛ったものらしく、オランダ風祭りって事? 私は生で観るのは初めてです。
1日目と同様のメンバーにて、どんたくパレードを観覧しに行きました。
道路を封鎖して、どんたく広場なる広大な通路を設け、そこに次々とどんたく隊が踊りながらパレードをしています。私の中では、「しゃもじ&あのアイマスク風の面」がどんたくのスタンダードだと思っていたのですが、全国から集まって来たどんたく隊はそれに限らず、色々な踊りやマーチングバンドがパレードを行っています。
うーむ、これと言ったカッチリした形式の無い祭りなのだろうか……どんたく広場を離れて、ふと市内随所に設けられたステージを見ると、こっちはこっちでフラダンスだの何だの、またコンセプトの見えない演舞が! そして、大通りには、どんたく広場の動きとは特に同調せぬ形で電球で飾られたトラック(花自動車)が周回しています。むむむ、どうもまとまりが無い。私は、「分散的カオスな祭り」という印象を持ちました。しかし、根本的に祭りとは本来カオスであるべきなのかも知れません。(しかし、これは、私がどんたくビギナーなせいで、見方のツボを押さえていないからなのかも……)
 
(左)パレード前半、博多松囃子(恵比寿流)えべっさんの顔が怖いです。
(右)レーザーラジアルヨット世界選手権in唐津(佐賀)のPRどんたく隊。中央のゆるキャラは、唐津城築城400年記念の「唐ワン君」。生い立ちと言い、身なりと言い、彦根上築城400年記念の「彦にゃん」にソックリやないか!
 (左)巨大な獅子の山車から鼻息が! (右)巨大凧を持っている隊。
 
(左)軽トラの上に牛の像。時折「モ〜」と声を発しています。
(右)大きな山車がぐるんぐるんと急回転。今回最もインパクトのあった隊でした。
 
(左)天神地下街までも練り歩きが! しかし、この被り物は何だろう?
(右)見難いですが、後ろの黄色いのが、電飾された花自動車。


この後、夕刻旧友たちとは別れ、私は一人鹿児島に向かう列車(リレーつばめ&新幹線つばめ)に乗ったのでした。この続きは、その3で。
  
(左)特急リレーつばめ(博多〜熊本の新八代、1時間30分)。
(中)新幹線つばめ(新八代〜鹿児島中央、30分)。新幹線区間はたったの30分! それに殆どトンネル……(どの道夜だったので景色は望めませんでしたが)
(右)新幹線つばめの内装。内装は非常に洗練されています。デッキも○。

                          駅員@ドラクエの ボスの名みたい ゾンターク

2009年5月11日(月)
駅日誌(1198) 「急襲九州・その1」

丸10日更新が滞りました。……駅員はこのGW、5月10日までぶっ通しで休んでいたのかって? 残念ながら、暦通り6日までの休みでした。その内の九州の旅は、2、3、4、5の3泊4日。ならば、6日或いはその次の土日にはこの日誌にそのレポートを書こうと思っていたのですが……旅行中バシバシ撮った写真からここに載せる物を選ぶのに手間取り、且つ当駅郵便箱に溜まったスパムメールの処分にうんざりしていたため、更新にちょっと手を付け辛い状態でした。
なんて言い訳はさておき、早速今回の旅レポートを。

2日早朝から起き出して、羽田空港へ向かい、9時過ぎには北九州空港に到着。本当は福岡空港に行きたかったのですが、如何せん早い時間は満席だったのです。そこから旧友の待つ博多へ。
博多の待ち合わせは11時だったのですが、うむー! 私が思っていた以上に北九州市と福岡市は離れていました。普通に空港から小倉駅に向かっていたのでは間に合わん!

空港バス停で、空港から小倉へ出ているバスから高速バスに乗り換えるという技を伝授され、それを実行に移したのでした。そこで高速バス乗り場で高速バスを待ちます。……が、高速バスの運転手曰く、高速道路が渋滞で殆ど動いていない状況との事。まずい。どうしよう……ヤキモキしている間に、その高速バスは一般道の停留所を何箇所かそのまま通って行きます。その途中で道路標識にJRの駅を示す矢印が見えました。そのすぐ後に停留所。これならば鉄道の方がまだ早い! バスをそこで降りて、先程矢印が出た方向に歩いて行きます。15分程歩いて到着。そこから数駅で小倉駅でした。小倉駅で特急に乗り換えて、博多へ! 12:00到着。1時間の遅刻です。こんな事なら最初から小倉行きのバスに乗っておけば良かった……
旧友との再会を果たし、その後、徒歩移動でキャナルシティや天神をうろうろ。地元の友人御薦めのラーメンは……「一蘭」と「一風堂」! う、いずれも東京進出しているではないか。しかし、本場で食べるのはまた格別というわけで、その両方を頂きました。更には、私が前々から気になっていた「両面焼そば」の「想夫恋」にも(実はこの店も横浜に店があったりするのですが……)。ていうか、何ぼほど麺ばっかり食うとんねん!
 
(左)小倉から博多へ乗った特急ソニック。私が乗ったのは青い方です。
(右)想夫恋の両面焼そば。ラーメンも食べたので小。


この日はそこらへんをうろうろし、晩に博多駅前で魚を中心とした料理を食べて、予約しておいたビジネスホテルに泊まりました。うーん、食べた事しか書いて居ない。
しかし、街を歩いていて色々と面白いと思った物を撮影したので、以下はその写真を(博多まで来て、嬉々としてこんな物を撮っているとは。旧友も呆れ顔でした)。
 
(左)はなたれ薬局。風邪をひいた時に、ここに薬を買いに行って良いものかどうか。
(右)ぼっくり屋。不用品はぼっくり買ってもらいましょう。
  
(左)おむや。オムライス屋ですが、この像、サングラスかけてます。チョイこわおやじ。
(中)警固(けご)公園に居たパフォーマー。音楽に合わせて絵を描いていました(その後4枚くらい描くのを眺めていました)。
(右)保育園。何と中華料理屋の2階に保育園です。よく見ると微妙に違えてあるUマンやAマンの絵が……
続きは明日以降、順次書いていく所存です。

                              駅員@日本には あちこちここも 麺の国

2009年5月1日(金)
駅日誌(1197) 「急襲九州」

月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口捉えて老いを迎うる物は、日々旅して、旅を栖とす。
明日からの連休は、私は九州方面に出掛けます。旧友に久々に会って、然る後に一人で放浪の予定です。私は鈍行列車や車での一人旅が好きなのですが、流石に今回は飛行機で行きます。というわけで、明日からしばらくは日誌の更新は休みます(いや、それ以前に最近は更新が滞りがちですが)。帰ってから、旅のレポートを書こうと思います。
さて、冒頭に「奥の細道」の序文を書いたわけですが、ここにある「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」ですが、まさしくそうだなあ、と思います。時間そのものが旅人である、と。知らぬ間に随分遠くまで動いてしまうものです。当地獄三丁目駅は現在5年目に入っているのですが、嘗て当駅を見付けて掲示板に色々と書き込んでいた小学生がもう高校生なのです。まさに光陰矢の如し。
                                駅員@明日はとて 西南向けて 草枕
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