天竺紀行 2011年5月

 (01) デリー編。
 (02) ジャイプール編。
 (03) アグラ編。

 by 駅員@地獄三丁目駅

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2011年5月2日(月)
(01)デリー編

5月1日〜5日の、3泊5日でインドに旅行に行って来ました。北インドのゴールデントライアングルと呼ばれるデリー、ジャイプール、アグラの三都市です。三日間でこの三都市を観光というのは結構な弾丸ツアーで、午前中に史跡を観光して、午後は200km以上をマイクロバスで移動するというツアーです。
JALかANAもあったのですが、GWは高いためエア・インディアを選択。日本人にはゴールデンウィークでも、インド人には関係ありませんしね。成田空港を昼に発ち、約7時間のフライトです。キャビンアテンダントも当然インド人で、スチュワーデスはサリー風の制服でした。救命胴衣等の解説VTRでもサリーの人が手話をしています。機内食は日本で調達した物だから、恐らくJALと同じだったようです。

デリー空港に到着すると、すぐに印を結んだ沢山の巨大な手の像が出迎えました。インドに来たなあという感じです。時差3時間半なので、日本時間ではもう宵の口ですが、インドはまだ昼間です。ガイドや他のツアー参加者と合流して外に出ると、空気が熱いのが分かりました。しかし、乾燥しているせいか、不快な暑さではありません。周辺には野良犬が沢山居ましたが、一切吠えたり唸ったりしません。寧ろ尻尾を振って近付いて来ます。「人間から食物を貰えるかも知れない」という事なのだと思います。
マイクロバスに乗ってホテルへ向かいます。驚いたのは、デリーの中心部は「東京もかくや!」という高層ビルが林立しているに、ちょっと離れるとレンガ造りの小屋が並ぶ殆どスラムみたいな街があるという事と、スズキを始めとした新しい自動車が走っている一方で、自転車の輪タクやオート三輪のタクシーが一杯走っている事。高度経済成長の裏では、格差が物凄く開いている事を感じました。しかし、もしインド10億人が日本人並みの暮らしを手に入れたら、地球は滅亡するだろうなあ。これは中国農村部にも言える事ですが。
ホテルは綺麗で外国人向けでした。一泊でスラムの人々の年収くらいするのかも知れません。夕食はホテル一階で……英語表記は読めはしても、良く分からない物が多いので、チキンバーガーにしておきました。これはこれでバターをたっぷり使っていて美味しかったです。
夜中にベッドで転がって居ると、外から爆発音が! 銃撃戦でも始まったのか!? と思ったら、近くで花火を上げてました。後でガイドに訊くと、結婚式があったんだそうな。
  


翌朝からは早速マイクロバスでデリー観光です。
最初は、ラクシュミー・ナーラーヤン寺院。ヒンドゥーの寺です。寺には靴を脱いで入ります。祀神はラクシュミー女神とナーラーヤン男神夫婦だが、他にもヒンドゥーの神々の像や絵がありました。恰好良い……写真撮りたい! しかし、撮影は禁止でした。額に赤い鉱物色素を付けて本尊を拝みました。

寺の前の道路を渡るための地下道には、人が地べたに転がって寝ていました。すぐ横に犬が同様に。この人とこの犬の、命は等価値なのだな……
続いてインド門。第一次大戦で亡くなったインド人の慰霊碑です。銃を持った衛兵が厳重に警備しています。こういう慰霊碑は重要だと思います。ここを訪れる意義と、靖国神社参拝の意義はほぼ等しいと私は思うのですが、どうも日本にはそう思わない人が多いみたいですね。
次はフマユーン廟。ムガール帝国の二代目皇帝の墓です。赤茶色の石で建造された立派なイスラム建築です。かの有名なタージ・マハルもこの墓を参考に建てられたしたという、世界遺産です。一部補修工事中だったのですが、石棺まで見られる観光名所です。庭に子犬がチョロチョロしていたのですが、それが可愛かったです。
この日の最後が、クトゥブ・ミナール。ミナールは塔という意味で、これも世界遺産です。この70mもある高い塔が建てられたのは何と1200年頃。当時から高度な建築技術があった事が伺われます。
  


その後に昼食。やっぱりというか、カレーです。タンドリーチキンとシシカバブ、複数のカレーとインディカ米とナン。その店のテレビで映っていたニュースで、ウサマ・ビン・ラディンの写真とヒンディー語で文字が沢山出ています。何かと思うと、ガイド曰く「ビン・ラディンが死んだというニュース」でした。インドにはイスラム教徒も沢山居るから、暴れたりしないかとちょっとドキドキ……

食事が終わってから、マイクロバスで明日の観光地であるジャイプールへ。200km以上の長距離移動です。道中日本企業の工場がいくつも見えましたし、ペプシやコカ・コーラの看板も沢山ありました。中には、TATA・DOCOMOなんて看板のもありました。インドではタタ財閥とNTTドコモで携帯電話の合弁をやっているのでしょうか。また、牛やラクダも何度も見掛けました。牛は、インドの三大至高神の一柱・シヴァの乗り物ナンディの眷族だから、大事にされています。
およそ6時間でジャイプールに到着。ここはデリーよりも治安が悪そうです。その代わり、ホテルは1日目よりちょっと良いホテルでした。入口に空港のような金属探知機のゲートがあり、すぐ横にタイガー・ジェット・シンみたいな男が立って居てます。怖い! 更に、客室のある各フロアエレベーター前には銃を持った警官も居て、物々しいです。しかし、このホテルが禁煙なので、煙草を吸いたいと言うと、親切に吸える場所を教えてくれました。「何だ、本当は良い奴じゃないか」と。
でもって、晩御飯も当然カレーです。この時はまだ飽きていませんでしたが……
  

2011年5月3日(火)
(02)ジャイプール編
インド旅行の2日目はジャイプールです。
ホテルで朝食の時間よりも早く起きてしまったのでテレビを点けてみると、朝から説法をして居る番組がありました。言葉は分からないのですが、服装やセットがどう見ても説法なのです。チャンネルを変えてみると、アニメ専門チャンネルでは“spooky Kitaro 5”というCMが……ゲゲゲの鬼太郎の英語版です。
MTVにしてみるとインドの歌手が出ていましたが、どれもこれも集団でベリーダンス風。そんな中で注目だったのが、インド版クレイジーケンバンドみたいな人です。真っ黒のグラサンと髭のダンディなおっさんなのですが、そのPVのストーリーが非常に「漢」を売りにしている感じなのです。例えば、集団が徒競争をしていて、2位の人が首位の人に足を伸ばして転ばせます。すると、ゴールの方から、この歌手が悠然と歩いて来て、転ばした人をぶん殴って、転んだ人を立ち上がらせてトロフィーを渡し、周りは拍手喝采! そして、ダンス。

  

朝食の後、例のマイクロバスで移動です。
先ずは風の宮殿。マハラジャが作った城壁に囲まれた街にある、要は妾を囲う建物です。これは外から見ただけですが、窓が沢山あり、その一つ一つに妾が居るという、まさにマハラジャの暮らし。

続いて、アンベール城。山の上に建つ城です。道には象が歩いて居ました。マイクロバスは山の麓に停めてジープに移って石畳の急坂を上り城へ。綺麗な装飾の施された美しい城です。ステンドグラスも美しかったし、城から見る外の景色も秀逸です。城下町では、ミルク缶(ローソンのマークみたいなやつ)に入れた牛乳を販売していました。
次は、天文台。世界遺産です。巨大な日時計があり、日付に応じた+−の調整で、2分単位まで時間を計れるのだそうです。大昔に2分刻みで時間を知って居たわけです。出発点は占星術かも知れませんが、高度な天文学があったという証です。
その後に、シティ・パレス。今でも現役のマハラジャが住んでいる住む巨大な屋敷です。マハラジャが英国に出掛けた時にガンジスの水を入れたという、世界一巨大な銀製の壷(ギネス認定)が二つ。往時の豪華を偲ばせる物品が沢山。英国統治からインドが独立した時に、当時の英国人領事が表敬訪問をした写真も掲示されていました。
インドは1947年にマハトマ・ガンディーやチャンドラ・ボースの働きにより、独立しています。彼らの努力は偉大なのですが、ここで敢えて一言。ここには、旧日本軍の影響も少なからずあるのです。第二次大戦で、日本は敗れはしたが欧米列強と戦いました。この勇気が、白人に屈する事しか出来なかったインド人に与えた影響は大きいのです。だから、日本人は実はインド人に一目置かれていると私は私は思っています。まあ、小銭目当ての詐欺師みたいなのはよく寄って来ましたが。
次は、ファテープル・シークリー。ムガール帝国の三代目皇帝アクバルが建てた城で世界遺産です。ムガール帝国はイスラム教なわけですが、この城の面白い所は、ヒンドゥー教やキリスト教等宗教の壁による諍いを無くそうとした努力が見られる点です。建物の建築様式もミックスされており、更には、互いに仲良くしようという宗教まで起こしたそうです。結局は瓦解してしまったそうですが、その姿勢は立派な統治者と言えます。
  


昼食の後、マイクロバスで次の都市、アグラへ。またしても200kmオーバーの長距離移動。
道中、猿回しをする爺さんや、野生の孔雀に遭遇しました。
ガイド曰く、孔雀が人里に出て来るのは雨の前兆なのだとか。何でも、孔雀は蛇や蛙を食べるそうで、雨が降ると穴の中からこれらの餌が出て来るからだそうです。燕が低く飛ぶというのと同じですね。昔のシャーマンや魔術師の類も、もしかしたら、こういう自然現象を見て天気を言い当てたりしたのかも知れません。雨乞いを続けて、孔雀が見えたら「そろそろ祈りが届くぞ」なんて言ったりして。
暗くなってからアグラ周辺に到着。華やかな電飾に飾られた移動遊園地のような物がありました。ガイドが「これ、インドのディズニーランドだよ」と言うから、冗談かと思ったら、門の所にミッキー・マウスが。これ、絶対無許可でやってます。ここに行った子供なんか、次の日に学校で自慢しちゃうんだろうなあ……
ホテルに着くと、何やら催し物があって、見てみると『INSARAG』という集まりの会合とあった。後で調べると、国連捜索救助諮問グループだそうです。震災後の日本でも活躍している団体なのだとか。知っていたら、礼や労いの一言でも言いたかったです。
  
2011年5月3日(水)
(03)アグラ編

3日目……の前に! アーユル・ヴェーダを初体験しました。要はオイルマッサージです。折角インドに来て、ガイドが料金を払えば行けるって言うので、行っとこうかと。

さて、3日目の都市アグラは、はついに今回の数ある目玉の中でも最大のタージ・マハルがある街です。言うまでも無く世界遺産です。ムガール帝国の第五代皇帝シャー・ジャハーンが建造。白大理石をベースに、数々の宝石を埋め込んで装飾された豪奢この上ない建築ですが、これも要は墓です。地下もあるらしくて、地上にある棺はダミーで、本物の棺は地下にあるのだとか。流石に、そっちは余程のVIPでないと入れないそうです。

参ったのは、ドームの中に在る棺の所で変なおっさんに金をせびられた事でした。ペンライトを持ったおっさんが手招きして、近付くと色々解説してくれました。薄暗いドームの中で宝石が埋め込まれた場所にペンライトを当ててキラキラさせて、これが表面だけでなく、埋め込まれている事を示してくれたり、満月の夜には月光がドーム内に反射して美しい事、アラーの神への祈りがドームに反響する事なんかをやってくれました。
そこまでは良かったのですが、最後に右手を差し出すわけです。しょうがないから10ルピー札を渡すと、『もっと』みたいな言葉を発します。しょうがないからもう1枚。だが、まだ手を引っ込めない。苛々っとして、チップではなく「空手チップを喰らわせたろか!!」と思いました(あいたたた……)。
とは言え、ガイド自体は短いけど要点を突いて良い説明だったんだから、最初から100ルピー(1ルピー=約2円)でも何でもガイド料を言ってくれたら、腹を立てる事もないのになあ。黙って去りました。
金をせびると言えば、物乞いが多かったです。それも障害者の物乞いが目に付きます。元気な者は大概が物売りでした。片足が無い人、両手の肘から先を失った女性、下半身が異様に貧弱で座禅状態のままの人等々……しかし、物乞いには一切金品を与えていません。ガイドがそう言ったからなのですが、正しい事だと思います。
と言うのも、本来は障害者は、観光客ではなく、国や行政が面倒を見てやるべきなのです。それを観光地で物乞いをするのは何故か? 考えられるのは三通り。国や行政の手がそこまで回らないのか、国や行政が彼等を障害者として認定していないのか、或いは、国や行政からちゃんと補助を貰っているのに、物乞いをしているか、です。どれもありそうです。
例えば、奇妙な事に、両手を失った女性が割と綺麗なサリーを着ていました。これは彼女にその服を用意して着せている人が周りに居るという事なわけです。
或いは、物乞いコンビの方割れか? 場合によっては、下手に働くよりリッチな旅行者から物乞いをする方が実入りが良いのかも知れません。その場合、その障害は事故ではなく、故意に作った可能性さえあるのです。
下半身が全く成長して居ない座禅の人は、きっと宗教上の苦行をしている人なのでしょう。托鉢という事か。驚いたのは、そういう人用の「手で漕ぐ自転車」が街を走っていたという点。
……重たい話になってしまいました。タージ・マハルの敷地には、栗鼠やマングースが居ました。マングースとコブラが戦う所が見たかったなあ……そう言えば、今回、蛇は全く見ませんでした。孔雀の件同様、雨が降らないと出て来ないのかも。
道中は現地で買ったラクダの皮で出来たサンダルを履いていたから、もし出て来たら危なかったです。
  

次はアグラ城。ムガール帝国第三代皇帝アクバルが建てた城で、以降四代目五代目の居城です。これも世界遺産。豪奢な城でした。暑い所だから、噴水で水を巡らせたり、風が細く通るようにして涼しさを確保していました。元々は宝石で埋め尽くされた城だったそうなのですが、殆どが英国統治時代に剥がし取られているのだとか。今でも大英博物館あたりに所蔵されているんですかね? 予備知識を持って見れば、それは美しい装飾品であると同時に、当時の英国人は野蛮人だったという証でもありますね。

ここには猿が居ました。猿は力の神・ハヌマーンの眷族だから、保護されている模様。そう言えば、猿回しは良いんだろうか。あ、象の上にも人が乗っているし、大事に扱う分には働かせても良いのかも?

観光の後に食事をして、空港へ。ツアー客にJAL組とインディア組が居たから、JAL組に合わせて到着したから、随分早く到着してしまいました。
その代わり、免税店やフードコート等、空港内の様子を見るのに時間を使えて、これはこれで良かったです。御土産のチョコを買おうとして、こちらの意図が通じないインド人に日本語でキレてしまいましたが……まさに、日本の恥。言い訳をさせて頂くと、英語での会話なのですが、インド人も私も双方とも英語が上手くないのが問題だったかと。
  
▲アグラ城。二枚目の写真の茶色っぽい所は宝石が剥ぎ取られた跡です。猿。