2009年1月度目次
 #1112 「謹賀新年」 帰省し、2つの事。
 #1113 「インテリジェンス」 知識という道具を使う知恵。
 #1114 「年越し派遣村」 失業者500人vs総務政務官発言。
 #1115 「恨ミシュラン」 読書感想文。西原理恵子&神足裕司の共著。
 #1116 「受難タクシー」 タクシー暴力・タクシー強盗。
 #1117 「サディスティック・ゴッド」 神は信者が血を流すのを見て喜ぶのか。
 #1118 「雪降らず」 雪を期待したのに、今日は降りませんでした。
 #1119 「銀幕寸評」 “K-20怪人二十面相・伝”。
 #1120 「来訪者」 有朋自遠方来、亦不楽乎。
 #1121 「阿修羅と地雷とスペックV」 三連休の諸々。
 #1122 「マイルドメルヘンの弊害」 マイルド童話で甘ったれに?
 #1123 「携帯国盗合戦」 最近知って始めました。
 #1124 「虎穴に入らずんば」 虎児を得るか、猛虎に食われるか。
 #1125 「Lotus EVORA」 六本木で英ロータスの発表会。
 #1126 「ドラマ・銭ゲバ」 原作とドラマの共通点・相違点。
 #1127 「センター試験」 うーん、私にとっては随分昔の話です。
 #1128 「ジャンプ放送局」 かつて週刊少年ジャンプにあったコーナーです。
 #1129 「BB」 バッドバンクとアルファベット略語。
 #1130 「マイノリティが武器になる時代」 ちょっと嫌な話になるかも……
 #1131 「もしかして、気のせい?」 病は気から? 景況感も気から?
 #1132 「第三究極幻想」 DS版FF3。
 #1133 「最後の愚痴日記」 鬱憤晴らしの愚痴日記は今後控えます。
 #1134 「あつあげ」 油抜きしていない物を網で焼いて。
 #1135 「ミヒャエル・エンデ」 読書感想文。
 #1136 「生かされているという事」 私は色々な人に生かされている。
 #1137 「氷雨」 傘を見ながら、脳味噌の一人歩き。

2009年1月31日(土)
駅日誌(1137) 「氷雨」

今日は寒い上に雨が降っていました。更に強風が吹いていました。傘が煽られます。無理に風邪に抗って傘を差していていると、風向きの変化に一気に傘がぶっ壊れそうになります。
今使っている傘は私の御気に入りなので、ぶっ壊したくありません。しかし、丈夫な傘なので、何とか壊さずに済みました。この丈夫さも、私が気に入っている点の一つです。
私の愛用の傘は、骨が24本もあります。通常の傘が8本なので、骨の量3倍です……シャア専用カサです。ガンダム好きの人しか分からない事を書いてすみません。しかし、その「シャア専用カサ」名で商品化しても良いと思うくらいなのですが、如何でしょうか? 
この傘は、閉じた時に若干嵩張る、通常の傘よりちょっと重いという難点はありますが、骨と布地の接点が3倍なので風に強いです。また、8角形よりも角の数が3倍あるので、開いた時のシルエットが円形に近くて綺麗です。今の傘が駄目になっても、もう8角形の傘には戻りたくないですね。次もこの24本骨の傘にしようと思っています。

さて、傘のシルエットの説明のために、「角が多い多角形の方が円形に近い」と書きましたが、世の中にはたまーに、妙ちくりんな理屈でこの言葉を使う人が居ます。「三角関係だから、ギクシャクするのだ! 四角関係、五角関係、六角関係……と進んでいけば、円に近付き、丸く収まるのだ!」というわけです。石田純一あたりがテレビで言っていた気がします。私はそういうのが苦手なので、絶対に出来ないと思います。倫理的に出来ないという以前に、そんな事を上手く転がして行ける程器用ではありません。あっちでこんな嘘を吐いて、こっちであんな嘘を吐いて、なんて事をやっていると、すぐに綻びが出来てしまいそうです。
いやいや、浮気どころか、例えば合コンなんかに行っても私はどうも器用に立ち回れません。そして、一緒に行った人からは駄目出しをされたりします。「営業と恋愛は一緒。俺が経営者ならばお前を雇わん!」などと言われてしまいます。うーん、シックリ来るような、来ないような……営業ならば、数と金額を取って来た方が偉いのですが、それとこれとは違うような……
おっと、ここまで書いて閃いた事が! 先程の「浮気多角形」説と、「営業と恋愛は一緒」説、いずれも恋愛が得意であると自認している人が使う言葉です。その「得意」は単に「数」としての捉え方ではないか! と。
こんな事を思うのは、私の恋愛経験が数少ない事から来るヤッカミなのかも知れませんね。
氷雨に降られながら、傘を見ているうちに、脳味噌が一人歩きしました。でも、この傘は御気に入りです。
                                 駅員@強風を 切り裂け傘よ 力強く

2009年1月30日(金)
駅日誌(1136) 「生かされているという事」

最近、私は人の好意に乗っかって生かされていると感じる事が多いです。世の中には、私より遥かに人の事を考えて生きている人がいて、そういう人と話すと、「私は自発的に生きているのではなく、色々な人に生かされているのだな」と思います。

私は、人に頼りにされる事に喜びを感じる「被依存依存症」(造語です)である事は以前にも当日誌に書きましたが、そういうのが無いと、自分の存在意義さえも怪しくなってしまう人間なのだと思います。誰からも頼りにされなくなる事程寂しい事はありません。兎は寂しいと死んでしまうとよく言いますが、私もそんな感じなのかも知れません。
誰かが私に仕事なり、私生活なりの相談をして来るという事は、その相談者のためよりも寧ろ、私のためになっているのです。
その一方、私は自力本願的な人間なので、昔から人に余り頼りたくない性分です。もし、私の上役が私と同じ「頼られたい」願望があった場合、私はそれには全く応えられていません。
自分が望む所を他人にするのは、人間として正しい事なのですが、この場合ってどうなのでしょうか? 私みたいに臆面も無く、言いたい放題「頼られたがり」である事を公言していれば良いのですが、世のオトナはそんな事を公言する人は珍しいと思います。内心は「俺を、私を頼ってくれ!」と思っている人も居るも知れませんし、「あまり人に頼られたくない」と思っている人も居ると思います。いや、きっと後者の方が多いのだと思います。公言されない事には、その人が「頼られたい」人なのかどうかが全然分かりませんから、迂闊な事は出来ません。

しかし、人の心は分からないから生きて行けるという部分もあります。
私の尊敬する藤子F不二雄の短編漫画に、「テレパ椎」という作品があります。その作品で、「もし人間がテレパシーを持っていたらとっくに滅んでいる」といったような話が出て来ます。確かに、もしも人の心が全て読めてしまったら、怖くて人に会えなくなる事だろうと思います。
                           駅員@人の世に 無くて良かった テレパシー

2009年1月28日(水)
駅日誌(1135) 「ミヒャエル・エンデ」

このところ、立て続けにミヒャエル・エンデの本を読みました。ドイツの作家ですが、その主とする領域は児童文学です。
しかし、今回読んだのは「モモ」や「果てしない物語」といった代表的児童文学作品ではなく、比較的想定年齢層の高そうな作品です。
いずれも岩波現代文庫で、戯曲「遺産相続ゲーム」と短編集「自由の牢獄」です。なるほど、私はこれまで、前述の代表作は勿論、この作家の作品を読んだ事がなかったのですが、非常に面白い作家だと思いました。代表作の児童文学も今度読んでみようと思います。
作風は非常に寓意的です。私は、幼少の頃は寓意的なイソップ童話が好きでしたし、嘗て高校で漢文を学んだ時も寓話が好きでしたので、元々寓話という形式が好きなんだと思います。

先ずは「遺産相続ゲーム」ですが、戯曲ですから、要は演劇の台本です。児童文学作家だけあって、何だか御伽噺じみた設定は出て来るのですが、「人間はなかなか分かり合えない」というテーマをエンターテインメントにしていると思います。
話の筋としては、身に覚えの無い「遺産相続権」を得た相続人候補たちが、被相続人の屋敷を訪ねて、そこで何とかその遺産を独り占めしようと互いに心理戦を繰り広げるという物です。登場人物は10人程出て来るのですが、いずれも「ああ、こういう奴居る居る」というキャラ揃いで、更にそれを極端にしたような感じです。それらが揉めに揉めて暴走し出す様は、笑えると同時にぞっとします。

では、「自由の牢獄」の方はどうかと言うと、こちらはこちらで珠玉の短編集だと思いました。読みながら思ったのは、嘗てテレビで北野武が言っていた「物語を書く人間は、感覚的に数学的な考え方が出来ないといけない」という言葉です。ミヒャエル・エンデも例外ではなく、数学的な発想に基いた作品群だと言えます。こう書いてしまうと、何だか小難しい話だと思われるかも知れませんが、読み易いです。エッセンスとして、数学的な要素が入っているという程度で、計算式等が出て来るわけでは決してありません。
8作が収録された短編集なのですが、その中で特に私が気に入ったのが、「ミスライムのカタコンベ」という作品です。この作品と表題作の「自由の牢獄」は、近代民主主義で尊ばれた「自由」という価値観に一石を投じる内容で、考えさせられます。
不思議な話が好きな人には御薦めの短編集です。
                              駅員@冠雪の 富士を脇目に 文庫読む

2009年1月27日(火)
駅日誌(1134) 「あつあげ」

油抜きしていない厚揚げをとある伝で入手し、網で焼いて醤油を付けて食べた、キツネ野郎駅員です。
表面がカリッとして非常に美味しかったです。薬味をもうちょっと揃え、揚げ出し豆腐の出汁のような物で食べるともっと美味しかっただろうと思います。油抜きをした油揚って、何だか表面がパサついているのですが、それと比べて油抜きしていない物はこんなに違うのか……と思いました。
では、何故一般的に流通している物は油抜きされているのか? 恐らくは保存性と手間の問題でしょうね。油揚が本来よく使われる用途は、味噌汁や煮物等です。それらに使う場合は油抜きをしないと、油っこくなって味を壊しますし、味が染み難いわけです。また、油は酸化に弱いため、大きな流通経路で流す場合に、在庫管理が難しくなるのでしょう。

……と、この厚揚げについてもっと書きたいところですが、明日は五時起きなので、今日はこれくらいで眠ります。
                               駅員@寒い部屋で 一人でつつく 狐色

2009年1月26日(月)
駅日誌(1133) 「最後の愚痴日記」

私の駅日誌を読んで頂いている人の中には私と面識がある人も居るのですが、どうもその中に私の日誌で不快感を覚えた人が居るらしい……伝え聞いただけで、誰が不快感を持ったのかは分かりませんし、詮索するつもりもありません。もし、その人を見付けたからと言って、咎める事は出来ません。だって、私が思った通りの事を書く権利と、読み手が思った通りの感想を持つ権利は表裏一体ですからね。
何が良くないかと言うと、多分私がたまに鬱憤晴らしに書く「愚痴日記」のどれかなのだろうと思います。不特定多数の読み手にとっては、読む価値の無い日誌なので、「愚痴日記」はやめた方がアクセスは増えると思いますし、当日誌としても「愚痴日記」はやめた方が良いのだろうと思います。
また、「愚痴日記」の悪い点として、卑劣だという事があります。誰も反論出来ない状態で一気呵成に言いたい事を一方的に書けてしまうわけですから。「ペンは剣よりも強し」です。「ペンは剣よりも強しは、違う意味の言葉だ」って? 私はこの言葉に意味を二つ見出しています。一つは「言論は暴力に屈しない」という意味ですが、いま一つは「言論は暴力よりも凶暴だ」という意味です。
というわけで、今後は「愚痴日記」は控えようと思います。

しかし、その場合、私の憤りはどこに流せば良い? 私の憤りを溜めるダムの最大貯水量が大きければそれで構わないのですが、私の場合はそのダムがちっぽけなので、適度に放水しないとすぐにオーバーフローしてしまいそうです。
では、私の憤りはどこに流せば良い? スポーツでストレス解消という意見もあろうと思いますが、私の場合、以前ジムに通っていた事もあるのですが、その時はおおらかだったかと言うと、私の場合は関係無かったようです。
となると、最も真っ当な道は、私が憤る原因を作っている人や物事に真っ向から噛み付く事ですね。その方が潔いと言えます。しかし、厄介なのは、こっちはとっくに抑圧されているという点です。こっちが抑圧されるから、仕方無く文字媒体に逃げていたと言った方が正しいでしょう。だとすると……この憤りという獣はどこに放てば良い? 手懐けられるのならば、とうに手懐けていますが、手懐けられないからボロイ檻に無理やり閉じ込めてあるのです。
「愚痴日記」は今後控えますが、それは私のオーバーフローの危険性を高める事になります。何か良い考えがある方は、御助け下さい。
                                駅員@鉄格子 その冷たきに 獣吠ゆ

2009年1月25日(日)
駅日誌(1132) 「第三究極幻想」

小学生の頃にやった「ファイナルファンタジーV」(以下FFV)。その任天堂DS版を会社の同僚から借りていて、ようやく終了しました。いや、本当は随分前に終わる寸前まで来ていたのですが、ラストダンジョンがなかなか厳しくて、しばらく放り出していたのです。と言うのも、ダンジョンとボス戦闘6戦が、セーブポイント一切無しで続いているので、最終戦闘で負けてから、そこまでの道程をまた繰り返すのが嫌で放り出していたのです。私は貸し借りはなるべく早く返したい質なので、これでようやく返せます。

このFFVですが、原作はファミコンでした。最初にやったのは小学生の頃です。懐かしい……正直、私の中ではあのゲームシリーズは、Wから完成度が上がっており、Vまではちょっと作りが粗い記憶だったのですが、その辺を含めて丁寧に作り直されている印象でした。画像は全て刷新されており、20種類程ある転職出来るジョブも、原作では使えるジョブと使えないジョブの差が大きかったのですが、ジョブの有用性のバランスが良くなっており、ゲーム性が上がっています。例えば、吟遊詩人や風水師あたりは原作では使い道が乏しかったのですが、上手く使えば最後まで使っても良いくらいでした。これにより、プレーヤーにより色々な戦闘スタイルが展開可能です。
一方、残念なのは、全体攻撃の映像効果が一つ一つ出てくる(例えば、黒魔法ファイアを3体の敵全体にかけた時に、一度に3体全てに炎のエフェクトが出るのではなく、1体ずつ×3回のエフェクトなのです)のが鬱陶しいという点です。原作ではここはいっぺんに映像効果が出たのですが、ここは改悪と言えます。恐らく、ポリゴンの立体映像化により、処理すべきデータが重くなったせいでしょう。
それにしても、こんな陳腐なストーリーだったかなあ……以前同じくDS版のFFWをやった時には、「御都合主義的な話だなあ」とは思いながら、イベントシーンで目がうるうるしたものですが、今回はそういうのはありませんでした。先程、「FFの完成度はWから上がった」旨を書きましたが、それはゲーム性以外に物語性の差も大きいのかも知れません。FFVが好きな人には異論がある事と存じますが、あくまで私の主観という事で御容赦下さい。

さて、話をFFシリーズ全般についてに移します。このシリーズって、何となく私は宮崎駿系の匂いを感じます。飛空艇の存在が大きいのだとは思いますが、他にも音楽や登場人物の性格等に、影響が見える気がします。
ただ、私はFFシリーズは[までしかやっていませんので、いい加減な事は言えませんね。今って、もう]Uくらいまで行っているんでしょうか? 実は私の場合は、Zあたりから「ちょっと煩わしいゲームになってきたなあ」と思っていたのです。「通れそうな所と通れなさそうな所の違いが分からないし、画面の奥の方に居ると、何処を歩いているのか良く分からない!」という所に痛痒を感じていたのです。現代っ子には笑われそうですね。
でも、私のように思った人は多かったようで、丁度家庭用ゲーム機のマーケットが縮小してきた時期だと思います。
ゲームの面白さ以外の部分に力を注ぎ過ぎていた時期なのでしょうね。
                            駅員@ファイナルが 一体何度 来るんだよ

2009年1月24日(土)
駅日誌(1131) 「もしかして、気のせい?」

木・金と飲みに行き、両日とも帰ったら眠くて眠くて、そのまま服だけ着替えてすぐ眠ってしまいました。というわけで、二日連続朝風呂(シャワーのみですが)です。寒い時期に朝風呂は危ないですね。寒さで風邪をひいてしまいそうになります。今日は日中に東京でも雪がちらつきました。では、夏ならば良いのか……というと、夏は夏で体表の湿度が上がるので、汗をかきやすくなってしまい、辛くなります。伝説の酔っ払い「小原庄助さん」は、朝寝・朝酒・朝湯で身上を潰した人ですが、「贅沢」という意味以外にも、「朝湯は体に悪い」という理由だったりして……?

さて、木曜日には新宿、金曜日には品川で飲んだのですが、んーーーー? 世の中不景気なんですよね? 仕事が減って、工場で減産したり、人員が整理されたり、減給されたり、ボーナスカットされたりしているんですよね? 皆様の財布の紐が固くなっているんですよね? なのに、この店に大勢居る客は何だ? その隣の店に大勢居る客は何だ? その隣の隣の店に……(略)。そして、店を出てから駅に向かう道に溢れる人通りは何だ? もうじき日付が変わる時間なのに、電車にこんなに人が乗っているのは何だ? うーん、不景気なんて本当なのかと怪しくなってきます。
もしかして、景気が良いも悪いも存外「気のせい」の部分が多いのでは? いや、実際に企業業績が落ちており、数字的なデータで見れば不景気なのです。ですが、実生活について言えば、気のせいの部分も多いのでは?
今回のサブプライムローンに端を発した不景気の前には、景気回復時期がありました。その時の街頭インタビューの声を聞くと、「実感が湧かない」とのコメントが多かった記憶があります。実際にどれだけの経済情報が自分の懐具合に関係があるのかというと、そんなに多くないのかも? 景気回復時には、「景気回復の情報が沢山あるのに、自分の懐具合が一向に好転しない!」という見方をし、景気後退時には「自分の懐具合が好転しないのは、不景気の情報通りだ!」という見方をしているのではなかろうか。つまりは、良い情報と悪い情報で、自らへの結び付け方が違うのではなかろうか、と思います。

さて、前述の人通りについての話ですが、店に居た客はまだしも、遅い時間に電車に乗っている人は、私のような酔客ではなく残業だったのかも知れません。しかし、そうだとしても、そんな時間まで働くくらいの仕事があるわけです。
こういう様子を見ていると、ワークシェアリングを叫ぶ人の気持ちも分かります。しかし一方で、反対の気持ちも分かるのです。
他人に任せるよりも自分でやっちゃった方が良い仕事って沢山在りますからね。
例えば、先輩Xが仕事Aを抱えており、そこに新入Y居るという状況だとします。Xは仕事Aを2時間残業をしてこなせるのですが、Yに任せると5時間掛かり、YがやりながらXが手伝うと3時間掛かるとします。本来ならば、最後の選択肢を取りたい所ですが、能率は落ちます(残業代はY3時間分+X3時間分です)。ワークシェアリングをすると、組織としての能率が落ちるという見方も出来るわけです。平たく言えば、ワークシェアリングが進まない理由はここら辺にあるのではないかと思います。
                               駅員@気のせいだ 病も寒さも 景況も

2009年1月21日(水)
駅日誌(1130) 「マイノリティが武器になる時代」

米国に初の黒人大統領が誕生しました。「自由の国」「人種の坩堝」なんて言いますが、今でも人種差別問題が根強く、有色人種は大統領になった事がなかったのです。今から高い支持率と期待を受けて動き出した所なのです。果たしてどうなる事やら……
「マイノリティ」とは元来、「少数派・社会的弱者」を指す言葉なのですが、社会が成熟して来ると、実はマイノリティである事を武器に使える事も往々にしてあります。オバマ氏当選のケースでは、無論能力面で期待出来るからとかそういった理由も沢山あるのですが、それでも、意図的ではないにせよ、マイノリティである事も武器の一つになったのだと思います。
一方、途上国の観光地には、金銭的施しを求める子供が沢山居て、彼等の多くは怪我等の何らかの体の不具合を抱えています。中には、親からわざと怪我をさせられている子供も居るそうです。と言うのも、親は金も無く仕事も無く、子供に怪我をさせる事が「最も効率的な稼ぎ方」になってしまっているからです。
即ち、子供が怪我をして道端で物欲しそうな目で先進国から来た旅行者を見詰めたら、何らかの施しを与えられる事も多いでしょう。子供&不幸は人の心をそわそわさせてしまいます。
その施しの金額は、旅行者にとっては端金でも、その子の家族にとっては生命線だったりするのです。親の意図による物ですが、これもマイノリティである事を武器に使った例だと言えます。
また、こんな例もあります。体が不随なため口に筆を咥えて描いた絵を芸術作品として売っている人が居ます。なるほど、その作品自体に魅力があれば、それは立派な事なのです。しかし、作品そのもの以外に、売る時にそういうバックグラウンドを出すのはちょっとアンフェアな気がします(先程の親子の例と同様、本人を利用しようとする何者かの策かも知れませんが)。芸術作品の価値は作品そのものにあるのであって、聖人が描いても駄作は駄作、極悪人が描いても傑作は傑作だと思うのです。そこに別の判断基準を持ち込むのはアンフェアだと思います。
そういう意味で、もっと身近な例では、「欽ちゃんの仮装大賞」で、小さな子供がチャチな仮装を一生懸命にやっていたりすると、欽ちゃんが審査員に点数をねだったりする例があります。そうしたい気持ちは分かりますが、その心添えのせいで、仮装大賞の本質とは別の判断基準が出来てしまうのです。
何で私がこういう事をわざわざ書いているかと言うと、私自身が判官びいきな所のある人間だからです。悪意を持ってマイノリティを武器にしてくる人が居れば、私はたちまちその人にやられてしまう気がします。
                            駅員@剣よりも ペンよりも強き マイノリティ

2009年1月20日(火)
駅日誌(1129) 「BB」

BB……BB弾? トヨタBb? bad boy? フェラーリ512BB? この中で語感が最も近いのはbad boyです。
今回のテーマはBad Bankです。
米国では、オバマが大統領に就任し、これから継続して金融危機対策を行っていく所ですが、その政策の中の一つがこのバッドバンクなのです。バッドバンクとは、直訳すれば「悪い銀行」。どういう事をするのかと言うと、金融機関から不良債権を買い取るという銀行です。これは要は国家が民間の損を被るような物で、実質的には公的資金投入に近いものです。
「銀行はジャブジャブと公的資金を注がれて、甘やかされている! 日本のバブル崩壊の時もそうだ!」という声も聞こえてきそうですが、私も感情的にはそうです。しかし、そうでもしないともっと悪い影響が波及してしまうと思います。日本がバブル崩壊から立ち直るに至った施策の中で、最も効果的だったのが公的資金注入だったのです。欧米が今そういう動きを迅速にしているのは、バブル崩壊対策のパイオニアである日本にならっているのです。

それにしても、本日のタイトルは私が意図的にアルファベットに省略したのですが、近年アルファベットの省略が多いですね。特に金融関係に多いです。CP(コマーシャルペーパー)だとか、ETF(上場投資信託)だとか……うーむ、覚え難い。
そう言えば、日本語もやたらアルファベットに略されていますね。「KY」なんてのが最近では有名です。「空気が読めない」と西友の「価格安く」。更には最近では、他にも様々な「KY」が増えているそうですね。例えば「AKY(敢えて空気を読まない)」とか。嘆かわしいとほざくと年寄り扱いされてしまうのでしょうか……しかし、この「KY」的な略し方って、昔流行った「MM」とか「MK5」と同じ構造ですよね。そう考えると非常に恥ずかしい気がするのですが。
                             駅員@流行は 繰り返すもの いつの世も

2009年1月19日(月)
駅日誌(1128) 「ジャンプ放送局」

私が10代の頃全盛だった漫画雑誌・週刊少年ジャンプには、漫画を食ってしまう程の読者投稿コーナーがありました。それが「ジャンプ放送局」です。
コンビニの雑誌コーナーを覗くと、そのベストセレクションのようなペーパーバックがあったので、買ってみました。ページをめくると、昨今芸人の間に多い「あるあるネタ」がわんさか出て来ます。嗚呼、懐かしいテイストです。放送局というタイトル通り、ラジオの投稿に似ていますが、私の中で「あるあるネタ」と言えば、やっぱりこの「ジャンプ放送局」か、TJ香川の「笑いの文化人講座」なのです。因みに、後者は香川県のローカル雑誌の投稿コーナーで、香川県出身者に教えてもらったのですが、ジャンプ放送局に引けを取らない面白さです。世の芸人の中には、ここら辺からネタをパクった人も結構居るのではないか、と私は踏んでいます。

さて、この懐かしい「ジャンプ放送局」ですが、選者・編集者が漫画になって描かれています。その中でも特にアクが強いのが「えのん」です。天然パーマのアフロのような頭に、三日月型の目、肥満体にフンドシ一丁というキャラクターなのですが、その本名は榎本氏と言い、実はデザイン会社の社長です。社長なのに貧乏キャラで、このジャンプ放送局と同じイラストレーターが描く「桃太郎伝説」や「桃太郎電鉄」のゲームでは「貧乏神」の役にさせられたりしています。当時は私も「えのん=貧乏」だと思い込んでいたものです。浅はかな身にとって、メディアの力は如何に強力なのかが思い知らされます。今になって思えば、裸一貫で小さな会社の社長をやるという事は、ケチでないと務まらないという事なのだと思います。
さて、この榎本氏は、とある有名テレビゲームのロゴをデザインしたそうです。今回買った本を見て知りました。そのタイトルは「ドラゴンクエスト」。あの「DRAGON QUEST」という外側に向かって広がった文字列をデザインしたのが、この榎本氏だそうです。えのん、侮れん……うむむ、2日連続ノスタルジックな日誌になってしまいました。
                           駅員@木枯らしの 吹き付ける頬の 冷たさよ

2009年1月18日(日)
駅日誌(1127) 「センター試験」

昨日今日の二日間で、大学入試センター試験が行われました。受験生諸氏の手応えや如何。皆様の志望校の水準に達していると良いですね。

無論、私もその昔受けたわけですが、ええっと、一体何年前になるんだろう?
私の中でのセンター試験のイメージは「センター試験の日には雪が降る」というイメージです。私の地元は雪国と言う程ではありませんが、毎年雪が積もる地域で、特にセンター試験の日は必ず雪が降ったような記憶があります。私の場合は、高校の近所にあった地元の大学が会場になっていたので、高校に通う時と同様に自転車で行くつもりでしたが、降雪のため車で送って貰ったように思います。
何とか二日間の試験を終えて、新聞に出る答えを見て自己採点をしたわけですが、全般的に手応えがあったものの、1科目ヤバイのがあって、それだけは悲惨な点数でした。それでも他が存外健闘し、何とか当初ターゲットにしていた大学に入れました。
「志望校」ではなく「ターゲット」という表現を使いましたが、私の場合は「志望校」というカッチリとした目標は無く、「ここらへんかなあ」といった枠で捉えていました。その上でセンターの点数を見てから、二次試験対策をするというやり方をしていたのです。幸いその方法論が私の性には合っていたようで、国立前期だけで大学受験は終了。私の場合は、「絶対にここだ! と最初から具体的な目標に向けて努力する」という姿勢も、「滑り止めを一杯受けてリスクヘッジ兼場数を踏む」という姿勢も向いていなかったようで、「目標を具体化せずに前進し、その前進中に目標が出来るだろうから、そこを一点突破しよう」という姿勢が合っていたようです。
但し、これはたまたま私にはバッチリハマる姿勢だったというだけの話。万人がそうではないと思います。目標をカチッと立てる姿勢が合う人も、数撃つ姿勢が合う人も居て、寧ろそれらの何れかの方が主流でしょう。

受験生諸氏、今の苦しみはあと少し。それを乗り切れば、存分に遊べます。
そう言えば、高校の同級生に、高3の秋頃に好きな子にコクった奴が居ます。「今はそういう時期じゃないと思う」という言葉で断られました。その言葉が本当の理由だったのか、それとも「相手を傷付けない断り方」を選んでの言葉だったのかは今となっては知る由もありませんが、彼及び彼女は二人とも私の顔見知りなのですが、多少なりとも余計な精神的ダメージを負って受験に臨む羽目になってしまいました。
というわけで、受験生諸氏には、今の残り受験期間をなるべく余計な事を考えない平穏な心理状態で臨んで欲しいと思います。
                             駅員@年経れば 酸いも甘いも 懐かしき

2009年1月17日(土)
駅日誌(1126) 「ドラマ・銭ゲバ」

一年近く前、本屋でふと惹かれて買った漫画「銭ゲバ」が、テレビドラマ化されました。その感想文は2008年3月9日の駅日誌(853)にて書いた通りです。うーむ、あのえげつない漫画をドラマ化か……どれくらい脚色されるんだろうか? そこら辺が気になったので、早速観てみました。

以下、第一話を見た限りでの、原作との共通点・相違点を挙げてみたいと思います。
主人公・蒲郡風太郎役は松山ケンイチ。デスノートでL役をやった人です。原作では生まれつき左目が潰れたようになっているのですが、ドラマでは父親に突き飛ばされて箪笥の角にぶつけて出来ます。と言っても、目の周りに一生物の傷が出来たというだけで、眼球そのものはそのままです。
少年時代のエピソードから入る始まり方、及び風太郎が金の亡者になってしまう経緯は原作に忠実です。ただ、時代背景は原作が書かれた1970年頃からアップデートされて現代になっており、その象徴として、風太郎の身分は派遣社員として始まります(ドラマが撮られた頃には、まだ年越し派遣村なんて無かった頃だと思うのですが、放送時期と派遣社員問題がピッタリの時期になりました)。
一方、風太郎が目を付けて狙う大企業は、原作では「大昭物産」という化学会社なのですが、ドラマでは「三國造船」という造船会社になっています。「大昭物産」という会社名は現在実在するため変更を余儀無くされた様子ですが、「三國造船」ではモデルの会社が結構簡単に分かってしまいそうな気が……一文字違いの有名企業がありますが。

冒頭でもちょっと触れましたが、原作ではこの後どんどんえげつない描写が出て来ます。どうやってゴールデンタイムで放送するか? 一方、原作の筋運びの中では強引な部分が結構多いのですが、その辺をどう自然な形に是正しているのかも気になります。
しかし、続き物のドラマは、一回見逃すと何だか置いてけぼりを食ったようで嫌になってしまいますので、見続けられるかどうか……? そう言えば、会社員になってから連ドラってあんまり観なくなったなあ。
                            駅員@冷え込んだ 今の時代に 合うドラマ

2009年1月16日(金)
駅日誌(1125) 「Lotus EVORA」

英国の自動車メーカー・ロータスの上級スポーツカー、エヴォーラが日本国内御披露目になりました。その広告を先日新聞で見た私は、出来れば行きたいなと思っていた所、幸い今日は仕事が早く片付いたので行ってきました。住友不動産ビル内のイベント会場、ベルサール六本木にて本日開催されており、金曜日の夕方にも関わらず、結構客は入っていました。
壁と床を真っ黒にした室内、その奥に銀色のスポーツカーが鎮座していました。3.5リッターV6エンジンをミッドシップに搭載した、2+2シーターのクーペです。いかにもスポーツカーといった形です。私は特にフロントフェンダー〜ドア〜リアフェンダーに向かうサイドの面の処理が恰好良いと思いました。ロータスには、エリーゼ、エクシージ、ヨーロッパと言ったスポーツカーがラインナップされているのですが、その頂点に立つフラッグシップモデルだと言えます。
運転してみたいなあ〜。しかし、ロータスの車は基本的に室内が狭くスパルタンなモデルが多いので、車を一台しか所有できない身としては、仮に買う金があってもとても所有出来ません……車を二台停められるガレージの付いた家に住みたーい!
また、ロータスはスポーツカーばかり作っている特殊なメーカーなので、生産力は低いです。仮に買おうとしても納車待ちが凄く長い事でしょうね。
エリーゼやエクシージと違って2シーターではなく、2+2(最大4人乗り)なのですが、リアシートは物凄く窮屈そうです。実質的には鞄等を置く場所だと思います。

因みに、ロータスは自社でエンジンは作っていません。この3.5リッターエンジンも、トヨタのハリアー等に使われているエンジンです。また、エリーゼに載っているエンジンは実はカローラのエンジンです。こういうのを見ていると、車というのは必ずしもエンジンではないのだなと思わされます。在り物のエンジンだろうと、チューニングして、且つ軽くて恰好良いボディに載せれば、それだけで十分スポーツカーになるのです。
しかし、自動車業界が押しなべて不調の今、スポーツカー専業のメーカーって大丈夫でしょうか……
 

                               駅員@沼の泥 冷たきに耐え 蓮の花

2009年1月15日(木)
駅日誌(1124) 「虎穴に入らずんば」

虎穴に入らずんば虎児を得ずという諺があります。リスクを取らないとリターンは無いという意味ですね。現在、世界経済は不況です。しかし、それは逆に言えば買い時であるとも言えます。安くなっているからです。でも、もっと下がったらどうしよう……という恐怖があるのもまた事実。本日の日経株価は一時8,000円を割りました。
しかし、どんなに下がっても2008年10月の最安値水準までだと私は思っており、8,000円を境に確実に割安感が出る筈だと踏んでいます。
私の保有銘柄も今は含み損なのですが、今から丸一年間塩漬け(下がっても損切りせずに我慢する)にする覚悟と余裕があるのなら買いだと思います。今回の不況は私の見立てでは一年で収拾するのではないかと思っています。いや、そうでないと、世の中の普通の生活も危ういと思います。

一方、「困り事」はビジネスチャンスでもあります。世の中の商品・サービスの殆どは、何らかの困る事を解消する物です。という事は、不況だ何だと困っている状況も、何らかの金儲けの種なのです。「不況にこそ業績が良くなる会社」というのもきっとある筈です。生憎まだまさしくそれという会社は見付けて居ませんが、例えば、100円ショップ、リサイクルショップは好業績なのではないでしょうか? 調べては居ませんが、要は「節約する人が増えれば、節約のための会社は儲かる」のではないかと思います。
また、再来年2011年度上半期には地デジ切り替えに伴う「テレビ特需」が予想されますので、家電業界はその時にグッと業績が上がる可能性が高いと思います。不況ですし、テレビの買い替えをギリギリまで待つ人は多いのではないでしょうか? 少なくとも私は、今のブラウン管テレビが壊れるか地デジ切り替えまで買い替えるつもりはありません。

おっと! これらはあくまで素人の個人的見解です。投資は自己責任で御願いします。「駅員の言う事を信じたら、損をこいた!」なんて言われても知りませんよ……
                                  駅員@春を待ち 寒さで蕾む 櫻花

2009年1月14日(水)
駅日誌(1123) 「携帯国盗合戦」

このタイトルで思い浮かぶのは、NTTドコモ・AU・ソフトバンクによるナンバーポータビリティ制導入以降のシェア争いの話題だと思われるかも知れません。特に今冬はドコモが健闘して盛り返しているそうですね。ポータビリティ導入時は、AUとソフトバンク……特にソフトバンクへの流出が多く、大ピンチだったのですが、流石に地力があります。
しかし、これは日本国内の話。世界規模で見ると、「日本の携帯電話はガラパゴス」と言われてしまいます。ガラパゴス諸島、即ち外敵の侵入が無く、独自の自然淘汰が起き、独自の進化を遂げた生態系ですが、日本の携帯電話機市場はまさにそういう状態だそうです。フィンランドのノキアや韓国のサムスン、米国モトローラなど、海外の端末メーカーは世界で争っています。これらの端末が徐々に日本にも入って来ています。これこそが国盗合戦か……
このように、携帯電話業界は結構熱い業界です。スマートフォンを持ち、PDAやPCに近い使い方をしている人もいますし、最近ではアップルのi-Phoneの発売が話題になりました。しかし、今回の日誌のテーマはそういう話ではなくソフトな話ですので、肩の力を抜かせて頂きます。

上記タイトルは、携帯でやるゲームの一種です。先日の新聞で見たのですが、正確には「ケータイ国盗合戦」と言います。

私は、この「ケータイ」という書き方が嫌いなので、文字を書いていて「携帯電話機」を略す時には「携帯」と書きます。ふと思ったのですが、「携帯」と漢字で書けない携帯電話機ユーザーって意外と居るのではなかろうか?
 橋下大阪府知事が「小中学生は携帯を学校に持って来る事を禁ずる」みたいな事を騒いでいた事がありましたが、私にも一つ提言があります。「『携帯』と書けない者は、『携帯』を持つな」というのは如何でしょうか?
PCと携帯電話機のおかげで、文字を書く事が減りましたから、結構まともな大人でも書けない人が居そうです……大袈裟に言えば、導入したら一種のパニックが起きるかも?

話が逸れました。「ケータイ国盗合戦」は、日本地図を600箇所に割ってあり、その地に自分が出掛けた時にこのサイトの「国盗」を押せば、携帯の位置情報通信でその土地を占領した事になるというゲームです。その600地域は旧国名で書かれていますが、北は蝦夷地から南は琉球までありますので、全国制覇は至難の業です……と思ったのですが、ランキングを見てみると、もう600国統一している人間がごろごろ居るではないか! この人たちは一体何をしている人なのでしょうか?
私も興味を持ったので早速登録したのですが、「国盗」を忘れがちです。勤務先の地域さえまだ占領していないのです。
それでも、昨日仕事で車で長距離移動をしたので、一気に7国占領致しました。しかし、これでも通ったのに占領し忘れた地域が沢山あった模様です。まあ、ゆっくりやって行こうと思います。元々旅好きなので、出張も大好きなのですが、ますます出張が楽しみになります。
しかし、世の中は不況。会社も意義の低そうな出張は認めてくれなくなりそうで、それが最近の仕事上での「最大の心配事」です。「平和なやっちゃなあ!」と怒ってはいけません。貧すれば鈍す、になってはいけないのです。
パナソニックの創業者・松下幸之助は「好況良し、不況更に良し」という言葉を残しています。
今年の仕事始めの挨拶で、経営者の口から景気付けの意図で聞いた方も多いのではないでしょうか。「ピンチはチャンス」という表現で聞いた方もいるかも知れませんが、意味はほぼ同じです。私はこれらの言葉を本気でそうだと思っていますので、俺の楽しい出張をどうか潰さんでくれい!
                           駅員@我が足で 歩き我が目で 見るの意義

2009年1月13日(火)
駅日誌(1122) 「マイルドメルヘンの弊害」

マイルドメルヘンとは……「メルヘンってそもそもマイルドなんでないの? 大人になってもメルヘンの世界に居る変な人はマイルドではなく、濃い〜が」と言われる事でしょう。しかし、御伽噺には現代化するに当ってマイルドにされた物が沢山あります。「本当は怖いグリム童話」等の本を読んだ事がある方は、言いたい事が御分かりかと思います。要は、残酷な結末を「教育上良くない」という理由で変更してしまっている物が多いのです。先に挙げた例はグリム童話ですが、日本童話、イソップ童話、アンデルセン童話等々……数々の童話でマイルド化は施されています。
例えば「桃太郎」。桃太郎は、本当は鬼ヶ島の鬼を皆殺しにしています。その上、その宝を奪い取り、実家に持ち帰っているのです。鬼が土下座して泣いて謝るとか、宝を持ち主に返しに行ったというのは後付の変更です。
例えば「かちかち山」。爺さんが狸に騙されて婆汁を飲まされるというくだりは、カットされている事が多いです。
例えば「三匹の仔豚」。藁の家と木の家の兄は狼に食べられてしまい、煉瓦の家の末っ子だけが生き残ります。「丸呑みだったので、末っ子が腹から兄たちを救い出した」というエピソードがある場合もありますが、後付です。
と、こんなような具合です。そして、そのマイルド化が当り前だった時代に幼少期を過ごした人は甘ったれに育ってしまった可能性があると思うのです。私もモロ、その世代には入るのですが、本物を読んで目から鱗が落ちた気持ちがしたものです。

そして、本日槍玉に上げたいマイルドメルヘンが、「蟻とキリギリス」です。
この寓話を知らない方は少ないと思いますが、先ずはその粗筋から。
夏、蟻が冬に備えて食糧を蓄え始めていました。それを見たキリギリスは「食糧は辺りに溢れているのに、何をそんなにセカセカと働いているんだい? 良い陽気だし、楽しく歌い、楽しく遊べば良いのに、馬鹿だねえ」と嘲笑しました。蟻はそれを尻目に食糧を蓄えます。やがて秋が過ぎて冬になりました。何も蓄えていなかったキリギリスは困り果て、蟻の家の戸を叩きます。
その時の蟻の対応が、原作とマイルドメルヘンで異なるのです。原作では「夏には歌っていたんだから、冬には踊ってみたらどうだい?」と嘲笑返しの上、ドアを閉めるという物です。マイルドバージョンでは、蟻は食糧を恵みます。その上で、嘲笑ではなく教訓的に「夏に遊び呆けていたから、こうなったのですよ」という言葉を発します。
この原作とマイルドバージョンでは、根幹となる教訓は同じです。しかし、マイルドバージョンでは甘える余地が残されているのです。なるほど、「困った人間にも慈悲を示してやれ」という教訓であるという意味では、マイルドバージョンにも意義があるのですが、キリギリスの方に共感してしまった人には甘えの余地です。
仮説ですが、契約を切られた派遣労働者やフリーターの中には、このマイルドバージョン・キリギリス共感型の人も多いのでは? 慈悲を施す事は美徳ですが、慈悲を求める事は本来恥と心得るべきだと私は思います。
無論、全員がとは言いません。しかし、どうしようもない輩が居るのもまた事実。自己責任は棚の上に高く放り上げているのです。酷い者では、成人している人間が金欲しさに高校生をカツアゲしたなんて事件もあったそうです。「果たして、こういう者にも人間の尊厳があると言えるのだろうか?」と思います。人に迷惑を掛けずにひっそりと生きるホームレスの方が遥かに誇り高い存在です。
前述のマイルドメルヘンには、西洋から入った物に、日本の価値観を植え付けたという構成の物も多いです。日本の価値観には、「恥」の文化があります。その奥ゆかしい文化を植え付けるのならば良かったのに。生憎、マイルドメルヘンは恥知らずを育ててしまっているのです。
                           駅員@泣かぬなら 泣くまで待とう キリギリス

2009年1月12日(月)
駅日誌(1121) 「阿修羅と地雷とスペックV」

本日のタイトルは、本日の日誌に書く内容の列挙です。この三連休は、三連休らしい事はせず、普通の休日×3という過ごし方でした。その中から、写真絡みで三項目を書きます。

@阿修羅
阿修羅と言えば、奈良・興福寺の国宝阿修羅像が有名です。御覧になった事がある方も居られると思います。私もあの表情と手の配し方が好きで、何度か見ています。
その阿修羅像にファンクラブが出来ました。「見仏記」のみうらじゅんを会長としたファンクラブで、東京国立博物館で3月末より開催される「国宝阿修羅展」の連動企画です。ファンクラブ入会前売券を買えば、それで入会と見なされます。私も前売り券を買ったのでファンクラブ会員という事です。「仏像のファンクラブ」と言うと、何だか奇妙に聞こえるかも知れませんが、「アイドルのファンクラブ」という表現だったらどうでしょう? 仏像はこれ即ち偶像であり、偶像は英語で「idol」なのです。
さて、その入会前売券には、特製ピンバッジの引換券が付いており、会期前でも引き換えが可能だったので、早速ピンバッジだけ貰って来ました。

A地雷
嘗て紛争地域だった土地には、今も対人地雷が多数埋まっており、足をもがれたという被害者が後を断ちません。そういった地雷除去には、「対人地雷除去機」という重機が導入されます。そのコマツ製車両のトミカ(タカラトミーのミニカー)を買いました。また下らない物を買って……と笑われそうですが、この商品を買う事には、実は単純に玩具という点以外にも意義があるのです。というのも、この製品1個につき、コマツとタカラトミーからそれぞれ5円ずつ計10円が対人地雷除去費用として寄付されるそうです。ミニカー集めが趣味の方は、是非一台買ってみては如何でしょうか?
最近はこういうビジネスモデルが増えましたね。有名な所では、ミネラルウォーター・ボルヴィックの井戸掘り寄付キャンペーンがあります。特に先進国ではこういったビジネスモデルの受けが良いようですね。なるほど、賢い手だと思います。

BGT-R
日産GT-Rが発売されて一年程でしょうか? 最近、スペックVというGT-Rでも更に上級なグレードが追加されました。ちょっと銀座方面に行く機会があったので、日産の銀座ギャラリーを覗くと、案の定そのスペックVが展示されていました。
外見上の違いは、バッジの他、リアウィングやグリル周り等部分的にカーボン素材が使われている程度でしたが、恐らく中身もチューンされているのでしょう(詳しくは調べていませんが)。私は欲しいとは思いませんし、第一高くて買えません。しかし、それは日産も最初からそういうつもりで、ターゲットは若者ではなく50代〜60代なのです。
スポーツカーでありながらMTのラインナップが無いのも、そういった関係からだと思われます。
あれだけのパワーがあると恐らくクラッチも重くなると思いますし、MTなら5段ではなく6段にしないとチープになると思います。そうなると、到底イージードライブってわけにはいかなくなりますからね。
   
左から、阿修羅ファンクラブピンバッジ、コマツ対人地雷除去機トミカ、スペックVのバッジ。

                              駅員@本日は 趣味的日誌 悪しからず

2009年1月11日(日)
駅日誌(1120) 「来訪者」

私のねぐらに友人が来ました。知っている人間が我が家に入って来るのは、これで二例目です。
ひゅ〜〜、来たのが年始で良かったです。年末にきちんと大掃除をしましたからね。それ以前だったら、とても人を上げられる状態ではありませんでした。私は掃除が苦手なのです。掃除をすると異様に疲れる気がします。職場で机周りの整理を命じられる事もあるのですが、その度にくたびれます。しかし、逆説的に考えれば、汚れているから掃除が大変なのであって、人がよく訪問してくれば、自ずと掃除の頻度が増えて、私の部屋は綺麗に保たれ易いという事なのかも知れません。
という事はもっと頻繁に人を招けば良いという事でしょうか。では、月一くらいでデリへルでも呼べば……おっと、「何でそうなる!?」と御叱りを受けますね。これからは、面倒臭がらずにもっと知人を招くべきか。

しかし、私はともに行動している人がつまらなさそうにしていると、それが非常に気になるタチなのです。「俺と一緒ではつまらないかなあ……」と。こういう事を人に問うと、「そんな事はない。考え過ぎだ」と言って貰えるのですが、きっとそれは優しさであり、もし本当につまらない場合はそれって言い難い事なのではないかと思うのです。
こういう事は気にし出したら止まりません……意外と「気にしい」なのです。
譬えて言うなら、漫才コンビのブラックマヨネーズの吉田(ぶつぶつの方です)のような感じの事を考える事があるのです。
そんなわけで、反応に乏しい人・感情を表に出さない人との人付き合いは苦手なのです。勝手にどんどん悪い方へ先回りして考えて自滅してしまいます。
おっと、もっと頻繁に人を招くべきだと思ったそばから、付き合い難い例を挙げてしまうなんて! では、冒頭同様に逆説で。反応・感情をハッキリ出す人の方が付き合い易いという事か。
                             駅員@友が来て 楽しからずや 孔子言う

2009年1月10日(土)
駅日誌(1119) 「銀幕寸評」

映画を観たので、本日は銀幕寸評です。今回も一人で映画館に行ったのですが、私は一人映画には全然抵抗がありません。しかし、その事を人に言うと、何だかやたらと「寂しい奴」みたいな言われ方をします。私がたまたま特殊なのか? 私の周囲がたまたま特殊なのか?
それはさておき、寸評です。尚、下記タイトルの右の☆は、私の個人的な評点であり、5ッ☆満点です。

「K-20 怪人二十面相・伝」 ☆☆☆☆
金城武主演の邦画です。怪人二十面相とは、勿論江戸川乱歩の小説で、明智小五郎と対決する怪盗の事を指しています。とは言え、この映画の原作は江戸川乱歩ではなく、乱歩へのオマージュ作品として書かれた別の著者による小説(北村想・著)です。
この映画の主人公は、明智小五郎でも怪人二十面相でもなく、サーカスの曲芸師の男です。彼は、二十面相に嵌められて、二十面相であるという嫌疑をかけられてしまいます。二十面相として逮捕されてしまい、サーカスでカラクリ仕掛けを作っていた仲間(國村隼)の助けで脱走は出来たのですが、全国指名手配という扱いです。そのため、本物の二十面相を捕えない事には、ずっと濡れ衣を被せられてしまいます。そこからは、元々得意な軽業をベースに二十面相を追跡し、対決するため、特訓に励みます。やがて、明智小五郎(中村トオル)とその婚約者(松たか子)と手を組み、二十面相に立ち向かいます。
舞台設定は江戸川乱歩の原作同様1940年代の帝都なのですが、実際の歴史とは異なるパラレルワールドという位置付けです。即ち、日本が太平洋戦争を行わなかった世界としており、明治・大正のような雰囲気と昭和の高度成長期のような雰囲気を併せ持った街なのです。CGも使ってはいるのですが、結構大掛かりな「花の大帝都」を創造していると思いました。
ストーリーや台詞回しも軽快で単純に面白かったです。元々の怪人二十面相が少年探偵団の敵役なので、謎解き的要素は少なく、簡単で分かり易い話です。子供でも十分理解し楽しめる内容だと思いました。
では、その一方でミステリー好きには物足りないかと言うと、少なくとも「怪人二十面相」が好きな人にはそんな事は無く、思わずニヤリとさせる要素が散りばめられています。特に少年時代に「少年探偵団」シリーズが好きだった人には御薦めの映画です。例えば、金城武の役名は「遠藤平吉」なのですが、これは江戸川乱歩の原作にある二十面相の本名ですし、ファンの間で囁かれた「二十面相が死んで、途中から二代目に変わっているのでは?」という説を再現してみたりしていたりするのです。二十面相の乗物「一人乗りヘリコプター」も出てきます。
さて、演技力に定評のある役者を揃えているのですが、私が今最も注目している俳優が出演していたので、その事に触れておきましょう。「今井悠貴」という名の俳優です。「そんな奴知らねえぞ?」その可能性もあるかも知れません。実は子役なのです。主人公の属するサーカス団の助手の少年役なのですが、チョイ役なのですが今回も良い演技をしています。私がこの俳優に注目するようになったのは、2007年の夏に放送されたスペシャルドラマ「はだしのゲン」でのシンジ役を見てからです。まさに、天才子役だと私は思っています。
その一方、何だか近年仲村トオルは、憎まれ役が板に付いて来たような気がしますね。ていうか、憎まれ役を割り当てられる事が多いですよね。「あぶ刑事」の頃は、憎まれようもなかったのに……
                              駅員@冬映画 スクリーンには 雪が舞う

2009年1月9日(金)
駅日誌(1118) 「雪降らず」

今朝雪が降るとの予報があったのですが、残念ながら降りませんでした。「朝起きたら外がやけに明るくて、カーテンを開けるとうっすら雪化粧が」なんてのを期待していたのですが、降っていたのはしとしと雨でした。私の地元はそこそこ雪が降る所なので、東京に出てから味わうろくに雪が降らない冬というのは、ちょっと物足りない気もします。
更には、「雪で電車が遅れたら面白いなあ」とまで思っていました。何て罰当たりな。

ちょっとしたトラブルくらいなら起きた方が面白いのに、と日頃思っている人間なのです。普段の暮らしに退屈しているのでしょうか?
ザ・ブルーハーツの歌に、こんな歌詞があります。「あんまり平和な世の中じゃ 恰好悪過ぎる 嗚呼、宣戦布告 手当たり次第」と。その曲目は「英雄に憧れて」。
私もヒーロー願望を持っている人間なのです。
しかし、この歌詞にもある通り、ヒーロー願望とは裏を返せば、何か良くない事が起きるのを心待ちにしているという事でもあります。先ずそういう事態が起きないと、ヒーローとして活躍しようがないわけですから。これはこれで、非常に自分勝手な願望なのです。
こういう野郎が、やがて人を罠に嵌めて陥れて、それを自ら助けるような暴挙に出てしまうのでしょう。そして、それは私が日頃国際政治上で批判しているアメリカという国家のあり方とそっくりです。自重しないといけません。

さて、東京では雪が降らなかったのですが、明日には東北・北海道の太平洋側で大雪の惧れがあるそうです。大雪が降る土地の方から言わせれば、私のような「雪が降って欲しいなあ」なんて言っている奴には「ふざけんな!」という気持ちかも知れません。
しかし、これは大なり小なり皆が同じ様な事を考えてしまっています。例えば、「雨なんか降るなよ!」と思う事は、雨季を待ちわびる砂漠の人々にとっては、「ふざけんな!」という事になるでしょう。
人間が他者の気持ちを汲み取るという事には限界があるのです。そして、それを自覚しないから、昨日の日誌に書いたような戦争が無くならないのだと思います。
                                駅員@雪降れば 地面白くて 面白く

2009年1月8日(木)
駅日誌(1117) 「サディスティック・ゴッド」

聖地という言葉を聞いて貴方が思い浮かべる地名はどこでしょうか? イスラエル? それとも、メッカ? えっ? 東京国際展示場……? 貴様、さてはコミックマーケット通いのオタッキーだな?
それはさて置き、「聖地エルサレム」「聖地メッカ」この表現を耳にした事がある人は多い事でしょう。「メッカ」はアラビア半島にあるイスラム教の聖地の一つで、「メッカ」という言葉自体は、比喩的な表現でよく他国や他分野でも使われています。
では「エルサレム」の方は? こちらは、ユダヤ教の聖地として知られています。しかし、それは一面に過ぎません。「エルサレム」は、ユダヤ教の聖地であり、キリスト教の聖地でもあり、イスラム教の聖地でもあるのです。
こんな風に聖地がカブっているは何故か? それは、その3つの宗教の根っこが同じだからです。極論すれば、単一宗教の宗派のようなものなのです。例えば、ユダヤ教にガブリエルという名の天使が登場するのですが、この天使は、キリスト教では聖母マリアに受胎告知をし、イスラム教ではムハンマドにコーランを書かせています。信仰している神と、神から地上に預言者が使わされるという点は同じなのです。
ところが、この神―――エホバあるいはヤハウェ、主、アラー等と呼び名は色々あるのですが、同一の存在である唯一神―――は、自らを信者が血を流すのを見るのが大好きなサディストのようで、この三つの宗教の信仰者たちはドンパチばかりやらされています。
イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの侵攻が本格化し、今も続いています。敬虔な者ほど、好んで神の殺し合いゲームの駒になります。……あれ? 似たような事を前にも書いた記憶があります。ああ、そうだ。インドのムンバイで起きたテロ事件の事を日誌に書いた時でした。

血生臭い紛争は後を断ちません。ヒトは、自らを万物の霊長と言って奢っていますが、その実、結局は獣なのだという事でしょう。いや、生存競争を勝ち抜いた万物の霊長だからこそ、利己性が濃縮されて今に至っているのでしょうか?
                           駅員@撃つ事に 年が明けても 明け暮れる

2009年1月7日(水)
駅日誌(1116) 「受難タクシー」

大阪を中心に、タクシードライバーが狙われています。何でも、乗っておいて運賃を払わずに逆切れしたり、最初から強盗目的で乗ったりするそうです。
運転中というのは、前方に集中していますので無防備です。助手席や後部座席から攻撃されようものなら、たまったものではありません。特に、関西のタクシーは運転席後方にアクリルボードが無いタクシーが多いそうで、より攻撃に晒されるそうです。今朝のテレビでも、結構えげつない映像を目にしました。
自由化でタクシードライバーがだぶ付き、不況でタクシー代を節約する人が増え、踏んだり蹴ったりの所にこれでは、タクシー受難の時代と言って良いと思います。

……ていうか、現在のような経済情勢では、運賃の上がりも大して大きくないのではないかと思います。そして、タクシーが走っている公道は、衆人環視状態ですから、告発されるリスクもあります。うむむ? この犯罪って割りに合うのか?
それに、もし本当に命が危なくなった場合は、最悪素早くハンドルを切りながらサイドブレーキを引いてクイックターンに入ってすぐ後部ドアを開ければ、犯人は転げ落ちてしまう事でしょう。その場合は、本当に命の危険があれば、正当防衛が成立すると思います。
こう冷静に見ると、結構リスキーな犯罪だと思います。もっとローリスク・ハイリターンな犯罪は幾らでもありそうな気がしてきます。まあ、私もタクシードライバーに立腹した経験は幾つもありますが……
しかし、こういうクールな意見は、実際にそういう目に遭っていないから言える事なのだと思います。私がもしタクシードライバーで、そういう人に乗られたら、果たして冷静に対処出来るのかどうか? そればっかりは自信がありません。
着実な対策としては、矢張り前と後ろを隔てる壁を設ける事でしょうか。隔壁を設けて、それこそパチンコ屋の景品交換所のように小窓だけが開いている……とか。
それとも、煙草の「TASPO」みたいなICカードを持っていないとタクシーに乗れない時代なんてのも、いつか来るかも知れません。「taxIC」なんてね。近年、財布の中が何らかの分厚いカードだらけです。金は増えねど財布は厚くなるばかり……
                               駅員@初春の 客は神様? 悪魔様?

2009年1月6日(火)
駅日誌(1115) 「恨ミシュラン」

2008年から始まったミシュランガイド。今年も2009年版が発売されました。が、第1回とは打って変わって、あまり話題に上っていないような気が……それもその筈。昨年は景気が良かったので、背伸びして行ってみるかという人も多かった事でしょう。しかし、今年は景気悪化です。ミシュランガイドに乗るような高価な店に行く人は、元々の上得意だけに戻ってしまったのかも知れません。
そも、人の味覚は千差万別。必ずしも他人が美味しいと言った物が、自分も美味しいとは限らないのです。例えば、美味しいと評判の東南アジア料理店があったとします。しかし、如何に美味しくとも、私には美味しくありません。と言うのも、パクチーの匂いが苦手だからです。また、小林よしのりの漫画「お坊ちゃま君」で、主人公御坊茶魔が、貧坊ちゃまと入れ替わってみるという話がありました。童話「王子と乞食」の現代版ですね。その話では、日頃旨い物ばかり食べている御坊茶魔は、貧坊ちゃま宅の「味噌汁ぶっかけごはん」だの「醤油ごはん」だのといった貧しい食事を、「こんなうまかもん初めてばい!」と言うのです。これは恐らくグルメブームへの皮肉なのだと思います。
矢張り最終的には自らの舌です。蓼食う虫も好き好きで良いと思います。

さて、本日のタイトルは、西原理恵子・神足裕司共著の本のタイトルです。最近古本屋で文庫版を買って読んだので、本日はその読書感想文です。この禍々しいタイトル……これは、元々はグルメブーム真っ盛りだった1990年代前半に雑誌・週刊朝日にて連載されていた雑誌企画です。
その内容は、東京を中心とした各地の名店を訪ね歩き、その店の悪い所をこき下ろすという、激辛グルメガイドなのです。各店毎に、西原理恵子が漫画で、神足裕司が文章で書いています。名だたる名店・老舗も、その奢り高ぶりをボコボコに叩き、味の評価でも不味いと思ったら「不味い」とキッパリと書いている本です。その分、当時は苦情も多かったとか……下品な本ではあるのですが、グルメブーム真っ盛りにこの本を出した意義は大きいと思います。
「おい、駅員。そんな20年も前のグルメガイドなんか読んでどうする?」という声が聞こえて来そうです。いや、時間を経て見えて来る事があるかも知れません。本当の名店・老舗は20年ごときでは消えません。今でも商売をしています。現に、本に載っていた中で、今もやっている事が分かっている店は山のようにありました。まだ私の入った事の無い名店・老舗も沢山あります。いつか行く日に備えて予め知っておけば、その時に腹を立てなくても済むかも知れないのです。
とは言え、名店・老舗で食べている人は、もしかしたら本当は味なんかどうでも良いのかも知れません。味ではなくステイタスを味わいに行っているだけなのかも知れませんね。
                             駅員@ほざきつつ 化調ラーメン 食う寒さ

2009年1月5日(月)
駅日誌(1114) 「年越し派遣村」

日本の中心部、歩いて国会議事堂及び官庁街に行ける日比谷公園に、年末から今日まで派遣契約を切られた失業者500人が集まりました。年末年始のニュースで話題になった「年越し派遣村」です。私の職場は日比谷公園に歩いて行ける場所にあるので、働き始めの今日、一丁様子を見に行こうか……なんて思ったのですが、企業の正規社員である所の私がちょろちょろしていては冷やかしだと怒られ兼ねないのでやめておきました。

そういったわけで、国家の中枢近くに500人ものホームレスが集まったわけです。おっと、この「ホームレス」という表現には怒らないで頂きたい。この表現に怒ってはホームレスに失礼です。差別的な意図はなく、端的に「無職・無住居」という属性を指して言っているに過ぎませ……んん? 待てよ? 本当にそこに居る全てが派遣契約を切られた「にわかホームレス」なのだろうか? 中には元から就労意欲の無い「生粋のホームレス」も混じっているんじゃねえか?
……恐らく、総務政務官も私と同じ事を思ってしまったのでしょう。総務省の年頭挨拶で言ってしまいました。「本当に真面目に働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と。日本国憲法では「思想信条の自由」が保護されていますので、彼等を蔑もうと憎もうと、思うだけならば自由です。しかし、立場を弁えずに公の場で口にしてしまうのは、脇が甘いと言わざるを得ません(マスコミが美味しそうなコメントのみをピックアップしているという面もあるでしょうが)。
私は、この予想(「生粋ホームレス」もその中に混じっている事)自体は当っていると思います。しかし、居たとしてもその内の一部です。そうではない人は上記の言葉には反発してしまうでしょう。

しかし、世間を敵に回す事になっても、敢えて言わせて下さい。何だろう? どこか「他人のせいにしている」ように見えてしまうのです。毎年解雇される人は山のように居て、毎年潰れる会社は山のようにある(年間大小ひっくるめて1万社が潰れています)のです。冷たく言い放てば、派遣契約を切られるのもその中の一事象なのです。
そりゃ、今まで尽くしてきた会社から裏切られたような気持ちになるのも察するに余りあるのですが……贅沢を言わなければ、例えば月収10万円でも十分生活が出来る筈です。勿論賃貸住宅に住んでの生活が、です。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、本当に人事を尽くしたのか? と思うのです。
この事は、上記の派遣契約を切られた諸氏に限った話ではありません。昨今、「他人のせいにする」のが癖になっている人が多いような気がします。無論、私自身にもそういった甘ったれな部分があるのだと思います。

それにしても、「ハケンの品格」なんてドラマが放送されていたのが丸2年前ですから、そう思うと時の流れは早いですね。今もし「ハケンの品格2」を放送したら、結構な視聴率が取れるのではなかろうか? 冒頭、篠原涼子以外の派遣役の人を、日比谷公園に登場させて……
                                 駅員@暖冬で 助かる者も 温暖化

2009年1月4日(日)
駅日誌(1113) 「インテリジェンス」

インテリジェンス=知性とは何か? 多くの物事を知っているかどうか、無論それも大事なのですが、私はそれは本質的な知性ではないと思っています。「知っている」よりも「知ろうとする」「考える」という事こそが知性の本質だと思っています。だから、常々物を知らない人に対して私は言うようにしています。「現時点で知らないのは恥ではない。知らないのに知りたいと思わないのが恥なのだ」と。

さて、テレビで平成教育委員会を観ていると、そういう意味での知性を問う問題も多くて良いと思いました。特に、「ナゾナゾマンVS実験ジャー」という企画。
実はこれは番組の企画ではなく、皇居に程近い北の丸公園にある「科学技術館」の出し物なのです。子供でも分かり易い身近な科学を実演するという出し物ですね。子供の科学離れが危惧されている昨今、国を挙げてこういう企画を催し、子供に科学への関心を向けさせようという姿勢は評価出来ます。こういう税金の使い方は私は大賛成です(予算も安そうですし……)。

一方、今日の昼間、ファーストフード店で見かけた家族のインテリジェンスの低さは何たる事か!!
その店から、「Marche」という看板が見えたのですが、「マルシェってどういう意味?」と。おお、ちゃんと読めたか。恐らく、子供から「何て書いてあるの?」と訊かれたのでしょう。
「英語じゃなくてフランス語だよねえ」おお、そこまで分かれば正解はすぐそこです。「英語だったら分かるけど……スーパーとかで書いてあるのを見た事があるんだけど……」おおおお、もう答えは目の前!!
……そこまで行って分からんのかい!! 見ず知らずの他人の会話を盗み聞きして愚弄するのは、恐縮至極なのですが、阿呆かと。先ず、読み方と言語当て迄は、知性ではなく知識の領域です。そこから先がどうして推測出来ない!? 世の中には、知識があっても知恵が無い人が存外多いのです。え? 答え? 「マルシェ」の意味は「市場」です。英語の「Market」と同義。「Market」の言葉を知っていれば、何となく響きから推測しろよ、と。知識は持っているだけでは何の役にも立ちません。ただ道具を持っているという状態です。そりゃあ、知識を沢山持てば、その分道具が沢山ある事にはなるのですが、あくまで道具なのです。使わなければ意味がありません。
人の振り見て我が振りなおせ。自らへの戒めに致しましょう。
                              駅員@明日からは 働き始め 休みたい

2009年1月3日(土)
駅日誌(1112) 「謹賀新年」

明けまして御目出度う御座います。
さて、前回の更新が12月26日で、今日は1月3日。その間、私は田舎に帰省しておりました。今日からまたビシビシと更新して行く所存ですので、宜しく御願い申し上げます。本日の内容は、寄生虫もとい帰省中の出来事についてです。

「ロックフェス」
30日に、カウントダウンジャパン・フェスに行って来ました。このロックフェスは、関東と関西で開催され、関東では幕張メッセで、関西ではインテックス大阪で開かれており、私は大阪の方に行きました。
私の中での目玉は「東京スカパラダイスオーケストラ」。管弦があるので、生楽器(電子楽器に対しての)比率が高く、ライブで聴く価値は高めだと思います。あとは、「ビートクルセイダーズ」、「木村カエラ」も聴いたのですが……私は視力も良くないですし、余り前の方ではなかったので、ただよく見えなかっただけなのかも知れませんが……木村カエラのギター、線繋がってた? これは私が個人的に思っただけなので、「何を言うか! ちゃんと木村カエラが弾いているギターも鳴っていたぞ!」という御叱りを受ける覚悟はしております。その場合は、私の耳目が悪いのだという事で御勘弁を。
さて、今回私は初見ながら非常に気になったのが、「グループ魂」。劇団大人計画に所属する俳優(リーダーでギターの宮藤官九郎、ボーカルの阿部サダヲ等)が行っているバンドです。元々はトリオコントから始まった一種のコミックバンドなのですが、非常に下品なバンドで「クリトリス」と連呼していました。CDが欲しくなりました。

「ジモトモ」
この「ジモトモ」という言葉は、「地元の友達」という意味の造語なのですが、私は3年程前から帰省する度にこの日誌にこの言葉を書き、その都度、ネット検索を掛けてみるわけですが、今年はやけにヒット数が増えています。はははは! 私の作った言葉がようやく世間に浸透してきたか!
いや、誰も私が作った言葉だとは思っていないのだろうなあ(いや、きっと私より早くからこの言葉を作っていた人もいたのだと思います)。しかし、よく見ると、上位にヒットするのは、「地域情報ポータルサイト」なるものです。
何ぞ? 中身を見てみると、「ジモトモ!茅ヶ崎市」、「ジモトモ!都筑区」、「ジモトモ!中原区」とあります。神奈川のローカル情報サイトの様ですね。なるほど、この程度の言葉は誰でも思い付きそうなものなので、運営会社の方も私と同様に思い付いたのでしょう。
……それはさておき、私の地元である滋賀県は、琵琶湖の鮎になぞらえたこんな言い回しがあります。「鮎は琵琶湖から出ないと大きくなれない」。鮎という魚は御存知だと思います。高知四万十川の鮎が有名ですが、巨大な淡水湖である琵琶湖にも鮎は沢山居ます。しかし、鮎という魚は通常、綺麗な河川から一旦栄養豊富な海に降りる事で大きく成長します。一方、河川から琵琶湖に降りる鮎はどうかと言うと、小型のままなのです。これは、ヤマメとサクラマスの関係に似ています。海に下りなかったヤマメはヤマメのままで、海に下りたヤマメはサクラマスに変化します。
で、これを踏まえて、「ずっと地元に留まっている滋賀県民は大物になれない」「滋賀県民は地元を離れて実力が開花する」といったような意味で使われます。無論、魚で譬えただけなので、事実無根なのだとは思います。
しかし、私の同級生でずっと地元に居て殆ど県外に出た事がない友人が居るのですが、彼を見ていると強ち間違っていないのではないか、という気がしてきます。地元の大学に入り、就職も地元の企業です。
私は、彼の事を頭の良い人間だと思っているのですが、いかんせん視野が狭過ぎるのです。それは、前述の通り経験値が少ないせいなのだと思います。折角の素質が全く活かされておらず、勿体無いです。しかし、この事を彼に力説するべきか否か……本人も分かっている事かも知れませんし、今更言うなという話かも知れません。
                               駅員@白雪を 白いと言うは 冷たきか
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