2010年5月度目次
 #1393 「東海道五十三次(13)」 見附宿〜濱松宿〜JR高塚駅。
 #1394 「東海道五十三次(14)」 JR高塚駅〜舞坂宿〜新居宿〜白須賀宿〜二川宿。
 #1395 「東海道五十三次(15)」 二川宿〜吉田宿〜御宿〜赤坂宿〜名電山中駅。
 #1396 「疲」 なかなかハードな連休でした。
 #1397 「陰」 5月4日〜5日の山陰旅行。
 #1398 「創」 久々の素人デザインワーク。
 #1399 「細」 細い煙草を見て、細い道を思う。
 #1400 「癒」 ハードな連休の疲れを癒すごろごろ週末。
 #1401 「焔」 アフリカの火、キャンドルの火。
 #1402 「銭」 エコノミック・アニマル。
 #1403 「鼠」 凝っている鼠と、凝っていない地獄。
 #1404 「無」 新開発! 無煙たばこ。
 #1405 「宝」 買ったのを忘れていた年末ジャンボ宝くじ。
 #1406 「描」 そっくりですが、「猫」ではなく「描」です。
 #1407 「看」 パラドックス看板。
 #1408 「疫」 口蹄疫を穿ってみる。
 #1409 「扇」 プロペラの無い扇風機。
 #1410 「零」 先日日記に書いた「ゼロスタイル・ミント」を試しました。
 #1411 「焼」 安い焼肉を食べて思った事。
 #1412 「米」 キチキチと コメツキバッタ 飛んだ島。
 #1413 「座」 その姿 座頭市、否 座高市。
 #1414 「厠」 恐ろしき 厠に潜む ミステリー。
 #1415 「諺」 雨降って 地固まって 滑走路。
 #1416 「祝」 幸せを 祝うその面 赤ら顔。
 #1417 「罪」 いざ行かん 七つの罪を ぶら提げて。

2010年5月31日(月)
駅日誌(1417) 「罪」

基督教には、七つの大罪が御座いますなあ……仏教で言う所の108煩悩(根本は6つで、それぞれにバリエーションがあって108だとか、本当は幾つだとか諸説あるようですが)に相当すると考えて良いのではないかと思います。
さて、七大罪ですが、基督教に詳しくなくても、「SEVEN」という映画を見た事がある人は御存じなのではないでしょうか? ブラピが追っていた殺人犯がなぞらえて連続殺人を行っていたテーマが七大罪でした。即ち、RRIDE(傲慢)、Envy(嫉妬)、Wrath(憤怒)、Sloth(怠惰)、Greed(強欲)、Gluttory(暴食)、Lust(色欲)です。英語で七大罪を、Seven Deadly Sinsと言うように、七つの致命的な罪です。罪、というよりも、人間を罪に導く心といった方がしっくり来るかも知れません。何らかの犯罪を犯したわけではないのに、「なんと罪深い……」なんていう場面は大抵これらの悪感情を発している時なのだと思います。
果たして、現代人にこれらと無縁の人物が居るのかどうか? 私自信は全く自信がありません。
後輩は愚か、自分より目上の人に対しても偉そうにする事もあります(傲慢)。
人の幸運や成功を妬む事もあります(嫉妬)。
怒りを顕わにしている事は割とザラ(憤怒)。
だらーっと惰眠を貪っている休日(怠惰)。
利殖への興味や吝嗇もあります(強欲)。
大盛りやおかわりがあればほぼ欠かさず選びます(暴食)。
無論、女性を見てむらむらする事もあります(色欲)。

おいおいおいおい、全部やないか、全部っっ!!! 特に私の場合は、「嫉妬」「憤怒」「怠惰」が強いかなあ……?
難しいのはこれらの罪はエネルギー源にもなるという点です。「傲慢」は「誇り」の源であり、「嫉妬」は「執念」の源であり、「憤怒」は「闘志」の源であり、「怠惰」は「効率化」の源であり、「強欲」は「目的意識」の源であり、「暴食」は「活動力」の源であり、「色欲」は「子孫」の源であるとも言えます。
私とて、これらの七大罪を制御する事が全く出来ないわけではありません。しかし、制御し過ぎると覇気も失われてしまいます。日々、これらの罪でありエネルギー源でもある感情を閉じ込めるか解放するか、その弁の調整に戸惑って居る始末です。
この弁の調整が昔よりも苦手になって来ています……その一端として、声の調整弁が馬鹿になって来ています。ちょっと大きな声を出そうとしただけで、思っていたよりも大きな声が出てしまったり、会議等で妙に通りの悪い声が出てしまって、聞き返されたりした時に引っ込めてしまったり。うーむ、駅員@地獄三丁目駅、齢●●にして、まだまだ発展途上! と良いように捉えておくか……
                                   駅員@いざ行かん 七つの罪を ぶら提げて

2010年5月30日(日)
駅日誌(1416) 「祝」

昨日、会社の同僚の結婚式及び披露宴がありました。もう入籍及び共同生活は以前から始まっているのですが、それでも一種独特の雰囲気があるものです。
私はこの日記には虚飾を取り払い思った事をそのまま書く事にしていますので正直に書くと、招待状を貰った時には実を言うと「形骸化した式典」という意識がありました。
しかし、いざ出席してみるとそういうクールな感覚はどこかへ行ってしまうというものですね。私は披露宴から出席したのですが、挨拶等何かをするわけでもないのに緊張しましたし、披露宴や、二次会で見た結婚式の映像にも心動かされるものがありました。ただその場に現れて飲み食いをした私でさえそうなのですから、当人たちやその両親の感慨は一入であろうと思います。
先程書いたように、私は「人間の作った儀式という物は、形式的な物に過ぎない」という感覚を持っているのですが、そういう感覚の持ち主にも、何かを感じさせるとはこれはどういう事なのか? ましてや、私はアンチクライストなのに、基督教式の結婚式の映像を見て厳かだと感じさせられるとはどういう事なのか? と、そんな事を思ったものです。……いや、そんな事を思ったのは、一晩明けて頭がクリアになってからですよ。当日は、披露宴で飲み食い、二次会で飲み食い、その後カラオケで飲んで歌ってだったので、そんな事は考えていませんでした。
さて、私の目にその儀式を触れさせてしまったという事は、どういう事か? もし万々が一、私の祝福が反故にされるような事が発生したら、許さんからなあ、と。きっと、人目に触れる儀式を開く意味の一つは、こういう事でもあるのだろうと思います。御幸せに!

私は今回は、初めて「袱紗」を使いました。これまで慶弔時には、恥ずかしながら熨斗付き封筒を裸で持って行っていたのです……形式的な物でも、その意味を理解すれば必要性を感じてしまうものですね。
                                        駅員@幸せを 祝うその面 赤ら顔

2010年5月28日(金)
駅日誌(1415) 「諺」

5月に入ってから、晴れれば暑く、雨が降れば寒いという状態でした。私は寒さに強く、暑さに弱いタイプなので、そろそろ晴れの日の暑さが辛くなってきます。雨は嫌いですが、今月の雨の日くらいの寒さは薄着でもわりと平気です。雨と言えば、「雨降って地固まる」という言葉があります。即ち、揉め事等が起こった後は、却って前よりも良い状態になる事を指します。
普天間基地移転計画で大揉めに揉めていますが、揉めた結果、移転先は結局、自民党が進めていた案と同様、名護市辺野古にする方針だそうです。
文字通り、「雨降って地固まる」になりました。しかし、この「雨降って」は「揉め事あって」の通りなのですが、「地固まる」の方は「却って良くなる」ではなく、滑走路を埋め立てて「地固まる」です。何だか結構上手い事言えてしまった……

そして、辺野古移設に強硬に反対していた社民党党首の福島少子化担当大臣は罷免。社民党は連立離脱の見込みです。鳩山政権にまた不安要素が増えてしまいました……だがしかし、そもそも、パーティーラインが違うのに連立に誘ったり参加したりってのは何なんでしょう?
志向する方向が違うのに組んでも、そりゃあ空中分解もするわいな。民主党自体も寄り合い所帯ですから、今後瓦解していく可能性は大いにあります。前々から言っている事ですが、一旦政党を分解して、政治志向毎に組みかえたらどないか? 右翼/中道右派/中道左派/共産党くらいで良いんでない? いやそうは言っても、個々の案件毎に方向性は違うからなかなか難しいか……
                                       駅員@雨降って 地固まって 滑走路

2010年5月27日(木)
駅日誌(1414) 「厠」

今日は下の話です。最初に断って置きます。しかし、エロい話ではないですよ。

おいっ! 誰だ、これを置いたのは!? 何故こんな所にある!? 常識的な人間の背丈では、これがこんな所に落ちる筈が無い!!
某所のトイレで用を足そうとした時の事です。壁に据え付けられた長方形に近い男子用小便器に、縮れっ毛が落ちていたのです。いや、ただ小便器に縮れっ毛が落ちているだけならば不思議ではないのですが、その縮れっ毛は、その便器の上、押しボタンへのパイプが生えている台の上にあったのです。だいたい胸の高さのちょっと下くらいです。
何故、こんな所にある!?
@巨人が用を足した。A異様に脚の長い人が用を足した。B小便の勢いで爆ぜる様に飛んでそこに落ちた。C実は髪の毛や脇毛等、他の毛だった。D股間から物を出す時に手でむしり取ってしまったので、そこに置いた。果たして……!?


おいっ! 誰だ、これを付けたのは!? 何故敢えてそこに付ける!? そこに付ける合理性がありません。何故なら、そこにはそれを付けるのに最適な物が豊富にあるのです。
某所のトイレで用を足そうとした時の事です。おいおい、またトイレかよ……って? 今度は個室の方です。ドアを閉めて、洋式便器に腰掛けると、ドアに何箇所か汚れのような物があるのが目に付きました。ちょっと目を近付けると、固まった糊のようなものに短い毛がくっ付いています。鼻糞なわけです。私も鼻糞は溜まり易い方なので、鼻糞が溜まってほじりたくなる気持ちは分かります。なるべくなら、人に見られないトイレでほじろうとするのも分かります。しかし、ここはトイレですから、すぐ脇にトイレットペーパーがあるわけです。それに付けて流してしまえば良いではないか。掃除のおばさんからもドアの内側は死角なのです。
何故敢えてそこに付ける!?
@その時には紙が無かった。Aそれは個室の壁のデザインだった。Bそれは鼻糞ではなく、粘液を持つ生物の痕跡だった。Cそれは鼻糞ではなく、茸の一種だった。D一種の意味テロ。果たして……!?


トイレネタばかり連荘ですみません……おっと、もう一つオマケに。男子小便器の内部中央下の排水溝にあるパーツ(穴がいくつも開いた丸い磁器のやつです)は的ではない! 何者かがそこを狙って放尿したせいで、泡立ちまくっとるやないか!!
                                       駅員@恐ろしき 厠に潜む ミステリー

2010年5月26日(水)
駅日誌(1413) 「座」

昔、志村けんがコントで「座高市」というのをやりました(ドリフだったか他でだったかは忘れました)。「座頭市」のパロディで、股間に詰め物をした上で衣装を着て、膝あたりから下だけが脚に見える恰好をしたものです。短髪のカツラを被って小太刀を持ってちょこちょこと歩いていた映像が頭に浮かびます。
さて、かれこれもう10年以上も昔から、増えたり減ったりはしていますが、ズボンをずり下げてケツに引っ掛けて履いている人を見掛けます。いわゆる「腰ばき」の比較的極端な例です。昔、それを見た当初は、「座高市!」と思って可笑しくて可笑しくてしょうがなかったのですが、今でも連綿とそれ系の履き方をしている人は居ます。
今日も見ました。
それを愚弄して喧嘩を吹っ掛けたりはしませんが、今でも私はあの履き方を内心で「座高市」と呼んでいます。こんな履き方を広めるとは、志村けんは偉大だ!
冗談はさておき、私には可笑しく見えても、最初にあれをやった人は偉大だと思います。様々な人に笑われた事でしょう。それでも続けた根性は見上げた物です。笑われても続けられたからこそ、それを真似る連中が出て来たわけです。創始者が誰なのか、本当に笑われていたかは分かりませんが、「恰好良い」ではなく「面白い」と思ってやったんじゃないかなあ〜? と思います。もしかしたら、指を差してて笑うのが礼儀なのかも知れません……おっと! 実際に笑って、街の座高市に斬られても私は知りませんよ。
因みに、米国には「腰ばき禁止条例」なんてのがある市もあるとか! 更にブラ紐の露出も禁止との事。
                                        駅員@その姿 座頭市、否 座高市

2010年5月24日(月)
駅日誌(1412) 「米」

1412回。随分昔ですが、漫画の名探偵コナンを読んだ時に、怪盗キッドが登場した回がありました(その後にも何度か対決しているみたいですが、継続して読んではいません……)。「怪盗キッド」というのは、名探偵コナンと同じ作者の別の作品で、怪盗ルパンをモチーフにしたと思しき怪盗が主人公の漫画です。で、名探偵コナンに出て来た時の暗号名が、1412。この「1412」を「KID.」と読めると、コナン君が言い当てるわけですが、今思うと、随分強引だったよなあ〜。

そんな事はさて置き、本日の本題は「米」。私は米が好きでよく食べます。普段も、大盛りやおかわりが出来る所ではほぼ必ずそうしています。実は昨日の焼肉でもライスの大盛りで肉を食べました。10代後半〜20代前半の食べ方です。私もまだまだ若いのだなあ……それは若いのとは違う?
そんな私にも、あまり好きではない米があります。「米穀」ではなく「米国」です。
いや、アメリカ人にも色々居ますから、アメリカ人が嫌いなのではなく、アメリカの政治経済外交が嫌いなのです。
世界には米国の基地が沢山あります。日本にも何か所もあります。それを受け入れる事は敗戦国に課せられた義務であると考えれば已むを得ない事なのですが……
鳩山政権が5月末までに決着すると言っていた普天間基地の移設の件ですが、紆余曲折を経て、自民党案に戻るという恰好になってしまいました。
沖縄県、名護市、移設候補に挙がった鹿児島県徳之島、連立の社民党、更には民主党内にも批判が続出……そりゃあ、県外に移そうと思ったら、受け入れる側を見付けるのは大変な事ですし、受け入れる側には相応の覚悟が要ります。
では、海外に? それが出来たら言う事はありませんが、それを実現するには長い長い時間がかかりますし、自前の日本軍を作る必要もあるでしょう。
また、国家間ではこれは一種の取引ですから、日本軍が出来たら、極東の危機には勿論、米軍の危機にも駆け付けると信頼される必要があります。それで歩い程度借りを返した上でようやく日本独自のポジションを築けます。米軍基地及び、日米同盟を止めるには、こんな長い道のりを通らないといけません。私はこの路線で行ってくれたらなあと思っています。そのためには、しばらくは米軍との関係を保たなければ難しいのでしょうね。

それにしても、鳩山由紀夫首相、政権交代以降どんどんやつれて行っています。衆院選勝利の時の顔と今の顔を比べたら随分違うのではないでしょうか? いやいやいやいや、鳩山よりももっと大変なのが岡田外相です。そのやつれっぷりは一目瞭然。同じく、普天間関係でやつれたのでしょう。心配になって来ます。
                                 駅員@キチキチと コメツキバッタム 飛んだ島

2010年5月23日(日)
駅日誌(1411) 「焼」

つい最近面識が出来た人から飲みに誘われたので、行って来ました。
今日は昼間から激しい雨だったので、引き籠ってガンプラ作りなど(う〜わ〜、ヲタッキー!!)しており、夕方までは言葉を発していないという寂しい日でしたが、晩は楽しく飲めたので良かったです。


場所は、一皿290円〜という焼肉屋「げんか屋」。無論、一皿の量は少ないのですが、それでも破格の安さです。都内と横浜に10店程開いているそうですが、そのどこもが多少の上下はあるものの、それくらいの値段でやっているとの事。
但し、その代わりに店によっては「入場料800円」が掛かるそうです。
最近、安い居酒屋なんかでは全品300円、290円、270円均一なんてのが随分増えましたが、それらとちょっと異なるのが、この「入場料」というやつですね。これは「焼肉」で安居酒屋レベルの価格で提供して、利益を上げるための苦肉の策だと思われます。というのは、例えば、290円のビール1杯、皿二つくらいで出て行かれたら、コストが嵩んでしまうからです。焼肉屋特有のコスト発生要因として、網の交換・洗浄があります。この手間がある以上、損益分岐点は通常の居酒屋よりも高い筈です。なので、客単価の最低ラインを予め作ってしまったわけです。そう考えると、あらゆる焼肉屋では、売価の中にこの網なり練炭なりのコストが含まれているわけです。なので、「焼肉屋は客が焼くのに、何故あんなに高いのか!」なんて事を言っている人は、そこを頭に入れておけば納得出来るのではないでしょうか?
ただ、今日行った所も、店によって入場料があったりなかったりするそうで、今日の所がどうだったかは忘れましたが……あ! 入場料の有無で、そのチェーンの店ごとの損益分岐点が分かりそうですね。
飲んでいる時はそんな話はしていなかったのですが、ふと、帰りの電車で一人になるとそんな事を思いました。蒸し暑い雨は人から思考を奪いますが、冷たい雨は人に思考を強要するのでしょうか。
                                 駅員@叩き売り? 価格破壊にも 仕組みあり

2010年5月22日(土)
駅日誌(1410) 「零」

先日当日誌に書いた嗅ぎ煙草の「ゼロスタイル・ミント」。あれからコンビニに入る度に、煙草屋の前を通りかかる度に、試しに買ってみようと探しているのですが、売り切れになっていて手に入りませんでした。私同様に試しに買ってみようという人が多かったのでしょうね。
売り切れの店の中には、「次の入荷は6月」という表記もありました。ならば、試すのは6月以降だなあ……と思っていた矢先に、たまたままだ残っているのを見掛けたので、購入。買った時に、店員がどういう物かを簡単に説明しました。JTの営業からそういう御願いが来ているのでしょう。

その箱には通常の煙草によくある最外装のフィルムはありません。菓子の箱のようなミシン目で開けると、中には、黒い樹脂製の筒状の物、説明書、アルミの袋に入ったカートリッジ×2。
アルミ袋を開けて、中に入っているカートリッジ(樹脂製の透明容器の中に刻まれた煙草の葉が入っています。前後には穴があり、そこにはフィルター)を黒い筒の中に入れて吸うという物です。
早速試すと、「ミント」表記のある通り、メンソールのフレーバーがします。あと、そこはかとなく煙草の香りも。ニコチンも吸っているという感じはします。うーん、これで煙草の代わりになるかどうか? それと、メンソールではない物は難しいのでしょうか?
まあ、先ずは、一日普通の煙草をやめてこれにしてみようか。
                                      駅員@嗅ぎ煙草 煙無くても 煙草なり

2010年5月20日(木)
駅日誌(1409) 「扇」

先頃、掃除機メーカーのダイソンが扇風機「エアマルチプライヤー」を発売しました。海外ではもう売られている商品なのですが、日本上陸です。
電器屋を覗いたら、そのデモ品が巨大虫眼鏡のような空洞から涼風を出していました。何故、掃除機屋が扇風機を? これぞ、コア技術の応用です。風を起こす機構は、実は胴体の中にあります。あの円筒の中に、掃除機で言う所の吸引用サイクロンを発生するスクリューが入っています。それを回転させて下から空気を吸い込み、虫眼鏡部分に設けられた細いスリットから空気を押し出すという構造です。
空気を吸排気している点では、掃除機も扇風機も同じです。一方は吸う方に力点を、もう一方は吐く方に力点を置いているという事です。
こういったコア技術の応用は、トヨタやホンダが姿勢制御技術を用いて二足歩行ロボットを作るのよりも、本業に近いと言えると思います。
で、その御値段は? 何と、3万円以上! 扇風機で!? 今や扇風機は最安値ならば3千円くらいで手に入ります。安い扇風機の10台分! ん〜、非常にスタイリッシュなので欲しいと思ったのですが、流石に扇風機でこの値段は私の身の丈には合いません。
これは機能とデザインの両立だと言えます。機能とデザインの両立と言えば、アップルコンピュータもそうですね。i-Mac然り、i-Pod然り、i-Phone然り、i-Pad然り。
デザインのためにデザインにはなっておらず、その一方で武骨な機能オンリーでもない。機能を体現するデザインになっています。あ、私は実はアップル製品は一個も買った事がありません。
MP3プレイヤーも、他のメーカーの液晶無しのヘッドフォン内臓タイプです。これはこれで、良い試みの商品だと私は思いますが、如何せん、古いので256MBしかありません。
                                    駅員@デザインの ための製品 には非ず

2010年5月19日(水)
駅日誌(1408) 「疫」

宮崎牛が口蹄疫で大変な事になっています。非常事態宣言が発令(厳密に言うと法的拘束力が無いので、「発令」ではないのですが、非常事態宣言は「発令」がしっくり来るので)され、不要不急の外出を控え、物々しい白い防護服を着た人が消毒や殺処分をしています。
これはニュースでもう語られている事ですが、宮崎牛は松阪牛その他の黒毛和牛へ胤を提供しているそうで、和牛全体の価格高騰に繋がる事でしょう。
東国原知事が目を血走らせた悲壮な顔で訴えています……無論、県の対応が後手に回った事は問題ではあるのですが、それ以上に相変わらずのマスコミの厭らしい連中の言動が鼻につきますね〜。
まあ、こういうニュースがある事を宮崎から非常に遠い位置にある私が知る事が出来るのは、マスコミの御蔭でもあるのですが……

さて、その一方で、人間の手足口病が小児の間で蔓延しているとか。んん? 口蹄疫も手足口病も、発症箇所が同じですね……何らかの関係が? と思ったのですが、どうも無関係みたいです。
いや、本当にそうか? ウィルスの分類的には別物ではあっても、近い物ではあるそうです。鶏や豚から変異した新型インフルエンザが流行ったのは記憶に新しいと思いますが、それと似たようなメカニズムが起きているとしても、あり得ない話ではないのではなかろうか? 私は医学の専門家ではないので、いい加減な事は言えませんが。

もう一つ、穿った見方をすると、今回の口蹄疫は、もしかしたらテロの可能性もあるのでは? 世界には和牛畜産が痛手を負う事で儲かる立場の国や人が沢山あります。牛肉を輸出している国です。ばれないようにバイオテロを行えば、得をする者がいるのわけです。貿易収支や国家財政が悪くなっている国で、それが出来る技術力のある国もあります。
これも、所詮は素人のいい加減な発言ではあるのですが……こういう見方、如何でしょうか?
                                    駅員@哀しい目 ドナドナよりも 哀しい目

2010年5月17日(月)
駅日誌(1407) 「看」

繁華街の電柱や公衆電話には、やたらといかがわしいミニポスターが貼ってあったりしますが、最近はとんと見なくなった気がします。
あの広告手法が効果を出さなくなってきたというわけでしょうか。特に、電話ボックスが減って来ている事が大きいのかも知れません。国民のほぼ全てが携帯電話を持っている現在、公衆電話が使われる機会は激減しているのでしょう。それでも、我が家の近くの公園にある電話ボックスには長い事話し込んでいると思しき人がたまーに居ます。ああいうのは、どういう経緯で電話ボックスを使っているのでしょう?
携帯を持って居ない? 充電が切れた? 料金不払いで使えなくなっている? それとも、電話番号を悟られたくないが非通知以外の手で掛ける必要がある? うーん、逃亡者なのでしょうか?

おっと、話が逸れました。話題をミニポスターに戻します。ああいういかがわしいミニポスターであれ、いかがわしくないミニポスターであれ看板であれ、勝手に掲げるのは犯罪です。公共物であれ、何らかの企業の建造物であれ。それでも、ミニポスターと違って電柱の看板は減りませんね。
先日、よく看板やミニポスターがある街灯が並んでいる歩道を歩いていて、一つのパラドックスを見付けました。即ち、「歩道上にある看板は撤去します」という看板が歩道上にあったのです。看板の撤去を警告している看板……看板を立ててはいけないと言っている者が看板を立てているという矛盾です。普通に通り過ぎて居たら見過ごす所ですが、こういうのを面白がっている私って、ヒネクレ者なのでしょうか……
                                  駅員@人の世は パラドックスで 満ちている

2010年5月16日(日)
駅日誌(1406) 「描」

「描」……「猫」(ねこ)じゃないですよ。「描」(えが‐く/ビョウ)です。手偏と獣偏が似ているのでそっくりな字ですが。同じような物としては、「萩」と「荻」があります。左下がノ木偏の方が「はぎ」で、獣偏の方が「おぎ」です。これも間違え易い……

いきなり脱線しましたが、本日の本題は「描」。私は昔から絵を描くのが好きで、小学生の頃には、漫画家になりたいと思っていました。
小学生当時は、「自由帳」という升目や罫線の一切無い白紙ページのノートに、鉛筆で漫画を描いていたものです。

最初は、頭が丸で、手足が針金という人物で、小間もちゃんとした漫画のような恰好ではなく、上下左右に網目状に線を惹いただけでした。徐々に、世にある漫画の形式に近付いていました。中学高校も、本式に絵を学んではいなかったのですが、比較的上手な方だったと自負しております。この嗜好が今でも続いており、この地獄三丁目駅でPCを使って描いた絵を公開したりしているというわけです。しかし、もし絵で飯を食うとしたら、それが如何に大変かという事はだんだん分かって来たので、あくまで趣味の範囲です。
「金にならないのに描いて何になるのか?」と問われても返す言葉は一つ。「描きたい物を思い付いてしまったから」です。それこそ、登山家のジョージ・マロリーが、「何故エベレストを登ろうとするとか?」と問われて「そこに山があるからだ」と答えたようなものかな、と思います。
今回描いたのは、地獄三丁目駅向けってわけではないのでここにアップはしませんが、もうちょっと地獄三丁目駅の画像作品展示コーナー「ギャラリー黒駒」向けの作品も増やさないとなあ……
                                 駅員@鉛筆を マウスに持ち替え 描いてます

2010年5月15日(土)
駅日誌(1405) 「宝」

私の部屋は恥ずかしながら、随分散らかっています。この週末に片付けようと思っていたのですが、今日が月に2回しかない燃えないゴミの日でした……休日に回収時刻前に起きる筈もなく。昨晩覚えて居れば!
ライターやスプレー缶や飲食物用の瓶以外のガラス、缶以外の金属なんかが燃えないゴミなのですが、これが月に二度土曜にしかないので、出し忘れ出し忘れで、どんどん溜まっています。普段の生活ゴミと違って、そんなに沢山は無いのですが、これを出せたか出せなかったかで、部屋掃除のモチベーションが変わります。また、クリーニングに出していた物を引き取りに行ったり、床屋に行ったりしたので、今日の所は部屋掃除は見送り! と、自分への言い訳をしながら、部屋はまだ散らかったままなのだった。しかし、こういう事を書いていると掃除をしたくなってくるから困ります。

さて、部屋が散らかっていると、思わぬ物が出て来る事があります。未開封の年末ジャンボ宝くじが、紙をガサガサっと重ねた場所から出て来ました。おお、完全に忘れていた物です。買ったのは覚えていたのですが、自宅に居なかった正月を挟んで居たせいでしょう。
当選者に多い言葉にこんなのがあります。「忘れて居たのだが、見付けて思い出して調べてみたら当たっていた」……成程、無欲の勝利です。これは期待出来る! 当たっていたら、しばらくは仕事を放り出して、遊び呆けて生きたいなあ〜。早速開封し、みずほ銀行のサイトにアクセス! 何と、当たっていました!!
……下二桁一致の3000円が。下一桁の300円だけよりは遥かに良いか。

そう言えば、先日の東海道歩きで、磐田駅そばに「出た! 1億3000万円!」と大きく書かれた店がありました。これから分かる事は、もう長い事この店から大当たりは出ていないという事--―1994年の年末ジャンボが、1等前後賞合わせて1億3,000万円だったので、16年間――そりゃあ一度も出ていないよりは遥かに良いのかもしれませんが、果たして16年間掲げっ放しのPRに効果はあるのだろうか? いつかは、こういった東海道歩きで撮った変な写真をまとめたページを作ろうと思います。
                                        駅員@欲深く 汚れた指で 籤めくる

2010年5月14日(金)
駅日誌(1404) 「無」

帰宅したら、JT(日本たばこ産業)から封筒が届いていました。私はHOPEを愛煙しているのですが、以前HOPEのジッポプレゼントに応募したり、金を出せば買えるという時に購入もしているので、一種のお得意様なわけです。だからか、たまにキャンペーンの案内や、新発売の試供品が届きます。今回のもその一種です。
試供品やプレゼントの場合は箱で届くのですが、今回のは封筒なので、何らかのキャンペーン案内だろうと思いつつ開けてみると、新製品の紹介でした。それも、結構画期的な、それでいてレトロな手法の……


それは「ゼロスタイル・ミント」という商品名の「無煙たばこ」でした。煙が出ないのはどういう事かと言うと、要は火を点けない煙草なわけです。いわゆる「嗅ぎ煙草」という吸い方です。即ち、煙草の葉を燃やした煙を吸うのではなく、煙草の葉の香りを吸うという物です。喫煙の目的を、煙・タールの摂取ではなく、ニコチンの摂取だと考えれば、これでも十分な物なのでしょうか?
構造としては、黒い樹脂製と思われるホイッスルのような形の外装の中に、刻み煙草が詰まったカートリッジを装てんして、吸い口から吸うというものです。これはこれで一度買って試してみたいものです。
「ミント」とあるのでメンソールフレーバー、そして、恐らくガツンとくる度合いは低いのだとは推察されますが、もし気に入りさえすれば、煙のために吸える場所が減っている昨今には非常に画期的な商品であると言えます。

う〜ん、だがしかし、矢張り物足りなくはないのだろうか? という点があります。この無煙たばこが発売される一方で、電子煙草なる商品も世の中にはあります。こちらは、ニコチン等の煙草成分は入っていなくて、LEDの光と水蒸気の疑似煙で「煙草を吸った感」を演出するという商品です。
煙草の香りやニコチンを吸う事と、光や疑似煙で吸った感を味わう事と、人心に訴えるのはいずれなのでしょう?
いつかは、「煙草」という漢字表記が、その歴史を紐解かなくては分からないような物になるかも知れませんね。現在の「木管楽器」が木で出来ていないように。私が老人になった頃には、子供から「何で煙草なの? 煙でも草でもないのに……」なんて言われる日も来るのかも。
当該商品は、最初は5月中旬〜東京都限定テスト販売だそうです。

P.S. ITART MALLというサイトにて、駅員@地獄三丁目駅デザインのディスプレイ・クリーナーが出ています。良かったら覗いてみて下さい(この追伸、毎日毎日書いてすみません。しかし、それだけ色々な人に見て欲しいのです)。

                                   駅員@紫煙出ず 最早大人の おしゃぶりか

2010年5月13日(木)
駅日誌(1403) 「鼠」

千葉県浦安市にあるディズニーリゾートは、その徹底ぶりに驚かされる事がよくあります。執拗とも言えるくらいです。
例えば、あそこのキャラクターはあの広い園内で、同じ時間に同じキャラクターが2人出て来る事が絶対にないそうです。それは、そのキャラクターはこの世に一人しか居ないから。
例えば、誰も見ないような場所まできちっと作られていたり、アップデートされていたりします。ディズニーシーには、中東〜中央アジアをモチーフにしたエリアがあるのですが、通路の隅にある壺が、いつの間にかタジン鍋に変わっていた事がありました。タジン鍋は近年健康な蒸し鍋としてちょっと注目されたので、その時にちょこっと変更されたのかも知れません。尚、壺等の調度品はガッチリ固定されていて動かせません。絶妙の配置と、事故防止でしょう。
例えば、あそこから送られて来る書類には、再生紙を使っている旨が印刷されているのですが、その再生紙マークがミッキー・マウスの横顔の形になっています。こんな所にまで……と。

だがしかし、この執拗なまで凝っている点が、執拗なまで凝っているファンを作る事に繋がっているのだろうと思います。そして、執拗なまでに凝っているファンは繰り返し訪れ、執拗なまで凝っているユーザーが繰り返し訪れても飽きないように向こうも執拗なまでに凝る……というループにより、成り立っている世界なのだなあと思います。

名言風に書くと「作り手が凝っていなくては、受け手が凝る筈がない」というわけです。

この地獄三丁目駅は、屠営地獄線という鉄道路線の地獄三丁目駅であり、私はその駅で働く駅員という事にしているのですが、なかなか演じ切るのは難しいものです。ていうか、そういう名称にしているだけで、全然演じていなかったりするのですがね。
しかし、これを、ディズニーレベルで執拗に凝ると、それはそれで面白いのかも知れません。その末路は、人気者の千両役者か、イタい人か……

P.S. ITART MALLというサイトにて、駅員@地獄三丁目駅デザインのディスプレイ・クリーナーが出ています。良かったら覗いてみて下さい(この追伸、毎日毎日書いてすみません。しかし、それだけ色々な人に見て欲しいのです)。

                                     駅員@その国は 趣向を凝らし 肩凝らし

2010年5月11日(火)
駅日誌(1402) 「銭」

ギリシャに端を発した金融危機が、何とか欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)の支援で防がれたようです。借金まみれの国とは言えEUの一員ですから、通貨が同じなわけで、EUとしても放っておけないというわけです。即ち、「悪いのはギリシャの財政管理だ」と言って突き放していたら、EUROという通貨がボロボロになってしまいます。そして、為替で世界中を銭が行き来している中でそういう事になると、諸々の混乱が発生します。今回は国が火種でしたが、無茶な金貸しが火種になったリーマンショックの二の舞になる所だったというわけです。

人類は、大昔、利便性の為に、「価値」の置き換えとして通貨という概念を作ったわけですが、今ではその現ナマでさえも電子上の数字に置き換えられ、その仮想の数字の行き来に振り回されるエコノミックアニマルになっています。
原始の時代には、きっとヒトは野生動物と同様に自分の食い物は自分で獲得していたのですが、ヒトの個体それぞれにも得手不得手があります。自給自足では、狩りが得意な者は動物ばかり、釣りが得意な者は魚ばかり、木登りが得意な者は木の実ばかり食べる事になってしまいます。
そこで、狩りが得意な者は、動物を自分の食い扶持以上に余分に獲り、釣りが得意な者が釣った魚や、木登りが得意な者が獲った木の実と交換するわけです。ここで物々交換の概念が出来上がります。
しかし、肉も魚も木の実も日持ちはしないので、木登りは出来るが、狩りや釣りは出来ないという状況が続いたりすると、物々交換は成り立ちません。
そういった場面で、「貸しにしておく」「借りにしておく」という概念が出て来るわけです。とは言え、貸し借りでは、時間の経過等であやふやになってしまったり、「本当に貸しが返って来るのかよ」という疑心暗鬼も生じます。
そこで、その場で交換するための現物を持って居ない場面でも交換が出来る物として、「空腹を満たす」といったような実効的な価値のある物ではなく、価値を示す事だけが目的の物が発明されるわけです。それが「通貨」です。

先程、肉や魚や木の実では日持ちがしないという事を書きましたが、通貨は、その価値観の崩壊が無い限り、いつまでも日持ちがします。すると、先程の狩りや釣りや木登りの出来る出来ないの状況によって、或いは上手くやりとりをして、それを溜め込める者が出て来ます。これが「貧富の差」です。皆が欲しがる物を沢山獲れる者は、それを通貨と交換して手元に増やせるわけです。
そして、いつしか、狩りや釣りや木登りが、食べる物を得るためではなく、通貨を集めるために行われるようになります。これが「仕事」です。中には、他の人に通貨を与える代わりに「これこれの事をしろ」という仕事を課すようになります。これが「労働」です。

いや、「通貨」や「貧富の差」や「仕事」や「労働」が出来たメカニズムが、実際にこうだったかどうかは分かりませんが、まあ、だいたいこんなような事ではないかと思います。

今ここにある世界は、この「通貨」という概念が出来た事により方向付けられ、現在に至っている部分も大きいと思います。金融危機という物も、その延長線上で当然発生しうる事なわけです。
そこで、「もし太古の人類が「通貨」という概念を作ることなく文明化していったらどうなっていたか?」なんて空想をします。それは野獣の世界かも知れませんし、或いは、より文明的な世界かも知れません。
……と言いたい所ですが、世界各地でバラバラに発生した文明の、大概どこでも通貨の原形らしき物がある以上、人類の普遍的無意識の中には、その概念が発生したのは必然なのでしょうね。広い宇宙のどこかには、「通貨」という概念の無い惑星もあったりするのでしょうか 。

P.S. ITART MALLというサイトにて、駅員@地獄三丁目駅デザインのディスプレイ・クリーナーが出ています。良かったら覗いてみて下さい(この追伸、毎日毎日書いてすみません。しかし、それだけ色々な人に見て欲しいのです)。

                                       駅員@銭集め 銭を使って 銭に舞う

2010年5月10日(月)
駅日誌(1401) 「焔」

アフリカは火の国です……と、ふと思ったのですが、なんと「火の国アフリカ」なるダンスパフォーマンス集団があるそうですね。その名の通り、ブラックアフリカ系のダンスだそうで。W杯南アフリカ大会の日本代表選手23名が選出されました。良い成績を収めて欲しいですね〜。
しかし、私は敢えて「頑張れ」とは言いません。頑張っているからこそその舞台に上がれるわけで、当然頑張るわけで、そういう頑張っている人々に「頑張れ」と言うのは愚劣だと思うのです。分かり切った事をわざわざ言うのは、無粋というもの。だから一言、「期待しています」と申し上げます。赤と黄色と緑の国へ、青い旋風を!

火と言えば、先日、知人から可愛いキャンドルを貰いました。先程、それをふと思い出し、火を点けてみました。チョコレートやビスケットやマカロンをモチーフにしているだけあり、甘〜い匂いがします。だがしかし、男の一人暮らしで点けるキャンドルではないわな〜……

P.S. ITART MALLというサイトにて、駅員@地獄三丁目駅デザインのディスプレイ・クリーナーが出ています。良かったら覗いてみて下さい(この追伸、毎日毎日書いてすみません。しかし、それだけ色々な人に見て欲しいのです)。

                                     駅員@キャンドルの 揺れる焔の 神々し

2010年5月9日(日)
駅日誌(1400) 「癒」

GWがなかなかハードな連休(東海道歩き2泊3日、山陰旅行夜行バス車中泊含めて2泊2日)だったので、その連休明けの6日7日はどうもパッとしませんでした……なので、この土日は休養です。土日ともに昼まで眠り、あとはスーツ等をクリーニングに出したり、こまごまとした買っておくべき物を買ったりでちょろちょろっと外出した程度で、殆ど自宅でごろごろして、本を読んだり、ゲームをしたりしておりました。
ゲームは先日人から借りた、任天堂DSの「レイトン教授」の4(魔神の笛)というやつをやっておりました。このシリーズ、1〜3は持って居るのですが、4はいつか中古屋で安くなっていたら買おうかと思っていた所、既に購入した人が居たので借りる事にしました。「頭の体操」の多湖輝が監修しているだけあって、矢張りそういった問題が主です。しかし、シリーズを追うにつれて、どう「ひらめき系」よりも「試行錯誤系」の問題が増えているような気もします。この土日で随分進んでしまい、貸主のセーブデータから見るに、恐らく全体の2/3くらいまで。平日にはなかなか出来ませんし、終盤の骨のある問題には時間も食うと思いますので、明日明後日には終了、とは行かないでしょうが。
はてさて、GW前に始めた掃除の続きは……? なーんもしていません。水回り周辺はGW前に綺麗にしましたが、居住スペースの方は、置いてある物が多過ぎて気が遠くなります。こちらは追々。掃除はどうも苦手というか嫌いです。掃除好きの奥さんが欲しいなあ……とこういう事を書くと、「駅員、貴様が求めているのは伴侶ではなく、家政婦だ!」と怒られそうです。たまたま掃除の話だからそう書いただけで、掃除好きなんてのは全く優先順位高くないですよ。

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                                    駅員@散らかった 部屋で癒した 旅疲れ

2010年5月8日(土)
駅日誌(1399) 「細」

昔は、居酒屋なんかに、煙草の試供品を配りに来るキャンペーンガールがよく現れたものです。7本入り等のミニボックスを用意して配っていたりしました。最近は禁煙・嫌煙運動が進んでいるせいか、めっきり見なくなったなあと思ったのですが、昨晩久々に遭遇しました。
ブリティッシュ・アメリカン・タバコの販売促進なのですが、KENT NANOTEKという煙草を配っていました。で、試供品を見せて問われました。「何本入っていると思ういますか?」と。見ると、よくこういった試供品配りで配られる7本くらい入っていそうな薄い箱です。
しかし、「ナノテック」という響きを聞いていたので、きっとナノ=小型なのだろうと踏んで「20本」と答えると、それが正解でした。開けてみると、細い煙草が20本入っていました。嘗てもこれぐらい細い煙草を見た事が無いわけではありませんが、なかなか見ない珍しい煙草です。「ナノテック」という言葉と、わざわざ「何本入っているか」を問うた事から推理すれば、答えは簡単です。
だがしかし、逆に考えれば、この答えは私が推理したというよりも、誘導されてそう答えさせられているとも言えるわけです。案外、世の中は、そんな事が多いのかも知れません。

例えば、自分が選んだその選択肢は、本当に自分が選んだのか? 自分が選んだつもりなだけで、もしかしたらそう選ぶように誘導されているだけなのかも知れません。
極端に単純化した例を出すと、目の前に拳銃を構えた人が居て「金を出せ」と脅迫され、金を差し出したとします。ここには選択の余地はないと言えますが、その一方で、実は「金を払う」の他に「抵抗する」という選択肢があったが、選ばなかったという言い方も出来ます。2択の内の1つを選んでいるわけです。案外、世の中の選択肢の多くが、自分で選んだと錯覚しながら、単純化すれば実はこれと変わらない場合も多いのかも知れません。自分で選んだように思い込んでいるが、実は前述の脅迫の如く、選択の余地が無かったのかも?
貴方が選んだつもりのそれは、本当に貴方が選んだと言い切れますか? なーんてね。

P.S. ITART MALLというサイトにて、駅員@地獄三丁目駅デザインのディスプレイ・クリーナーが出ています。良かったら覗いてみて下さい。

                                   駅員@迷ってる ように見えても 一筋の道

2010年5月7日(金)
駅日誌(1398) 「創」

久々のデザインワークです。元々、手書きでもCGでも絵を描くのが好きで、当地獄三丁目駅でも画像作品を載せて居るのですが、この度、私がデザインしたディスプレイ・クリーナーがITART MALLというネットショップで発売される事になりました。御興味のある方は、是非覗いてみて下さい。私の作品の他にも、色々と面白いデザインが施された商品が並んでいます。
ディスプレイ・クリーナーとは何ぞ、と申しますと、たまにストラップ等でふわふわした面があって、そこを使って携帯の画面を拭ける物がありますが、あれと材質はほぼ同じです。カードサイズで、裏面が繰り返し使える粘着になっており、パソコンや任天堂DSやPSPのような携帯ゲーム機に貼っておいて、指紋等が付着して画面が汚れた時に拭けるという商品です。
さて、そこに出ている私デザインの作品はどんな物のかと言うと、トランプの「ハートのクイーン」をアレンジした物で、私自信はなかなかスタイリッシュな物が出来たつもりです。見てみて御感想を頂ければ幸いです。
                                  駅員@素人の デザインなれど 見くびるな!

 
2010年5月6日(木)
駅日誌(1397) 「陰」

今日の日誌は、昨日書く気力がなくなってしまった山陰旅行についてです。
5月2日の晩に東海道歩きから帰って、しばしの休息(休足)の後、夕方から新宿に向かって夜行バスに乗りました。夜行バスに乗ったのは物凄く久しぶりです。ハイウェイバスには乗りますが、夜行は社会人になってからは初かも?
行先は出雲。凡そ12時間のバスの旅です。本当は任天堂DSや本を持っていたので、それらで車中を凌ごうと思っていたのですが、社内は消灯&一部のひそひそ話をする者を除いて非常に静か……咳やクシャミをするのにも気を使います。うーん、こりゃあ眠るしかないかと思うものの、夜行バスの中でも随分狭い部類の車輛で、すぐ隣の人と密着……落ち着かない……良く眠れずに朝を迎えました。
出雲で学生時代の友人と合流し、出雲大社と荒神谷遺跡に行きました。随分長閑……出雲大社も思ったより参拝客はおらずでした。出雲大社では、勿論、あの縁結びの巨大しめ縄へのコイントスを。うむ〜、祀られている神は大国主(おおくにぬし)なのですが、縁結び関係あるのだろうか?
何でも、日本で最初の神式結婚式はここで開かれ、その流れでの縁結びみたいです。大国主関係ないではないか! そもそも、大国主とはどういう神なのかというと、元々は日本古来の土着の神のトップで、かなり力のある神だったのですが、天孫降臨で日本国を明け渡しています。という事は、天孫降臨以降は大した存在ではない!? おっと、罰当たりな事を書いてしまいました。こんな事を書いていては、折角のコイントスが無駄になってしまいます……大国主命! 失礼致しました。
それにしても、縁結びもそうなのですが、神道って、現世利益の宗教なのですね。世界四大宗教であるキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教のいずれも、むしろ死んだ後を重要視しているのに対して、えらく即物的です。シャーマニズム的原始宗教に近い宗教なのだと言えます。
尚、どういうわけか、出雲市内では、随分蛇を見ました。神や龍の眷族として、大事にされているからでしょうか。
出雲から電車で只管東に向かい、鳥取駅そばに宿泊。本当は途中に境港に寄って鬼太郎ロード等にも行きたかったのですが、残念ながらその時間はありませんでした。うむ〜、山陰地方をなめていた!

翌朝からは、鳥取砂丘です。まさに砂漠のような広い砂浜。馬車や駱駝も居ましたが、こんな歩き難い場所で動物をケアするコストが嵩むのか、乗る為の費用が高い! 乗るのは諦めました。牧場とかなら、100円で馬に乗れたりするのになあ……
昼食には、カニ丼というメニューに惹かれて頼んでみました。出て来たのは、玉子丼タイプの丼です。しかし、ほぐし身かと思っていたカニの脚は、何と殻付き! 丼には箸の他にカニスプーンも添えられていました。うむ〜〜〜、卵とじをこそぎ落しながら手をべたべたにせずには食べられないというなかなかぶっ飛んだ料理です。
殻と身を分離して、殻から出汁を取り、身をほぐしてカニ玉の身の多い半熟バージョンみたいにしたら美味しかろうになあ……

砂丘には、砂の美術館なる場所もありました。砂を水と高圧で固めた物を削った彫刻の展示です。今年のアフリカワールドカップに合わせて、テーマはアフリカ! キリマンジャロをバックにしたサバンナの動物、ネルソン=マンデラ、民族美術品の彫刻がありました。砂で出来ているとは思えない精巧な出来でした。
「さっぽろ雪まつりVSとっとり砂まつり」みたいな気分になります。そりゃあ、規模としては札幌には及びませんが、是非今後も続けて欲しい芸術作品だと思いました。

鳥取駅に戻ると、ゲゲゲの鬼太郎ショップという売店があったので物色。鬼太郎グッズや土産物を多数扱っていました。境港へは行けませんでしたが、色々と買ってしまいました。
本来は飛行機で帰りたかったのですが、この旅行が決まった時点ですでに一杯。陸路で帰りました。特急スーパーはくと(白兎。日本神話の因幡の白兎ですね)に乗って姫路経由で新幹線で。
やはり山陰は神道の地域……日本書紀・古事記等、日本神話について読んでみたくなります。
                                     駅員@彼の地には 神無月には 神集う

2010年5月5日(水)
駅日誌(1396) 「疲」

今回の連休はなかなかハードな連休でした。4月30日(有休)〜5月2日に二泊三日の東海道歩き。5月3日の夜から夜行バスで山陰は出雲へ出掛け、学生時代の旧友と会い、島根〜鳥取観光……帰着したのは5月5日の23時頃。明日から仕事かあ〜……東海道の日誌は書きましたが、この山陰の分まで書く気力無し……明日以降に書こうと思います。
                                      駅員@若き日の 旧友と行く 子供の日

 
2010年5月3日(月)
駅日誌(1395) 「東海道五十三次(15)」

東海道歩きの続きです。豊橋駅前のビジネスホテルで一泊したのですが、夜中になっても何やら外が騒々しい……そう言えば、駅前に若い奴等が音楽を鳴らしてダンスをしていました。あいつらかなあ……夕方くらいは良いが、22時とか23時とかそんな時間までとは。駅なり交番なりは、何もしないのかよ……こんな田舎でしか騒げない小物なんぞ、恐るるに足らんだろうに。
翌朝、豊橋から二川駅まで戻り、再開です。程無く、火打坂という緩やかな坂が始まりました。二川宿では前日に火災が発生しています。そのすぐ近くに火打坂とは。ブラックなネーミングです。
今回は朝食抜きでの素泊まりだったので、朝食代わりに喫茶店モーニングを。名古屋を中心とした愛知の喫茶店はモーニングのサービスが良いです。飲み物から追加料金無しで、半切れのトースト、卵、サラダ、デザートが付きました。
しばらく進み、国道一号線の合流。道なりに進みます。やがて、路面電車が見えて来ました。前夜の豊橋駅前を中心に、豊橋市街には路面電車が走っています。豊橋市街辺り=吉田宿へと到着です。一先ず、吉田城址に行ってみました。周辺が公園として整備されています。元々天守閣は無い城だそうで、鉄櫓という城形状の物見台のような物が復元されていました。元々は天守閣のあるべき場所に屋敷があり、そこから四隅にこうした櫓があったそうです。
城址の後は丁度昼時。何ぞ名物でも食べようと思ったのですが、あるのは昨夜も食べた「菜めし田楽」くらい。しばらく行くと、蕎麦やきし麺の店を見付けたのですが、店の外まで待ちが出ている! 大人気です。上には「海老くずし」なる文字。名物っぽい……入口にあった蝋細工を見ると、冷やしきし麺に海老天が乗った物のようです。しかし、待つのはなあ……近場の中華料理屋で適当に済ませました。

豊川の橋を渡るあたりで吉田宿は終了。豊川では、川の中に金属製の籠のような物を使って漁らしきものをしている人々が居ました。籠で川底をさらって、ジャカジャカと洗っています。しじみとか貝の類が獲れるのでしょうか。
以降、国道一号線に並行する細い道を進みます。しばらく行くと、巨大な赤い鳥居。何ぞ由緒ある神社かと思ったのですが、鳥居の裏を見ると、平成17年建立の文字……随分新しいではないか。いや、古ければ有難いというわけではないのですがね。その鳥居の先は稲荷神社でした。神社よりも面白いと思ったのは、その近くの寺。何やら小型石仏が沢山ありました。そしてそれらが、地蔵菩薩と観音菩薩が対になったセットの集団だったのです。観音(中には観音ではなく、阿弥陀如来等も)には色々なバリエーションがあるのですが、必ず赤い頭巾の地蔵とのセットでした。デュエット仏!?
やがて、御油宿へと到着。松並木がありました。やたらと、倒木に注意とあるのが心配な松並木でしたが……

松並木を越えると、程無く赤坂宿。このあたりは宿場の間隔が短いです。赤坂宿から更に進むと、宝蔵寺という寺があります。松平家の菩提寺の一つのようで、奥には東照宮もありました。また、ここには、新撰組局長・近藤勇の首塚があります。胸像と誠の旗がありました。
そこから次の藤川宿まで行こうと思ったのですが、少しずつ日が暮れてきていたので、ここいらで断念。竹千代温泉という温泉に浸かってから、名電山中駅という駅から豊橋に引き返し、帰路に就きました。
尚、この竹千代温泉なのですが、やたらめったら石像が置いてあります。動物とか、金剛力士とか、大黒天とか、一休さん(?)とか……その一休さんと称する小坊主が眠っている像の横には、「一休さんの頭をなでた手で、自分の頭をなでるとボケ防止の御利益があります」とまで書いてあります。おいおい、やりたい放題やないか!

東海道五十三次(15)歩行距離 : 23.1km(日本橋〜305.8km)。
                                   駅員@ジャカジャカと 川底さらい 豊川の貝

 
2010年5月3日(月)
駅日誌(1394) 「東海道五十三次(14)」

浜松では、鰻を食べた後にちょっと飲みに行って情報収集をしました。「東海道〜(13)」で、浜松祭についてどういう祭なのかを書きましたが、これもそこで聞いた話の受け売りです。
浜松駅から電車で高塚駅に向かい、そこから歩き始めます。同じく国道257沿いなのですが、途中で道を逸れ、JRに並行する恰好になりました。浜名湖が近付いてきた辺りに松並木があり、この辺りから舞坂宿になります。松並木には、広重の東海道五十三次の浮世絵を銅版にした物が並んで居ました。舞坂宿の物だけが大きくなっています。
浜名湖の傍には、やはり鰻やすっぽんの養殖池がありました。ちょっと様子を見に行ってみたのですが、田んぼの様に四角く区切られた池があり、中には入り込んで何らかの作業をしている人も居ました。しかし、鰻の姿は見えず……池にうじゃうじゃ居る様を期待していたのですが、時期ではないのかなあ?
国道一号線に合流し、浜名湖の南側を歩きます。その辺りには弁天島という干潟のような島があります。こちらに向かって赤い鳥居が立っています。国道沿いにはホテルやマンションが並び、ちょっとしたリゾート地といった風情です。潮干狩りの船があり、弁天島に渡って潮干狩りをする客が多数居ました。鳥居のある干潟に向かって大勢の人々が船を待つ姿は、日本語が読めない人に、「あれは、あの鳥居のある島で修業をする人たちだ」と言ったらもっともらしく聞こえてしまいそうな程でした。
弁天島リゾートエリアを抜けて橋を渡っていると、潮干狩りをしている人々が沢山見えました。
昼食は昨晩に続いて鰻。今度はうな丼定食にしました。同じく3000円くらい。贅沢やな〜!! 本当は、浜名湖料理という店に入ったので、他の地魚なんかを食べたかったのですが、それらはもっと高かったのです……

浜名湖に掛かった長い橋を越えると、新居宿になります。新居には関所跡がありました。日本で唯一当時の建物が残っている関所です。そのすぐそばには旅籠紀伊國屋があり、いずれも中に入って見られました(有料)。当時のトイレ(木製)なんかも復元されています。
尚、その紀伊國屋の風呂には、由美かおるの写真とサインがありました。水戸黄門のロケで使ったのでしょうか? 水戸黄門なんてもう随分長い事見ていませんが、水戸黄門では、入浴シーンを200回もやっているそうです。日本一のセクシー女優……いったい今いくつ? 実はもう還暦近いそうです。スリーサイズはデビュー当時から殆ど変わっていないとか……魔女!?

海沿いに近い道を歩いて一号線を外れて潮見坂という坂を登ります。登って振り帰ると、左右を切り取られた恰好とは言え、太平洋が見えて綺麗な場所です。成程、潮を見る坂か。坂を登った上の辺りが白須賀宿。案内マップを見ると、袈裟斬り地蔵なる非常に興味を惹かれる物があるようなのですが、見つけられず断念。しかし、これはこれ目的で見に来てもいいなあ……
その代わりに十王堂を見ました。十王とは、閻魔王を中心とした地獄の審判10人を指します。極彩色に塗られた比較的新しい物でした。入口の硝子戸に妙な物があります。スーパー等にある白いレジ袋を折って長方形にした物の中央に穴が開いており、赤いゴムボールを押し込んでテープで留めています。
これは何ぞ? 何かのまじないなのでしょうか? それの横をふと見ると、ガラス戸には「新年明けまして御目出度う御座います」の文字……正月から変えていないのかよ……あ! さっきのオブジェは日の丸? え〜!? 何て荒い作りなんだ!

再び一号線に合流すると時刻は17時頃。通勤帰りと思しき車が沢山走っています。この辺りで遠江の国(静岡県西部)が終わり、三河の国(愛知県南東部)入りです。そのまま国道沿いを歩いて新幹線を潜った辺りにあるのが二川宿。随分狭い道なのに、先程の国道と同じくらい混んで居ます。朝夕の一時的なものなのだとは思いますが……歩いた方が早いくらい。とおもったら、何やら消防車が……火事が起きて居ました。もう消し止められて居ましたが、木造家屋がほぼ全焼の黒焦げ。混んでいたのはこのせいもあるのか……
二日目はここまでとし、電車に乗ってちょっと先の豊橋駅まで行って宿泊。名物の「菜めし田楽」を食べました。これは、大根の葉っぱを刻んだ物を炊き込んだ「菜めし」と豆腐の味噌田楽のセットです。素朴な味ですが決して不味くはなく、なかなかヘルシーな名物です。
東海道五十三次(14)歩行距離 : 23.9km(日本橋〜282.7km)

                               駅員@演習(遠州)を 終えて参集(三州) 東海道

2010年5月3日(月)
駅日誌(1393) 「東海道五十三次(13)」

昨秋に開始した東海道歩きですが、今回はGWを利用して、4月30日(有休)、5月1日、2日の三日間歩きました。先ずは、その1日目から。今回は全行程好天に恵まれたので助かりました。
前回が見附宿(JR磐田駅あたり)までだったので、今回そこまで新幹線&JR在来線を使ってそこまで行ってのスタートです。
磐田駅で降りると、先ずはジュビロ磐田の鳥のキャラが出迎えてくれます。あ、女バージョンも居たんだ。それを横目に左に曲がり、割と細い道を進み、国道一号線と並行したり合流したりしながら進みます。なかなかB級センス溢れる看板や店構えがちらほら。「日本初! マンガ食堂喫茶」とか、許可を取っているか疑わしいキャラクターの使用とか……これらB級群は東海道開始から撮り溜めて居りますので、いつかまとめて公開しようと思っています。
道中、米屋のおにぎり屋というのがあったので、おやつ代わりに購入。そこで面白い物を見付けました。「おもろカレー」マップ……おもろ? オモロー? ナベアツ転じて圧力鍋調理のカレーとか? この辺りの方言で、豚足の事を「おもろ」というそうです。で、カレーの具にぴったりというわけで、街のB級グルメとしてPRしているとか。昼食はそのマップの中の一軒で食べようと思い、ちょっとルートを外れて行ってみました。……が、ランチメニューに肝心の「おもろカレー」が無い! おいおい、もうやめちゃったのかよ! 本当に美味しい物であれば、根気強く続ければ本当に他所者にも伝わる名物になるのに! もう口がカレーになっていたので、一応「おもろ」ではないカレーを食べました。
昼食後、天竜川に掛かる天竜川橋を渡ります。本当は青い鉄骨の古めかしい方の橋を渡りたかったのですが、車の通りがそこそこ多いのに歩道が無いので、すぐ目の前の新天竜川橋を渡りました。天竜川は昔は渡し船で、その後木橋、鉄橋になったそうです。渡ってすぐの所に、その歴史を記した看板がありました。川べりに「テロ警戒中」という看板があり、誰も居ない小屋がありました……こんな小屋でテロを警戒出来るのか!? そもそも、こんな川から発生するテロとは? それ以前に、その小屋は元々、豪雨等で川が荒れた時にその様子を見るための小屋ではないのか……

更に進み、県道312号線に合流すると、程無く松並木になりました。松並木を歩いて居ると東海道を歩いているという感じがして来ます。
植物つながりで言えば、丁度藤の花がシーズンなので、綺麗な藤棚があちこちで見られました。私は昔、これは葡萄の花だと思っていました。ルックスのみでそう思っていたのですが、同じように思っていた人は結構居るのではないかと思うのですが……
寺があったので様子を見てみると、羅漢像らしき小さな坊主頭の石像があちこちに……どまん中に立って居たり、木の陰に隠れていたり……これは、ウォーリーみたいに「羅漢を探せ!」なのか?
しばらく行くと、ジグソーパズルの専門店がありました。ん〜、ジグソーパズルとそれ用の額縁だけを商っていて、果たして商売になるのか? 否、なるからこうして立っているわけで。旅の途中ゆえ、荷物が増えるのを避けたかったので買いませんでしたが、専門店なんかがあると、ちょっとやってみたくなります。

やがて浜松駅近くに到着。濱松宿です。流石はヤマハの街。駅の傍に楽器博物館がありました。寄り道。世界のあちこちの楽器が置いてあります。なかなか面白い。文化人類学と楽器の成り立ちの繋がりが見えて来ます。ピアノの前身であるチェンバロや、弦の配し方が違う多数の鍵盤楽器もありました。私は今まで、チェンバロの音は聴いた事があったのですが、見た事はなく、いわゆるもっとバリバリの弦楽器の形をしていると思い込んで居ました。見た目はピアノなんですね〜。結構じっくり見てしまい、時間を食いました。
浜松からは国道257号線を歩きます。祭着屋がありました。結構客が入っているではないか。あっ、大統領、こんな所で何を!! オバマ顔のマネキンまで法被を着ています。否、オバマよりも、そのもの真似をしているノッチに似ているなあ……
祭着を売る店がこんなに賑わっているのは、5月3日〜5日に祭りがあるからです。何でも、神輿というか山車というかの事を「屋台」というそうで、各町がその「屋台」を出して練り歩く祭だそうです。今回はこのまま通り過ぎてしまいますが、別の機会に来てみるか。

JRの浜松駅の隣、高塚駅あたりまで着た頃で時刻は18:00頃。まだ暗くはないが、このまま舞坂宿まで強行しても、暗くなっては何も見えないしなあ……電車に乗り、浜松に引き返して泊まる事にしました。駅のそばをうろうろし、ビジネスホテルに電話をかけ宿泊。
折角の浜松なので鰻を食べました。うな重定食3000円くらい。美味。翌日の行程は次の日誌に。
東海道五十三次(13)歩行距離 : 21.4km(日本橋〜258.8km)
                                     駅員@遠州路 富士見は過ぎて 藤見哉
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