2010年7月度目次
 #1433 「吻」 接吻の ように伸ばした 口の餌。
 #1434 「音」 白塗りの 坊主の汗の 迸り。
 #1435 「匂」 あの匂い この匂いかと 柔軟剤。
 #1436 「忙」 タイトルは 「忙」より「茫」が 相応しい。
 #1437 「東海道五十三次(16)」 名電山中駅〜藤川宿〜岡崎宿〜池鯉鮒宿。
 #1438 「東海道五十三次(17)」 池鯉鮒宿〜鳴海宿〜宮宿。
 #1439 「東海道五十三次(18)」 (佐屋街道)岩塚宿〜万場宿〜神守宿〜津島神社。
 #1440 「蝉」 蝉の子の 目に映るのは 天か地か。

2010年7月28日(水)
駅日誌(1440) 「蝉」

先程まで、遅れていた東海道歩きの日誌を書き終え、ようやく今日書きたかった日記です。
今日は早く帰れた事は書きましたが、乗った電車が私が降りる駅よりもちょっと前で止まる電車でした。辺りはもう暗く、風もあって涼しかったので、乗り継ぎを待たずに降りて歩きました。
途中に並木道(並木道と行っても、木々の間に細い道がある感じで、並木道と林の中間くらいの道です)があり、そこを通りました。昼間や夕暮れならまだしも、暗くなってからわざわざ並木道を選んで歩いても風情もへったくれもありゃしません……と言いたい所ですが、歩いた甲斐はありました。

しばらく歩いていると、足元から、ジジジと鳴き声を鳴らして蝉がくるくると跳ね回りました。暗くて気が付かなかったので驚きました。恐らく、もう飛ぶだけの体力が残っていないのでしょう。憐れ、彼は今日までの命かも知れません。
それに気付いてから、暗いながらも足元を気にしながら歩く事にしたのですが、今度は何やらゆっくりと動く小さな物が目に入りました。蝉の幼虫です。今、まさに命終えようとしている蝉がいれば、これからまさに大人になろうとしている蝉もいるわけです。
道は、レンガ風ブロックを敷き詰めた硬い歩道でした。ここを這いずり回っていても、木に辿り着くまでは結構距離があります。これから時間をかけて、あの木のどれかに登るのでしょうか。ふと、気が向いたので、それを拾って木に停まらせました。これで、間違って木に登れずに成虫になれなかったという憂き目を回避出来て居れば良いのですが……
ちょっと歩くと、またしても蝉の幼虫。それを見て、「先程の蝉は高い所に置き過ぎたかな」と思い、今度は木の根っこのあたりに置いてみました。しばらく、登るかどうかを見てみたかったのです。ところが、なかなか登ろうとしません。それどころか、木の根を先の方に向かって下って行きます。私が選んだ木は気に食わなかったのでしょうか? すると、先程の蝉も、もしかしたら木を降りているのかも知れません。という事は、私が彼等を助けたと思ったのはただの自己満足であり、余計な御節介だったのかも知れません。
もう少し歩くと、またしても蝉の幼虫です。また拾おうとしましたが、丁度犬の散歩をしている人が見えたのでやめました。それに、拾って木の幹、或いは根元まで運んでも、それが果たして良い事なのかどうか。
並木道を抜けるまでにまだ何匹も見付けてしまいました。せめて、踏まないようにだけ気を付けて通る事にしました。前方に何者かの気配を感じてふと眼を上げると野良猫と目が合いました。近付くとダッシュで逃げました。猫はもしかしたら、蝉の幼虫を狙っていたのかも知れません。
並木道を抜けると、存外強い風が吹いていました。並木道に居た蝉の幼虫たちは、これから木に登って、背中が割れて、成虫が出て来て、羽を乾かして真っ直ぐにして、ようやく空に飛べます。風が強かったが、果たして、彼等はちゃんと跳べる状態にまでなれるだろうか? たまに、羽がねじれ曲がって地面を這い回っている蝉を見付ける事があります。羽を乾かす時に失敗した個体です。風が強いと、途中で落ちてそういう風になってしまう可能性もあります。また、上手く成功しても、1週間後には、この道の入り口付近で見た蝉のようになってしまうわけです。何と、生と死が隣り合った生き物なのか、と思いました。
                                   駅員@蝉の子の 目に映るのは 天か地か

 
2010年7月28日(水)
駅日誌(1439) 「東海道五十三次(18)」

続いて、7月19日歩行分です。厳密に言うと、これは東海道ではありません。東海道で七里の渡しを迂回して歩いて通る陸路「佐屋街道」です。
私が頼みの綱にしているガイドブックにも一切道は載っていません。道は、道標や案内板、携帯で見る佐屋街道を歩いた誰かのブログ等で調べつつ進みます。随分道に迷いました。如何に詳細まで書いていない物でも、地図は必需品だなあ、と。

金山のビジネスホテルを出て、北西に進みます。やがて交差点に石の道標が姿を現します。四角柱のそれは東西南北に面していて、それぞれの面に、行き先が書かれています。
「東 右 なこや 木曽 海道」「西 右 宮海道 左 なこや道」「南 さや海道 津しま道」「北 文政 辛巳年 六月 佐屋旅籠屋中」とあります。私が目指すのは、津島方面の佐屋街道なので、南側から見て、ここで左、即ち西に行くというわけです。
歩道には、東海道中膝栗毛のやじさんときたさんをキャラクター化したプリントがあり、「佐屋街道」と書いてあります。所々に、石柱の「佐屋街道」という道標等を見ながら、旧道を歩きます。それにして……歩道にやたらとゴミ袋が置いてある! 月曜日はゴミの日なのでしょうか……人通りの少ない道に、ゴミ袋ばかりがあります。
信号待ちをした時に押しボタンの所を見ると、フクロウのキャラクターが付いたボタンでした。愛知県警のキャラクターなのだろうか……よく、警察のキャラクター=ピーポ君だと思っている人が居ますが、奴は警視庁(いわば、東京都警)のキャラクターであり、各都道府県警に別々のキャラクターが居るのです。その嘴を開いた中にボタンがあります。鳥の喉に指を捻じ込んで信号を渡るわけか……おっと、そのキャラクターの胸元を見ると「コノハけいぶ」とあります。おおっと、侮ってはいけません。警部殿でしたか。

この日も非常に暑かったので、神社や寺の木陰で休みながらの歩行です。ふと気になったのは、このあたりの神社には、手前にステージのような物があり、本殿と思しき場所は祠のみというパターンが随分と目に付いたという事で。ステージのような所では、昔は神楽でもやったのでしょう。地域地域で特徴があって面白い物です。
そのまま歩道があったりなかったりという道を歩き続けます。うーむ、マイナーな道のせいか、どうも東海道よりも街道という自覚が薄いような……この辺りは既に「岩塚宿」に差しかかっているのですが、それを思わせる物が少ないです。所々に旧街道沿いらしさのある家があるくらいです。
やがて、庄内川という川に突き当たります。そのそばには、七所神社という大き目の神社がありました。特徴的なのは、鳥居をくぐった先に本殿を隠すかのような衝立があるという点でした。あの、日本家屋の豪邸なんかで、玄関に虎の描かれた衝立なんかがありますが、あんな感じで石作りの衝立があるのです。この傾向は此処以降の神社で度々見掛けました。先程のステージ同様、このあたりの建築様式のようです。
川に掛かる大きな橋を渡ると、「万場宿」です。川を隔てて二つの宿場があるのです。万場宿側には渡し場跡のような所がありました。万場宿にも寺や神社が多かったです。しかも、大きな石灯籠のある、随分立派な寺(光圓寺)まであります。
高速道路沿いまで来て、しばらく行って、携帯で見ている誰かのブログとどうも様子が違う事に気が付きました。道を間違えたようです。道を補正するように正規ルートに近付く方向で、何とか持ち直しました。こういう時には汗が暑さ以上に流れます。
しばらくすると、旧七宝町、現あま市です。七宝町の地名の由来は矢張り七宝焼き。七宝焼き原産地という道標石碑があります。しかも、ローマ字でSHIPPOYAKIとまで彫られています。明治時代に建てられた物で、外国人がここまで七宝焼きの買い付けにきていた名残だそうです。この辺りで、適当な店で昼食を取って、更に進みます。このあたりもなかなかB級看板が多くて炎天下の中、私には一服の清涼剤になります。

やがて、ずいぶん立派な木が生えている一里塚が見えて来ました。神守の一里塚とありました。この辺りが、「神守宿」というわけです。ここまで歩いて来た片側一車線の道路から、脇に曲がって行くと、所々に宿場情緒のある家が並んでいました。この日誌の冒頭に書いた「佐屋街道」のプリントはもうありません。おいおい、全ルート上にやっておいてくれよう……
こうなっては、片側一車線の道に戻って取り敢えず津島神社を目指すしかないか、と。そのまま西へ西へ。佐屋街道も地図をちゃんと用意しておくべきだったか。しばらく進むと「埋田」という交差点に辿り着きました。先程から時々形態で見てヒントにしているブログには「埋田追分」という表記がありました。成程、この辺りにそれがありそうだぞ、と。運よく近場で見付ける事が出来ました。とは言っても、石灯籠と道標があるだけなのですがね。しかし、佐屋街道に入ってからはなかなか史跡に巡り合わない状態だったので、これで充分なのです。この旧街道を歩いている感が重要なのです。
更に西へ進み、津島神社へ。ここも先程描いた通り、衝立のある作りの神社です。件のブログによると、この辺りの神社の代表格である津島神社にならって他の神社も衝立形式なのだとか。主祭神は素戔嗚尊(スサノオのミコト)ですが、従来は牛頭天王(ゴズテンノウ)が祀られてたそうです。元々、神仏習合で同一視されたようです。いずれにせよ、荒ぶる神の類です。
今回は、ここで打ち止め。佐屋街道を制覇しようと思っていたのですが、3日間の疲れがあり、何よりその翌日は仕事ですから、大事を取って帰りました。
この3日間の歩行はあまりに暑く、3日ともTシャツが塩を吹いてしまいました。特に、ビジネスホテルにチェックインしてすぐにシャワーと着替えが出来る1日目、2日目はまだしも、この状態で在来線&新幹線で帰るのは辛かった……そう言えば、汗が塩になると言えば、私は昔、とんでもない勘違いをしていた事があります。というのは、「ガンジーの塩の行進」です。あれは、イギリスが塩の販売を取り締まっていたのに反対して、海まで塩を作りに行った更新なのですが、インド=暑いという偏見のせいで、汗をかいて塩になった物を塩に使おうとしたのかと思っていたのです。阿呆だったなあ〜、だいたい、体から出た塩なら、元々体内から絞り出したものであり、摂取した事にならんではないか。
東海道五十三次(18)歩行距離:21.5km(日本橋〜370.3km)。
                                      駅員@涼しげな 響きと違い 暑き佐屋

 
2010年7月28日(水)
駅日誌(1438) 「東海道五十三次(17)」

7月17日〜19日に東海道歩きをして、その日誌も三回に分けて続け様に書く予定だったのですがb、2日目を書き終えた直後、この日誌を書いているソフトがエラーでダウンして消えてしまい不貞腐れて日誌の更新が遅れました。
のっけから言い訳で恐縮ですが、今日はたまたま早く帰れて、且つ帰り道に日誌に書きたいネタがあったので、一気に東海道歩きの2日目、3日目を書いてその事を書こうと思います。よって、平日なのに、一気に3本書きます……

さて、東海道歩きも始めてから合計17日目の7月18日です。前日に泊まった知立駅前のビジネスホテルを出発して北東に歩き、街道に復帰します。この朝は、曇っているせいか、比較的涼しかったです。街道復帰間際に、奇妙な木造の仏像を見付けました。善光寺という小さな寺の前に並んだそれらには、味があるというか、癖があるというか、なかなか奇妙な仏像です。それを眺めながら住宅街になっている細い旧道を進むと、またまた変な像がありました。今度は仏像ではありません。ヒーロー然とした青い全身タイツに、菱形の頭をした何やら不気味な像です。そこは算盤教室でした。算盤教室の客寄せのキャラクターなのです。頭の菱形は、算盤の珠というわけで、サンサンマンという名前だそうです。しかし、安斎肇が書いたかのようなヘタうま系のデザインで、造りの粗い像なので不気味です。良く見ると、股間の所がやたらと傷んでいます。嗚呼、いつの時代も悪ガキに狙われるポイントは変わらないのかあ……
今は城は跡形も無い知立古城址公園の前を通って、更に進み、太い道を渡ると知立神社です。GWに行った出雲大社周辺にあった神社のように太い注連縄がありました。出雲大社の主祭神である大国主神は国津神です。もしかしたら、国津神系の注連縄の形なのでしょうか? 知立神社の隣には知立公園には、カキツバタが植わっていました。伊勢物語で在原業平がカキツバタの歌(から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思う。あいおうえお作文です)を詠んでいるのも現在の知立市のあたりですし、その関係で植えているようです。何て事を思っていたら、小雨がパラついてきました。まずい……今回は折り畳み傘を持って来ていないのです。コンビニがあれば傘を買おうと思い、足を速めました。
流汗不動明王という惹かれる寺があったのですが、小さな滝のような場所に小ぶりの不動明王が置いてあるだけでした。跡で調べると、本物は秘仏で、人間サイズなのだとか。
小雨が降ったり止んだりで、本降りが来そうな気配はないので、そのまま進み、国道一号線に合流。標識を見ると、「刈谷市」の文字。知立市が終わり、刈谷市に入りました。そこからは、国道の歩道を歩いたり、国道に沿った脇の細い道を歩いたりが続きます。
細い道を歩いて居ると、「いもかわうどん」と書かれた看板のある祠のような物がありました。いもかわうどんとは? うどんと言うからにはうどんなのでしょう。何でも、街道沿いの有名うどん店が昔あった場所だそうです。この「いもかわうどん」が名古屋で「きしめん」になり、関東で「ひもかわうどん」(北関東にある、薄べったい板状のうどんです)になったのだそうです。
しばらく進んで名鉄富士松駅のそばを通り、また国道とくっ付いたり離れたりの道を進みます。雨は結局本降りになることなく上がりました。しかし、喜ぶべきか嘆くべきか、晴れて来ました。炎天下の始まりです。国道沿いを更に進むと、中京競馬場付近まで来ました。巨大な蹄鉄の上に馬の像が乗った看板があります。この辺りで左に折れると、桶狭間古戦場があります。しかし、兵どもが夢の跡、古戦場址は狭い公園でした。目の前には、高徳院という寺があります。桶狭間の戦死者を弔っての寺だとか。ここでは「きゅうり加持祈祷会」なる催しがあるそうです。胡瓜を奉納しての健康祈願のようです。何か言われがあるのだろうな、と思ったら、弘法大師のエピソードの一つに、胡瓜を奉献して祈祷すると人が快癒した話があったそうです。
ここまでしばらくは国道の左側をくっ付いたり離れたりで歩いて居たのですが、右側に渡る所に着きました。間の宿「有松」です。五十三次には数えられていないのですが、古い街並みが残っていて、味わい深い通りです。私が見ながら歩いている東海道歩きのガイドブックにも、「ぞくぞくするような家並みが続く」と書かれています。「有松絞り」という絞り染めが有名で、今でも伝統工芸として残っていて、有松鳴海絞り会館という場所では、服などを販売しています。うーむ、流石に結構な値段がする。よほど気に入れば買うが、シャツ一枚に2万円はなあ……そばにあった寿限無茶屋という店で昼食に冷やしうどんを食べました。店構えがいかにも宿場町っぽくて、何気なく入ったのですが、なかなかの美味。サイン色紙が沢山貼ってありました。その後で有松山車会館という場所を見学。カラクリ仕掛けが自慢の山車が仕舞ってありました。祭りの時には、この山車が練り歩き、カラクリで筆で文字を書くのだとかで、そのビデオを見せて貰いました。カラクリ人形って、非常に不気味です。が、これもなかなか私好み。

有松を抜けてしばらく進むと、「鳴海宿」に到着です。ここいらにも街道沿いに寺や神社が沢山ありました。矢張り、東海道は昔からある道ですから、何処へ行っても寺社が多いのです。その中に、大林山浄泉寺という寺があり、「宮城野部屋」「白鵬関」という大きな幟がありました。国技館にあるようなカラフルな幟です。そう言えば、丁度名古屋場所が行われている時期でした。という事は、もしかして白鵬はここで寝泊まりして居るのか? ちょっと石段を登ってみました。すると、門の前に「報道関係及び一般の稽古見学お断り致します」の文字。胸躍らせてちょっと覗いてみると、一人のおっさんがパンツ一丁で芝生の上に寝転がっていました。ガーン、こんな物を胸躍らせて見ようとする羽目になるなんて。
炎天下の中を歩き続けているので汗だくです。木がある寺や神社がある度に、木陰で休憩しながら進みました。と、この辺りで気付いた事が。鳴海宿に入った辺りから、一人の御婦人と私が歩いて抜きつ抜かれつしているのです。歩行速度は私の方が早いのですが、暑がりなので、木陰に入って休む頻度が私の方が多いので、その間に追い越されるわけです。ふむー、私と同じく、東海道歩き人と見た。声をかけようかとも思ったのですが、やめておきました。人に大した理由も無く声を掛けるには今の私は汗だく過ぎる。

そうこうしながら進んで行くと、辺りが都市化してきました。名古屋に着いたわけです。道幅も一気に広がりました。熱田神宮周辺が「宮宿」です。この「宮」は神宮の宮なわけです。熱田神宮のそばを通って、旧道を直進すると「ほうろく地蔵」という地蔵があり、そこを左に曲がると七里の渡しです。昔はここから三重県の桑名まで渡し船があったのですが、今はその跡地が公園になっているのみ。東海道歩きの道はここで途切れてしまいます。だがしかし、ここで諦めるはまだ早い。きちんと陸路の旧道もあるのです。「佐屋街道」という道です。先程の「ほうろく地蔵」を右に行くと佐屋街道に繋がります。熱田神宮を参拝し、鶏が放し飼いになっているのに驚きつつ、広大な神社敷地にある宮きしめんを食べました(頼んじゃってから昼と同じような物を食べてしまった事に気付き、後悔)。佐屋街道の始まる金山まで北上して、ビジネスホテルを確保して一泊して、休息ならぬ休足です。
東海道五十三次(17)歩行距離:17.5km(日本橋〜348.8km)。
                                        駅員@神に祈り 仏を拝む 無節操

 
2010年7月20日(火)
駅日誌(1437) 「東海道五十三次(16)」

うむむむむむ……また駅日誌に長い事間があいてしまいました。言い訳させて貰うと、自宅に帰ってからPCの電源を点けたくないからです。
仮に早く帰れても、本や漫画を読んでゴロゴロしてしまいます。仕事以外(仕事と関係はあるのですが)で、自宅でPCで書かなければならない課題、それも切羽詰まる程締切間近ではない課題があるせいです。一種の現実逃避なわけです。
それでもどうしても書きたい内容があるので、今日は書きます。どうしても書きたい内容、それは昨秋からスタートした東海道歩きです。この三連休でその続きに行って来ました。炎天下を三日も歩けば、日焼けしまくりで、深刻なレベルではないがきっと軽く熱中症にもかかっている事でしょう。先ずは、17日分です。

さて、前回歩いたのはGWで2泊3日。今回も2泊3日で歩きました。今回は、赤坂宿と藤川宿の間の名電山中駅からです。新幹線で豊橋に向かい、名鉄に乗り換えてからのスタートです。
しかし、出鼻を挫かれたのが、豊橋に止まるひかりの少なさでした。時刻表を見ずに出掛けたので、東京駅でいきなり1時間近く待つ事になってしまいました。名電山中駅に着いたのはもう昼。太陽は燦々と照っており、歩きだしたら程無く滝のような汗が……早くも今回は前途多難の予感。
国道1号線の歩道から時折脇の細道に別れながら西へ。3km程歩けばもう「藤川宿」です。藤川宿の西の端入口の手前には、牛乳屋の建物があり、そこには「栄養しっかり この1本ではつらつスタート 名古屋ウルトラ牛乳」の古くて大きな看板がありました。「ウルトラ牛乳」!? 一体普通の牛乳と何が違うのか!? 調べてみると、UHT牛乳(超高温殺菌牛乳)の事でした。この「超」=「ウルトラ」を取ってウルトラ牛乳、と。で、それは130℃2秒殺菌の様子。これは寧ろ、今の日本には最も多く流通している牛乳です。その黎明期に出来た看板か。

藤川宿で気になる寺を発見。明星院というその寺は、「片目不動尊」の幟がありました。興味深い。敷地に入ったのですが、片目不動尊は秘仏だそうで拝めず……変り物の仏像というのは興味を惹かれるのですが、秘仏って事が多いのです。その代わり、役行者や弘法大師の石像がありました。そのすぐ近くには、称名寺という寺があり、こちらには本堂の縁側(?)に像の象が置いてありました(比較的新しい)。こんな所に置いてあって、何に使うのだろうか……
そのまま宿場町を進むと、本陣跡と脇本陣跡が資料館になっていました。小さな小屋なのですが、藤川宿のジオラマがあります。誰も居らず、勝手に電源入れて勝手にボタンを押して聴け、というシステムでした。
更に、藤川宿出口近くの田んぼで奇妙な案山子を発見。何やらぷらぷらしています。良く見ると、ピエロの人形が帽子の先から吊るされています。単品で見ると可愛いのですが、風に揺られてたまにこちら見ている様は怖い!! ピエロには何処となく怖さが潜んでいます。そう言えば、小学生の頃に、保育園にマクドナルドのドナルドが来た事があるのですが、あの時は泣き叫んでいる子も居たなあ……ドナルドもピエロの一種と言えばそうなのだと思います。
藤川宿を出てしばらく歩くと、「藤川常設射撃場」の看板があり、近くで銃声がしています。どんなもんだろうと、山道をちょっと登るとありました。猟銃の練習場のようです。撃っている様子を見たかったのですが、「関係者立ち入り禁止」の文字があり、近寄りがたい雰囲気だったので、それ以上は近付かず、街道に復帰。この辺りから、松並木があります。松並木を越えて国道に合流。炎天下の国道歩道は辛い。消防の溜池に居たメダカや鶏小屋の鶏を見て心を癒しながら歩きました。
さて、国道を歩いていて気になったのは、直径20〜30センチ程の黒いスポンジ状の球です。私は二度見付けました。歩道脇に、「岡崎市」と書かれたカラーコーンとともに備え付けてあります。軸があって、電源コードも伸びているので、恐らくは集音器。国道の騒音でも測定しているのでしょうか。

東名高速の岡崎ICのあたりを潜り、更に進むと、「岡崎宿」の入り口です。ここは「岡崎二十七曲がり」と言われる徳川家康の居城だった岡崎城の城下町です。ここでガイドブックを見て、衝撃。岡崎ICの辺りに、大岡越前守陣屋跡があったのに、スルーしていた! あの大岡裁きの大岡越前です。ここにもにも寄りたかった! 二十七曲がりと言っても、実際には27も曲がっていませんでした。少なくとも現在のルートは。所々にベンチがあり、街道歩きの旅人に休憩所を提供してくれています。そのベンチには「風紀上ここで寝ないでください」の文字。歩き疲れた人か、酔っ払いか、ここで寝た人が居たんだろうなあ……
二十七曲がりの終点は岡崎城公園です。天守閣は、明治時代に取り壊されましたが、昭和34年に復元されています。折角なので入場料を天守閣にも払って入りました。うむー、石垣の足元にある亀の石像が何だか卑猥です。
岡崎と言えば、マルヤやカネクの八丁味噌。岡崎城公園の西には、八丁蔵通りという八丁味噌の蔵の通りがありました。NHKのテレビ小説(2006年「純情きらり」)のロケ地にもなっていて、宮崎あおいの手形がありました。
岡崎宿を過ぎ、矢作橋を渡って更に西へ。誓願寺という寺があり、そこは幼稚園を兼ねて居ました。街道沿いには、神社仏閣が多く、且つ保育園・幼稚園を開いている所も多いです。さて、その誓願時の入り口なのですが、狙ってやったのか偶然なのかは分かりませんが、アンパンマンとカレーパンマンがそれこそ仁王のように阿形と吽形で門を両脇から守って居ます。ファンシー仁王です。
西日を真正面に受けながら西へ。しばらくは国道沿いを歩き、松並木の始まる辺りで国道を離れ、進みます。日が長い時期とはいえ、空が赤くなってからは存外早く暗くなります。

何とか暗い中を「池鯉鮒(知立)宿」入口松並木まで到着。松並木が終わり国道とクロスしたあたりに丁度ビジネスホテル発見。早速電話して泊まれるかどうかを訊くと、残念ながら満室との事! ガーン。時刻はもう20時。どうしよう……
何はともあれ、駅の近くまで歩くかというわけで、名鉄の知立駅付近まで歩きました。駅前には商店街があり、決して都会ではないですが思っていたよりは栄えて居て、線路沿いにビジネスホテルを発見。最悪は岡崎まで電車で戻る事も考えていたので、幸いでした。
それにしても真夏の炎天下に何時間も歩くと汗が凄いもので、Tシャツは塩を吹いて居ました。休日でもあり髭も剃っていないので、殆ど乞食と変わりません……電話でなくていきなりフロントに突入してたら、満室と嘘を吐かれていたかも!?
東海道五十三次(16)歩行距離 : 25.5km(日本橋〜331.3km)。
                                    駅員@PETから がぶがぶ飲んで 滝の汗

2010年7月7日(水)
駅日誌(1436) 「忙」

笹の葉沙羅沙羅 軒場に揺れる 御星様綺羅綺羅 金銀砂子♪
五色の短冊 私が書いた 御星様綺羅綺羅 空から見てる♪
  〜童謡「七夕様」より〜

強引に漢字変換して書いてみました。綺羅綺羅はまだしも、沙羅沙羅は全然意味が変わっちゃいますね。沙羅双樹になってしまいます。
というわけで、今日は七夕……と言っても、何にもありません。星空に雨雲が覆われていて見えませんし。とは言え、折角の七夕ですから、どこかで遠距離恋愛をしている人なんかが忍んで会ったりしていると素敵な日です。嗚呼、柄にもない事を書いてしまった。
平日にそんな事するのは随分忙しいですが……

……さて、本日の本題は「忙」。今書いたのは「せわしい」と読みますが、それではなく「いそがしい」の方です。忙しいというのにも色々な形態があるのですが、机に向かっているだけでは、何となく忙しそうには見えにくい物です。しかも、欠伸を噛み殺して居たりすると特に。今週の私は丁度そんな感じです。6月下旬に研修で仕事が出来なかった日が多くて、その皺寄せのデスクワーク三昧になってしまっています。
しかし、デスクワークというのはどうも眠くなってしまう物です。実は、今日は眠くて眠くて一瞬意識が飛んでしまう事もありました。退屈で、或いは暇で眠くなるというわけではないのです。目の前にディスプレイにはしなければならない事が映っています。
ちょっとドキッとしたのは、今日意識が飛んだ隙に打たれていた文字列……「現地人のもてなし」(うろ覚え)と書いてあったのです。何ぞこれは!? 前後とは全く関わりがありません。偶然か? それとも何らかのメッセージか? 或いは、その文字列を見た事が一瞬の間に見た夢だったりして……うむむ、いかんなあ〜。「昨夜あんまり寝てないせいだ」なんて言い訳は、給料貰っている以上通りませんっ!
                                  駅員@タイトルは 「忙」より「茫」が 相応しい

2010年7月5日(月)
駅日誌(1435) 「匂」

土曜の分、日曜の分と今連続で書いて、ようやく今日の日記です。
日曜日、昼から出掛けて、そのまま連続して人間椅子のライブに行ったのですが、実は、昼に出る前に干した洗濯物が心配でした。夜に帰って来ると、案の定雨にやられてびしょびしょ……今回の洗濯で洗剤が切れてしまったので、已むなく雨に濡れたままでそのまま部屋干しへと移行。で、今日帰ってみると、くっさー! 雨にぬれて生乾きの洗濯物の臭い!
だがしかし、今日は洗剤を買って帰ったので洗い直せます。部屋干しは部屋干しですが、きちんと脱水された状態での部屋干しと雨に濡れたのでは全く違うと思います。
更に! 今回は私は初めての柔軟剤投入です。それも、匂いが強いので有名なダウニー! この臭いで部屋干し臭さもぶっ飛ばせれば良いのですが……
洗濯機が鳴いたので、どら、と取り出してみると成程。触っただけで柔軟になっているのが分かります。普段の洗濯物はもっと硬いです。タオルなんかは乾したら菱形のカリカリした布になっています。こいつは期待出来そうだぞ、と。
だがしかし、想定外だったのはその匂い。こ、この匂いは……
日頃街を出歩いていると、「わ! この女の放つ匂い、何だか苦手だなあ」と思う事があるのですが、ああ、そうか、あれは柔軟剤の匂いだったのか。とは言え、柔軟剤にも色々種類がありそうなので、今回は選択を誤ったのかもしません。濃縮タイプを買っちゃった……しばらくは、この匂いで辛抱かあ。いつしかこれが好きな匂いになるのでしょうか?
                                     駅員@あの匂い この匂いかと 柔軟剤

2010年7月5日(月)
駅日誌(1434) 「音」

火事だ 火事だ 何処火事だ? 心の中の一軒家♪
火事だ 火事だ 此処火事だ 焼け落ちる前に火を消して誰か♪
  〜人間椅子「心の火事」より〜

日曜日、昼に野暮用を済ませて、夕刻に千葉駅そばのLOOKというライブハウスに行きました。私がネット検索で見た地図は何故か千葉中央駅からの道が書いてあり、無駄に一駅乗って、無駄に歩いて思っていたよりも遅く着いてしまいました……幸い開演には間に合いましたが。ここへ来るのは二度目なのですが、天井が低くて狭い箱です。うーん、物凄い久し振りに来たんですが、前もこんなんだったっけなあ〜?
ここへ来た目的は、人間椅子のライブ。当駅日誌で度々取り上げているバンドなのですが、現役イカ天バンドです。イカ天バンドというと、色物を想像されてしまいますが、彼等はただの色物に留まらず、実力派です。あのベースはピック弾きベースの理想形の一つであると私は思っています(ベーシスト本人は、年々衰えている等と言っていて心配でしたが、会心の出来では? と思われる演奏もありましたし、まだまだ)。
今回印象的だったのは、冒頭にも触れた「心の火事」を久々に聴いたという点でした。それと、アンコールで鈴木研一(件のベーシスト)が、Tシャツ褌姿で現れた事でしょう。あ! やっぱり色物は色物でした。残念ながら、天井が低いという事はその分演台も低く、遅く着いてしまった私は後ろの方だったので、褌は拝めず!
ふむー、私も褌を持っているので、次からはライブ専用パンツとして履こうかなあ……無論、私は誰にも見せませんが。16日金曜日に渋谷でもライブがありますが、行きたいのはやまやまながら、今月はちょっと諸々の遅れている仕事を取り返さねばならないので、平日は断念です。
                                        駅員@白塗りの 坊主の汗の 迸り

2010年7月5日(月)
駅日誌(1433) 「吻」

キス キス キス キス キス キス キス 頭の先からキスの雨♪
キス キス キス キス キス キス キス 足の裏まで♪
  〜ザ・ハイロウズ「オレメカ」より〜

えー、この所、日記を書く頻度が激減している! これはいけません。昨年もこの時期にどうも日記を書く意欲が減退していたものです。湿気と暑さで弱って、リズムが狂って日記を書く気が起きないのか? 或いは日記を書かないからリズムが狂っているのか? 前者では如何にも弱者。否、認めないい、認めたくない……こういう日々続ける事はさぼってしまうと途端にリズムが狂うし、後者と結論付けて、今日は一昨日、昨日、今日の分をまとめて書きます。

一昨日の土曜日は、潮風に吹かれながら今にも泣き出しそうな鉛色の空の下、しきりにキスを求めて居りました。……こんな文章を書くと赤面してしまいますが、その赤面は、色恋ではなく日焼けのため。
曇天の下、船に乗って鱚釣りに出掛けたのでした。この、魚の鱚と接吻を掛けるという書き出し、前に鱚釣りに行った時の日誌にも書いてしまいました。恥ずかしい……しかし、この鱚という魚、キスと言うだけあって、なかなか接吻的なアクションをする魚なのです。というのも、若干細長くなった口で餌をひゅっと吸うように食い付きがちなのです。
よって、針が奥に入りやすい。針を外そうとして、何個か内部に残してしまいました。曇天〜海に出ると晴れたのですが、最終的には雨が降りました。合羽を持っていて良かった。
                                     駅員@接吻の ように伸ばした 口の餌
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